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【From My Bookshelf】
『音盤の来歴 ――針を落とす日々』
榎本空(著)
極私的な音楽経験を“世界”へと繋ぐ

01 May 2025 | By Yasuyuki Ono

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が、Gotchというソロ名義でリリースしている「Baby, Don`t Cry」という楽曲がある。日本のどこかの地方都市で生まれ育ち、いまもその街にひっそりと住まう一人の女性の人生を、肯定も否定もせず橙色と濃青色が混ざり合った夕暮れの空のようなメランコリックなメロディーにのせて、Gotchは歌詞の一言一言を、踏みしめるように歌い上げていく。私が初めてこの楽曲を聴いたのは、生まれ故郷である宮城県北東の港町から、岩手県との県境を越えてしばらく車を走らせた大船渡という街に、あの震災後にできたFREAKSというライヴハウス(それもコンテナハウスのような仮設店舗)で開催されたGotchのライヴだった。

2016年秋、会場はとても狭く、50人も入っていなかったのではないかと思う。それでも、その当日ライヴに訪れた、この歌で描かれたような地方の生活が身近にあった、もしくは今もそのよう環境のなかに住まう人たちに、物悲しくも気丈に鳴るこの歌はどのように聴こえ、響いているのだろうと、ライブを見ながら、そして見たあともずっと考えていた。ある歌のなかにいる人間の生と自分の生を繋ぐ何かを見つけること、あるいは歌の中にいる特定の時代状況と運命のもとで生きる人間の生に想像力を巡らせること。私が音楽を聴くうえで大切にしていることはそんなことだ。

神学、人類学者である筆者が沖縄、島根、滋賀、台湾、カリフォルニア、ニューヨーク、ノースカロライナと様々な場所を渡り歩き聴いていた音楽、再生していたレコードとそれにまつわるエッセイを集めた本書を読みながら、私はその「Baby, Don`t Cry」を巡る自分の記憶を辿っていた。音楽、レコードに関する著者の記憶が、そのレコードにまつわる人物とのエピソードとともに語られていくこの本は、自分自身と音楽、その音楽に刻印された人間の生活や時代精神との結びつきを気づかせてくれる。

アラン・トゥーサン『Life, Love and Faith』(1972年)をおまけして売ってくれたノースカロライナ州カーボロにあるレコード屋の店員、ポール。ニール・ヤング『Harvest』(1972年)を好み、音楽にはめっぽううるさく割れた眼鏡をかけたカリフォルニア州バークレーのホームレス、ドクターQ。ニューヨークの神学校で著者が教えを受けた神学者ジェイムズ・H・コーンの授業で見た公民権運動をテーマとしたドキュメンタリー『Eyes on the Prize』の主題歌「Keep Your Eyes on the Prize」とメイヴィス・ステイプルズ『We’ll Never Turn Back』(2007年)。ページをめくるたびに立ち現れるレコードと登場人物を巡るいくつものミクロな物語に、ときおり著者の専門である神学、人類学的な視点からとらえた宗教とエスニシティをめぐる歴史と運動に関する記述が挿入される。そうすることで、本書は著者の個人史を越え、いくつものレコードに文字通り刻まれた音楽と、それを歌い、演奏していたミュージシャン、その音楽の基層をなした数多の人びと、土地、時代を大胆かつダイナミックに結び付けていく。

本書の記述はレコードという記録メディアの物理的な手触りや、レコードに収められた音楽から放たれる“ぬくもり”といった定型文に収まるものではない。筆者はこれまでに出会ったレコードから、音楽から、かつてその音楽が生まれた土地の匂いを、その音楽を聴いた人が流した頬をつたう涙の感触を、その音楽が伴走した悲哀、怒り、歓喜といった人びとの感情の機微やゆらぎを掬い出し、改めて記録している。ひとつの音楽、ひとつのレコードにまつわる極私的な記憶と経験を記しながら、その音楽をめぐる未来と過去を、その音楽が生まれ、演奏され、聴かれていた場所と読者がいる場所とを本書は繋ぐ。レコードを媒介としながら、音楽が有する時間/空間/場所/思想的な深さと広がりを示す『音盤の来歴』と名づけられた本書は、著者自身の音盤をめぐる来歴の記録であり、その音盤が生まれた在りし日と現在の来歴の記録であり、その音盤が結び付けた時代と場所と人びとの来歴の記録である。(尾野泰幸)

Text By Yasuyuki Ono


『音盤の来歴 ――針を落とす日々』

著者 : 榎本空
出版社 : 晶文社
発売日 : 2025.3.12
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