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「のような、なにか」を纏うことのニヒリズム
約3年ぶりの新作『Morning Sun』をリリースする岡田拓郎の叡智の杖

15 May 2020 | By Shino Okamura

岡田拓郎のセカンド・ソロ・アルバムが6/10にリリースされる。

タイトルは『Morning Sun』。テオ・マセロ? キャロル・キング? いや、待てよ、エドワード・ホッパーの有名な絵画にも同名の作品があった。そういえば、エドワード・ホッパーの作品には1929年の世界恐慌が失意や憂鬱という形となって大きな影を落としていたが、岡田拓郎の作品に潜む特有のメランコリーも近年のこの混沌とした状況が関係しているのだろうか。いや、しかし、岡田の作品には一方で官能的なファンタジー…いや、優雅な情調もある。この憂鬱と空想の、ジャストな同時共存とも少し違う、少々のズレや行き違いを孕んだ奇妙な同居はどこから来ているのか。先行曲にもなった「Morning Sun」のデモを最初に聴かせてもらった時からずっと、そしてそれがそのままアルバム・タイトルになると知った時にも依然として気になっていた。

そして、今日、「New Morning」という新曲が公開されている。アルバムの最後に収められる予定の唯一の長尺曲。また「Morning」。これはもうボブ・ディランだろうな。いや、まてよ、後半のドローンともアンビエントともつかない展開は、ローレン・マザケイン・コナーズの…とりわけ9・11のニューヨークに向けて作られた「For NY 9/11/01: the Silence」を思い出させる。ブルーな絶望と甘美なファンタジーが行き交うあの曲の、余白だらけの音空間を。

ところで先日、このTURNのポッドキャストと記事のために私含めた編集スタッフ4人それぞれが「ステイホーム」をテーマにプレイリストを作ったのだが、まずまっさきに浮かんだのがローレン・マザケイン・コナーズの「For NY 9/11/01: the Silence」だった。いや、コナーズの曲ならどれでも別に構わなかったのだが、同時多発テロを受けた後のニューヨークをテーマにした曲があった(それも本来は連作)ことを思い出し、今のこのどうしようもなく憂鬱で、でも家にいることによって芽生えるしたたかな想像性は、もしかしたら9・11の時のニューヨークを脳裏でトレースした時に出がらしのように残るものと似ているかもしれないと思い、選曲の一つに組み込んでみたのだ。少なくとも私には、ここ数ヶ月のこのステイホームによるぼんやりした気分は、絶望と紙一重のやけっぱちのクリエイティヴィティのようなものに近い。



まさにこのコロナウイルス感染症対策でステイホーム期間に入ったばかりの頃、岡田拓郎とのやりとりの中で、彼はこんなふうに書いてきた。「何もやる気がしない。家にいるのだから曲を作ればいいのだけどそんな気にもならないし、だからって眠れなくて寝ることもできない……どうしよう」。どうしよう、と言われてもどうにもならないが、そう言いながらも、岡田はようやく完パケとなったニュー・アルバムの話、福岡在住の音楽家であるduennさんの話、あるいは今探しているという(そしてその後、古書で入手できたという)デヴィッド・トゥープの本の話、ボブ・ディランの新曲がキャリア初全米1位となった話、ブレイク・ミルズの話、サム・ゲンデルの話、レオ・コッケはそれほどいいと思わないけどそれでも彼のレコードは基本揃えてるという話……と尽きない。文字だけではあったものの次第に熱気が高まり、いくつかの妄想という名のムードが時空を超えて岡田の中で気ままに舞っていることが伝わってきた。これだ。様々な音楽、文化、事象が放つこのムードとムードとが行き交うこの感じ。ここから漏れ出る音のカケラこそが、岡田の音楽を、いや、彼の活動そのものを両手から溢れてしまうほどに瑞々しく豊かなものにしている。

岡田拓郎の作品に触れるたびに実感するのは、まさにその音のムードをキャッチすることで生まれる音楽の豊かさというものが確かにある、という、ややもすると鼻で笑われがちのテーゼだ。それは情調とか気配とか、あるいはいっそ「雰囲気」という言葉にさえ置き換えてもいいかもしれない。ただし、そのムードというのは、どんな音楽にもどんな文化にも根源的な成り立ちやプロセスや歴史があるという大前提を理解して初めてぼんやり辿れるものだ。実体のない、“のような、なにか”でしかない。

岡田はその“のような、なにか”をキャッチし、自分に引き寄せるのが狂人的なまでにうまいし、センスがある。これはもう技術とか力量以前の問題だ。趣味人スレスレのところで猛烈な熱量で本を読み、レコード収集に湯水のごとくお金をつかい、そこから得たムードを整理せずに都度都度で並べていく。彼の曲はそうした過程が奇跡的に大衆音楽というフォルムをまとった結果と言っていい。いや、そうした過程にこそ本質的なポップ・ミュージックの境涯のようなものがあるのだということを岡田の作品は教えてくれる。

これはジャズなのか? これはアンビエントなのか? これはドローンなのか? これはR&Bなのか? これはAORなのか? これはアメリカン・ゴシックなのか? これは、これは、これは………。答えはわからない。ただ、分厚い蓄積が無数の毛穴からヌルリと押し出された、“のような、なにか”だ。歴史に踏み込んでいく勇気と覚悟と、そのプロセスをまとったムードというなにか。岡田のSoundCloudにはいくつかの未収録音源がアップされている。もっと多くの曲があったと思うが、例によって後からこっそり削除しているのだろう。だが、そこに残された、少なくとも現在も聴けるここ5年ほどの間の曲につけられた気まぐれなジャンル・タグを見るたび、彼がキャッチしたムードが今も空(くう)を飛び交っていることに大笑いしてしまう。

その日、私たちはこの作品を店頭で手にすることができるだろうか。ステイホームの空気が、ブルーの時代が生んだ“ポップ・ミュージックのような、なにか”は、そんな先の見えない暮らしが続く初夏に生み落とされる。(岡村詩野)


Photo by Tatsuya Hirota


Text By Shino Okamura

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