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「てやんでぃ根性です」
冥丁が語る“正しさ”の裏側に潜む可能性

28 April 2025 | By Daiki Takaku

冥丁、奇舎、天花といった名義で活動するアーティスト、藤田大輔が冥丁の名義で2019年にUKのアンビエント系レーベル《Métron Records》から発表したセカンド・アルバム『小町』が初のCD化。加えて廃盤となっていたアナログ盤がリイシューされた。他の冥丁名義のリリースと同様にLost Japanese mood(「失日本」)をコンセプトに掲げた同作は、国内外で高く評価され、冥丁というプロジェクトの存在を決定的なものにした作品の一つである。

今回、TURNではそんなタイミングで藤田にメール・インタヴューを敢行。とはいえ、『小町』についてだけでなく、彼の活動の根幹に迫るべく質問を投げかけている。「正しさ」の前に右往左往してしまうことの多いこの時代に、表現の果たす役割はどこにあるのか、その本来持つ豊かさは今どのような状態にあるのか。ぜひ考えながら読んでいただきたいと思う。
(インタヴュー・文/高久大輝 写真/岡本裕志)



Interview with Daisuke Fujita(Meitei)

──セカンド・アルバム『小町』(2019年)の初CD化、廃盤となっていたアナログ盤のリイシューのタイミングでTURNではあらためて冥丁というプロジェクトの位置付けから伺えたらと思います。まず天花(Tenka)や奇舎といった別名義でのリリースと、冥丁名義でのリリースの違いについて、そして冥丁として掲げるLost Japanese moodというコンセプトについてご説明いただけますか? 

冥丁:奇舎に関しては8〜10年前に作っていたと思います。ちょっと曖昧ですが、京都から広島に引っ越してきた時期に始まったかと。冥丁もこの時にはまだ生まれていませんし、天花もこの時には存在していません。

24〜31歳くらいまでは読書習慣を持っていました。読書しながら感じた経験や擬似的な体験を通じて音楽を作ることも多かったです。特にこの頃は、音楽との向き合い方や作曲に関してのモチベーションが徐々に変わった時期でした。音楽人生の中で2度目の変化の時期でした。2025年の今は3度目の変化の時期に入った気がしています。9年周期で人生が変わっている気がしますね。

20代の頃は他者が作った音楽を聴いて、音楽を楽しみ、それに反応するかのように作曲行為を繰り返していました。きっと、それだけでは退屈だったんだと思います。23歳の頃からは、大阪の庄内で2年間ほど防音物件を借りて音楽制作に勤しんでいました。沢山のアウトボードなどの機材を集め、その中で眠るような暮らしでした。

ところが、30歳の頃には殆ど手放しました。結果的にMac1台がメインになり、今もそんな環境です。要は、自分が好きな音楽を作っているだけの日常に創造性を感じることが次第にできなくなった。いろいろな機材を使って作られた音楽は世の中に数えきれないほどありますが、同じ類のスタイルばかりが溢れているように思うようになったんです。機材の差異が楽曲の差異にはならないと言うことを、この時に知りました。誤解のないよう説明すると、機材の差異は確かに楽曲の差異と言えますが、それは細かい部分に関して言えることで、大まかに見たときに殆ど違いがないと思ったんです。楽曲を作っている時の満足感や高揚感の演出や音質の違いなど、多くの差異を機材の差異が演出することは重々理解しています。でも、あまりにもその変化や差異は繊細でわかりづらいものだと僕は捉えるようになり始めました。もっとわかりやすい違いであったり、言い換えるなら、もっと大胆な音楽的差異を結果として出すことが重要だと僕の場合は気づき始めたんです。そして、この時代に、もっと大胆な感性の差異を持ったモデルが必要だと思い始めました。そこで自分が出した結論は機材の差異ではなく、思考(想像)の差異に重点を置くことでした。

習慣で言うと、煙草もこのタイミングで辞めました。ギーク(繊細)になり過ぎてしまう気がしたからでした。30代になってから、音楽に創造性を与えることを意識した日々を送り始め、機材よりも生活習慣や、肌で感じる何かを大切にするようになりました。それがちょうど広島に引っ越したタイミングだったんです。この時は怪奇文学にも傾倒していて、僕にとってはかなり新鮮な分野でした。当時の僕は執筆ではなく作曲でそういう世界観を表現してみたいと思っていました。怪奇文学が好きという嗜好から来るモチベーションではなく、それはあくまでも新鮮な作曲と個性的な音楽の仕上がりを意図した過程で起こる偶然を楽しみにしているという類の話です。機材をディグすることから、怪奇文学をディグする過程に作曲が変わったんです。チェコの人形劇作家のヤン・シュヴァンクマイエルにも元々興味を持っていて、彼の作品のDVDを見ながら音を当てて作曲したりするような実験もしていました。実際僕は音楽家という肩書きですが、音楽畑(音楽史、音楽シーン)の育ちではなく、完全に傍流だと思います。今思えば、奇舎はその最初の作品名義かなと思っています。

いわゆる、音楽史や音楽シーンには共通言語が存在していていることにも、20代の頃に気づきました。大きな時代や大きな業界の作った「コンセンサス」に基づいて世の中や時代が動いていることに気づきました。でもその裏側には様々な可能性があります。ただこの文脈で音楽の分布を語る時に、誤解されがちなことがあります。裏側とはアンダーグラウンド・シーンや非商業的音楽シーンのことではないということです。それらは言ってしまえば、少数派であるだけで、そこには少数派の大きな音楽の歴史があって、そこにも小さく偉大なコンセンサスが歴史的に継承されています。アンビエント・ミュージックはその好例です。そこにはアンビエント・ミュージックのコンセンサスがありますから、音楽家や作曲家は無意識にそれに準じて作曲をしているんです。あるいは、そういう意識付けで作曲しようとしているんです。謂わば、音楽のアンダーグラウンド史みたいな権威、「正しさ」がここにもあるんです。僕が言及したい裏側というのは、分岐した存在のことです。ある時に、好きな音楽を作っているだけの行為では、灯らないはずの新たな情熱の在処(可能性)がそこに現れるようになりました。奇舎は、自分にそのような領域の在処を指し示してくれた、最初の出発点となった名義だと思います。この頃から位相を乱して音色を操作するという傍流なテクニックを使って音楽のグルーヴをより感覚的に捉えるようになりました。マスタリングの際やミキシングの際には、位相が乱れると確実に品質が落ちるとされており、やらない方がいいとされてるんですが、僕はそれをよく使います。やらない方がいいというミキシングの教訓を知る前から、それを行なっていたからです。

でも、ここで学んだことは大きかった。作曲の「正しさ」よりも、作曲の過程にある個人としての直感の重要性を尊重することの価値を知ったからです。評価をされる前に、評価を気にして、自分を控えていくと言う過程で学べることは少ない。自分がそう思ったのであれば、それがたとえ世の「正しさ」と異なるものであっても、表に出すべきだと。表現者は会社員ではなく、労働賃金を受け取っている立場ではありません。自分として、個人として、どのように世の中に立っているのかを表すことも作曲だと僕は思います。自分が興味深いと思っている作曲(電子音楽の分野のミキシング込みの作曲)からは、「なぜ?」という言葉がしばしば浮かんできます。音楽には、単純な美しさを誇るものとは異なる評価軸もあると思うし、ある方が健全だと思うんです。なぜならば、音楽は人が作った「伝達物」だから。それは時々、「正しさ」とは異なる条件下で、制作されている場合もあり、そこに僕はワクワクを感じてきたんです。現代社会にある「正しさ」は、人々の創造性を閉じ込めている大きな蓋になっているように思います。Spotifyでいろいろな音楽を聴きますが、どれも良いものばかりで、殆ど美しいと思います。欧米の音楽が好きなので、しばしばプレイリストを作ったりして楽しんでいます。リスナー側としてはそれで僕も楽しいです。次に作曲家目線になった時、「この楽曲はなぜこういうスタイルになっているんだろう?」と思わず口に出るような音楽はあまりないです。この時代は情報も手軽に手に入るし、多くのことが計画的に想定されています。ある意味でそれは「正しさ」という概念の過剰供給が生んだ結果なのかもしれません。「正しさ」から離れることができない人々が、表現者という枠の方々の中にも増えているのかもしれません。

ただ、そうであっても言っておきたいことは、音楽を作るのは楽しいということです。楽しければ何でもいいと思います。ただあくまでも、自分の場合はという意見で話をしています。言い換えるならば、ある意味で「てやんでぃ」 な印象の音楽が少ないです。既に「てやんでぃ」というフレーズも失われているので、これも「失日本」的な言い回しかもしれません。「正しさ」に基づきすぎると、より既製的な印象になってしまいます。その方が市場性も高く、拡大性も上がりますから当然です。でも一方で、創造性や芸術性は減ります。芸術性が低くなると、音楽という分野では稼げないと囁かれ始めます。もちろんそれも「正しさ」が作った幻想の可能性があります。

天花の立ち位置は、かなり気楽です。自分にとっての日常に親和性のある音色をいろいろと使っています。単純にこの音は素敵って感じで並べているだけです。PCが目の前にあって椅子に座っていると何の気なしに、やっていることが音楽になっているような感じです。だから僕はこれを趣味の音楽だと、みんなに話しています。とりわけ特別な役割をこの音楽が成しているとは思っていませんし、無理をしていない感じですね。それはそれで心地良く、緊張感もなく気楽なんです。昨日見た空を何となくスケッチして、今日の空もスケッチして、ただそれが良くて、気分が良かったので、みんなにも聴いてもらえたら嬉しいなと言うような心境です。

Lost Japanese mood=「失日本」については、先ほどの「てやんでぃ」と言う言葉が今日は妙にしっくりきています。音楽というものがコミュニケーションの手段である以上、それが一定のコンセンサスに基づいて行われていることは自然なことです。西洋的な論理を軸にした音楽の上で楽しく音楽を作ることは、疑いようがない現代の日本文化の流れだと思います。それでいいと思っています。楽しければ。自分も欧米の音楽が大好きですし、楽しく音楽を作る上では、それを疑う必要はないことです。時代の中で、欧米式を見習った形が日本式に昇華されてきたことは悪いことではありません。その過程の中に、日本らしさは確実に存在していると思います。

その上で現状を踏まえた意見も、今日は言っておく必要があると思うんです。例えば、既に聴いたことがある音楽的要素を取り入れて、その時代や、その世代ごとに存在する最新機器や機材を使用して、音楽を楽しむことは素晴らしいです。それが音楽文化を発展させてきました。あらゆる音楽的文化が西洋的な影響の下に成立しています。それを学んで、一層楽しい音楽人生を送るのも一つの在り方だと思います。でもそれ以外の音楽もあるし、それだけが音楽の「正しさ」ではないと思うんです。そういった側に可能性を感じる人は少ないです。「正しい」とされる情報が過剰に供給されている現代ではもっと少ないのではないでしょうか。

音楽以外のことに対してもですが、もっと日本的な印象があってもいいと思います。日本的な音楽とは、単に国産の音楽という意味ではなく、日本的情緒のバリエーションとしての日本的な音楽です。例えば、日本的な印象として雅楽などが、よく例に挙がります。古楽器を使った音楽に日本を感じるという話を一般的に聞きますし、「(そのような音楽を)作っていただけますか?」と言われることもあります。僕がここで興味深いと思うことは、一定数の人々にとって古楽器が日本的印象を持った音楽として、頭の中にあるということです。一方で、僕にとって古楽器は中華的な印象の方が強いです。さらに異なる方面では、日本の音楽となると、一定の商業的大成功を収めているような国産の音楽である場合も日本的な音楽の範囲に入ると思います。この両者は極端な位置にありますが、人々に広く認知されています。確かに、どちらも日本的ではありますが、雅楽は中華的であり、商業的な成功を収めている日本の音楽は西洋的(主流であり、時流を反映した仕様の音楽)であると僕は捉えています。これを踏まえると、僕が思っている日本の音楽的印象と一定数の人たちが思っている日本の音楽的印象が異なっていることに気づきます。ところが一定数の人たちにとって、僕の考えている日本的印象は、彼らにも理解できる自明性を持っていることも、この6年間の冥丁の活動を通じて確認することができたと思っています。

話をまとめると、現代の世の中には、日本的な音楽を聴く際の選択肢のバリエーションが少ない現状に気づくことになります。原因は、生産者がそれを作ろうとしないことにあります。音楽家や作曲家たちはそれを作ることにモチベーションと面白さを感じないからです。言い換えると、殆どの音楽家が同じゾーンの音楽作曲に依存しているという現象があると、自分は仮定しています。もし仮に、日本音楽のバリエーションがもっと存在していたら、僕は「失日本」を推し進める意味もなかったと思います。音楽を続ける意味もそうなると、なくなります。仮説ですが、並行世界上では、苔むした石垣や、近所にある手入れされていないお寺など、そのような現代の日本によく見られる風景もSpotify上で音楽としてアップされて僕たちはリスニングできる状況にあるかも知れません。しかしながら、この時代の日本の音楽は商業音楽も非商業音楽も東京的であることが主流です。音楽の生産数は増えているのに、音楽のバリエーションは減っているのかも知れません。とても面白い時代です(一旦確認として説明すると、繊細な意味での差異を持った音楽は増加していると思います。僕がここで言っているのは大胆な差異を持った音楽のバリエーションの話です。言うなれば、「伝達性の高い差異を持った音楽」のことです)。

現代には「正しい日本の音楽」と言う概念が存在し続けていて、それ以外の日本的音楽の選択肢が時代に整えられてこなかったのだと思います。音楽家は音楽の楽しさに意識を向けても、音楽の可能性には意識を向け難い状況だったのだと思います。それは興味深いですが難しい話です。

ファッション業界でもそうですが、日本的な印象の洋服(ユニクロのような世界的日本ブランドを示す意味ではなく)は日本で一般的ではありません。ファッション文化も音楽文化と同じく背景が西洋的であり、日本的印象を持ち込もうとすると売れないから控えようとする暗黙の自重が自然と存在しているのだと思います。これを繰り返せば繰り返すほどに、日本的な物事は年々失われていくことになります。でも、このような流れは大きな時代の流れに比重を置いた文脈なので、小さな分岐が現代には沢山あることも言及しておきたいです。現代に表れている特徴や詳細としては時代の中に、小さな分岐点や特異点が増加している傾向があるということです。それは2020年代からの新しい流れだと思っています。それと同時に、再確認と再発見(音楽業界だけではない)が時代の中で行われており、今まで見落とされてきた点についての観測が始まりつつあります。

そしてここでようやくです。前置きが長くなりましたが、Lost Japanese mood=「失日本」はそのような日本の中にある自明で幽微な印象を表現した音楽として自分は位置付けています。現代の「正しさ」で置き換えることができなかった視点を持った音楽が、この概念の下で作られています。サウンド面については、先ほども位相の話をしましたが、位相を乱すことで得られる時空間と音領域の可変にこの数年間は魅了されています。そうすると、音像と定位が乱れるのですが、ある意味で生々しくリアルな情緒を感じます。それを踏まえて作曲すると冥丁味(今までの冥丁の音楽らしさ)が出てくる気がしています。楽器で音色を変えて楽しむことも楽しいのですが、僕はPC上で編集作業を通じて機材の差異ではなく思考の差異を反映させて音色をデザインする方法が好きです。

そのおかげで、楽器や一定のフォーマットに依存した既製の演出になりにくくなります。ただ、マスタリング・エンジニアの方々を戸惑わせている場合もあるかも知れません。《12k》のテイラー・デュプリーさんから以前「僕の長いキャリアの中で、こんな形状の音の波形を見たことがない!」とマスタリングの過程で言われたこともあります。でも、本来はそういうもんなんです。みんなが「正しさ」に基づきすぎるから、変化が起きないんです。人はみんな異なる性格を持っています。

──過去のインタヴューをいくつか読み、藤田さんは音楽を作る理由や意味を深く、慎重に考えてきたのではないかと感じています。それはつまり、個人的な視点で音楽を作っているわけではないことを意味していると思うのですが、Lost Japanese moodというコンセプトで音楽を作ることの理由、そして意味についてどのように考えているのか教えてください。その先にある希望とはどのようなものなのか、言葉にしていただけると嬉しいです。

冥丁:先ほど答えたことの補足になって恐縮ですが、この時代の日本の(世界の)「正しさ」と、どう向き合っていくかということに理由は尽きると思います。「失日本」という主題は先ほどもお話しした通り、自明でありながらも幽微な印象を音楽で方向づけ(ディレクション)を行っていくということです。それはある種、日本を音楽で見直して、新たな視点と価値を見い出していく仕事なんです。希望を見出すと過去に僕は言ったことがあるのですが、今は希望というか、冥丁を通じて自分の役割を感じ始めています。それもあってか、さらに様々な企画に携わり日本の自明でありながらも幽微で霞んでいる印象に音楽で意識を向けることに専念しています。まだ公表はできませんが、いろいろな企画を通じて勉強しています。

──前の質問と近しいかもしれませんが、Lost Japanese moodというコンセプトで音楽を作る理由を見つけた際、藤田さんの目から日本、あるいは日本人はどのように見えていましたか? 冥丁というプロジェクトを続けていく中で藤田さんのそういった視点に変化は起きているのでしょうか?

冥丁:最初の質問で「失日本」についての言及をした中に、すでにこちらの回答とも近い部分がすでに含まれています。補足的ですが続けますね。

西洋文化が日本的な解釈を通して、現代に存在し成立していることは誰の目にも明らかだと思います。その結果として日本にある物事が一定の場所に偏っていて、それらのバリエーションが弱いことも現代社会を通じて見えてくる部分があると思っています。欧米が変わろうとすると日本も変わろうとする流れを見れば、とてもわかりやすいと思います。本当は自国発の文化発信ができれば良いのですが、音楽に関しては(総じて音楽でなくとも)明らかに、毎度のこと西洋文化を追従する結果ですよね。個人的な思いや意見があるはずなのに、それを控えて、向こうで流行っている形式のフォロワーになることで満たされているのが一般的かと思います。いつも思うのが、日本人なのだから、日本人らしく振る舞えばいいだけのことなのに、西洋的に振る舞おうと努力をする人たちが多いと思います(下線部についての言及については世界的に活躍している日本の人たちを前提とした文脈なので、日本で働いている一般的な労働者の方々を前提としては話してはいません。ただ段階的に一般層にも流れつく傾向のようにも思います)。もっと日本人らしく、ありのままの日本感で歩めばいいだけなのに、何者かになろうとする印象を常々人々から感じてきました。例えば自分を例に話すと、島民ですし田舎に暮らしている田舎出身の田舎者です。ここで見える景色は、音楽シーンやアート・シーンやファッションやトレンドとは全く関係性がありません。だからこそ、そういった世間からの注目度の高いシーンとは、全く関係のない音楽が出来上がって当然です。それでいいんです。それだけでいいのに、みんなは何かになろうとしますよね? 僕はそれを「美しい嘘」と呼んでいるんですが、みんな本音で表さないんですよね。彼らの会話は引用ばかりな気がします。ただ本音で話せばいいだけなのに、自分の個人的な言葉で話すことに慣れていないように感じます。ただそれだけのことなのに、それだけのことができない人が多いと思います。

海外の人(一般的に欧米の人たち)はグローバル社会の中での主流な言語の英語を自然と話せるような優先的環境を持っています。その優位性に基づいた背景があるから自然な振る舞いができるというように決めつけるわけではないですが、彼らの方が何事も自然に行動して、自然と考えているように思います。そのような種類の人々が多いと思います。これは欧米でなくても、例えばシンガポールでも同じような感覚を感じます。要は、そもそも国が持っている文化圏の許容範囲の広さが、彼らのアドバンテージなのかもしれません。誤解のないように説明しておきたいのは、多くの日本人が英語を話せないから可能性を損失していると言いたいわけではないことです。そうではなく、そもそも自然な姿勢で生きるというリラックスした概念が日本の現代の人々から失われているように感じています。そんな日本人の現代的性格が日本の音楽性にも影響を与えていることは言うまでもないです。そのままでいいのに、なぜか自分を変えようとするんです。本質的には、そのままを変えるので、ありのままの進化の可能性は失われてしまうんです。「郷に入っては郷に従え」という諺があります。ある意味で納得できますが、これは間違っている気がしています。「郷に入っては郷に従え」ではなく「郷に入っては己に従え」と思う時があります。それによって本来の自然な自分を尊重して生きていけるわけですから。互いに思いやればいいと思うんです。だから、郷に従うことには無理が生じることになると思います。

表現者としての視点は常に変化していますね。常に作っていますし、常にいろいろなプロジェクトに携わっています。良くも悪くも疑問だらけで、いろいろな直感や共時性も感じています。ただ、そうであっても、忙しいですがリラックスしていてストレスはないです。そして勿論、「失日本」という軸も変わらないです。先ほどお伝えした通り、これが僕の役割なのかもしれないと思い始めています。そう思った瞬間に、最近はまた新たなビジョンが見え始めました。それはまだ具体的なものではありませんが。

──あるインタヴューでは『怪談』(2018年)が完成した際に“「これが俺だ」と思うものができた”と語っていました。おそらくその言葉は藤田大輔(本名)さん=冥丁という図式を指しているわけではないと思うのですがいかがでしょうか? 『怪談』について「これが俺だ」と思えた理由について教えてください。

冥丁:理由は一言で言えます。「正しさ」を越えたからです。時代にある、日本にある、この現代にある「正しさ」を越えて、音楽を創造した実感と共に、自分の姿をそこに直感した瞬間ですね。それは想像もできなかった瞬間でした。23歳の頃の自分は将来R&Bを作っているか、トレンドの何かの音楽を作曲していると思っていました。結果は全く異なるものでした。だからこそ信憑性を感じます。「美しい嘘」をつかずに済みました。この世の中には大きな「正しさ」があります。

この「正しさ」を抽象的に捉えてもらいたくなくて、今日は具体的に説明したいです。音楽をある特定の軸からお話しすると、音楽には売れる音楽と売れない音楽があります。一般的には売れる音楽が好ましいとされますが、売れない音楽でも良い音楽は沢山あります。それらの方が、商業性が低い分、拘って時間をかけられて作られているので芸術的な品質が高い場合が多いです。商業的音楽が品質が低いという意味ではないですが、売れない音楽は総じて芸術性の観点から品質が高い場合があります。要はオートクチュール(勿論、商業的作品にもある)です。ただそれが主流ではないので、多くの音楽市場原理上では現実的に売れることが難しいです。今話した例に基づいて続けると、ここで言う時代の「正しさ」(主流)は売れる音楽を示しています。この「正しさ」を前にした時に、市場原理上のプラットフォームにオートクチュールを提出したとしても、結果的に音楽市場では一律価格設定をされてしまいます。その作品の本質的な価値が値段に直結されていないことに気づきます。これは大問題ですが、これは世の中の一般的な事例で「正しさ」です。この「正しさ」を前にした時に「なんでやねん!」って言いたくなるのが当然だと思います。このフレーズを言わなきゃダメだと思います。でも、この世の中の「正しさ」の前で身動きが取れなくなっている例は沢山あり、このような状況は、他の業界でも普通だと思います。

さて、こうなった時に、みんなどうするんでしょうか? 次の作戦としては、「コンセンサス」に意識を向けて行くという選択肢があります。要は売れない音楽を売れる音楽として成立させるための戦略に挑戦するということです。予算を取るための企画書を作るような行為と似ています。論理的であらゆる角度から計算された想定予測を出し、それらを計算して確信に至る事業計画として世の中に提出することです。これは確かに売れるかもしれませんし、「正しさ」の前で身動きが取れていない状況とは異なる環境に自らを移行できるかもしれません。でもそこでは、また新たな角度から現れる「正しさ」の存在を彼らは知ることになると思います。

そしてさらに、永遠にここで企画書を作り続ける必要があります。この状況を音楽業界に変換して僕の持論を話すと、いつも市場性を意識して音楽を作るという行為を継続して維持することになります。それは創造というよりは労働に近くなります。確かに職業としての仕事が軌道に乗る可能性は高いです。ただ、その環境に立つことは、「正しさ」と同化することになります。そうすると、その人の目に映る世の中にある様々な色は単一化されてしまうかもしれません。僕が若い頃に聞いてきた言葉の中に「そういうもんだ」という言葉がありました。でも、この世の中を「そういうもんだ」と思ってしまった瞬間から創造的ではなくなってしまうと思います。僕は出来るだけ、自分の人生を妥協したくないです。ここでいう妥協というのは、自分を大切にしてあげることを意味しています。その理由は自分も誰かから大切に愛されてきたからです。だから自分を愛していく必要があると思った時に、世の中にある「正しさ」の前で、簡単に頷くことはできないと思いました。そんな時に、この言葉を言うんです。「てやんでぃ」です。要は「てやんでぃ」根性です。世の中の「正しさ」が目の前に現れて向き合うときに、そこに向かって、大きな声で、「お前いい加減にしろよ」って僕は叫びます。怒るんですよ。そういうことを言うと、過去に、「それじゃ無理だよ」とか、いろいろな不安を誘発させる言葉を僕に言った人達がいました。身近な愛している人にも言われたことがありました。僕は20代の後半が人生のどん底だったんですが、今思うと早い段階でどん底を経験できて良かったです。その頃は本当に周囲の人達から厳しい意見を言われました。その中で数少ないですが、お前は大丈夫だと言ってくれた友人がいてくれたことだけが、今思うと本当に有難かったと思います。結局、他人の評価を基準に生きる方向へは僕は進みませんでした。世の中にある「正しさ」には利他的な教訓が沢山ありますが、利己的であっても自分の芸術性を「正しさ」から守り通したかったんですよね。それ以外に選択肢はないと思って「てやんでぃ」を続けました。

そして、ある時に『怪談』ができました。ある意味で、この「正しさ」に向かって、放てる必殺技(音楽)を手に入れたような気がしました。これならば世の中の「正しさ」と堂々と向き合えると思えたんです。話を戻すと、それは先ほど例として話した、売れる類の市場性のある音楽性でもなければ、芸術性が高いオートクチュール作品でもありませんでした(洗練される前段階の音楽なので、芸術的であっても芸術作品ではないと当時は思いました。でも今日はそれがある意味で芸術かもしれないとも思いました)。そして人々(リスナー)のコンセンサスを取ることを目的にした類の音楽でもありませんでした。つまり、この時代で僕が考えつく音楽の収まり方を越えている音楽だったんです。これは決定的ですね。これだ!って思うしかないです。だからこれを時代に投じてみようと、リリースしたんです。人生で初めて「正しさ」を越えた瞬間でした。「美しい嘘」をついていない音楽の完成です。心はとてもリラックスしていたので、多くのことに素直で中立的に学ぶことができたと思っています。当時23歳のシンガポールの青年がこれを見つけ、リリースすることになりました。僕は33歳でした。国籍も年齢も越えた関係性にここから人生が進むことになりました。

同時に田舎に住んでいるので、変わらず田舎者は続いています。そのような印象も正直に楽曲に反映されている気がします。こういう音楽は、世界に一つだけだと今でも思いますね。この人生は世界に一つなので、当然かもしれません。経験こそが全てだと言っても過言ではないと、この時から思うようになりました。



──Pitchforkに作品が取り上げられたりと冥丁というプロジェクトに国内外から注目が高まる中で、海外でのライヴなども行ってきたと思うのですが、特に藤田さんは特定のシーンに属すことを選ばず、孤独に世を見つめながら音楽を探求してきた印象があります。このような活動を選んできた理由についてあらためて教えてください。現代の一般的な日本人の働き方や営みについて、何か感じていることがありますか?

冥丁:これまでお答えしたことを踏まえて補足的にお話しします。

いつも中立を意識しています。そのために孤独な状況は大切な時間です。孤独は一種のセーフスペースのような時間なので、そういった静かで、つつがない日常のおかげで、自然な目線を持つことができると思っています。

あとはこうも捉えることができます。自分はDJでもなく、いわゆるミュージシャン(ライヴ活動を主にされている方々)でもなく、ご覧の通り歌手やアイドルではありません。あくまでも、音楽作品を私的に作る立場で活動をさせていただいていますし、事務所にも所属しておらず、マネージメントされているわけではないので、専属のマネージャーもいません。ホームページも名刺も作らないようにしています。レーベルはシンガポールとロンドンにありますが、基本的に日本の田舎の島にただ住んでいるだけです。このような立ち位置だからこそ、先ほどもお話しした「正しさ」を認識することができるようになったのだと思います。どこにも比重を置いていないので、それぞれが持つ点と点を観察することができるようになりました。働き方についても先ほどの「正しさ」についての言及で話していますが、多くの人々が、世の中の「正しさ」に同化しに行くんです。それで大人になった時には、世の中は「そういうもんだ」と言うようになる。でも、この「正しさ」は違うなってことがあるじゃないですか? 疑問を感じる瞬間があると思います。多くの日本の人たちはすぐに「正しさ」に飲み込まれてしまう傾向があると思います。

陳腐な一例ですが、高校時代に校則と呼ばれる「正しさ」を経験しました。僕が当時通っていた高校の革靴がカッコいいと思えなかったんで、私物のスニーカーをいつも持参していました。友人からは、なぜそこまでして、たかが革靴を僕が拒んでいるのか理解ができないというような印象だったと思います。靴をワンペア余分に持って登下校しているので、重いんです。でもこの高校の革靴があまり好きではなかったので、嫌だったんです。おまけに校則が厳しい学校だったので、革靴は絶対だったので余分に靴を持っていて、登下校の時だけ履いていたんです。でも見つかると没収されるので、登下校は緊張感がありました。でもこれって自分なりの意見(表現)なんですよね。今考えると人生に熱心な可愛い高校生です。

言い換えると、大人になって状況や場面やスケールが変わりはしていますが、未だに自分は変わらずこの姿勢のままで生きています。興が乗らないことは、たとえ「正しいとされること」であっても、やらないようにしたいと思っています。自分がやらないことによって、時代の中に新たな軌道が描かれる気がします。それは誰かにとっての参考としてのサンプルにもなり得ますよね。自分には合わないことが世の中にはあるんです。だから、合わないことはしなくていいと思います。いつもの自分のままでいいんです。もし会社を辞めたい場合は、辞表を出せばいいし、間違っていると思ったら異議を申し立てればいい。欠勤したければ欠勤すればいいんです。そして、それが意向通りにならなくても、誰も何も悪くないのです。他人の目を気にする必要はないですし、やりたいようにやればいい。みんなが「正しさ」の前で右往左往しているだけなんです。この世の中に、正解がないのにも関わらず「正しさ」だけが世の中にあるだけなんです。だからこそ「正しさ」を超えていくんです。この「正しさ」を超えていくということが、人生の面白さなんだと最近気づきました。

──ちなみに冥丁の音楽がより多くの人に聴かれるようになったことから何か影響を受けることはありますか? 例えば、孤独を守ることの難しさのようなものを感じたりしますか?

冥丁:影響というものは今まで感じたことはなかったのですが、活動も5年以上経ち、周囲が思っている「冥丁像」というものがあることに最近気づくようになりました。普段は本当に人と会わないんです。孤立しているとか、人嫌いといった意味ではなく、単純に田舎の島に暮らしているからです。友人たちは東京や京都や福岡や、その他の都市にいる人たちです。彼らと普段から日常的に会うことは物理的に不可能なんです。そうは言っても、最近は仕事上の出張が増えてきて、一か月の間に数カ所の町に滞在することも増え、以前よりも都市が近くなり、生活圏が拡大しました。

──活動の幅が広がる中で、表現する音は違えど同じ方向を向いていると思うアーティストに出会ったりはされましたか?

冥丁:同じ方向を向いているかというと何とも言えないですが、印象的な日本の音楽家の方々としては、間違いなく、FUJI|||||||||||TAさんとSUGAI KENさんはすぐに頭に浮かびます。

FUJI|||||||||||TAさんの音楽と最初に出会ったのは随分前です。13〜14年前に《京都芸術センター》でパフォーマンスを観たのがきっかけですね。その頃の僕はまだ全然思うように音楽を作ることができませんでした。1分の楽曲を満足に作ることも難しかった頃です。FUJI|||||||||||TAさんは当時もですが、舞台芸術のような唯一無二の音楽活動をされていて、本当に言葉になりません。

SUGAIさんは、僕が『怪談』をシンガポールの《Evening Chants》というレーベルから最初にリリースした頃に彼らが教えてくれました。SUGAIさんも主題を独自に捉えた電子的な音楽を展開されていて、唯一無二の存在感を持っています。そして、日本的な要素が独自に盛り込まれているところも好きです。SUGAIさんの音楽も音を通じて舞台芸術的な印象を感じます。

それと津田貴司さんのプロジェクト、hofliの『木漏れ日の消息』も好きです。いつも車のCDプレイヤーに入っています。独自の日本的な音が表現されていて、言葉になりません。

──藤田さんはこれまで音訳という言葉で説明してきたように、情景を音に変えてきたと思います。その音訳のプロセスについて教えてください。

冥丁:これを満足のいく言葉で説明することは僕にはできないと思うのですが、前述した通り、位相を乱すことから直感が湧いてくることが多いですね。基本的にどんな音であっても、最初の時点でこの音は良い音だと認識することはないです。多くの場合は位相を変えながら、音の表情を徐々に捉えていくんですね。最初の時点では、正直どんな音でもいいのかもしれません。主題の通りにやるだけですから。その過程の中で、それをサンプリングやリサンプリングして、感覚上や想像上の音に親和性のあるところまで編集していく作業になります。作曲の最初の時点で主題と親和性のある音を何らかの直感を受け取って選択し編集しています。

ただ今思い出したのですが、「だまし絵」って知っていますか? 1500年代の画家でジュゼッペ・アルチンボルドという方がいます。僕は彼にも影響を受けていて、音楽でもこの手法は応用できるとある時に思ったんですよね。ハイハットやドラムで行っている様々な音は、別の形式の音でも当て変えることができますし、海の音も別のノイズで当て変えることができるんです。様々な音は様々な別の音に当て変えることができるんです。もちろん実際の音とは異なり、位相も乱れて定位も不安定なんですが、その方が良いと思える瞬間が沢山あります。その方が今持っている主題に近い印象を得ることができるからです。

そして、それが個性になっていると気づいた時があって、それは奇舎の頃に初めて受け取った直感でした。楽器などのフォーマットに拘らなくても音楽は制作できるんです。でもそれが「正しい」とされていなかったり、良い音だとされていないだけで、他にもいろいろな作り方(バリエーション)が存在しているんです。これに正解はありませんし、「正しさ」はありません。今思えば、このような気づきを受け取ってから、音楽制作に個性と彩りが生まれたような気がします。何よりも、「正しさ」から、一歩外へ向けて踏み出す力が、ここから生まれた気がしています。

音を理想の印象に仕上げていく作業は、ひたすら繰り返しです。自分の制作の念頭にあるイメージビジュアルにひたすら音を照らし合わせていく作業ですね。ずっと細かな調整をして、ずっと聴いての繰り返し。でも耳が疲れてくると判断力と決断力が落ちるので、できるだけ体力を使わないように制作をするようにしています。と言ってもそうはいかない時も多いです。何気ない瞬間に音の直感を受け取ることが多いので、それを素直に受け取れるような状況であることを心がけています。でも本当に繰り返しです。地味な作業で、永遠とPCを見ている時もあります。気がついたら7時間経っていることも多いです。

──別のインタヴューでは“冥丁としての活動では基本的にアルバムの物語性を重視しています”とお話していました。各作品、もちろん曲のタイトルやアートワークなどから想像できるストーリーはありますが、とりわけ『小町』では「Sento」、「Kawanabe Kyosai」がパート2から先に収録されているのが特徴的です。これはどうしてでしょう? アルバムに物語を描く際に意識していることがあればあわせて教えてください。

冥丁:特にアルバムの物語性が曲の順番を象徴しているわけではなく、曲順は曲の雰囲気を汲んで並べています。曲名がパート2であっても、その方が先に配置された方がいい場合もあったのだと思います。アルバムを作る前にタイトルがついているので、こういうことは結構よく起こり得ることかもと思います。

物語を描く際(作曲)に意識していることは、個人的であることです。個人的であるということとは、私的であるということです。私的であると言うことは、自然で無理がないということです。自然な目線で音楽を作ることを意識していますと言うと、胡散臭いですが、自然とそうなっています。社会で個人的な意見は尊重されにくいですが、それは、「正しさ」を基準にしているからだと思います。そのような「正しさ」を意識して、個人的な要素を控えることなく、ただありのままに表現することが重要だと思います。自分を控えないこと。もし、自分を控えてしまうと、そこにあるはずの物語は失われてしまいます。なぜならば、それは君しか知らなかったはずの物語だからです。それを君が描くから、世の中にその存在が生まれることになります。物語とは存在なんです。だから、君自身を存在させてあげてほしいと思います。それが表現なのだと思いますし、それこそ創造性の一つあり方だと思います。例えば、一般的に日本らしいとされていること以外にも日本らしさはありますよね。それが世間一般的でなくても、自分がそう気づいたなら、それは日本らしさの一種だと思います。そして、まだまだ自明でありながらも表現されていない日本らしさがあると思います。その物語を描くどうかは自分次第です。世の中の「正しさ」とは何も関係がないです。だから、世の中の「正しさ」を越えて、表現者は意見を言ってほしいんです。言葉ではなく、表現を通して意見を言ってほしいです。言葉を使うと争いしか生まれないような気がします。

一般的には「Sento」も「Kawanabe Kyosai」も、共に音楽で焦点を当てるには、少数派過ぎました。銭湯は日本文化の一つにありますが、それを音楽的に表現することは、完全に一般的ではありませんでした。銭湯の音楽を作ることはあっても、銭湯自体を音楽化した音楽という名目の種類は、一般的ではありませんから。でも、これらは自明のことです。それならば、僕の思う印象を音楽で表現したいと思ったんです。あとは肌で感じた印象に任せて雰囲気を音で作っていく。ムードを演出していく。控えることなく、個人的な目線で音を並べるんです。他人のことも、世の中のことも重視して考えないようにします。それでも、そこに魂が入れば、それを聴いた誰かとコミュニケーションができる。それが音楽の最高結晶の力とも言える「伝達性」だと思っています。伝わりやすくすることや、理解しやすくすることだけが、コミュニケーションの種類ではありません。そうではなく、こういう時には「伝達性の強度」の有無がコミュニケーションとして捉えられるべき基準にもなると思います。音楽はそれを表現できる非常に稀で恵まれた手段だとも言えるんです。未来的なコミュニケーションの手段になり得る可能性も高いです。僕は日本人なので、音楽で日本を描く(自然と現れる)のは普通のことです。当たり前のことですよね。『小町』もその結果として生まれた一つの日本的なコミュニケーション・ツールだと思っています。これを聴けば、リスナーは日本を経験できる体験を手に入れることができます。それは僕の個人的な見方が反映された世界です。でも、そこには自明な日本的要素が確かに存在していて、それは日本の音楽のバリエーションの一つになったのかも知れないと思います。それはレコードなどのセールスにも数値化されているので僕の思い込みではありません。

──『小町』の具体的な制作の経緯についても知りたいです。“「夜分EP」からはじまり、『怪談』を作り、『古風』に進むことになりました。「夜分EP」の “池” や “波” などの4トラックが後に『小町』(“Kawanabe Kyosai” などの『小町』のもう半分のトラックは『怪談』の制作時に並行して作っていました)に収録されることになりました”という説明も読みましたし、本作が99歳の祖母の死からインスパイアされていることも広く知られていると思うのですが、実際いつから、どこで、どのくらいの時間をかけて、どのような機材を使って制作したのでしょうか?

冥丁:機材は全てMacでCubaseだけで完結しています。理由は前述のとおりですね。当時は音の素材を録音するために、別途フィールド・レコーディングのハンディーを持っていましたが、当時のものは今はもう持っていないので機種名はわかりません。TASCAMだった様な気がします。

「池」や「波」は27〜29歳の頃に作ったと思います。もう13年くらい前の話です。14年くらい前に全ての音楽機材のアウトボードなどを含む、諸々の機材を手放したので、機材依存から離れてより自我を剥き出しにする姿勢だけを持った作品だと今は思います。そう考えると『夜分』は僕にとって20代の頃に作った公式には最初のEPになるみたいです。

それから随分経って、『小町』のアルバムのLPのリリースのための準備をしている時に、祖母(カヲル)が亡くなりました。それで彼女にこのアルバムを捧げることにしました。僕にとっての日本的情緒の中に祖母の姿がありましたから。『小町』LPのブックレット版を購入している方々はそれを知っているとは思います。そこには祖母の姿と生まれたばかりの僕の写真が載っています。余談になりますが、この『小町』のLPの準備をしている時に、後にリリースすることになった『古風Ⅱ』の音楽も制作していました。この時に作っていた楽曲が、『古風Ⅱ』に収録されている「カヲル」です。楽曲に祖母の名前を名付けた理由です。その時に作っていたからです。このようなタイミングで作っていた楽曲だったので、この楽曲に祖母の名前が呼ばれました。

──『小町』は冥丁というプロジェクトの中でも柔らかな部類に入るサウンドスケープを持っていると思いますが、サウンドの全体像について制作当時どのようなことを考えていましたか? また、現在から当時を振り返って思うことはありますか?

冥丁:個人的な感想を話すと、「夜分」からの4つのトラックに関しては、イージーリスニングの要素もありながらもテクノ・ミュージックが持っている要素もあると思います。でも作ったのが13〜14年前だとすると、かなり興味深いですね。その頃は今みたいにアンビエント・ミュージックは注目されていませんでした。電子音楽といえばポストクラシカル調のフォーキーなエレクトロニカが少数派の主流にあったと記憶しています。それとは異なる独自の視点を持って制作していたんだと、今この音を振り返っても思いますね。

時々というか、毎日ですが、自分のことが自分でもよくわからないことがあります。目を閉じて、目を開くと自分はもう別人になっているような気がするんですよね。この頃もそうだったんじゃないかなって思います。夕方はいつも嵐山で渡月橋を渡りながらランニングしていました。空気が気持ち良かったことを覚えています。完全にそれも音楽に吹き込まれているような気がします。嵯峨野の夜の雰囲気や竹林の雰囲気なども。この頃の京都は今と比べると観光客も少なくて、住みやすかったですね。

小町はアンビエント・ミュージックのカテゴリーとして認識されているとは思いますが、僕はアンビエント・ミュージックを参照して聴きながら小町を作ってはいなかったので、それも個性的な要因だと思います。反対に当時の主流としてあった日本のエレクトロニカのような風情を出すことができなかったので、内心は不安も感じていましたね。聴く人がいないかも知れないという意味の不安ですね。要は世の中の「正しさ」の前で戸惑っていたという感じでした。でも今になって思うと、アンビエント・ミュージックという大きな「正しさ」とは異なる、自分の目線で観察した意見がここにあって良かったと思います。楽曲のデータを捨てなくて本当に良かった。

一つだけ明確に言えることは、自分の場合は考えて音楽を作っていないということです。あるがままに制作を進めるといった感じです。考えていたら、位相を乱して音像を作ろうとは思わないと思います。そして、考えれば考えるほど「正しさ」に従って「正しい」ことをしようとするからです。「正しさ」よりも「自分」にもっともっと素直に従いたいですね。

──あるインタヴューで“いつも気に入った楽曲は100回聴きます”と話していたのも意外であったと同時に印象的でした。最近はどのような音楽を気に入って聴いていますか?

冥丁:去年はMAROの「just wanna forget you」を100回聴きましたが、きっと200回は聴いていると思いますけどね。感情移入している部分もあるんだと思いますが、この楽曲に吹いている風の香が、自分の人生のどこかの場面で吹いている風の香と同じ印象なんですね。この楽曲はラヴソングなので、そういう部分も非常に人間的で、切なくかぐわしいです。何度も聴きたくなる楽曲ですね。このアルバムだけではなくMAROはこの数年間すごく好きで、よく聴いていると思います。

あとはNaomi Sharonの『Obsidian』というアルバムも去年よく聴きました。アルバムの最初の楽曲の「Definition of Love」も100回系ですね。この楽曲もいい風が吹いているんですよ。何というか、青いんですよね。青春とかそう意味の青いではなくて、青い中に包まれている様な気分になるんです。最高なんですよね。景色を見ながら、いいねっていう感じではなくて、今ここの中にいるっていう感じというか、内面的で都会的な印象もあるアルバムですね。

直近はJudelineの『Bodhiria』をよく聴いています。ここ数年ほどリスナーとしては、スペインの音楽は自分の人生の中で日常的になりました。自国の持っている要素が音楽に存分に生かされていて、どれも個性的で不自然ではなく、カッコいいです。

今話した音楽は自分が作っている音楽とは全く違いますが、違って当然かなと思ったりします。R&Bなどの黒人の人たちの音楽はいつも聴いています。言葉で説明しにくいのですが、風を感じる音楽(疾走感やBPMが早いというだけの意味ではなく)が好きですね。

──最後に冥丁というプロジェクトについて現状で考えていることがあれば教えてください。

冥丁:日本の方向づけを音楽を通じて実行できればと思っています。日本を音楽でディレクションしてみたいんです。音楽の利用方法を変えてみたいんですね。リスニングを目的にした音楽ではなく、音楽という存在を異なる角度から感じて、異なる応用の仕方を感じたいです。抽象的な言い方にはなりますが、音楽をある種の伝達性物質として捉えてみたいです。日本という主題の中で、それをしてみたい。

元々、音楽家志望ではなかったこともあるので、なんというか音楽家と名乗ることに今でも少し違和感を持っています。何らかの意味合いとしては、ディレクターとして打って出れるような形式で、音楽を使った活動をこの時代ではしてみたいです。新しい仕事を作ってみたいですね。

<了> 『小町』CD 『小町』LP

Text By Daiki Takaku

Photo By Hiroshi Okamoto


冥丁(Meitei)

『小町(Komachi)』

Format : CD (初CD化) / LP
LABEL : PLANCHA / Métron Records
RELEASE DATE : 2025.04.18
ご購入は以下から
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/top/releases/artpl-231/

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