音楽映画の海 Vol.2
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
マイノリティーの女性によって護られるディランの歴史的な演奏
映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の日本公開が迫ってきた。映画はジェームズ・マンゴールド監督によるボブ・ディランの伝記映画で、ディランを演ずるティモシー・シャラメはアカデミー賞の最優秀主演男優賞の最有力候補にもなっている。シャラメは演技だけなく、音楽についてもすべて自身でパフォーマンスしている。そのクォリティが筋金入りのボブ・ディランのファンにも文句の付けようのないレベル。当時のボブ・ディランを知るベテラン・ミュージシャンからも賞賛が集まるレベルなのだから驚く。
近年、チャドウィック・ボーズマンの演じるジェームズ・ブラウン、ラミ・マレックが演ずるフレディ・マーキュリー、オースティン・バトラー演ずるエルヴィス・プレスリー、キングズリー・ベン=アディル演ずるボブ・マーリーなどを見てくる中で、ミュージシャンを演ずる俳優の演技がかつてない質を獲得してきていると感じていた。だが、『名もなき者』でのシャラメはさらに天井を突き破り、違う次元に抜け出たようにも思う。
似てる似てないで言えば、ディランとシャラメはまったく似ていないはずである。だが、冒頭からすっと映画に引き込まれ、若き日のディランを見ているような気持ちになったのは、俳優としての演技力以前に、彼が備えている教養ゆえに思われた。思えば、2017年の『君の名前で僕を呼んで』でもシャラメはミュージシャン志望のティーンエイジャーを演じていて、さらっとピアノも自分で弾いていた。この映画のための俄か勉強ではない、音楽や歴史に対する教養を彼は備えている。だから、1960年代初頭のニューヨークに降り立ったディランを演じても、かくも無理がないのだろう。そう思えたので、僕は安心して映画の中に入り込むことができた。
ただ、そんなシャラメが演ずるボブ・ディランは、この映画では最初から革命的な音楽を携えた天才として描かれる。何がボブ・ディランを作り出したのか、という物語はこの映画の中にはない。19歳のディランは映画の始まりから独創的なシンガー・ソングライターとしてほぼ完成されているのだ。ウディ・ガスリーに心酔していたということ以外には、彼が何を養分としてきたのかも、この映画ではほとんど分からない。
2005年のマーティン・スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』には、ロバート・アレン・ジママンからボブ・ディランへと変身する以前の彼の姿が描かれている。最初はピアノ弾きとしてミュージシャンになり、エレキ・ギターも早くから弾いていた。レコード・マニアでもあったことなどが分かる。詩人としてのディランはランボーやウィリアム・ブレイク、アレン・ギンズバーグなどに影響を受けていた。読書家だったのだ。だが、『名もなき者』はそういう彼のバックグラウンドに迫るようなミュージシャンの伝記映画ではない。
映画のストーリーも、史実には比較的忠実ではあるものの、描きこまれるエピソードの濃淡が激しい。ボブ・ディランのことをよく知る人ほど、そこで引っかかりを覚えるかもしれない。だが、どこを捨象して、どこをクローズアップしたか、それを書籍などで知られる史実と見比べていくと、映画が何を描こうとしたかは見えてくる。
ティモシー・シャラメ演ずるボブ・ディラン
僕が映画を見始めて、まず驚いたのはニューヨークに出てきたディランが最初に入った店で、偶然、最初に言葉を交わすのが一目でデイヴ・ヴァン・ロンクだ! と判る髭男だったことだ。ディランはロンクからウディ・ガスリーが入院している病院のことを聞き、その日のうちに病院を訪ね、そこでガスリーの見舞いに来ていたピート・シーガーとも出会う。何というスピーディーな展開。もちろん、史実とは異なる。ロンクの自伝『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが輝いていた頃ーデイヴ・ヴァン・ロンク回想録』を読むと、ロンクがディランの姿を最初に観たのはヴィレッジのコーヒーハウスで、フレッド・ニールと一緒に歌っていた時だったいう。ロンクよりもシーガーよりも、ニールが先にディランを発見していた訳だ。

ディランはヴィレッジに来た頃の目標はデイヴ・ヴァン・ロンクのようになることだったと自伝に記している。ところが、『名もなき者』ではロンクは歌うシーンもなく、ディランに病院の行き方を教えただけの役で終わってしまう。映画の製作陣がロンクのことをよく知らないはずはない。『名もなき者』の原作は2015年に出版されたイライジャ・ウォルドの著書『Dylan Goes Electric!』(映画公開と同時に『ボブ・ディラン 裏切りの夏』のタイトルで邦訳が出る)だが、ウォルドは先述のデイヴ・ヴァン・ロンクの自伝の共同執筆者でもある。ということは、映画は意図的にロンクを物語から早々に弾き出したのだ。

代わりに、ディランのフォーク・シーンでの成功を導く重要人物としてクローズアップされるのがピート・シーガーだ。《Columbia Records》のプロデューサーであるジョン・ハモンドやトム・ウィルソン、ディランのマネージャーになるアルバート・グロスマンなども登場はするが、映画ではディランとシーガーの関係が大きくクローズアップされる。なぜか? といえば、それはディランがエレクトリックに進み、フォーク・シーンを裏切っていくというストーリーの中で、旧世代のフォークの象徴的存在として描かれるのがシーガーだからだ。
エドワード・ノートン演ずるピート・シーガー
ピート・シーガーはボブ・ディラン以前のフォーク・シーンを代表していた。40年代にはウディ・ガスリーを含むアルマナック・シンガーズで活動。50年代にはウィーヴァーズを結成し、レッドベリー作の「Goodnight Eileen」を取り上げて、通算200万枚以上のセールスを挙げるなど、巨大な成功を手にした。自作曲では有名なのは無数のカヴァーを生んだ「Where Have All The Flowers Gone?(花はどこへ行った)」。しかし、シーガーが曲を多く自作するようになるのは1960年代以後で、それ以前の彼は様々な土地の民衆歌を見つけ出しては、親しみやすい形に改作して歌う名手だった。後に「The Lion Sleeps Tonight(ライオンは寝ている)」として知られるようになる南アフリカの曲「Mbube」を見つけ出し、「Wimoweh」というタイトルでカヴァーして、最初にヒットさせたのもウィーヴァーズだった。
シーガーには『虹の民におくる歌: 花はどこへいった』というタイトルで邦訳された著書がある。そこでシーガーは数多くのフォーク・ソングの採譜、解説とともに、自身の人生を語っているが、なぜかボブ・ディランについての記述は一切ない。映画『名もなき者』ではシーガーが19歳のディランを発見し、後押ししたと描かれているのに。なぜ、シーガーはディランについて自伝で何も触れなかったか? それはディランこそは、彼が友人達と築き上げてきた文化の破壊者だったからだろう。

『虹の民におくる歌: 花はどこへいった』
著者:ピート・シーガー
出版:社会思想社ボブ・ディラン登場以前のフォーク・シンガーは民衆歌を拾い上げて歌うことを活動の中心とした。自作の曲を歌うことは、フォークに対する冒涜とすら考えらえていた。ディランの登場以前にグリニッチ・ヴィレッジで活動していたコニー・コンヴァースという女性シンガーがいる。自作曲を自宅録音していた彼女は現代ではボブ・ディランやジョニ・ミッチェルの先駆と考えられているが、当時のフォーク・シーンではまったく認められなかった。なぜなら、彼女は自身のことを綴った自作曲しか歌わなかったからだ。
2009年に発売されたコニー・コンヴァース作品集
2023年にハワード・フィッシュマンが著したコニー・コンヴァースの伝記本『To Anyone Who Ever Asks: The Life, Music, and Mystery of Connie Converse』の中で、フィッシュマンは“50年代のフォーク・シーンでは、フォーク・シンガーが一人称の「私」を歌う時、それは「農夫」や「炭鉱夫」でなければいけなかった”と書いている。男性を非難する歌や満たされぬ性的欲求を匂わせた歌などを歌っていたコンヴァースは、まさしく現代のシンガー・ソングライターの原型と言っていいが、彼女のような存在はアコースティック・ギターを手にして歌っていても、フォークではなかったのだ。

『To Anyone Who Ever Asks: The Life, Music, and Mystery of Connie Converse』
著者:Howard Fishman
出版:Dutton 購入はこちらそんなフォーク・シーンを一変させたのがボブ・ディランの登場だった。エレクトリック・ギターを手にして、ステージに立つ以前に、ディランは時代の空気を歌い込んだ独創的な自作曲を次々に発表し、フォークの意味を書き換えてしまった。シンガー・ソングライターの時代を引き寄せたと言ってもいいだろう。映画『名もなき者』はそんなディランと旧世代のフォークの対決を描いているとも言える。
思えば、ジェームズ・マンゴールド監督の対決の構図作りが上手く、史実をよく知らない観客でも、そこに引き込んでいく力がある。その点では『名もなき者』は同監督の2019年の映画『フォードvsフェラーリ』にも似た感触がある。本作では観客はアラン・ロマックスを最大の敵役として見るだろう。1930年代、19歳の時からフィールド・レコーディングの旅を続け、アメリカのフォーク・シーンの基礎を形作ったロマックスは、ディランと同じように革命的な存在だった。僕のヒーローの一人と言ってもいい。だが、この映画中のロマックスはディランを何とかコントロールしようとする旧世代の長老的な描かれ方をする。
ディランを後押してきたシーガーは、そんなロマックスとディランの間に挟まれる。しかし、シーガーのキャリアはハーヴァード大学を中退した19歳の時に、米議会図書館でロマックスのアシスタントの仕事を得たことから始まっている。シーガーにシンガーとしての初舞台を与えたのも、ウッディ・ガスリーと引き合わせたのもロマックスだ。そして、最後にはシーガーは恩人であるロマックスの側につき、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルのステージでディランがエレクトリック・ギターを手に演奏を始めると、それを阻止すべく、ケーブルを叩き斬ろうと斧を持って歩き出すのだ。
考えてみると、ロマックスを筆頭に当時のディランの周囲にいた男達は『名もなき者』の中ではあまり良い描き方はされていない。シーガーもアルバート・グロスマンも、彼らの巨大な業績に照らしたら、どこか滑稽なキャラクターに見える。ボブ・ディランについても、天才ではあっても、一人の人間としては好ましい奴ではない。ジョニー・キャッシュやボブ・ニューワースといったミュージシャンが男気を光らせる瞬間に、音楽ファンとしては、ちょっとだけ心救われる。そんな映画でもあった。
モニカ・バルバロ演ずるジョーン・バエズと(左)
だが、男達とは極めて対照的に、映画の中の女性達はとても魅力的だ。モニカ・バルバロ演ずるジョーン・バエズ、エル・ファニング演ずるディランの恋人のシルヴィ(実在のモデルはスージー・ロトロ)。聡明で、奥行きのある人格を持つ彼女達がボブ・ディランとは何者だったかを描いていく、という構造も映画は持っている。音楽経験はほとんどなかったというバルバロのパフォーマンスもバエズ本人に賞賛されるクォリティで、アカデミー賞の助演女優賞ノミネートも当然と思われた。
僕が映画中、ずっと注目していた女性はもう一人いた。それは初音映莉子演ずるトシ・シーガーだ。ピート・シーガーが自宅にディランを連れ帰った晩から、彼女はボブ・ディランをめぐる物語の静かな観察者となる。セリフこそ少ないが、トシは映画の様々な場面で、カメラのフレームの中にいる。僕はトシ・シーガーの経歴について、ほとんど知識を持っていなかったが、調べてみると、驚くべき女性だった。米国人の母と日本人の父の間に生まれた彼女は、1943年、第二次世界大戦の最中にピートと結婚している。彼女は音楽学者であり、映画監督であり、様々な文化的活動あるいは政治的な活動にも関わったアクティヴィストだった。《Newport Folk Festival》の設立にも関わり、理事を務めた。映画中にも登場するピートのテレビ番組『Rainbow Quest』のプロデューサーでもあった。映画中にずっと彼女の姿があったのは、ただ単に彼女がピートの妻だったからではないのだ。
そんなアジア系の女性が当時のフォーク・シーンの中心にいたことをどれだけの人が知っているだろうか。現代ではトシ・シーガーはそれこそUnknownな存在だろう。多くの知られたエピソードは切り捨てて、そこをクローズアップしようという意思をジェームズ・マンゴールド監督が持っていたのは明らかだ。そして、すべてを見通すような、冷静な観察者に見えたトシが映画の最後では、歴史的な出来事を支える決定的な存在として光を浴びる。斧を持って、ディランのステージ続行を阻止しようとしたピートの前に、トシが立ちはだかるのだ。
これが実際にあった出来事かどうかは疑わしい。1965年の《Newport Folk Festival》の内側のことはプロデューサーのジョー・ボイドの自伝『White Bicycles: Making Music in the 1960s』の中に興味深い記述がある。ボストンの大学生だったボイドは、フォーク・シーンの裏方となり、その年の《Newport Folk Festival》ではスタッフとして仕事した。ディランのエレクトリックな演奏が始まった時、アラン・ロマックスやピート・シーガーの伝令として、PA席に音量を下げるようにと言いに行かされたのはボイドだった。

PA席にいたのはレコード・プロデューサーのポール・ロスチャイルドとピーター・ポール&マリーのピーター・ヤーロウ。二人はボイドの言葉を意に介さず、音量を下げなかった。ボイドはあっさり引き下がった。というのも、ボイド自身はロマックスのフォーク観を支持していなかったからだ。当時のフォーク・シーンにはアラン・ロマックス派とハリー・スミス派の対立のようなものがあり、ボイドがいたボストンのフォーク・シーンはハリー・スミスの影響が強かったのだという。ディランのエレクトリック演奏を目撃した彼は、翌年にはロンドンに渡り、《UFO Club》をオープンして、ピンク・フロイドを発掘。フェアポート・コンヴェンションやニック・ドレイクなどのブリティッシュ・フォーク勢も数多く手掛けるプロデューサーとして大成する。
シーガーはディランの演奏が始まった時、ケーブルを斧でぶったぎってやりたいと口走っただけで、実際に斧を手にした訳でなかったようだ。しかし、映画『名もなき者』ではディランの歴史的な演奏は、マイノリティーの女性によって護られる。これには衝撃を受けた。この音楽映画の現代性を象徴するシーンだと思った。(高橋健太郎)
エル・ファニング演ずるシルヴィ・ルッソ(左)
モニカ・バルバロとのシーンのほか、映像後半には出演俳優たちのインタヴューも
Text By Kentaro Takahashi

『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
2月28日(金) 全国公開
監督 : ジェームズ・マンゴールド
出演 : ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック
配給 : ウォルト・ディズニー・ジャパン
©2025 Searchlight Pictures. All Rights Reserved.
公式サイト
https://www.searchlightpictures.jp/movies/acompleteunknown

Original Mortion Picture Soundtrack
『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』
LABEL : ソニー・ミュージック・レーベルズ
RELEASE DATE : 2025.02.28
購入はこちら
Tower Records / HMV / Apple Music /
Amazon