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「どんどん壊れて別のものになっていく人の方が惹かれる」
ファースト・アルバム『物語を終わりにしよう』リリース
想像力の血とは何か?

29 April 2025 | By Shino Okamura

佐藤優介の血は想像力でできている。

果たしてポップ・ミュージックは自然と崩壊と再生を繰り返してプログレスしていくものなのだろうか。それとも誰かが意志をもって崩していくことで次々と変容していくものなのだろうか。佐藤優介の作品に触れていると、もう絶対的に後者であるべきと断言をしたくなる。勝手に崩れていくのではない、崩していくのだ。そして、再生されていくのではなく、ただただ全く違う形へと変わっていくものなのだろう。それが真理かどうかはわからないが、さておき、ポップ・ミュージックにはそのくらいのタフネスが本来ある。それだけは間違いない。佐藤優介が自身のソロでの活動名を“想像力の血”と変えた時、私には彼の音楽への本気の裏返しであり、そうした意志をもったポップ・ミュージックのタフネスを逆説的に伝えているように見えた。そして、そこに必要なものは想像力に他ならない、というメッセージも受け取ることができた。

大学の頃に始めたユニットのカメラ=万年筆をキャリアの出発点とする彼は、驚くほどマイペースに自作曲の発表をしてきたが、その一つ一つには佐藤のそうした強烈な意志ありきのプレイフルな姿勢がこめられている。いや、プレイフルなどと言ったら否定されるかもしれない。プレイ(遊戯)そのものだ。佐藤はずっと音と戯れることで自身積み上げたものを次々と崩してきた。佐藤が関わっている(きた)アーティストは実に多い。ライヴでサポートもしているムーンライダーズ、KID FRESINO、スカート、姫乃たまとのユニットの僕とジョルジュなどから、ムーンライダーズのメンバーのソロワーク……鈴木慶一、故・岡田徹、武川雅寛はもちろん、Kaede(Negicco)、滝沢朋恵、昆虫キッズ、カーネーション、町あかり、jan and naomiなど枚挙にいとまはなく、しかも、作曲、編曲、演奏、録音、プロデュース、ミックス、リミックスなど作業の種類も様々。演奏もキーボード(鍵盤類全般)のみならずドラム、ベース、ヴァイオリン、パーカッション、プログラミングと幅広い。もちろん、ヴォーカル、コーラスでの参加もある。そんな中ついに届いた想像力の血としてのファースト・アルバム『物語を終わりにしよう』は、彼がそうした豊富な経験と並行させながら培ってきた、音楽的なルーツはもちろんのこと、崩していくことを証左とするポップ・ミュージックへの深い愛情がトグロを巻いているような大傑作だ。鈴木慶一、佐藤奈々子、岡田紫苑がヴォーカリストとして参加。さらにライヴ・メンバーでもあるイトケン、佐久間裕太、西田修大、シンリズムに加え、澤部渡、四家卯大、シマダボーイ、ダニエル・クォン、森達哉も曲ごとに力を貸している。岡田紫苑が歌う「ふたつのアリア」からは、紫苑の父・岡田徹によるアコーディオン・ノイズも聞こえてくる。

なお、このインタヴューは4月23日のワンマン・ライヴより前に行われた。筆者も足を運んだがバンド編成で行われたそのワンマン・ライヴではアルバムの曲は鈴木慶一がヴォーカルで参加した「Quaggi」しか披露しなかった。彼のライヴはいつもそうだ。音源として公開されている曲はほとんどやらない。音楽は想像力がないと作れないし、聴いて楽しむこともおそらく難しいだろう。だが、問題などあろうはずがない。佐藤優介の血は想像力でできているからだ。
(インタヴュー・文/岡村詩野 協力/吉澤奈々)

Interview with Yusuke Sato

──まずは名義を「想像力の血」に変えた話から伺いましょうか。そもそもなぜ名義を変えようと思ったんですか。

佐藤優介(以下、S):自分の活動を、もうちょっと他人事みたいにしたくなったっていうか……なんか名前を書いたりするのって、たとえばこう書類とか、どっかにサインするのって、責任が生まれる瞬間って感じがするんですけど、そこでもうちょっと無責任になれたらなと思って。特に深い意味とかはないです。

──でも、ずっと「佐藤優介」の名前でやってきてたわけじゃないですか。

S:ファースト・アルバムが出るタイミングだし、ちょうどいいかなと思って。

──変えるタイミングを探っていたと。

S:うーん、そういう気分だった、ってだけなんですけど……来年になったらまた変わるかもしれないです。

──自分の名前……本名でやることの照れもあったのですか。

S:それもあると思います。

──では「想像力の血」という名前にしたのは。

S:そのとき読んでた本があって……大江健三郎の『万延元年のフットボール』っていう小説なんですけど、そこに「想像力の血」ってちょうど書いてあったのが目に入って、あ、これにしようと思って……(笑)。読んだことってあります?

──はい、読みました。「反時代ゲーム」という曲も大江の「同時代ゲーム」のオマージュですよね。

S:そこからとってます。それまで小説自体ほとんど読んだことなかったんですけど、2年前ですか、大江健三郎が亡くなったっていうニュースを見て、ノーベル賞の人ってことしか知らなかったから、ためしに何か読んでみようと思って。それで初めて読んだのが『万延元年のフットボール』だったんですけど。読んでて思ったのは、いわゆる慣用句っていうか、よくある表現みたいなのが全然ないんですよね。使っている言葉とか、単語自体は普通なんだけど、その組み合わせ方が他では見たこないような表現だったりして。言葉ひとつひとつに向き合って文章、小説を書いてるんだなっていう感じがして、それが音楽とちょっと似てるなっていうか……自分が音楽を作ってるときの感じと、シンパシーじゃないけど、近いものがあるかもと思いました。

──『万延元年のフットボール』は、いくつかのテーマ、アングルが複合されている小説ですよね。例えば家族、兄弟の関係性、そこから転じていく孤独、さらには自己破壊願望……。

S:自己破壊の感じっていうのは、結構わかるというか。やっぱりどこかでそういうのが必要になってくるんじゃないかと思ってて……あの、たけし(北野武)の『Broken Rage』って見ました?

──ああ、まだ見てないです。

S:すごかったですよ。

──どうすごかったんですか。一般的には賛否両論ですけど。

S:いや、賛のしようがないっていうか、全然面白くないんですよ(笑)。だからこそ感動しました。『ソナチネ』とか『キッズ・リターン』とか、『座頭市』、『アウトレイジ』を撮ってきた人が、なんか全部ぶっ壊れちゃったというか……あまりにも虚無で、なんにも言及できないです。究極の自己破壊だと思いました。

──ああ、なるほど。

S:映画監督としての北野武って、一作ごとにずっと自己破壊を続けてきた人だと思うんですけど。なんかそういう、どんどん壊れて別のものになっていく人の方が惹かれるっていうのはありますね。型をどんどん崩していっちゃうような。

──では、優介さんにとって、目下のところ自分自身の壊すべき型ってどういうものなのですか。

S:自分ではよくわからないですね。そもそも自分のスタイルっていうものを確立できてないっていうか……いや、あるのかな、自分ではそれはわからない。どうなんでしょうね。

──ありますよ、それはきっともちろん。その型があるから壊したくなる。

S:たとえば、曲をつくろうと思って、なんとなくこういう曲にしよう、みたいなのを最初に考えたりもするんですけど、いつも全然その通りにならない(笑)。つくっていく過程でどんどん違うものになっていって……海へ行こうと思ってたのに、気づいたら山に登ってたみたいな(笑)。毎回そんな感じです。

──例えば、佐藤優介ソロ名義で一番早く世に出ている曲はおそらく「Kilaak」です。そして、今回のアルバムに収録されている曲では「UTOPIA」ですが、これらは最初海に行くつもりだった感覚としては、どういうイメージだったのですか。

S:「UTOPIA」は、当時、ちょうどコロナ禍でライヴとかも全部なくなって、ずっと家にいた時期で。だからもう、閉じこもってたっていう記憶はあるんですけど。何を考えてたっていうかっていうと、何も覚えてないですね(笑)。でも、何も考えてないんじゃないですかね、作ってるときっていうのは。

──気がついたら「UTOPIA」が出来上がっていたと。じゃあ一番新しい曲はどれですか。このアルバムの12曲の中だと。

S:基本的にどれも同時進行で作ってたので、あんまり覚えてなくて……シングル以外は全部ここ1年くらいで作った曲ですね。

──私は一年前の下北沢《Three》でのワンマン・ライヴを観ましたけど、あの時やった曲が今回全然入っていないと思ったんですよ。

S:ライヴで演奏してる曲で、ちゃんとレコーディングしたのは(鈴木)慶一さんに歌ってもらった「Quaggi」だけですね。

──あの時やったそれ以外の曲はどうなったんですか。

S:ライヴでやってる曲っていうのは、そのときのライヴのために作ってる曲なんで、基本的にレコーディングはしないです。レコーディングとライヴって、全然別物っていうか……単純に自分の体験として、家でこう、じっと音楽聴いているときの喜びと、どっか外出かけていって、ライヴ・ハウスとかで演奏を聴いてるときの興奮っていうのは、全然違うものだと思ってるんで。

──録音作業は家で音楽を聴いてる感覚に近いんですか。

S:そうですね。聴くときの環境のまま作ってるし……それをライヴで再現するのはかなり難しいと思うし、仮に再現できたとしても、意味がないっていうか。

──最初からその気もないと。

S:ライヴのための曲を作るときは、たとえばライヴ・ハウスの、100人とか200人ぐらいの規模の会場の空間のイメージがまずあって、そこに向けて、そこで鳴る音楽をイメージして曲を作るっていう感じですね。

──ライヴでやる曲には一応曲名とかついているわけですか。

S:ついてます。

──それは我々はライヴでしか聴けない。

S:そうですね(笑)。

──ライヴで聴いた曲を録音された音源として聴くということはできない。

S:特に今バンド編成でやっている自分のライヴに関しては、ちょっと限定的な体験にしたいと思ってるので 録音したとしても、あんまり意味がないような気がします。

──優介さん自身、誰かのライヴに行って、いいなあと思って、家に帰ってから同じ曲を聴きたいというような気になったりはしないんですか。あるいは、その勢いで自分も曲を作りたくなるとか。

S:そういうのはもちろんあります。こないだ、ヴァン・ダイク・パークスを見たんですけど、改めてすごいなって圧倒されて帰ってきて、それですぐ音源聴きながら耳コピしたりして……。

──ヴァン・ダイク・パークスのライヴはどこが特によかったですか。

S:なんとなく「作曲家」っていうイメージが強いと思うんですけど、実はすごくシンガー・ソングライターなんだなって。あれだけピアノ弾いて、左手とかもずっと半音で動いたりして、それでこんなに歌ってて、すごいっていう(笑)。単純にそういう驚きがあったんで。ああ、この人はこんなにシンガー・ソングライターだったんだな、っていうのは思いましたね。声も特徴的だし。

──自分にもその感覚を当てはめたりしますか。

S:シンガー・ソングライター……俺はシンガーじゃないですからね。誰も歌ってくれないから、しょうがなく歌ってるだけっていう……自分で歌いたいと思ったことは一度もないですね。

──でも、自分で歌ってる曲が多いじゃないですか。

S:ほんとはいろんな人にお願いしたいと思ってるんですけど、そんなお金もないし、誰に歌ってほしいっていうイメージも今回あんまりなかったから……それで自分の声に合った曲っていうか、自分に歌わせるならこういう曲かなっていう、そういう発想で作ってたとこはありますね。俺はキーも低いんで、テンションが高いのはできないし。だから細野(晴臣)さんのような歌にシンパシーがあるっていうか。細野さんも、確かジェイムス・テイラーを聴いて、自分でも歌えるんじゃないかって思ったっていうのを何かで読んだことがあるんですけど。結構それに近い感じかもしれないです。もし誰かに歌ってもらうとしたら、多分こういう音楽にはなってなかったと思うし、そこはやっぱり自分の声、自分の歌っていうのにフォーカスして作っていたところはあります。

──それは歌詞も含めて。

S:そうですね。歌詞も、自分で歌うなら制限なく何でも書けるんですけど、人に歌ってもらうときっていうのは、ちょっと配慮じゃないけど、その人の世界観とか、そういうものを大事にしたいなと思うので。

──では、「ふたつのアリア」「Quaggi」「反時代ゲーム」……3人のゲスト・ヴォーカルが参加しているこれらの曲は、当然この3人が歌うというのを想定して作ったということですか。

S:そうですね。特に(鈴木)慶一さんの歌にはすごく影響を受けてきたっていうか、日本で一番好きなヴォーカリストは誰って言われたら、やっぱり慶一さんなんで。それで今回、ちょっとラッパーみたいにジョイントする感じでやれたらいいなと思って、エンジニアのイリシット・ツボイさんにもそういうイメージをお伝えして。バンドの音に関しても、ツボイさんマジックが炸裂してると思います。ツボイさんじゃなかったらこの曲は完成してなかったです。「ふたつのアリア」を歌ってもらった(岡田)紫苑さんは、ムーンライダーズの岡田徹さんの娘さんで。紫苑さんの歌をはじめて聴いたのは、徹さんが音楽を担当した『ペイル・コクーン』っていうアニメ映画があるんですけど、その主題歌を紫苑さんが歌ってて。それがなんていうか、すごく透明な、ノーブルな感じがして、ずっと好きだったんです。だから今回歌ってもらえて嬉しかったですね。佐藤奈々子さんに参加してもらった「反時代ゲーム」は、最初自分の歌があって、そのあと全然違うタイプの歌が聞こえてきたらいいなと思って。それで奈々子さんしかいない、っていう感じでお願いしました。

──自分で初めて何か歌を歌ってみたのはいつのことですか。

S:なんだろう、でもビートルズだと思います。当時、子供番組でずっと流れてたんですよ、「Magical Mystery Tour」とか。でも英語だから、言葉は何も理解できないわけですよね。だから英語を全部カタカナで書き取って、それをそのまま、意味も分からないまま歌ってるっていう。それが最初じゃないですかね。

──ご両親からの影響もありますか。

S:俺、福島(出身)なんですけど、何にもない田んぼの真ん中みたいなところで。そこで母親は近所の子供とかにピアノを教える先生をやっていて、それで家にピアノがあったっていうのは大きかったと思いますね。あと、父親が和太鼓をやっていて。今でもやってるんですけど、地元の和太鼓グループのメンバーで。子供の頃とか、町の体育館で練習してるところに連れてかれて見てたっていうのはありますね。

──優介さんがドラムをやるのもそれが影響している。

S:結構あると思います。とにかく何でも物を叩くんですよ(笑)。茶碗とかテーブルとか、お風呂とかでもこう水をバシャバシャやるとか。そういうのは子供の頃からやってたんで、やっぱりリズムっていうのが一番大きいかもしれないですね。全然習ったりとかはしてないんですけどね。ピアノも別に習ってないし、太鼓やってたわけでもないし。

──ピアノは独学なんですか。

S:はい。だから今でも全然弾けないです。ちゃんと基礎をやってきた人と比べたら、本当に自分のピアノとかキーボードっていうのは、全然ろくなもんじゃないと思います。ただ好きに弾いてるだけですね。それは全部の楽器に対しても同じですけど……ほんとに、ただ遊んでるだけですね。

──音楽で遊ぶ。

S:そうですね。曲をつくるのも遊びの延長っていうか、遊びそのものですね。そこはずっと変わってないと思います。

──それは、さっき話してくれた、破壊する感覚と近いですか。

S:近いかもしれないですね。なんていうか、曲を完成させることをあんまり目的にしてないっていうか。遊ぶときって、なにか目的があって遊んでるわけじゃないと思うんで。

──いい曲と言われるような感覚を目標にはしていなかった。

S:そういうのは全然ないですね。ただ遊んでるだけ……でもその、徹底して遊ぶっていうのが、やっぱり大人になってくると、なかなか難しくなっちゃうっていうのはあるじゃないですか。どうしても社会に出たりすると、なかなかうまくいかなくなるっていうか。そこでどれだけ抵抗できるか、どれだけ遊びに徹することができるかっていう感じはあります。だから、作るのも壊すのも遊びのうちっていうか、同じような感覚かもしれないですね。

──その作業に際限はないですよね。終わりがないというか。

S:今回のアルバムも、本当に完成してるのか、自分でもよくわかってないんで(笑)。曲の長さにしても、1分だと短いみたいな感覚がもうあんまりなくて。いわゆるポップスって、一般的には2分とか3分とか、1番とか2番があってみたいな、そういう形式が普通だと思うんですけど、もうそれもあんまり気にしてないっていうか。

──1分が短い感覚がない……何がそういう概念に辿りつかせたのですか。

S:うーん、でもやっぱり映画の影響が大きいですかね。映画って、たとえば3時間ぐらいある映画でも、見てるとあっという間だなって思えるものもあるし、逆にこの映画80分しかないはずなのに、すげえ長いな、みたいなのもあるじゃないですか(笑)。でもそういうダメな映画を見るのも勉強になるっていうか。時間は数字でしかないんだっていう。だから、曲を作っていて、こんなもんかなと思ったら、もうそこで終わりっていう感じですね。それが1分でも、15分でも、自分が納得していればなんでもいいっていう。

──では、映画を通じて、概念が狂っていくような感覚っていうのは、どういう作品から得ましたか。

S:なんだろう……今まで見た映画で一番長いのって、たぶんベルナルド・ベルトルッチ(監督)の『1900年』っていう……見たことあります?

──もちろん。大好きな映画です。

S:本当ですか?!  めちゃくちゃ好きなんですよ。5時間以上あるけど、見始めると一瞬で。魔法みたいな感じで、あっという間に時間が過ぎていくんで……。え、『1900年』は映画館で見てるんですか?

──そう。高校生の頃、日本で初めて公開になったときに本当に楽しみにして見に行きましたよ。ベルトルッチが好きだったっていうのと、ロバート・デ・ニーロに当時夢中だったから。

S:『1900年』のデ・ニーロ、かっこいいですよね。

──あの映画ではジェラール・ドパルデューの方がカッコいい役。デ・ニーロの役はとても気品があって美しいけれど。

S:ダメな人の役だけど、すごくハンサムなんですよね、『タクシードライバー』くらいの頃で。

──そうですね。『1900年』では地主の息子、いいところの子息の役。

S:それでどんどん虚ろになっていく、いい役ですよね。

──そうした登場人物の変化のプロセスがとても丁寧に描かれているのに、5時間以上あるけど長く感じない。

S:衝撃的なシーンもありますけどね(笑)。

──ドナルド・サザーランドの役がまた。

S:もうとんでもないモンスターみたいな役で。

──衝撃的で映画館出てからまっすぐ歩けなかったですよ。少年愛も出てくるし。

S:もうなんでもあり、変態映画ですね、全部盛りって感じ(笑)。

──でも美しい映画だと思います。ヒューマニズムの強さと脆さが描かれていてとても美しい。

S:美しいものと、とんでもないものが一緒になってて。本当に何回見ても飽きないですね。ベルトルッチはどれも大好きです。

──この前、NHK-BSで久々に『暗殺の森』をやってて見たんですけど、最後の殺戮のシーンがやっぱり素晴らしく美しくて。ベルトルッチってこういう場面やらせると本当にすごいなって改めて思いました。それでも私は『1900年』のが好きですけど。

S:いや、俺も『1900年』のが断然好きですね。『ラストエンペラー』もこの間、映画館でやってて見に行きましたけど、やっぱり映画館で見るのが最近いいなと思っていて。拘束力があるから、家で見るよりも向き合ってる感じが強いというか……そういう環境で、1時間とか2時間、何かひとつの作品と向き合うっていうのは、やっぱりすごくいい体験になりますよね。だからダメな映画見てても学ぶとこはいっぱいあるし、時間の使い方はすごく勉強になります。

──1分が短い感覚がないっていうのは、映画に向き合うことで得たものなんですね。

S:そうかもしれないですね。

──話を少しアルバムに戻しましょう。今回のアルバムの曲はおおかたが3分台、長くても5分台です。正直、濃密にドロッドロに音たる音が渦巻いていて、でも、恐ろしくポップで洗練された作品集だと思いました。だからあっという間に過ぎ去っていく。『1900年』のあのグロさも美しさも孕んで一瞬のうちに終わってしまう感じに近いですよ、確かに。

S:短いと思ってもらえるのは全然OKなんで。長いなと思われるよりは(笑)。だから、短いなと思ったらまた再生してもらって(笑)。そういう感じでいいんじゃないかなと思います。あと、影響でいうと、ビートルズよりもっと前は伊福部昭の音楽が好きだったんです。『ゴジラ』とかの怪獣映画をちっちゃい頃ずっと見ていて、やっぱりあの音楽の印象が強くて。それこそ太鼓じゃないけど、やっぱり伊福部昭もリズムがすごく強い人なんで。ゴジラのあのテーマも変拍子だし……だから、最初に好きになった音楽が変拍子だったっていう。子供のころ初めて作った曲なんかも結構そういう、ダン、ダン、ダンダンみたいな……アクセントがバラバラみたいな曲を、遊びながらつくってたような記憶はありますね。

──幼稚園とかの頃に最初の曲を作った、ということですか。

S:そのくらいですね。コードも何もないし、ただリズムとメロディーがあるだけみたいな。でも、そう考えると今もそんなに変わらないですね。

──曲作りの手順は。

S:いや、もうバラバラですね。

──鍵盤ですか。

S:鍵盤かギター、基本的には鍵盤が多いですね。ギターで作ったのは3曲目(「ゴーストタウンの町長さん」)とか、6曲目(「着いてすぐ帰ることを考える観光客」)、あと「反時代ゲーム」も一部作ってます。1曲目(「○○空洞説」)なんかは、もう適当にピアノ弾いて、あっこれでいいやっていう、そういう連続で最後までいっちゃったような曲ですね。わりと一筆書きみたいな感じで。

──一方で、ちゃんとイメージされたものを想定して、気がついたら山に行っちゃってたみたいな曲だとどの辺の曲になるんですか。

S:「ゴーストタウンの町長さん」とかですかね。

──ギターで作ったという曲ですね。

S:アルバムの流れの中で必要なピースを考えて作った曲なので、わりと制作の後半の方ですね。ちょっとフォーキーっていうか、アコギの響きで、落ち着いた感じの曲があったらいいなと思って……全然違う方向へ行っちゃったけど。

──なるほど、フォーキー。アコギの良さって、どういうところにあると思っていますか。

S:響きの豊かさですかね。曲順的にその前の「UTOPIA」が、ほとんど打ち込みの、シンセがメインの曲なんですけど、そことの対比でいきなりアコースティックなもの、有機的なものが聞こえてきたら面白いんじゃないかっていう、そういうのがきっかけになってますね。デジタルへの反動というか……ソフトシンセとか、家で使っているようなキーボードって、あんまり楽しくはないので。演奏する喜びみたいなのは、ギターにはもう全然かなわないと思います。

──重い言葉ですね。

S:鍵盤だったら、やっぱりピアノは好きですね。人によって全然音も変わるし、同じ人でも弾くたびに変わったりする。もちろん楽器によっても全然違う。ライヴ会場に置いてあるピアノとか、やっぱりいっこいっこで全然違う音がするし。そういう要素があると楽しいですね。

──それでも生ピアノでのソロ・ライヴはやらない。

S:いや、今後やってみるのもいいなと思ってます。ピアノが置いてある会場をまわったりとか、そういうツアーもできたら楽しそうだし。最後はやっぱりピアノなんじゃないかって、なんとなく思ってます。

──晩年の坂本龍一もそうですね。

S:60を過ぎてからの教授のピアノは世界一だと思ってます。誰もあんなふうに弾けないと思う。アルバムでいうと『async』と『12』、あの2枚は本当にすごい。勝手な想像ですけど、たぶん世間の流行とか、文化とか、そういうのはもう全部どうでもよくなって、本当に好きな音楽だけやろうとしていたからこそ、あれだけ素晴らしいものが残せたんじゃないかって思います。

──今回アルバムで生のピアノを使っている曲はどれですか。

S:1曲目はアップライトを一部的に使ったり、あと10曲目(「反時代ゲーム」)もそうですね。ただやっぱり、下手ですね。練習も嫌いだから、一向にうまくならないですね。

──練習嫌い。

S:めんどくさいし……今、自分のライヴでもあんまりキーボードは使ってないから、どんどん弾く機会が減っていってます。どんどん楽な方へ……。もう歌わなくてもいいんじゃないかと思ったり。

──ただそこにいるだけ。

S:いるだけ(笑)。究極のライヴだと思いますけど。ほとんどお客さんと同じ立場でいるっていう。 ライヴにおけるキーボードっていうのは、演奏する側でも見てる側でも、あんまり楽しいものじゃないと思ってます。

──ムーンライダーズの岡田さんのライヴでのプレイはどう見ていたんですか。

S:岡田さんは、やっぱりプレイがすごい好きでしたね。ソロをとる時間とかもすごい好きだったし。アコーディオンも素晴らしくて。あれはもう真似できないです。自分としては、いつか、その「いるだけ」っていうライヴをやってみたいなと思ってます。

──なんなら客席に座って。

S:そうですね、理想というか夢ですね。

──4月23日にレコ発ライヴがありますが。それでもアルバムの曲はやらない。(※このインタヴューは4月上旬に行われた)

S:1曲だけ、「Quaggi」はやるつもりです。もともとライヴでやるために作った曲だったので、それを逆にレコーディングしてみたっていう、自分としては珍しいケースだったんですけど。それ以外の曲はやらないと思います。

──ライヴでもやれそうな曲あると思いますけど。

S:やれるとは思うんですけど、やっても楽しくないっていうか……どうしても再現っていう感じになっちゃうと、俺としてはもう楽しくないんですよね。だから、アルバムはアルバムとして聴いてほしいなと思います。

──『物語を終わりにしよう』は録音作品としてとんでもない大傑作だと思いますよ。何かとそこに意味を求められてもそれは野暮、ということを実感するポップ・アルバムです。

S:意味はないっていう、その「意味」を「物語」と言い換えてるつもりなんですけど……今って、何にでも意味を求められるというか。隠されたテーマとか、メッセージとか、なんかみんな、そういう「考察」みたいなのが好きすぎるんじゃないかと思ってて。答えを教えてもらって、なんか分かった気がして、そこで満足して終わっちゃう、みたいな。だから、言葉で説明できるようなテーマとか、そういうものよりも面白いものがあると思ってるからこそ音楽をやってるような気がします。言葉によって、逆に音楽そのものの感動が妨げられているように感じるときもあるし……だから、何か「考察」すべきものがあるとしたら、そこに聞こえている音そのものについて考えたいっていう。当たり前のことかもしれないけど、そこに立ち返って音楽をやりたいっていう気持はあります。

──考察ではなく妄想という作業かもしれないですね。そこに確信を持たせてくれるアルバムだと思いました。『物語を終わりにしよう』っていうタイトルをつけておいて、最後の曲が「そして音楽は続く」……物語はもういらない、音楽だけは続いていくんだ、音そのものでいいじゃんっていう感覚ですね。大江健三郎が書いている真理と近いかもしれない。

S:タイトルにしても、歌詞にしても、言葉を使う以上どうしてもそこに意味は生まれるし、逃げられないと思ってます。そういう自覚はあるつもりです。だから、その両面を楽しんでやってるっていう感じですね。

──逃れられない状況っていうのに対しての一定の諦めと、仕方がないなっていう開き直りと、それでもそういう状況をどれだけ楽しめるのかっていう。

S:そうですね。そういう、いろんなものの狭間で揺れているのが好きなのかもしれません。諦めみたいなものもありますけど、そこも含めての両面を、もはや楽しんでやっていくしかないっていう感じですかね。

──「もはや楽しんでやっていくしかない」という明確な意志を持っているのに、何を歌っているのか、ちゃんと聞き取れないように歌っている、音で処理しているのは意図的ですか。

S:聞こえづらくしているつもりもないですし、逆に、聞き取れなきゃダメだっていう意識もないんですよね。なんでもいいんです。子供のころ聴いてたビートルズだって、意味もわからないまま聴いて、後から歌詞カードを読んで、こんなこと歌ってたんだ、っていう。録音も今みたいにクリアじゃないですしね。そういうのが原体験にあるので、自分としては好きなことをただ素直にやってるだけっていう、本当にただそれだけな感じがします。


<了>

 

Text By Shino Okamura


想像力の血

『物語を終わりにしよう』

RELEASE DATE : 2025.04.16
LABEL : 想像力の血
配信・ダウンロードは以下から
https://spaceshowermusic.lnk.to/yusukesato


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