「完璧であることが表現の目的じゃない」
フランキー・コスモス、インタヴュー
いつだったか、はっきりとは思い出せない。部屋の中でひとり、パソコンのスピーカーから流れてきた、まだ誰のものとも知らなかった曲たちは、整っていなくて頼りなくて、それでも不思議なほど近くに感じられた。
レーベルからリリースされる前、《Bandcamp》にリリースされたフランキー・コスモスの曲たちは、GarageBandで録音された、かなり粗い音源だった。けれどその音は、生身の気配をまといながらどこか澄んでいて、遠くから届くものではなく、同じ部屋で鳴っているようにそこにあった。
誰か特別な人の音楽というよりも、ただそこに在るものとして、自分の中に自然に入り込んでくる。気づけば歌詞についても調べずにはいられなかった。完成された物語ではなく、書きかけのメモのように差し出される言葉は、誰かと一緒にいるのに重ならない瞬間や、わかり合えそうでほんの少しすれ違う時間を、そのまま置いている。「わかる」と言い切る手前で、かすかに立ち止まるような感覚がそこにはあった。
そうした未完成さは、決して欠けているのではなく、無防備なまま差し出されたものの美しさのように感じられた。当時の自分にとって、ミュージシャンはどこか別の場所にいる存在で、音楽もまた自分の外側にあるもののように思えていた。だからこそ、どこかで自分の気持ちを重ねようとする、わずかな距離があったのだと思う。けれどフランキー・コスモスの音楽は、その距離の取り方ごと静かにほどいていった。何かに重ねるというよりも、すでに自分の中にあった感情や時間に気づかされるような、かすかな揺れを伴って。日常の小さな感情や、見過ごしてしまいそうな瞬間までもが、そのまま差し出されているようなひらきが、その音にはあった。
その感覚は、いつのまにか自分の中でかたちを変え、ただ聴いているだけだったはずの音楽が、少しずつ自分の中に残り続けるものになっていった。やがて自分も、写真を通して音楽のある場所に関わるようになる。その場に立つたび、本来は外から見ているはずの自分が、少しずつ観察者でいられなくなっていくのを感じていた。自分の内側にあるものをそのまま持ち続けていたいと思いながらも、誰かに届くために、あるいは求められる像に近づこうとするなかで、気づけば少しずつ外側のかたちを纏っていく。そのたびに、自分の輪郭もわずかに揺らいでいった。内側にあるものに気づかされるような音楽に触れてきたはずなのに、その内側を保つことは、思っていたよりもずっと難しい。そんな感覚を、少しずつ知っていった。
フランキー・コスモスもまた、多くの変化の中にいたはずだ。レーベルと契約し、バンドメンバーも移り変わり、ツアーで訪れる場所も増えていく。録音のあり方も宅録からスタジオへと移り、昨年リリースされた最新作『Differant Talking』でも音の質感はこれまで以上に整えられていた。それでも、そこにある手触りだけは変わらずに残り続けているように思う。あのときと同じ部屋にいながら、少しずつ人を迎え入れるために家具を増やし、配置を変えていくように、内側にあるものを手放さずに音を作り続けている。そうした音の中心には、常にグレタ・クラインの個人的な感覚や視線があり、フランキー・コスモスにはその輪郭が揺らがない安心感がある。
彼女の音楽がリリースされるたび、迷いながらもその感覚を差し出し続けていることが、変わってしまいそうな自分の中にあるものを、静かに浮かび上がらせてくれる。それは何かに支えられるというよりも、変わり続ける状況のなかでも内側にあるものを確かめ続ける、その在り方がそのまま音になっているからなのかもしれない。だからこそ、自分の中で揺れているものや、少しずつ形を変えていくものも、そのまま見つめなおすことができる。
前回の来日公演から9年ぶりに、新しいメンバーを含めたグレタたちと日本で再会した。以下は、そのときの会話の記録である。グレタたちが話してくれた言葉は、特別に用意された答えというより、時間や関係のなかから自然とこぼれてくるものだった。言葉がほどけていくその流れの中に、あのとき感じていた感覚が、いまも変わらず滲んでいるように思えた。
(インタヴュー・文・写真/菊地佑樹)
Interview with Frankie Cosmos(Greta Kline, Alex Bailey, Katie Von Schleicher & Hugo Stanley)
──今回の日本ツアーはどうでしたか?
Greta Kline(以下、G):すごく楽しかったけど、すごく疲れた(笑)。
──今日が最終日ですよね?
Katie Von Schleicher(以下、K):東京にはあと4日くらい滞在する予定だよ。
G:まだ今日のライヴ終わってないし、これから本番だからね(笑)。忘れないで。でも、すごく満喫してるよ。大阪で一緒にライヴをした「象の背」っていうバンドのトレーナーを今着てるんだけど、彼らとも遊んだりして。関西出身のバンドだったかな。
K:住んでるのは京都だったはず。
G:すごくいいバンドだったよね。今回はクールな人たちにもたくさん会えて、本当に楽しいツアーになってるよ。
──以前メールでやり取りしたときに、前回の来日時の話になりましたね。あの頃は目の前のことに必死で、気づいたら終わっているような感覚だったと話していて。でも今は、日常の小さなことにたくさん感謝するようになったとおっしゃっていたのが印象的でした。そう感じるようになったきっかけは何だったんでしょうか?
G:私の中では、コロナの影響がやっぱりすごく大きくて。そのおかげで、ツアーができるって本当にありがたいことだったんだなって思った。それまでずっとツアーをし続けてきたのに、いきなり全部なくなってしまったから。で、今こうしてまたツアーに戻ってきて、これは自分が好きで選んでやってることなんだなって、つくづく実感してる。「今日はこの会場で、明日はどこだっけ?」っていうふうにただ流されるんじゃなくて、「自分は日本に来たくて、ここにいるんだ」って思えるようになった。コロナで一度リセットされたことで、自分は音楽家であり、音楽という生き方を自分の意志で選んでいるんだって思えるようになった。なんだろう……ネズミが車輪の中をひたすら回り続けるみたいな感覚じゃなくて。
K:ランニング・マシーンみたいなね。
G:そうそう、ずっと回り続けて、気づいたらホコリが溜まっていくみたいな感覚だったんだけど。でも一度そこから離れて、自分の生活を振り返ったときに、やっぱりここに戻ってきたいって思った。それで今は、音楽をやることもツアーに出ることも、自分で選んでここにいるってちゃんと感じられてる。それがすごく嬉しいし、本当にありがたいことだって思えてる。
──私自身もコロナ禍で、自分と音楽について考えるようになって、音楽って音だけじゃなくて、空気や場所、記憶とも結びついているものなんだと感じるようになったりしたんですが、音楽との距離や意味の変化は、皆さんの中にもありましたか?
G:いやもう、本当に、あなたが言ってくれた感覚わかるよ。音楽とかアートって、エモーションやスピリチュアルなものと結びついているし、そういうものと繋がっていたいから、自分はどうしても音楽に帰ってきてしまうんだと思う。それに、繰り返しになるけど、やっぱり自分の意志で選んでいるんだよね。仕事だからとか、惰性で続けているわけじゃなくてさ……ちなみにみんなはどう?
K:私は、コラボレーションのありがたみを強く感じるようになったかな。もともと一人で完結する形で仕事をしてきて、楽器もレコーディングも全部自分一人でやってきたんだけど、コロナ以降、誰かと一緒に音を出すことの喜びに改めて気づいて。お互いのアイディアを持ち寄って、協力しながら作り上げていくことの楽しさとか美しさを、ずっと実感している。
Hugo Stanley(以下、H):あの時期をきっかけに、自分たちの日常にテクノロジーが一気に入り込んできて、音楽との向き合い方も大きく変わったよね。みんな家にこもって、外とのやり取りがスマホ中心になっていく中で、あらゆるものが小さなコンテンツに分解されていく感覚があった。音楽も、その無限にある選択肢のひとつみたいになってしまったような感覚というか。外の世界で音楽に出会って、心が揺さぶられるあの感じとは、まったく別のものになってしまった気がする。だから、今言ってくれた、きみが感じた感覚がすごくよくわかるな。一時期、「最近、音楽を聴きたくないな」って思って、ほとんど聴かなくなったこともあった。音楽を聴くことが、メニューから何かを選ぶみたいな感覚になって、「自分が音楽を好きな理由ってなんだっけ?」って思ったりもして。でも、そこからまた外の生活に戻っていく中で、音楽に対する感覚が少しずつ更新されていった。例えば、レストランで流れている音楽とか、道で誰かが演奏している音って、自分で選んで聴いているわけじゃないよね。ツアー中も同じで、メンバーや共演者の音を、同じ空間の中で自然に共有している。そういう“体験としての音楽”に触れる中で、音楽への愛情がまた深まっていった気がする。義務みたいに聴くんじゃなくて、ちゃんと感情が動く形で音楽と関わるようになったというか。最近は、ラジオからふと流れてきた曲や、お店で耳に入ってきた音楽のほうが、むしろ強く心に残ることも多い。「今から音楽を聴くぞ」って構えて聴くよりも、そういう偶然のほうがずっと深く染みる。ここ最近はずっとそんなことを考えてるよ。
G:それと、コロナの時期って、ちょうど自分たちが大人に変わっていくタイミングとも重なっていた気がしてて。コロナとは関係なくても、20代後半から30代前半って、いろんな変化があって、人生のことを少し深く考えるようになる時期じゃない?「自分は何のために生きているんだろう」とか、「どうしてこの生き方を選んでいるんだろう」とか。
──自分は、音楽との距離や意味を考えていたときに、音楽が好きな理由に、「コミュニケーション」ってものがあったんじゃないかなと思ったんです。私は写真を撮ってるんですが、それに気づいてからは、ライヴ写真を撮るときも、お客さんだけを撮ってみたり、音楽が鳴っている場所そのものをよく観察してみたりするようになって。そういういろんなものが重なり合って存在しているものが、自分にとっての音楽なのかもしれないと思うようになったんですが、みなさんはいま、音楽を通して、どんなことを大事にしたいと思っていますか?
G:めっちゃわかる! だって、同じ空間に一緒に存在してるからね。ぜんぶが一体のものとして。自分たちが音楽で伝えようとしていることって、やっぱり音楽でしか伝えられないものなんだと思うし、それがあるからこそ音楽をやっているんだと思う。なんというか、それを誰かと共有して、人を結びつけていくって、すごくパワフルなことだよね。だから、自分はあまりフィルターをかけずに、そのまま出すことを大事にしてる。感情が出てきたままに形にして、「よかったらここから何か受け取ってね」って差し出すだけというか。どう受け取るかは相手に委ねたいし、それは自分がコントロールできるものでもない、したいとも思わない。そこからどんな反応が生まれるのかを、ただ見ているような感覚というか。
──フランキー・コスモスの音楽って、ハグみたいだなってよく思います。
G:えー、何それ! めっちゃ嬉しいんだけど(笑)! アリガトウ!(日本語で)
──それまではミュージシャンってどこか遠い存在だったんですけど、《Bandcamp》でフランキー・コスモスの音楽を見つけたとき、上手いとか下手とかじゃなく、ありのままを差し出していることに本当に勇気づけられました。そのとき「自分みたいな人も表現していいんだ」って思えたんです。
G:だって、わたし、ほんとに普通の人だから(笑)。
Alex Bailey(以下、A):それってきっと、「完璧であることが表現の目的じゃない」ってことに気づいた瞬間だったのかもね。音楽って完璧じゃなくてもいいし、優れていなくてもいい。もっとそれ以上の大きなものなんだと思う。自分もそういう音楽が好きだし、「うまくなくてもちゃんと伝わるんだ」って思わせてくれるもののほうが、むしろ強く響いたりもする。
G:本当にそう!
──今話してくれたことって、フランキー・コスモスがずっと変わらずに持ち続けてきたもののように思っているんですが、グレタにとっては、フランキー・コスモスにある核ってどんなものですか?
G:フランキー・コスモスを繋いでる糸は、確実に“わたし”ではあるんだよね。だって私が体験してきた「グレタ体験」みたいなものだから(笑)。
──それはそうですね(笑)。
G:そもそも私が音楽に向かう理由って、自分自身や人生を理解したいっていう気持ちから来てて。でも、毎回自分が何を書いてるのか完全にわかってるわけじゃないし、それがこの先どういう意味を持つのかもわからない。演奏し続ける中で、あとから教えられることもたくさんある……本当にそう。自分にとって音楽は「いつもそこに在るもの」で、ずっと音楽=人生みたいな感覚があるし、自分の一部であることは変わらない。それでも、フランキー・コスモスの活動を続けていて何がたまらなく好きかっていうと、それはここにいる、ヒューゴやアレックスにケイティと一緒にいられることなんだ。みんながそれぞれ二十年近い人生や音楽を持ち寄ってくれて、ある意味ユニットというか、一緒に人生を築いて、曲も作って、ライヴを作り上げていく共同体みたいなものでもあって。とはいえ、私自身はいつも「音楽を書かなきゃ」と思っているわけでもないんだ。マンガを描いたりイラストを描いたり、そのときどきで出てくる形が違ったりもする。
K:グレタはいつも本当に何かしらアウトプットしてるもんね。
G:そうなの、自分の手を使って何かしらしてたいんだよね。日記を書くんでも、ギターを弾くんでも、かさぶたをいじるでも(笑)。なんかもう、こういう性分なんだろうな。でも、とりあえず家で自分の顔にできた腫れ物だの傷跡だのをぼんやりいじってるよりは、ライヴをやってるほうが全然いいっていうのはたしかだけど(笑)。
K:アルバムを作ってる最中もちっちゃい紙で大量のバレンタイン・カード作ってたよね。いつグレタを見ても、絵を描いたり、色を塗ったり、何かしら手を動かしてる。それがグレタの世界との関わり方の一つなんだろうな。
G:他に替えが効かないんだよー。
K:実際、アウトプットしてる量、尋常じゃないよ(笑)。
G:私がこんなにたくさん音楽を作ってる理由のひとつは、きっとまだ足りないって思いがあるからなんだろうな。これじゃまだ、自分を全部伝えきれてないっていう感覚がずっとある。だから、「まだある、もっとある、まだまだ伝えたいことがある」っていう感じで、止まらないんだと思う。きっとこの先も音楽で「これが自分のすべてです」って言い切れることはない気がする(笑)。
K:でも、それってすごく素敵なことじゃない?
G:そうかもね。でもほんとに必要に迫られてる感じなんだ。良いとか悪いとか関係なく、作らずにはいられない(笑)。でも、とりあえずやってる本人は気分いいんだよ(笑)。そういえば、このまえ、友達のマシュー・ジェームズ・ウィルソンと話してたんだけどさ。
──LAで《Heavy Manners Library》という図書館を運営してる彼ですね。
G:そうそう、わたし、彼とすごく仲が良くて。彼がフランキー・コスモスについて言ってくれたことに、すごく感動しちゃったんだ。彼いわく、フランキー・コスモスって単に私が作った音楽っていうだけじゃなく、それ以上に「みんなの音楽」みたいだよって。自分のまわりにいる人たちとか、ニューヨークのカルチャーの移り変わりとか、そのときどきの空気感とか……そういうものが丸ごと全部詰まってるって言ってくれたの。まるで、地元の野球場のシェイ・スタジアムみたいなものだよねって(笑)。あの場所に積み重なってる記憶や人や友だち、ある時代の空気が、そのまま残ってるみたいな。私とヒューゴなんて、10年前から一緒にライヴしてるんだよ。それって、本当にすごいことじゃない? そういういろんな人との繋がりって、私たち一人ひとりよりもずっと大きなものだと思うし、それを全部つなげてくれるのが、自分にとっては音楽なんだと思う。なんていうか……それは大きな木みたいなもので。上にずっと枝が伸びて、下にはずっと根が張っていくような。とにかく、わたしたちの音楽を聴いてる誰かにとっても、わたしたちがこれまでに歌として発した一音一音が、今この瞬間にもまだどこかで鳴っているような感覚があったらいいなぁと思った。
──時間がきてしまったので、最後の質問です。昨年リリースした新作の『Different Talking』について聞きたいのですが、サウンドやレコーディングなど、音以外のことで、このアルバムを語るとしたら、どんな対象にまつわる出来事や思い出が浮かびますか?
G:それなら、絶対ネズミだな!
A:あれを話すときが遂に来たか(笑)。
G:きた(笑)。レコーディングのために滞在していた家にネズミが30匹くらい住み着いてて、毎日一匹ずつ捕まえて外に逃がしてたの。
A:でも次の日にはまた戻ってくるんだよね(笑)。
G:そうそう(笑)、それが毎朝のルーティンになってた(笑)。しかも途中からちょっといいチーズとかあげちゃったりしてね。
K:私はそのネズミを“かくまってる疑惑”までかけられてたっけ(笑)。
G:ケイティは特にネズミに感情移入してたから(笑)。
K:外に出すと一瞬で逃げるんだけど、振り返ってこっちを見るの。それがちょっと切なくて(笑)。
A:でも必ず戻ってくるんだよね。
G:絶対に! わたしが一番印象に残ってるのは、「Against the Grain」をレコーディングしていたときにネズミを見つけた瞬間だな。そのとき部屋の中で音を鳴らしていたら、突然ネズミが入ってきて、わたし物凄くパニックになっちゃって部屋中を走り回ったんだけど、でも次の瞬間「このネズミ、私たちの曲好きなのかな?」って思ったんだよね(笑)。その日の出来事はいまでも鮮明に覚えていて、その曲を演奏するたびにあの日の光景を思い出す。あのドローンみたいな音が鳴るエンディングのところなんて、今でもまたどこかからあのネズミが出てくるんじゃないかって思っちゃうくらい。その夜はみんなで『レミーのおいしいレストラン』を観たりして、気づいたらずっとネズミの話をしてた(笑)。
──ネズミとの思い出ばなし、とてもフランキー・コスモスらしいですね(笑)。
G:アハハハハ(笑)。
<了>
Text By Yuki Kikuchi
Photo By Yuki Kikuchi
Frankie Cosmos
『Differant Talking』
LABEL : SUBPOP / BIG NOTHING
RELEASE DATE : 2025.6.28
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