“なんとなく始まって、なんとなく終わる”の背後と彼方
今年10月から11月にかけて初来日したクレア・ラウジーは、今年春に《Thrill Jockey》からリリースした『sentiment』で一気に飛躍したかのように見えるが、ここに至るまでに実に多くの作品をリリースしてきているのは先刻承知、しかもその多くが実験的なコラージュ・ミュージックだったりするし、中にはポエトリー・リーディングもある、といった具合に、全貌を把握することがとても難しい音楽家だ。TURNでは来日時にインタヴューと動画撮影を行い、動画の方は先ごろ公開したのでぜひチェックしてみてほしいのだが(下記リンク)、そこではフランスのフェリシア・アトキンソンの新作がとても良かった、ジョン・ケージの自伝本が愛読書だ、と話している。また、彼女がポーリン・オリヴェロスの影響を受けていることは知られたところで、ローリー・アンダーソンが序文を寄稿しているオリヴェロスの著書『Quantum Listening』は家の中のすぐ手の届くところにあると来日時に語ってもくれた。
そんなラウジーの作品、とりわけ生のパフォーマンスに顕著だが、実は一つ大きな特徴があることを今回の来日公演で感じとった人も多いと思う。それは、“なんとなく始まって、なんとなく終わる”ということだ。アンビエントやドローンはたいがいそうではないか、と思う人もいるだろうが、ラウジーの場合、そこにあまり計算がなく、いや、あるのかもしれないが、途中から割と行き当たりばったり……というとやや乱暴だが、あっちこっちに寄り道をしたり、回り道をしたりするようになり、結果としてその行程をその場で形にしているように見える。即興演奏はたいがいがそうではないか、と思う人もいるだろうし、実際彼女は即興演奏の経験も豊富なのだが、ラウジーの場合は“なんとなく”ついフラフラとしてしまう行為そのものを自らのポップ・ソングライティング・スタイルとしているように思えるのだ。ヴォーカルを明確に取り入れ、これまでになくメロディアスな仕上がりとなった『sentiment』というアルバムの楽曲は、そんな“なんとなく始まってなんとなく終わる”独自のコンポジションをポップ・ミュージックという制限のある中で試してみたものなのではないかと思う。実際、ラウジーの曲は、あちこち脱線しても元の場所に帰ってくる、ポップスのフォーミュラーを楽しんでいるようなものもあるからだ。
では、いわゆるカヴァーのような作業だったり、元の素材があったり、形式のある曲の制作だったり、テーマが事前に明確な場合はどうなるのか。それをアルバム丸ごとやってみたのが本作、すなわちこの最新作だ。厳密には『sentiment remix』が12月6日に発表されているので“最新”ではないが、今後の彼女の活動の大きな布石になるかもしれない重要作だと思う。
本作はスロバキアの漫画家、アニメーター、映像クリエイターのヴィクトル・クバル(Viktor Kubal 1997年没)が手がけたアニメ作品『Krvavá pani(The Bloody Lady)』のスコアをラウジーが新たに再構築したもの。このアニメ映画自体は1980年に制作され1981年2月に公開されており、クバルが脚本も監督も担当している。永遠の若さと美しさを保つために処女の血を猟奇的に求めたという“血の伯爵夫人”の異名を持ったハンガリー王国の貴族、バートリ・エルジェーベトの伝説を元にした物語で、アニメーション自体は極めて簡素でどことなく物寂しい。
当然ながらアニメ作品自体には別のスコア音楽があり、Juraj Lexmannというスロバキアの作曲家が担当している。ラウジーはこのLexmannが作ったスコアを元に……ではなく、全く新しいものとしてリストラクチュアした。作曲クレジットがクレアの名前になっていることからいわゆるカヴァーという形ではないことがわかるし、実際に断片的でしかないが映像で使用されている音楽を聴く限り、ラウジーが今回作った音楽はメロディやフレーズがあるLexmannのスコアとはかなり違う。もちろん同じ映像作品をモチーフにしたものなので、当然「元」は聴いただろうし、手本にしていたかもしれないし、参考にもしていただろうが、ラウジーは十分な余白のあるドローンとも言える、アンビエントとも言えるインストゥルメンタル作品を目指した。彼女は本作のオファーを受ける1年ほど前に、物語の舞台であるチェイテ城を偶然訪れ、周辺の森やバーなどで音源を採取。その後、LAに移住した直後に、現地でフィールド・レコーディングしたそれらの音にシンセ、ピアノ、ヴァイオリンなどを加えて完成させたという。マスタリングはステファン・マチューが担当。非常に不穏で不気味で、それでいてどこかシニカルな作品で、これまでのラウジーのどのアルバムとも違う奇妙な風合いを感じさせるのが面白い。
そしてもう一つ、来日公演以降に公開されたクレア・ラウジーの仕事で重要なのは、ジェフ・トゥイーディー(ウィルコ)との共演曲「How Sweet I Roamed」だ。トランスジェンダーやノンバイナリーの人々を讃える総勢100組以上が参加した46曲収録のチャリティ・コンピレーション・アルバム『Transa』(Red Hot Organization)で聴けるこの曲は、ウィリアム・ブレイクの詩にトゥイーディーとラウジーがメロディをつけたもので、メインのヴォーカルはトゥイーディーながらも、ラウジーのアメリカン・プリミティヴ、アメリカーナ、カントリーへの真摯なアプローチを伺うことができるだろう。幼少時から長くテキサスに住んでいて、当たり前のようにカントリーに触れてきたラウジーにとってこの共演曲は、ポップ・ソングライティングのフォルムを今後再認識するきっかけになるかもしれない。
音楽に限ったことではないが、いきなり何もないところから真新しいものが唐突に誕生することなどない。“前”は、ある。そんなこと、ドラマーとして数々のロック・バンドのサポートをやってきて、エモが好きだったクレア・ラウジーならとうにわかっているはずだ。それでも思う。彼女は、あちこちに寄り道するかのようにフラフラとなんとなく曲を始めて、なんとなく終えていく、そういう作業の中にさえ“前”があるということに、今、改めてどう対峙しようかと模索しているのではないかと。本作や「How Sweet I Roamed」の経験がこれからの彼女に与えるものは、おそらくかなり、相当に、大きいはずだ。(岡村詩野)
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【INTERVIEW】
claire rousay
「音楽的あるいはコンセプチュアル的に興味があるものを全部かけ合わせながらも一枚の作品にしたかった」
《Thrill Jockey》から新作を発表したクレア・ラウジーに訊く“属性から解き放たれるために”
http://turntokyo.com/features/claire-rousay-interview/