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続・鳥居真道によるmei ehara USツアー日記

22 April 2025 | By Masamichi Torii

2025年2月24日

死ぬ前にたった一度だけでいい。ニューヨークを歩いてみたい。そう願ってこれまで生きてきた。そして遂にその機会を得た。それも音楽の仕事で。

昨年に続き、フェイ・ウェブスターのUSツアーのオープニング・アクトに抜擢されたmei eharaのバンドのギタリストとして明日からアメリカに行ってくる。前回は西海岸を北上するツアーだった。今回はアメリカ北東部とカナダ東部、そしてアメリカ中西部を周る。ニューヨークから始まって、ポートランド、モントリオール、トロント、コロンバス、クリーヴランド、インディアナポリス、ミルウォーキー、シカゴへと至る全9箇所・全11公演の演奏旅行だ。

ツアーは2月18日から始まっており、meiちゃんは先にアメリカ入りして5公演のOAを一人で務めている。バンドが合流するのは2月26日のニューヨーク公演からだ。会場はなんとマンハッタンの《Radio City Music Hall》。先日、さる現場で会った松永良平さんから「《Radio City》ってアレサ・フランクリンがライヴするような会場だよ」と教えてくれた。ツアマネのハリーさんからは「ラジオシティは日本で言えば武道館のような由緒正しい会場です。気合を入れて臨んでください」というメッセージを事前にもらっていた。

昨年、《Saturday Night Live(SNL)》でライアン・ゴズリングが『ビーバス・アンド・バットヘッド』のビーバスのそっくりさんを演じたコントが話題になった。このコントを観たのをきっかけに、英語の勉強がてら暇さえあればYouTubeでSNLのコントを視聴するという生活を送っている。すっかりSNLのファンになってしまった。つい先日、SNLの50周年ライブが《Radio City》で行われていた。

憧れのニューヨークに行けるというのに、つい先日までトリプルファイヤーのワンマン・ライブや重めの原稿執筆に掛かり切りで何も準備ができていない。ニューヨークもシカゴもカナダもとにかく寒いと聞いていたからmont-bellのダウンとMERRELLのブーツ、Nordic Socksを10足ほど買っておいた。

昨日は有明アリーナでXGのライブを観た。ワールドツアー真っ只中のXGに気合を注入してもらったような思い。しかしやたらと鼻水が出る。遂に花粉症が発症したのか。



2025年2月25日

お昼過ぎ。新宿に集合してカクバリズムの機材車と角張さんの車で成田に向かう。集合したメンバーは、Coff、浜くん、沼澤くん、角張さん、そして私。多忙の角張さんはニューヨーク公演のみ立ち会う。

空港に着き、チェックインをして荷物を預け、Coffと一風堂でラーメンを食べたのち、17時過ぎに搭乗。これから13時間のフライトだ。寝たり映画を観たり機内食を食べたりして過ごす。

カナダのモントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港で乗り継ぎ。現地時間で17時頃。アメリカへの入国審査はここで行われる。角張さん以外全員メガネをかけており、係の人が「メガネを外して」と繰り返すうちにおかしくなったのか笑っていた。審査中に角張さんが日本語で喋っていたら、係員が「今なんて言った?」と凄んできたので少し怖かった。

再び飛行機に搭乗して1時間30分かけてニュージャージーのニューアーク・リバティー国際空港に向かう。到着したのは現地時間で20時頃だった。Uberを呼んで一路ニューヨークはマンハッタンへ。ニューアークからマンハッタンは車で40分程度。だんだんとビル群が近づいてくる。リンカーントンネルを抜けてしばらくすると、映画やドラマで観た夜のマンハッタンが目の前に現れた。歩道に組まれた鉄パイプの足場を見て、遂にニューヨークへやって来たんだと実感が湧いた。

ニューヨークに到着

ホテルに到着。ブロードウェイのすぐそばの《Kimpton Theta New York》というホテルだ。チェックインして荷物を部屋に置いて、皆でピザを食べに行くことになった。ニューヨークといえばピザだ。映画『スパイダーマン2』ではピーター・パーカーがピザの配達バイトをしていた。ニューヨークの下水道で暮らす忍者タートルズの好物はピザだ。

《Famous Pops Pizza》というお店に到着。クリスピータイプの薄い生地に大きなサイズ、カリカリの耳というのがニューヨーク・スタイルのピザだ。トマトソースにモッツァレラチーズが定番のトッピング。ハーフ&ハーフで一枚注文して一人二切れずつ食べた。美味しかったのでもう一切れ注文した。

ピザでお腹を満たしたのち、腹ごなしがてら皆でタイムズスクエアに行ってみる。マンハッタンでもっとも有名な観光名所だ。かつてここには日本企業の広告が踊っていたという。記念撮影したのち、《Radio Ciy》の下見をして、ホテルに戻って解散。風邪の気配がすると言ったら同室の沼澤くんが風邪薬をくれた。

タイムズ・スクエアで

2025年2月26日

朝食をとろうと沼澤くんとホテルのレストランへ。受付で「あなたの部屋には朝食が含まれていない。30ドルだがどうする?」と言われて断る。ご飯を求めて外に出る。せっかくだから途中で何か買ってセントラルパークで食べようと提案する。

朝のマンハッタン。ニューヨーカーといえば早足でお馴染みだ。彼らは赤信号でもチャンスがあれば渡ってしまう。ときにタイミングを誤ってもドライバーに「止まって」と手でサインを出して渡っている。ニューヨークはクラクションも多いし、サイレンも多い。日本よりもカジュアルに人と人が接触している。

サンドイッチを買って、セントラルパークに到着。名前のとおりマンハッタンの中心部を占めるある巨大な公園だ。目に入った巨大な岩に登ってサンドイッチを食べる。天気が良くて気持ちが良い。この公園には岩盤が露出して丘になった箇所が複数ある。2万年前に氷河によって遠くの山から運ばれてきたものらしい。これを「迷子石」と呼ぶそうだ。

公園内を散策。1時間以上歩いても南側の半分しか周れなかった。適当にほっつき歩いているうちに、ベセスダ・テラスや噴水、ボウ・ブリッジ、シープ・メドーなどの名所を周れていたようだ。野生のリスがたくさんいて可愛かった。

セントラルパークで

セントラルパークを後にして、セント・パトリック大聖堂やMOMAの前を通り、昼のタイムズ・スクエアを経由してホテルに戻った。その後、荷物を持って会場入り。meiちゃん、ハリーさんが会場の前で待ちかまえていた。

会場に荷物を置き、皆で中華を食べたのちニンテンドーストアに行った。その後、meiちゃんが会場の前に止まっていたツアーバスを案内してくれた。

前回と今回のツアーで大きく異なるのは、移動がツアーバスになったことだ。このツアーバスは、深夜バスぐらいのサイズがあり、前半分がラウンジ的なスペース、後ろ半分がカプセルホテルのようになっている。このバスでフェイ・ウェブスターとバンドのメンバーとともにツアーするのだ。「トイレで大きいほうはしてはならない」といったルールがいくつかあり、少し緊張する。ツアーバスを見学していたらフェイがやって来て一人ずつハグをしてくれた。

《Radio City Music Hall》

会場でフェイバンドの面々とも再会。ここでメンバーを紹介しよう。ギターとペダルスチールギターのピストルことマット。ベースのノア。鍵盤、サックス、ヴァイオリンのアニー。ドラムのチャールズ。全員ナイスガイ。

リハをしたのち本番。《Radio City》のキャパは6000人程度。先日トリプルファイヤーで単独ライブをしたキネマ倶楽部の10倍のキャパだ。《Radio City》で演奏するという異様なシチュエーションにいささか緊張したものの、ステージに上がると空席がちらほら見えて、すっかりリラックスしてしまい、伸び伸びと演奏ができた。

終演後、フェイたちが打ち上げしているバーに合流。角張さん、沼澤くんの3人で話す。

《Radio City》でのライヴ

2025年2月27日

ハリーさんが言うには、一昨日の夜に私たちが食べたピザは観光客向けのものらしい。本場のピザを食べさせてあげたいと言って、《Roma Pizza》というお店に案内してくれた。たしかに美味しかった。

その後、自由の女神を見に行くことに。まずは地下鉄でサウス・フェリー駅に向かう。地下鉄もまたニューヨークを象徴するもののひとつだ。黄色とオレンジのシートをこの目で見られて満足。

改札を出て地上に出ると係員らしき人が押し寄せてきた。フェリーのチケットを販売しているらしい。勢いに負けてチケットを購入すると、係員同士で揉め始めた。チップを横取りされて怒っているとのことだ。何やら雲行きが怪しい。バス乗り場に連れていかれる。先に並んでいた3人家族のお母さんが「こんなの詐欺だ!」と言ってスタッフにブチギレている。

結局その家族は「金は返してもらうぞ」と言って立ち去っていった。しばらくするとダブルデッカーがやって来たので乗り込む。本当にフェリー乗り場へ向かっているのだろうか。ハリーさんがドライバーに「このバスはどこに向かってるの」と聞きに行ったら「座ってろ!」と叱られたそうだ。

はたしてバスはフェリー乗り場についた。フェリーに乗り込むと、ポール・ジアマッティのようなおじさんがパイプ椅子に座りマイクを持ってニューヨークについて小話を披露していた。バスガイドさん的な役割なのだろう。

自由の女神は1876年にアメリカの建国100年を記念してフランスから寄贈されたものだ。19世紀においては、ヨーロッパから船でアメリカへ渡ってきた移民が最初に目にするのが自由の女神だった。『ゴッドファーザーPART II』でも一人でニューヨークへ渡ってきたヴィトー・コルレオーネが自由の女神を眺める様子が印象的に描かれていた。先日観た『ブルータリスト』にも同様の場面が登場する。トランプ大統領の振る舞いに憤ったフランスの政治家が、アメリカ政府に対して自由の女神を返還せよと要求したことも記憶に新しい。

フェリーが自由の女神に近づくとスピーカーからアリシア・キーズの「Empire State of Mind (Part II) Broken Down」が流れてきたので笑った。“Concrete Jungle where dreams are made of……”。デッキに出てみんなで記念撮影をした。思いのほか長いツアーだったからみんな飽きてしまっている様子だった。

自由の女神と

晩ごはんはフォー。その後、ホテルを後にして角張さんと別れ、ツアーバスが止まっているニュージャージーの駐車場へUberで移動。今日からバス泊だ。個室のスペースはカプセルホテルより少し小さいぐらい。慣れるまでに時間がかかりそう。

2025年2月28日

目覚めるとバスがメイン州ポートランドに到着していた。Coffと沼澤くんの3人で朝食がてら散歩をする。シアトルに似た落ち着いた町並みに和まされる。ホームセンターに行ってみる。鼻水が出るので、箱のティッシュを購入。近くのレコード屋さんがオープンしていたので皆で入る。物色していると、ハリーさんから「財布が届けられているよ」という連絡があった。会場の前に落ちていたのを拾った人が会場のスタッフに届けてくれたそうだ。拾ってくれた人が「ポートランドに来てる? 財布を拾ったから会場に届けといたよ」とInstagramでメッセージをくれていたことに後から気がつく。「You save my life!」と返信。アメリカに来て早々にやらかしたけど親切な人に助けられた。今は亡き祖父の奥歯を祖母から託されて以来、お守りとして財布に入れている。祖父の導きもあったのかもしれない。いずれにせよ、拾ってくれた人に感謝だ。

ポートランドはロブスターで有名な港町だ。日本人が経営するウニ工場があり、採れたてのウニが食べられるとのことで、皆で食べに行った。倉庫のような建物のなかに入ると一角が直売店になっており、そこでウニやイクラ、刺し身、レンチンのご飯、レトルトの味噌汁などを注文し、二階の飲食スペースで海鮮丼を作って食べた。塩水に浸けられた採れたてのウニはクリーミーでとても美味しかった。日本人の社長さんがサービスで殻付きウニを持ってきてくれた。苦味も臭みも一切ないグルタミン酸の塊といった味わいだった。

会場入りしたのち、沼澤くんが薬局に行くというのでついて行く。風邪っぽい症状が悪化しつつあるので薬を買うためだ。『DayQuil & NyQuil』という現地では定番の風邪薬を購入。昼用と夜用がセットになったもので、昼用には眠くなる成分が入っていない。オレンジ色と緑色の液体がそれぞれ透明なタブレットに収められており、『マトリックス』に登場するブルーピルとレッドピルのようだ。

この日の会場は《State Theatre》だった。キャパは1870人程度。終演後、『NyQuil』を飲んだら強烈な眠気に襲われる。バスでもよく眠れた。

ポートランドのレコ屋で

2025年3月1日

明け方に入国審査をして、カナダ入り。再び寝て起きるとモントリオールに到着していた。天気は曇り。雪が積もっている。

《Dandy》というレストランでブランチ。名物のマッシュルーム・トーストをいただいた。じっくりとローストされたマッシュルームに旨味が濃縮されていて美味しかった。

本日の会場は《MTELUS》というキャパが2300人程度のホールだ。ライヴは冷や汗が流しながら演奏した。ふらふらして意識が遠のくなか、少しばかりのミスでなんとかステージを終えた。

モントリオールでブランチ

2025年3月2日

朝、バスが止まっていたので、外に出てみる。寒い。iPhoneを見ると-18度とのことだった。バスのラウンジスペースで作業しているうちにトロントに到着。遠くにトロントのランドマーク、CNタワーが見える。トロント出身のドレイクが2016年の『Views』のジャケットで腰をおろしていたタワーだ。今日はオフ日。フォーを食べに出かける。

この日はホテル泊。かなりファンシーなホテルだった。夜は中華料理を食べる。ホテルのイベント・スペースのようなところがゲームセンターになっており、無料で遊べたので、シューティングゲームやダンス・ダンス・レボリューションをプレイする。小学生の頃にDDRでよく遊んでいたので好成績を残せた。

フェイ・バンドのアニーが、ゲーセンに置きっぱなしにしていたスマホを取りに来た。アニーとは前回のツアーでほとんど話していない。すこし世間話をしているときに、「みんなで君のペダルのことを話してたよ。君のプレイはクレイジーだね」というようなことを言ってくれた。褒めてくれたに違いない。たぶん。

2025年3月3日

《OEB Breakfast Co.》というレストランで朝食を食べる。美味しそうなメニューがたくさんあって迷うが、適当に「クラシック・ブレックファスト」を選んだら、パンにハムに卵というまさに王道なメニューが出てきて後悔した。instagramの画像を見せて「これください」と言えばよかった。とはいえ、美味しかったから、イッツ・オーケイ。

Coffが工具屋に行くというので、沼澤くんとついて行く。よく歩いた。トロントでは犬を連れた人とよくすれ違った。犬種も様々だった。

この日の会場は《Queen Elizabeth Theatre》。キャパは2035人程度。ライブヴは良い感じだったはず。終演後、ホテルのバーで打ち上げ。

2025年3月4日

この日はナイアガラの滝に行くことに。ハリーさんがレンタカーを借りてきて運転してくれた。巨大すぎて現実感がない。氷と雪であたり一面が白かった。大滝詠一を敬愛する“ナイアガラー”の私にとってみれば聖地巡礼のようなもの……なのだろうか?

ナイアガラ

帰り道にイタリアン・レストランに寄り、ラザニアを食べた。

夜は《Queen Elizabeth Theatre》での2日目のライヴ。フェイ・バンドのピストルことマットが楽屋にやって来て「ペダルスチールを弾いてみるかい?」と誘ってくれたので、浜くんと沼澤くんの3人で手ほどきを受ける。弦をベンドするペダルがあるのは知っていたが、膝の部分にもベンドするバーがついていることを知った。ペダル・スティールは四肢を使って演奏する楽器だったのだ。あまりにも複雑な仕組みに頭がクラクラした。

今日のライヴも良い感じだったはず。

2025年3月5日

オハイオ州コロンバスに移動。オハイオといえば、オハイオ・プレイヤーズやスレイヴ、ザップ/ロジャー、デイトン、レイクサイドといったファンク・バンドでお馴染みの土地だ。アイズレー・ブラザーズやブーツィー・コリンズもオハイオ州シンシナティの出身だ。第2次トランプ政権の副大統領J・D・ヴァンスが2016年に書いた自伝『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』は、オハイオ州のミドルタウンが舞台だ。

この日はオフ日。《Deli-Licious》というサンドイッチのお店でミートボール・サブを食べる。ミートボールからスパイスの香りがして美味しかった。その後、オモチャ屋さんやアンティーク・ショップなどを回って時間を潰す。晩ごはんは《Brassica in the Short North》というお店で地中海料理。フムスやピクルス、野菜のローストが乗ったプレートを食べる。このお店もかなり美味しかった。近くにビリヤード台があるバーがあったので入る。皆でエイトボールなどをして遊んだ。

ホテル泊の日。

2025年3月6日

今日はライヴの日。朝、一人で近くの薬局まで行き、リジンとビタミンCのサプリを買う。リジンにはヘルペスの症状を抑える効果があるとされている。口唇ヘルペスが再発したので買った次第。ヘルペスの再発は免疫低下のサインだ。

お昼は昨日も《Deli-Licious》で。ハリーさんがおすすめしているフィリーというサンドイッチを注文。ビーフステーキの薄切りが入ったサンドでこれも美味しかった。

本日の会場は《KEMBA Live!》。キャパシティは2,300程度。

どれだけ疲弊していてもライヴをしている間は元気になるし楽しいと気がついたのはこのあたりだったろうか。

ツアーバスに乗り込むとフェイ・チームが何やらゲームをしているようだった。ルールを説明してもらうと、絵を描いて行う伝言ゲームのようだった。ルールは次の通り。参加者には小さいホワイトボードを束ねたノートとペンが渡される。お題が書かれたカードが全員に配られるので、それぞれお題の絵を描く。それを隣の人に渡し、それを受け取った人は何を描いた絵なのかを予想して回答を文字で書いて隣の人に渡す。受け取った人は文字で書かれた回答をお題に絵を描く。特に勝ち負けはない。失敗を楽しむゲームだ。こう見えてわりと絵心がある私だから活躍できて楽しかった。

バスで移動中、深夜に咳が出た。隣のベッドから「アアアアウ!」という声が聞こえてきた気がしないでもない。イヤホンをしていたからよくわからない。

2025年3月7日

朝、オハイオ州クリーヴランドに到着。

寝所から出るとCoffから「ピストルが咳が聞こえて寝れなかったって言っていたけど大丈夫ですか?」と聞かれる。「アアアアウ!」という声は気のせいではなかったようだ。その後、すぐにハリーさんの元にフェイ側のスタッフから「Toriiはマスクするように」と伝達が入った。ビッグマネーが動くショービジネスの現場だから健康面でシビアになるのは当然だ。とはいえ、フェイ・チームの面々にツアーバスで明け方に咳き込んでた奴という印象だけが残るのだとしたら切ない。このツアーを楽しい思い出にしたかったのに。とはいえ、ピストルは会場で私の顔を見ると「大丈夫か?」と気遣ってくれる。

フェイ側のスタッフが招待してくれたので、ロックンロールの殿堂の見学に行った。ロックの殿堂は、ルーブル美術館のガラス・ピラミッドのような出で立ちだ。調べるとどちらも同じ建築家による設計だった。イオ・ミン・ペイという建築家だ。正直に言ってロックンロール感があまり感じられない。

ロックの殿堂で

なぜクリーヴランドにロックの殿堂があるのか。それは、「ロックンロール」という呼称を広めたラジオDJ、アラン・フリードが『Moondog’s Rock and Roll Party』という番組を地元クリーヴランドで放送していたからという理由らしい。

カーティス・メイフィールドのテレキャスター・シンラインやカート・コバーンのDS-1、スライの衣装など、たくさんの展示物があった。楽器が用意してあって、バンドの生演奏に参加できるスペースがあり、曲目を眺めていたら係の人が「なんかプレイする?」と聞いてきたので、「実は僕たちバンドなんだよね」と正直に答えると「ぜひ演奏していってよ」と誘ってくれた。そこでmeiちゃん抜きでニルヴァーナの「Breed」を演奏した。ヴォーカルは係のお兄ちゃんが取ってくれた。

本日の会場はAgora Theatre。キャパは2000人程度。体調が悪くてもライヴは元気にできた。

ロックの殿堂でニルヴァーナ「Breed」を演奏

2025年3月8日

朝、インディアナ州インディアナポリスに到着。世界最速のレースといわれるインディ500でお馴染みのインディアナポリスである。ジャクソン5は、「Goin’ Back to Indiana」という曲が示すように、インディアナ州ゲーリー出身だ。

会場の近くのメキシコ料理屋でタコスを食べる。エビのフリットのタコスや豚肉にパイナップルが載ったタコスが美味しかった。その後、カフェでコーヒーを飲む。空き時間に薬局へ行って『Robitussin』という咳止めシロップとスイスののど飴『Ricola』を買う。

ライヴ会場は《Egyptian Room at Old National Centre》。キャパは2000人程度。ライヴはやはり良い感じ。

インディアナポリスの会場《Egyptian Room at Old National Centre》の前で

この日はバス泊。咳の一件があったから緊張する。寝る前に咳止めを飲んでおいた。明け方に咳をしそうになるが我慢してラウンジ・スペースに避難。

深夜、バスのラウンジでハリーさんと話していたアニーが私の喉を気遣って携帯加湿器を貸してくれたそうだ。バスの寝床に放り込もうという案もあったが、ゲーミングPCのようにランプが虹色に光るのでびっくりするだろうと考えてやめたそうだ。なんて優しい人なのか。

ツアーバスの様子

2025年3月9日

ウィスコンシン州ミルウォーキーに到着。ミルウォーキーと聞いてジェフリー・ダーマーの名前を思い浮かべる人も少なくないと思われる。

今日はオフ日。ホテルにチェックインして部屋に行くとターンテーブルとスピーカーが設置されているではないか。コロンバスのレコード屋で買ったエドガー・ウィンターの『Jasmine Nightdreams』収録の超絶メロウな名曲「Tell Me in a Whisper」を鑑賞。

その後、ロビーで一緒になったフェイ、ノア、制作チームのボス、ケスと皆で《Tupelo Honey Southern Kitchen & Bar》でお昼ごはん。食事を待つ間、ケスが「体調はどう?」と聞いてくれた。「うちのチームも体調管理にはめちゃくちゃ気を遣ってる。ツアーはタフだよね」と言っていた。前回のアメリカ・ツアーで食べて感銘を受けたワッフル&チキンを再び食べることができて感動。

ホテルに戻って昼寝をして目が覚めるとハリーさんからの着信が残っていた。隣の部屋がピストルの部屋だったらしく「咳が聞こえてきて寝れない」というメッセージがあったそうだ。寝ている間に部屋の交換があったらしく問題は片付いていた。

夜は焼き肉を食べに行った。こちらでは韓国式BBQと呼ばれているらしい。日本で食べる焼き肉とは様子が違っており、焼き肉においてもっとも重要な甘辛いタレが用意されておらず、ぼんやりとした肉の味を味わうことになった。いつも美味しい店を見つけてくれるハリーさんも今回ばかりは少し悔しそうな様子だった。

夜、ホテルのバーでフェイたちと飲む。ノアの妹さんがシカゴ在住とのことで名所をいくつか教えてくれた。

2025年3月10日

朝起きて、元気が出るというジンジャーショットを求めて一人で近くのスーパーまで歩く。ジンジャーショットだと思って買ったのがどうも野菜のスムージーだったようだ。ついでにマンダリンオレンジを買う。

ランチは《Uncle Wolfie’s Downtown & The Wolf》へ。ラー油がかかった中華風野菜炒めに目玉焼きがトッピングされた料理を注文。これがとっても美味しかった。店員さんが気さくな人でフェイ・ウェブスターを知っているとのことだったからライヴに招待。

ライブの日。本日の会場は《The Riverside Theater》。キャパは2450人程度。名前のとおり、ミルウォーキー川沿いにある劇場だ。

劇場の最上階がケータリングスペースになっていて、晩ごはんはここで食べた。ベリーソースがかかった鴨肉のローストが美味しくて感動。

ライヴはやはり良い感じ。

ミルウォーキーの会場《The Riverside Theater》

出番の後、外でタバコを吸っていると通りがかりの女性からタバコをねだられる。お金を払うというので「ノーノーノー」といって断る。首から下げていたパスを見て、「あれ、さっき出てた人? ベーシストだっけ?」と聞かれ、「ノーノー、ギタリスト」と答える。一服しながらしばらく談笑。英語でもあっても一対一のほうがリラックスして話せることを再認識。

バス泊の日だから緊張する。明け方まで眠れず。

2025年3月11日

目が覚めるとシカゴに到着していた。みんな先に会場入りしているようだった。

本日の会場は《The Salt Shed》。キャパは5000人程度。

楽屋に入るとフェイの顔が印刷されたコースターがテーブルに並べられていた。アメリカのライヴ会場はミュージシャンを歓迎してくれるところが多い。特にフェイのような人気ミュージシャンであれば尚更だ。

楽屋で沼澤くんとダラダラしていたらmeiちゃんが「せっかくシカゴに来てるんだからどっか行っといで」と言うので、沼澤くんを誘ってノアが教えてくれた《Chicago Music Exchange》という楽器屋に行くことにした。

《Chicago Music Exchange》で

Uberを呼んで乗り込むと運転手から「この建物は何?」と聞かれたので、「ライブ会場だよ。今日ここでライブをするんだ」と答えた。「まじ? なんて名前?」と興味津々。早速スマホでmei eharaを検索し、再生すると気に入った様子だった。弟の奥さんが日本人であること、弟がろくでなしだからもう離婚していること、ギニア出身でジャンベを演奏することなどを教えてくれた。シカゴに来たならシカゴ・ピザを食べたほうが良いと言っていた。

《Music Exchange》に到着。郊外のユニクロほどのスペースに大量のギターが並べられていて壮観だ。とはいえ、ほしいギターがあるわけでもないし、ここで買っても日本に持って帰るのが面倒だし、そもそも予算もないので、ただ眺めることしかできない。沼澤くんを誘ったのは良いが、鍵盤はほとんど置かれていなかった。

店を出て、近くにあるシカゴピザのお店に入る。シカゴピザはピザというよりもパイに近い。表面がトマトソース、中身がチーズという通常とは逆の順序で具が載せられている。かなり重めのピザだ。

ライヴは良い感じだったと思う。

会場の最上階にあるラウンジで打ち上げ。かなりラグジュアリーな空間。ウィルコのドラマー、グレン・コッチェがいた。

ホテルにチェックインして、部屋に入り、窓からの景色を見ると“ウィルコ・タワー”が一本見えるではないか。思わず「うお!」と大きな声を出したら、沼澤くんが「どうしました?」と近寄ってきた。正式名称は《Marina City》で、地元住民にはコーンコブと呼ばれているそうだ。ウィルコの4作目『Yankee Hotel Foxtrot』のジャケットに使われたことで音楽ファンには有名だ。写真を撮ってウィルコ・ファンの角張さんにシェア。

2025年3月12日

朝、さくっと準備をして一人でシカゴを散歩。眼の前の《Marina City》と『Yankee Hotel Foxtrot』の画像を比較しながら、同じ画角で撮影しようと試みる。良いのが撮れたので角張さんにシェア。

青い空と《Marina City》

シカゴは近代建築の宝庫として知られている。《Marina City》の設計をしたのは、バウハウスで学んだバートランド・ゴールドバーグだ。その隣の黒いIBMプラザはバウハウスで最後の学長を務めたミース・ファン・デル・ローエの設計によるものだ。

散歩の最中、シカゴの美しい街並みに目が奪われっぱなしだった。高架鉄道のシカゴ・Lも絵になる。しばらくして目的地のミレニアム・パークに到着。The Beanこと雲の門を鑑賞。巨大なメタルのオブジェだ。

沼澤くんと合流して再度シカゴピザを食べたのち、meiちゃんとCoffも合流してシカゴ美術館へ行った。シカゴ美術館といえば、ジョン・ヒューズ監督の『フェリスはある朝突然に』に出てくることでお馴染みだ。一日かけて周るような大きな美術館なのだが、時間がないので駆け足で周ることになった。グラント・ウッド『アメリカン・ゴシック』やエドワード・ホッパー『ナイトホークス』、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ『自画像』など有名な作品がいくつか観られたので良しとしよう。

ずっしりシカゴピザ

会場に戻って、楽屋の廊下で歯を磨いていると、ジェフ・トゥイーディーが現れた。歯ブラシを咥えながら会釈すると会釈を返してくれた。数日前からフェイたちが楽屋でウィルコの「Impossible Germany」を練習するようになっていたので、「ははん。これ絶対シカゴのライブで本人を交えて演奏するヤツでしょ。うふふ」と予想していたところ、その通りだったらしい。だからジェフさんが来ることは事前に知っていた。

楽屋にフェイがやって来てジェフさんを紹介してくれた。「僕らの音楽を好いてくれているって聞いたから感謝を伝えたくて挨拶しに来たよ」と言って握手をしてくれた。声も手のひらも物腰も柔らかい素敵な人だった。

アニーを見つけたので「加湿機どうもありがとう! ユー・セイブ・マイ・スロート」と伝えて加湿器を返却した。ちょうど近くにいたピストルは「トリ、アー・ユー・オーケイ? さみしくて泣いちゃう。でも目薬だって言ってごまかすけど」と声をかけてくれた。仕事にはシビアだが、人にはスイートなのがピストルなのだ。

筆者とピストル

最後のライヴも良い感じに終わったと思う。

フェイのライヴをステージ脇から見学する。ジェフさんと共演するところを撮影し、角張さんにシェアすると、「ジーザス! 俺にも歌わせてくれよ」という返信があった。

アンコールが終わると、出演者、スタッフ皆でステージに上がり、シャンペンを開けてツアーの成功を祝った。これはフェイの発案で、SNLのエンディングみたいにしたかったそうだ。お互いにハグを交わす。スクリーンには関係者のクレジットが映し出される。むろん我々の名前も載っている。せっかくなので、スマホを観客席に向けて動画を撮るとお客さんたちがリアクションしてくれるので楽しい。

ツアー最終日に映し出されたクレジット

楽屋で片付けてしていると、アニーがやって来て「正味の話、これ持ってく?」と言って、ピンク色のヒゲでデコった加湿器をプレゼントしてくれた。なんてスイートなんだ、アニー!

今度はベースのノアがダンボールを抱えてやって来た。開封するとノアのバンド、Mamalarkyのレコードが。ファーストとセカンドをそれぞれ1枚ずつメンバーにプレゼントしてくれた。みんなでサインをねだると一人ずつメッセージを添えてくれた。最高のお土産だよ。ちなみにMamarkyの新しいアルバムはEpitaphからリリースされるとのこと。

最終日なので、機材や荷物を引き上げてホテルに持っていく。バーでフェイたちが打ち上げをしているというので向かったものの、ドアの前に立っている警備員にラストオーダーはもう終わったから入れられないと言って止められる。仕方がないので近くのバーに入る。その後、打ち上げ会場からノアや関係者が数人が合流。ハグを交わして別れを惜しんだのち解散。ホテルに戻るとフェイの部屋に招かれて談笑。やはり最後にハグを交わして解散。FUJI ROCKでの再会が楽しみ。

2025年3月13日

meiちゃん、Coffを残し、ハリーさんとシカゴオヘア空港に向かう。チェックインや荷物の預け入れに思いのほか時間がかかり、バタバタしたままハリーさんとの別れを惜しむ間もなく搭乗。帰りは羽田までの直行便だ。寝たり映画を観たり機内食を食べたりしているうちに羽田に到着。角張さんが迎えに来てくれて家まで送ってくれた。

ツアーを振り返って

今回、人気者のミュージシャンに同行してアメリカ式のツアーを経験することになった。最終日にCoffから「今回のツアーで一番学んだことはなんですか?」と聞かれたので「健康第一」と答えた。しかし重要なのは健康だけではない。

今回のツアーでOAとして与えられた時間は40分。つまりツアー生活における24時間のうち、ミュージシャンでいられるのは40分だけというわけだ。残りの23時間20分はただの人として過ごすのである。ミュージシャンとしての能力があるのは当然だとして、ツアーでは特に人間力が問われているように私は感じた。

ツアーは集団行動以外のなにものでもない。人を待たせたり、忘れ物をしたり、トラブルを起こしたりして周囲のバイブスを下げるないよう常に気を使うのも大事だし、人のやらかしを大目に見みつつ、明るく元気に楽しく過ごし、積極的にコミュニケーションを取って周囲のバイブスを上げるのも大事だ。要するに私のいう人間力とは周囲とうまくやっていく力のことだ。音楽一本槍でこの仕事を続けていくのは困難だと痛感した。昔バイトしていた飲食店のママが「結局最後は人なのよ」とよく言っていたのを思い出す。

今回のツアーでもっとも楽しかった思い出はなにかと聞かれたらライヴだと答えたい。ニューヨークやシカゴを歩いたり、美味しいものを食べたのも良い思い出だが、一番楽しかったのはライヴをしている最中だった。いくら体調が悪かろうと、いくら疲労が蓄積していようと、ステージに立つと生き返ったような感覚があった。某レコードショップの標語じゃないけれど、音楽がなければ生きた心地がしないのだ。

シカゴでのライヴ

アメリカ滞在中、浜くんがたびたび「おもろい人生になってきましたね」と声をかけてくれた。年始に地元に帰ったときに友人から「せっかく早稲田まで出たのに何やってんだお前は」というようなことを遠回しにやんわりと告げられた。私もそう思うよ。高校を出て某自動車メーカーに就職した同級生はそろそろ年収が1000万に届くという。しかし私にしてみれば、今や後悔の念は薄れつつあるし、今さら年収を他人と比較しようとも思わない。なぜならおもろい人生になってきたからだ。

おもろい人生に導いてくれたmeiちゃん、浜くん、Coff、沼澤くん、ハリーさん、角張さん、フェイ、ノア、ピストル、チャールズ、アニー、フェイのクルーたち、各会場のスタッフ、そしてお客さんたちに、やはり恥ずかしげもなくBIG LOVEを捧げたい。むろんポートランドで財布を拾ってくれた人にも。
(文・写真提供/鳥居真道  写真協力/沼澤成毅、Harry Sato 協力/mei ehara、カクバリズム)

「おもしろい人生になってきた」……トロントのホテルで文豪と化す筆者

Text By Masamichi Torii


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