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「僕は同じように毎回弾くってできない」
岡田拓郎、初の海外リリース・アルバムについて語る

30 April 2025 | By Kentaro Takahashi

岡田拓郎の思わぬ新作アルバムが発表された。『The Near End, The Dark Night, The County Line』と題されたアルバムは2014年以後、彼が録りためてきた膨大な音源の中から、ギターという楽器にフォーカスして選曲されたコンピレーション・アルバムだ。といっても、曲ごとにサウンドは変幻し、聴こえてくるギターのトーンやスタイルも極めて幅がある。アンビエント、ジャズ、フォーク、ブルーズ、サイケデリック、アメリカーナ、ノイズ、ミュージック・コンクレートなどなど、いろんな言葉が思い浮かぶが、どの曲もそのどこかに属する訳ではなく、ジャンルが溶解した空間に浮遊しているかのようだ。

その意味では、このアルバムはギタリストとしての岡田拓郎にスポットを当てると同時に、ギタリスト然とした音楽あるいは音楽的手法を解体・再構成するアイデア集的な作品にも思われる。日々、そうした試行錯誤を続けている岡田拓郎のドキュメント的なサウンドスケープが拡がる。彼はプレイヤーである以前にリスナーであり、そのリスニングの範囲は幅広いジャンルを横断する。飽くなき好奇心。だが、それは既存の音楽を聞くだけでは満たされることなく、彼はレコーダーに向かう。そんな日々の日記ような音響作品が本作と考えてもいいかもしれない。

アルバムはロサンジェルスのレーベル《Temporal Drift》からのリリース。ロサンジェルス在住のシンガー/ギタリスト、鹿野洋平とのコラボレーションも2曲ある。この春先のある日、話をリモート・インタヴューという形で、そんなアルバムの制作過程やギターにまつわる話を岡田から聴くことができた。雑談的な脱線も多く、2時間以上、テープ起こししたら2万字以上の会話になってしまったが、以下はそこからアルバムの曲やギターにまつわる話を抽出して、構成したものだ。本作を聴いていく上でのガイドになれば幸いである。
(インタヴュー・文/高橋健太郎 協力/岡村詩野)

Interview with Takuro Okada

 

──お久しぶりです。そちらは新居ですか? そこにスタジオがある?

岡田拓郎(以下、O):はい。さらに東京の西の方へ引っ越しました。スタジオというか、作業部屋みたいな6畳の部屋に機材があって、録音したりしてるって感じです。

──東京の西の方というのは出身地でもあり、風土が肌に合うのかしら?

O:ガチャガチャした都心で音楽作ったりってあんまり考えられないんですよね。そういう音楽やってるわけでもないし。

──今回のアルバムにも「Ohme」って曲がありますよね。あれは青梅市?

O:そうです、YouTubeにチューリッヒのアンビエント・チャンネルがあって、そこの自分の生まれ育った土地とかの風景を音楽を描くみたいな企画に出した曲を編集し直しました。僕は育ちは福生だけれど、生まれは青梅で、記憶をたどると、青梅のすっごいお茶畑が広がってる長閑な風景が最初の記憶なんです。

──今回のアルバムって、時期的にはいろんな録音があって、それを1枚コンパイルしたものですよね。

O:そうですね。

──それをなぜ海外のレーベルから出すことに?

O:《Temporal Drift》の北沢洋祐さんは、もともとは岡村詩野さんが繋げてくれたんですよね。彼は以前《Light in the Attic》にいて、『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』が出たタイミングあたりで詩野さんが紹介してくれて。それから洋祐さんとちょこちょこメールのやり取りをしたり、何度かロサンジェルスの彼の家遊びに行ったり東京で会ったり。本当にレコードが好きな人だったから、ビジネスよりも友達っていう感じから始まった。それで僕がBandcampに日記みたいにずっと音源あげてた曲をまとめてコンピレーションで出すというアイデアが生まれました。

──ギター・アルバムという形のコンピレーションになった理由は?

O:これも《Temporal Drift》の洋祐さんとパトリックの2人のアイデアでした。僕は一つの固定されたスタイルの音楽を続けてきたタイプではないので、アメリカでリリースするにあたって僕がどんな音楽をやってきたかを紹介するという意味でも、僕のメイン楽器であるギターに的を絞り、その中でもいくつかのスタイルが並走しているという形でコンパイルするのが良いのではないかと提案してくれました。自分では思いもしないアイデアでしたが『Pacific Breeze』や『Kankyō Ongaku』などのコンパイルに携わってたチームなので、ここは言われるがままに乗っかってみようと。

──1曲目引いた時に、結構テープ・ヒスが感じられたんですが?

O:あ、気づきました?

──うん、だからこれは古いカセット録音か?と思ったんだけれど、クレジット見たら2022年だった。

O:基本的にはデジタルで録ってるんですけれど、ただ、今回違う年代のいろんな音源まとめなきゃいけないから、質感揃えるのに家にあるフォステクスのオープンリールに全部通したんですよ。

──一番古いのが2014年の「Evening Song」。これはギター1本で頭から弾いたような?

O:そうですね、ギター・アンプにマイク立てて、その場で、思いついたことを。

──アルバムの曲は大きく分けると、完全なインプロヴィゼーション、多重録音でアンビエント的なものを構築したものと、それから割とちゃんとコンポーズされている曲、そんな3種類があるように聴こえたんですけれど、「Evening Song」はもう少し作曲されてるのかと思いました。

O:ああ、これは部屋でぽろぽろ弾いたり、楽器屋で試奏するような感じですね。本当に日記みたいなもんで、これは当時soundcloudにアップロードして、すぐ消しました。

──2曲目の「The Room」はもっと曲らしいコード進行がありますね。

O:コードの流れだけイメージがあって、それを一度に1人で弾こうと思えば弾けるけど、あえてバラバラの、例えばブライアン・イーノの『Ambient 1: Music For Airports』や吉村弘のローズみたいに幾つかかのテープループがたまたま重なり合って、音楽的に聞こえるみたいな、そういう状態とコンポーズみたいなのの間みたいな感じにできないかなと。

──でも、コード進行自体は20世紀前半のホーギー・カーマイケルとか、そういうアメリカのソングライターの曲みたいに聴こえた。

O:実際、このコード進行使ったポップ・ソングみたいなのも作ろうと思って、昔から貯めてたアイデアの1つではあるんです。まさに戦前のティン・パン・アレーの作曲家が書く曲みたいなアイデアだった。

──将来、誰かに提供に提供するポップ・ソングが、これを元に作れそうですね。

O:ああ。

──3曲目は唯一、歌ものですが、これを入れようと思ったのは?

O:今回の曲の選曲って、これまでフィジカルになってない音源を全部、その洋祐さんとパトリックに渡して、彼らのコンパイル能力に任せたんですよね。そうしたら、これが含まれていた。

──なるほど。この曲はピアノが面白いですね。ピアノだけがアウトした音を取っていくじゃないですか?

O:そうですね。こういうのちゃんと弾ける鍵盤奏者にやってもらうのは難しいじゃないですか。だからこの曲は1人で全部の楽器をやる、エミット・ローズ方式で。

──2021年9月3日の録音って書いてありますけど、1日で全部一人で録音したんですか?

O:昔からお世話になっているシンガー・ソングライターの笹倉慎介さんが入間の米軍ハウスのスタジオを持ってたんですよ。でも、そこを離れて都内にスタジオを移そうと思うみたいな話があって、そのスタジオがなくなる前に僕1人で寝泊まりして録音した。本当に朝から晩まで1日かけて。それを今回ミックス直したって感じです。

──4曲目がペダル・スティールを使った「Before」という曲で、その次が「Mizu」という曲ですが、どちらも水にまつわる曲ですね。そういえば、2023年に葛西(敏彦)くんのレーベルで作った「Water Of Lathe」という曲でもやはり水の音が入ってた。

O:香田悠真さんと作った曲ですね。水の音は好きなんです。

──それも青梅の記憶と結びつく?

O:青梅の記憶は分かんないですけど、子供の頃って水の記憶が多いような気もしてて、川辺だったり、海だったり、水が湧き出てるような山の方の記憶だったりとか。あるいは、映画の中の何か振り返られるみたいなシーンって、水の揺らぐイメージが多いような気も。

──僕は多摩川沿いで生まれ育ってるんで、「I was born by the river」(サム・クックの「A Change Is Gonna Come」)が自分のテーマ・ソングだと思ってます。

O:僕もそうですね。福生は川まで近かったんで。なんか人間って、火とか水とか、そういうものって見てると、飽きが来ないじゃないですか。僕はとりわけ水に関心がある。水的な状態って音楽作る上でもすごい憧れる、

──なるほどね。水とギターって関係あります?

O:その「水」っていう曲は文字通りギターでいかに水的になれるかっていう曲でした。あと、僕のギタープレイは手書きのタッチというか、例えばポップスの伴奏をする時に結構同じタッチで、同じような同じフレーズを曲の中で何回でもプレイできることが求められてることは多い。でも、僕は同じように毎回弾くってできないんですよね。

──僕たちが音楽作る環境って、水は天敵というか、あっちゃいけないものですよね。楽器や機材がある場所には。でも、そこで水的なものを作りたくなるという不思議があって。

O:確かにそうですね。でも、水の音、雨や海の波の音って、音楽のレコードによく環境音として使われる。

──僕は雨の音がイントロにある曲はそれだけで好きになる。子供の頃、ポップスで最初に好きなったのが、カウシルズの「雨に消えた初恋」って曲で、雨音から始まるんですよ。

O:現実音が入ってる音楽って、ビートルズとかも多いじゃないですか。音楽って、人の記憶とか思い出に作用する部分もあったりして、そういうものを呼び起こすためのサウンドとして現実音を入れてたものもあると思う。あとはそういった音が現実と音楽の境界をぼかす作用もあったりしますよね。

──本題に戻って、6曲目はバンド録音ですね。「Reflections / Entering #2」という曲、2015年ということは、森は生きているが終わった後ぐらい?

O:終わる直前にアイデアを出して、終わった後に本格的に作業したみたいな感じでした。

──西田修大くんとのツイン・ギター。

O:ええ、珍しいですね。

──森は生きてるって、活動の最後の方はどんどんそのインスト・パートが拡大していったじゃないですか。その延長線上にあるような曲?

O:そうかもしれないですね。実際このドラムは当時の森は生きているのライヴ音源からサンプリングしました。いくつかの軸があるけど、即興的に曲が生み出せないものかみたいなアイデアとか、即興的に演奏したものを順序入れ替えることによってソングになるんじゃないかみたいなアイデアとか、それは結構みんなやってきたことだけど、僕みたいなDAW世代だったらどういうことできるかな、みたいなことがアイデアとしてあった。

──集団作曲みたいな部分もある?

O:いや、まず僕のギター演奏も何回か編集して、順番入れ替えたりして、それで曲的な形になったところで、いろんなプレイヤーにデータをリレー方式みたいな感じで渡してって、返ってきたものをまたさらにそれを編集して。

──バンド・サウンドのようで、そういうDAW上の構築物なんですね。

O:完全にそう。アイデア自体はすごく気に入っていたけれど、技術的に追いつかないところがあってしばらく眠らせてましたが、今ならできると思って数年後に問い組んだのが2022年にリリースした『Betsu No Jikan』でした。

──ロサンジェルスの鹿野洋平さんとやった曲が2曲。1曲はラテンというかアラブというか、そういう匂いがする「Taco Beach」。

O:これは2人で往復書簡みたいに、1曲作ろうよみたいな感じで録っていった。暗くて遅いテックス・メックス・サーフみたいなのをやってみようと。多分、2人ともそんな音楽聴いたことないのかもしれないけど、そういうイメージで。洋平さんのオルガンの音色はレコード聴いている人しか選べないって感じの音。

──偽ラテンみたいなものはマーク・リーボウとかライ・クーダーにもあるし、今のエルマノス・グティエレスはスイスだったり、奇妙な歴史がありますよね。

O:ああ、不思議ですよね。

──鹿野さんと意気投合したのはどういうきっかけで?

O:それもレコード・オタクなところから。洋平さんは凄い楽しい人で、ジョン・フェイヒィやライ・クーダーも好きだけど、ミュージック・コンクレート好きみたいな人ってなかなかいないし、それでいて、ビートルズのあの曲良いよね、ビーチ・ボーイズのあの感じ好きだよねみたいな。もうそれだけでも友達に。あと、二人ともモンド・ミュージック的な音楽聴取の楽しみ方というか、ユーモアは共通して持ってるように感じます。

──「Howlin’ Dog」も同じく2人でやってる曲ですけど、こっちはブルーズ・ルーツが表出した曲ですね。

O:そうですね。これはロサンジェルスに遊びに行った時に、洋平さんとセスさんっていうファイ・ソニックスというジャズ・アンサンブルをやってるベースの方と、洋平さんちの庭で録音したのがこれなんです。ファイ・ソニックスは今最も好きなグループの一つですね。鳥の声とか、洋平さんちの犬が鳴いてそれも入ってたり。そうそう、僕はいろんなレコードのイントロだけがずっと繰り返されてればいいのにっていうのが結構あって、例えば、マイルス・デイヴィスの「So What」のテーマに行く前のギル・エバンスのアレンジがちょっと滲むようなコードの。

──あれ最高ですね、謎めいてて。

O:あれが1時間ぐらい繰り返されてるレコードを聞きたいなとか、あと、50年代のシカゴ・ブルースのリフが永遠に続いてるような、ハウリン・ウルフの歌が入てくる前のバンドのグルーヴだけがずっと続くレコードとか、これはそれめざして録った中の一つですね。全編アコースティックで作りました。

──いつまで経っても曲が始まらない曲みたいな。

O:そうです、ずっと始まり続けてるみたいな。そういう考え方でやると、ロックの曲とかジャズの曲もある種のアンビエントみたいなものに転化できるんです。この曲に関して言えば“針跳びしたブルースのレコードみたいに演奏演奏したいんだけど……”みたいな話をしたら、“OKやってみよう!”みたいになって。2人とも、なんて話が早いんだと驚きました

──サウンド的にはギター・シンセもたくさん使ってますよね。

O:2、3年ハマってた時期があったので。でも、今はもうほとんど使ってない。

──ローランドでしたよね?

O:そうです。ローランドのSY-300という機種。

──ペダル・スチールみたいなポルタメントしたりする音が結構入ってますが、そのへんもシンセを使ってます?

O:いや、それは普通にスライドバーやベンド、ボリューム・ペダルとエコーとかでやっていることが多いかも。ギター・シンセらしいシンセはパット・メセニー・グループのめちゃくちゃ盛り上がる瞬間に、ローランドのギター・シンセで出すトランペット・プリセットみたいな音だとか、でも、そんなには使ってないです。ギター的でない音はエフェクト・ペダルで作ってる。あと、ギター・ドローンみたいなのは一時期、PC内でマックスみたいな感じでプログラム組んで、ギターの音を変換させことをやってて、それも何曲かで使ってるかな。

──あまりにいろんなことやってきて、もう記憶の彼方みたいな? でも、ギタリストとしてのベーシックとしては、毎回違うタッチであったり、その時だけのタッチ、アクセント、ニュアンスみたいなところに意識が向いているんですよね?

O:早い段階から真空管アンプへの音量の入れ込み方で音色が変わるっていうことに意識的だったみたいなとこはあるかもしれない。福生時代、中学生の時に友達のお父さんが家にフェンダーのいいアンプとか、いいギターとか沢山持ってて、よく遊びに行って触らせてもらってたんですよ。そこで真空管アンプにこんぐらい突っ込むと、これ以上音量が出ないでコンプレッションがかかってくんだみたいなのを肌感覚で覚えたみたいな。

──デラックス・リヴァーブとか分かりやすいですよね。

O:そうそう。

──その感覚が基本にあるないっていうのは大きな差なのかしら。

O:自ずとスタイルとかタッチは変わってきますよね。僕はダイナミクスを突っ込んだり、極端に小さく弾いたりみたいのをコントロールすることが好きなので、でも日本で音楽の仕事するにあたっては、そんなことはほとんど求められないけど。幸い福生で生まれ育ったから、ジャムセッションとかよく行ってたけど、その中でも圧倒的な存在感を感じさせる少数のプレイヤーは、このあたりに関してとても繊細なコントロールを行なってるのに早い段階で気がつきました。例えば3弦7フレット、同じピッチの音でも、数えきれないくらい多くの音を使い分けることが出来る。僕が本当に魅力的と感じるプレイヤーは、豊かな表情のある演奏をする。正確なピッチや的確なリズムに関心はするけど、そこにあまり魅力を感じて来なかった。

──僕はそのへん、リアルタイムで体験しています。70年代後半から80年代にかけて、みんなコンプレッションかかって、音がないとこにはゲートがかかって、そういう音楽に変わってしまった。僕は聴こえてるか聴こえないか分からないような音が入っているギタリストが好きだったんですよ。ジェリー・ガルシアとか、でも、そのガルシアの音すら変わっていく。そのへんの体験をジェネレーション・ギャップなく、岡田くんと話しが出来てしまうというのが不思議で。

O:僕は2000年代に小学生から高校、大学みたいな感じで、もうポストロック以後ですよね。

──その時代にバンド始めたら、アンプはローランドのJCでペダルで音作るのが普通でしょう?

O:本当そうです。みんなJCの前にボスのオーヴァードライヴとか使って。JC苦手だったなあ。あと、やっぱりブルースのレコードが好きだった。それも音楽として好きというだけじゃなくて、50年代のシカゴ・ブルースの時代のハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズのサウンドが好きだったんですよね。音響として。マディ・ウォーターズの「Rolling Stone」のギターの歪みがすごい好きだった。多分ツイードのチャンプみたいなやつに思いっきりギターを突っ込んだ音なんですけど、あれが理想的なトーンとして昔からあって、ブリッジ・ピックアップで、ブリッジのギリギリを親指で押し付けるように強いタッチで弾いてる。それをちっちゃいワット数のアンプがもうお腹いっぱいですって言いながら爆発しそうな音量で出してる時に出る音みたいな。

──今もそれがやっぱり基本なんですね。最後の曲の「The never End, Dark Night, The Country Line」。これは1人でやってるインストですけど、逆回転みたいな音がなんだかわからなかった。

O:これはLINE 6のループ、リヴァース機能を使って。

──ああ、DL4にありますね。

O:あれ、面白いエフェクターですよね。昔からあるけど、逆再生とかはあれで作ったっていうか、その場で演奏しながらリアルタイム・サンプリングしたって感じです。ビル・フリーゼルの2000年代のライブとかが結構衝撃的だったっていうか。トラディショナルなアメリカっぽいプレイをしながら、かなり音響的なサウンドも早い段階でやってたギタリストじゃないですか。

──フリゼールはずっとLINE 6のDL4ですね。あれがもう身体の一部みたいな。

O:あんなにDL4うまく使う人もいないですよね。

──いろんな時期の録音がありますが、メインで使ってるギターっていうのは?

O:メインギターって案外なくて、全部好きで使ってるから。1972年のストラトにビグスビーとゴールドフォイル2発つけたやつがあって、それは結構ずっと使ってる。

──おお、テスコのゴールドフォイル。

O:最初は高校生の時にゴールドホイルをライ・クーダーが載せてるのを見て、僕はテレキャスに。そういえば全然関係ないけど、桜井芳樹さんの話。ゴールドフォイルを最初にフェンダーに移したのは、ライ・クーダーより前に桜井さんがやってた説があるんですよね。

──え〜とね、桜井くんのテレキャス、90年代半ばはデアルモンドのダイナソニック・ピックアップだったと思う。その後、どこかでゴールドフォイルに替わったんじゃないかな。今度、そのへん本人に確かめてみます。


<了>


自宅スタジオで


この他にもギター・オタク的な機材話、改造話などが延々続いたのだが、一方で、取材を終えてしばらくしてから、アルバムを聴き返してみると、不思議なことにギターという楽器の存在がすうっと消えていくような感覚を僕は味わった。例えば、ブライアン・イーノのアルバムを聴く時には、どんな演奏方法でそのサウンドが作られているかなど、僕はひとつにも気にかけなくなる。そういう聴き方もできるのが、このアルバムだと思えてきた。

僕はギターという楽器が大好きで、日々、弾いたり、いじったり続けている人間だが、その割にギタリストのソロ・アルバムを聴く趣味というのはあまり持っていない。演奏に対する集中力が続かず、飽きてしまうことが多いのだ。あるいは、きちんと演奏を解析したらしたで、それ以上、もう聴くことはなくなってしまう。

会話の中で出てきたビル・フリゼールの作品は大好きで、1992年の『Have A Little Faith』というアルバムには人生でも最大級の影響を受けたと言ってもいい。だが、そのアルバムでフリゼールがどういうギターを弾いていたかは、僕はほとんど記憶していない。ギタリストのノートやサウンドを追うようなアルバムとしては聴いていないからだ。それよりも、『Have A Little Faith』というアルバムから匂い立つアメリカの風土であったり、各曲から派生していくアメリカ音楽の歴史や体系への興味から、何十年もアルバムを繰り返し聴いていると言った方が良い。

岡田拓郎の『The Near End, The Dark Night, The County Line』にも似た感触がある。風土を感じる。それは日本の、と言ってもいいかもしれないし、もっとローカルには西東京の、と言ってもいいかもしれない。風土とは均質化されていない感覚や味わいのことで、それは表現しようと思って表現できるものでもない。ただ、逃れようのないものとして、表出している。だからこそ、面白い。このアルバムもそういう風土を香らせた作品に思われる。

あと、何となく部屋に流していて、そこに来る度にハッとするアルバムの最大のハイライトは「Howllin Dog」のエンディングの犬の声である。これが偶然に入った犬の声だとしたら、奇跡にしか思えない。

実を言うと、僕は雨や水の音以上に、犬の声が入ったレコードにこだわりがある。1892年に録音されたウィリアム・トゥーソンというクラリネット奏者の「The Esquimaux Dance」という曲があるのだが、これは全編に犬の声が入っている。それこそは世界最初の音響作品あるいはダブ的なレコードだったと僕は考えている。『The Near End, The Dark Night, The County Line』はその系譜にある作品で、だから、犬の声が入っている。僕はそう考えている。これはまじめな話。歴史の話である。(高橋健太郎)



Text By Kentaro Takahashi



岡田拓郎(Takuro Okada)

『The Near End, The Dark Night, The County Line』

RELEASE DATE : 2025.03.07
LABEL : Temporal Drift
レコードの購入は以下
Jeugia公式オンラインショップ(在庫あり)


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