アンデスの高地へは、飛行機で行くと高山病になってしまうため、陸路で数日かけて移動し、少しずつ標高を上げていくそうです
Elysia CramptonとJoshua Chuquimia Cramptonのきょうだいによるアルバム『Los Thuthanaka』を知ったきっかけはもちろん《Pitchfork》の高得点でしたが、編集部の吉澤さんにも勧められて聴きました。ボリビアやアンデス地方のトラディショナルな音楽を基盤に、アイマラ人(ボリビア人口の25%を占める)の民族的ルーツと実験的な電子音楽を融合させたクィア・ミュージック。Elysia Cramptonは個人的には2020年の『ORCORARA 2010』が印象深かった。
そういうさまさまな情報を肴に聴くことも可能であるが、「Jellalla Ayllu Pahaza Marka Qalaqutu」のアンビエント化したdrift phonk(?)や、「Salay “Titi Ch’iri Siqititi”」のAC/DCばりのリフ・ロックを聴いているころにはそんな「情報の多さ」はどうでもよくなっていて、珍しく朝に行ったスターバックスの店内はいくつものホスピタリティと電子機器ノイズとWOKE思想と自意識等がめまぐるしく視界のうちを行き来していて(自分のアイロニーの語彙の少なさにもうんざりします)、「これってエピック・コラージュじゃんね!」と目眩を覚えたりしています。
★原稿の前半ですが、人が増えて思考が混濁してきたので移動しますね。
本作の音楽が、アンデス舞踊音楽のクジャワーダ(kullawada)やワイニョ(huayño)といった要素と実験的なエレクトロニックを組み合わせた折衷的なサウンドであること、反植民地主義的なテーマを掲げMoMA PS1での展覧会でかれらの祖先の物語と音楽を融合させた展示を行ったこと、クィアな人々を守るアイマラ人の神=Chuqi Chinchayに捧げられアルバムのアートワークにも極彩色の生物が描かれている(Wipharaと呼ばれる7色のアイマラの民族旗も思わせる)こと、などは件の《Pitchfork》のレビューでも言及されている通り。
《Pitchfork》が高評価を連発すると、それはそれで批判したがる人もいる。先の買収騒ぎにしても、なにかと事柄を理由づけて押し付ける「駄々っ子マインド」な品性のないXの運用をする人がいる。音楽好きと繋がりたい? わかる。
ワイニョは、ボリビアやペルーの先住民に伝わる舞曲で、ドレミソラのペンタトニックを基調とし、拍子の概念が希薄で自由なメロディが特徴。この要素は『Los Thuthanaka』にも色濃く反映されている。ボリビア発のワイニョ音楽の作品をいくつか聴きあさってみて特に惹かれたのは、NYのメディア《DIS Magazine》が公開したミックス音源『Borda Tape Cut』(*)であった。作者不明のワイニョの演奏を集めたもので、音質が悪く、弦楽器が高くキンキンと鳴ってしまっているが、先述のワイニョ音楽の特徴も相まって、かえって『Los Thuthanaka』に通ずる質感を持っている。と思ったら驚くことに、このミックスの編纂者はElysia Crampton自身だった。『Los Thuthanaka』の特徴の一つに、ローファイで「汚された」音質や、ハドソン・モホーク〜Rusty的に「汚された」音の派手さがあるが、これもまた意図的な美学に基づいているのだろう。
* https://soundcloud.com/dismagazine/borda-tape-cutアルバムのハイライトは、「Huayño “Ipi Saxra”」、「Kullawada “Awila”」、「Salay “Titi Ch’iri Siqititi”」あたりだろうか。Elysia CramptonがChuquimamani-Condori名義でリリースした前作『DJ E』でも実践された、アンデス音楽の要素を含んだエピック・コラージュを基盤に、Joshua Chuquimiaのギターとベースが加わることで、リフやメロディが強調されている。ヘヴィなロック色が強まっているだけにとどまらず、そのリフやメロディを「崩す」ことによる拍子のつかめなさも強調されている。とはいえ過剰な変調の音楽というわけではなく、一定の温度のグルーヴが保たれたまま同じモティフを繰り返す。そのグルーヴ感は、ニコラス・ジャーによるAgainst All Logic『2017 – 2019』の切迫したインダストリアルや、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインがビートのない「touched」で描いた彼岸のサイケデリアにも似る。多くの曲が8分を超え、長尺でも退屈させない強刺激と、反復によるトランシーな快楽性が同居した、ふしぎな音楽だ。
ウユニ塩湖でも知られるボリビアのアンデスだが、ボリビア人口の大部分が、標高4,000mを超える高原地帯に住んでいる。ウユニ塩湖は観光名所にもかかわらず、飛行機で行くと高山病になってしまうため、陸路で数日かけて徐々に標高を上げていくのが一般的だそう。このことは、原研哉『デザインのデザイン』(2003年)で書かれた、無印良品のキャンペーン映像撮影時のエピソードで知った。原研哉の語り口は、読者に地方在住者を想定していない特権性のようなものと、グローバルサウスに対する無自覚な差別意識のようなものが透けて見えて鼻白む瞬間もあった。だがその無印良品の広告に映るウユニのいちめんの塩原は、なるほど『Los Thuthanaka』のトランシーで大きなグルーヴにも似た壮大さである。Los Thuthanakaの二人はカリフォルニア出身だが、派手で節操のないようにも見える音楽の中で真に描こうとしている風景は、無印良品の「あれ」だったのかもしれないなと思う。(髙橋翔哉)