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cero: e o

2023 / カクバリズム
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軽やかな“遊び”のアルバム

06 June 2023 | By Yasuyuki Ono

軽やかな作品だなと思う。音も歌詞も形態も。

本作を聴くとまずそのサウンドの彩りに驚く。オープナーである「Epigraph」で聴こえるふくよかなストリングスと不穏でスペーシーなシンセサイザーの混交。「Nemesis」での空気をたっぷりとふくんだヴォーカル・ワークとそれを支えながら泣き叫ぶギター、ピアノ、プログラミング・サウンドの重奏。ピアノを軸にミニマルに構成されたサウンドを背景に「Evening news」のような歌をフィーチャーした楽曲もある。シングルver.よりもビートとベースの重さを落としてよりダンサブルに再構成された「Fdf (e o)」も印象的だ。既に各所で指摘されているようにポスト・プロダクションを主体として構築された多面的で豊かなサウンドが本作を特徴づけているが、そこに重苦しさはなく高城や荒内が本作を評す際に“遊び”という言葉を用いるように、ある種流し聴きが最適とさえいえるカジュアルな耳馴染みのよさが本作における音の特徴の一つとなっている。

歌詞においても、その一つ一つから情景を想定することは可能だが、それらを綿密に構成されたストーリーとして読み取ろうとすることは難しい。むしろこれまでの作品以上に、バック・サウンドに埋もれることなく強調された高城のヴォーカルとリリックの響きをサウンドの一つとして、例えば“無意識化に広がるテラ・インコグニタ/瞳に染み付いた悪夢の跡/暗闇で飲み干すスポーツドリンク”(「Fuha(e o)」)や“曖昧な陽射し/緩慢な痛み/短絡した機械/散々な終わり/曖昧な季節/緩慢な動き/紺碧の空に/閑散とした海”(「Sleepla」)といったように、短文で矢継ぎ早に流れてくる言葉のリズムに情動的に耳を、身を委ねることが心地よい。本作の軽やかな印象はそのようなリリックとサウンドの関係性にも支えられている。

さらに本作はこれまでのアルバムで最も時間的にコンパクトな42分というアルバム・サイズになっており、5分を超える楽曲も一曲しかない。フリーキーでともすればリスナーの気合を試すような厚みと広がりのある楽曲群を、一つのアルバムとしてシームレスに楽しめてしまうのはそのような楽曲の相対的な時間的短さにもよるのだと思う。

インディーという範疇を越え国内シーンにおけるトップ・クリエイターとして存在するceroが生み出す作品の背景を、同時代性と歴史的影響関係を交差させながら如何に読み取るかという“大作志向”的解釈ゲームは『Obscure Ride』(2015年)以降により顕著になったように思える。もちろんそれ自体は否定されるものではなく、音楽を聴く経験を芳醇で俯瞰的なものとする行為の一つでもある。しかし、『e o』はそのような解釈的音楽聴取の可能性を否定せずそれと同程度、いやそれ以上の眩さで“軽やか”に“気軽”に私の耳へと届く。優劣や序列があるのではない。解釈が作品の深淵へと足を踏み入れるのでも、断片的で非集中的な聴取が表層的な作品経験に終始するというわけでもない。その逆もまたあり得るのだし、この複雑で底の知れない本作を聴き、“軽さ”が何よりも前景化するという経験がそれを顕著に伝える。ceroが持つ魅力のひとつはきっと、そのような包容力にこそある。(尾野泰幸)


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