Zamboaの新作『未来』と、現在の音楽制作をめぐって
対談:Zamboa澁谷亮×岡田拓郎
『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』が、二人一組で個人の弱点を補完し合いながら戦闘を有利に進める「M.A.V.(マヴ)戦術」を提案する以前から、すでに二人組編成によってマキシマムな効果をその音楽に反映していたバンドがある。それが、本記事の主人公となるZamboa(改名前はKlan Aileen)である。
Zamboaはポストパンクやサイケデリック・ロックを基軸に、2016年の『Klan Aileen』でノイジーなポストパンク〜ガレージロック、2018年の『Milk』ではクラウトロック的なビート&サウンドを展開しながら、その音楽性には単なるジャンル名を超えて言及せざるを得ない幅広いリファレンスが匂い立っていた。
2016年当時から同時期のOGRE YOU ASSHOLEやミツメと比較しても、Zamboaの音楽はそのダークかつドープな音像やノイズ遣いにより、すでに孤高の存在感を放っていた。また近年、二人が運営するレーベル《Jolt! Recordings》やヴォーカル/ギターの澁谷亮のレコーディング・エンジニアとしての活動も含めてジャパニーズインディーシーンの一翼を担い、その足跡を見逃せない存在でありつづけていた。
Zamboaの音楽における重要な要素として、深遠な残響やドローン的な音像が挙げられる。『Klan Aileen』の「Adrift」や「女の脳裏に」、また『Milk』の「再放送」や「元旦」などの楽曲において、こうした要素は顕著に表れている。『Milk』がイヴ・トゥモア『Serpent Music』や横田進『Acid Mt.Fuji』を参照していたことが示す通り、アンビエントやテクノをロックバンドの形式で解釈しようという視点が、彼らの音楽を「聴いたことのない」ものにしているのは明確だ。唯一無二という陳腐な表現を持ち出すこともできるが、(リファレンスの参照階層が深ければ深いほど音楽的にすぐれていると考える筆者としては、)Zamboaの音楽は「新しい音楽こそがすぐれている」を体現する稀有な例であり、過去の歴史の一部となった音楽と現在の音楽それぞれの感覚を持ち合わせることで、常にアクチュアリティを失わない刺激的なものでありつづけるのである。
Zamboaへの改名後初のリリースである『未来』は、すでに明らかにされている通り、ディス・ヒート『This Heat』に倣い、スタジオ内のリハーサルや音出し、会話までのすべてを録音したデモをベースに制作された作品である。このように、アンプログラマブルな「偶発性」を取り込みながらも『未来』はその音の配置と構築によって「必然性」をもって聴き手へと迫るのである。偶然によって進行しているかに見える時間や現象もじつはあらかじめ決定されていると、カルロ・ロヴェッリが『時間は存在しない』で示したように。
『未来』のサウンドも、まずそのダブ的な音響の深さに魅力がある。先述の残響/アンビエンスはもちろん強化されているが、『未来』はより構築的で、雑音とアンビエンスのあいだ、もしくは音の密集と間隙とのバランスが、ちょうど快楽を生みだす配分で編集されていることに気づくはずだ。たとえば、『Milk』の冷たい響きが深海に例えられるとすれば、『未来』は森林のざわめきのようだ。「メトロポリス」や「朶雲」のギターの音は、グレン・ブランカの作曲のように数人〜数十人の演奏者をイメージさせる密度の高いものであるし、「喫煙室」などで聴かれるギターの和音は必ずしも澄んだものではなく、それらにも森林のざわめきが感じとれるだろう。また代表曲「元旦」の続編とも解釈できる「ひばりの朝」を聴けば、呪術的なドラムスの音処理にも陶酔的なサイケデリアが宿っており、空間を甘く満たす太鼓と声の残響は、ツーピースという形式でしか得られなかったものと言えるだろう。また、澁谷は『Milk』リリース後に、「次はプロダクションよりソングに行きたい」と語っていたが、それを裏付けるようにソングライティングの比重も大きくなった点も特筆に値する(しかし同時にプロダクションも強化されている!)。
またあるいは、Zamboaのリリックに見られる、語感を生かしたユーモアと、どこか世間の暗鬱なムードを映し出してしまう様子も大きな魅力だ。「変な人に憂鬱になるよ/俺もひとり狂い出すように」(「大乱闘」)。「まだまだ平均の輪は着かない/でも暇になりゃ味変えてオナニー」(「いしてっ」)。以前から存在した苛立ちと諦念のフロウに、サイファイな没我も加わり、ことばのニュアンスはより重層的に。
そういえば澁谷はかつてTwitterで、『Milk』収録の「Masturbation」を「(『おそ松さん』の)十四松みたいな曲」と表現し、またZamboaの音楽で表現したいことを漫画『よつばと!』の一コマを挙げて例えていた。筆者はこのような、フィクションと日常との行き来と共存、ユーモアとアイロニーと本音の境界を超えることこそが、Zamboaの音楽の本質を成すテーマであると思う。
さて、本記事の本題へと移る。今回はZamboaの澁谷と、彼と親交の深い岡田拓郎の提案により、この二人の対談を執り行った。二人はそれぞれの作品はまったく別物に見えはするものの、岡田とROTH BART BARON・三船雅也との《BIZARRE TV》での共演や、Taiko Super Kicksの作品制作など多くの接点を持ち、また音楽制作や録音への姿勢の近さから、今回の対談が実現した。さらに、Zamboaが『未来』を含む作品のストリーミング配信を開始し、岡田拓郎も3月7日に初の海外リリース作品『The Near End, The Dark Night, The County Line』が発表されており、ますます二人に注目していきたいタイミングだ。二人の和やかなムードや、プレイヤー目線のディープな話題を含めて、ぜひ楽しみ読んでほしい。
※対談は昨年12/5にZoom上にて行われた。(インタヴュー・文/髙橋翔哉 協力/岡村詩野)

Talk Session with Ryo Shibuya (Zamboa) and Takuro Okada
「Zamboaのアルバム聴いて、『こんな気骨あるロック久々に聴いたわ』って」(岡田)
──まずお二人は、どういう形で交流が始まったのか、そのあたりからお話を聞かせてもらえますか?
澁谷亮(以下、澁): はい。2018年に私たちが出した『Milk』っていう作品があるんですけど、その作品をきっかけに、岡田くんからの「褒め」が発生して(笑)。《Hostess Entertainment》っていうレーベルに当時所属していて、岡田くんも『ノスタルジア』のリリースで関わってるんだよね?
岡田拓郎(以下、岡): うん、《Hostess Entertainment》から出してたから。
澁: だよね、一瞬レーベルメイトみたいになってた時期があって、内部の人から「岡田くんクランのこと気になってるみたいだよ」っていう噂を聞いてたんですよ。
岡: 噂なの(笑)
澁: あの岡田拓郎が?って思って、ぜひ話してみたいなとは思ってたんです。『Milk』の中に「元旦」という10分間同じことをやり続ける曲があって、その曲をえらい褒めてくれたのがきっかけで、話したりラジオに出てもらったりとかして、近年でいうとTaiko Super Kicksの作品づくりに、私はエンジニアとして、岡田くんはプロデューサーとミキシングエンジニアとして、一緒に携わったという経緯があります。
岡: そうだよね。気づいたら話したり遊ぶようになってたけど、はじめはなにで会ったか覚えてないな。存在自体を知ったのは俺はあれだね、随分前に《ココナッツ・ディスク》に行ったタイミングで、クランのカセットが置いてあるのを見つけた。
澁: 結構昔だね。2015年とか?
岡: そうだね、そのぐらいに「こんなバンドいるんだ」って知った感じかな。その後に『Milk』が出たときに、「元旦」がやばいぞっていうので、会う人会う人に「『元旦』聴いた?」みたいな(笑)
澁: そうらしいんだよね。
──ROTH BART BARONの三船さんと岡田さんがやっていたYouTube(「BIZARRE TV」)にも、澁谷さんが出演されて、そこで話している回もありましたよね。
澁: それが初めてですね。
岡: 会ったのあれが初めてか。イヴ・トゥモアにハマってるみたいな話したよね。
*“BIZARRE TV” – 三船と岡田 – 『 Ryo Matsuyama from Klan Aileen ① 』#27 – YouTube
──Taiko Super Kicksのアルバムへの裏方としての共演以外に、過去にKlan Aileenと岡田さんのコラボレーションとして、なにか作品を発表したことはありますか?
澁: いや、それはないですね。一度ライヴで共演する予定だったときにそういうことをやろうと言ってたんだけど、コロナでイベント自体がなくなってうやむやになって、共作はやったことないね。
岡: うん。今日たまたまファイル整理してたらさ、1曲遊び的に作ったやつが出てきたよ。「Klan Aileen+OKD」ってファイルがあって(笑)。これね、改めて聴いたら結構面白かったから、どこかでやりたい。
澁: 忘れた頃に聴くといいんだよね(笑)
岡: こういうのってね(笑)。あと、それこそ「元旦」のリミックスとかどこいったの?
澁: やってくれたんだよね(笑)。そうなのよ! なんか『Milk』自体が旬を過ぎた感があったからどこで出そうかなと。
岡: タイミングがね。でも、また別でなんかあったら。
澁: このインタヴューきっかけにまとめられたら俺も嬉しい。
***
「自己愛だけで自分の作品を評価したつもりになっている人は意外といるなと思ってて」(澁谷)
──岡田さんはKlan Aileenのころから『Milk』を絶賛されていましたが、岡田さんがKlan AileenやZamboaの音楽を評価されているポイントはどのあたりなのでしょうか?
岡: 今日も考えたけど、なんか好きなんだよね(笑)。ロックというかポストパンクというかそういう音楽が持つ……凶暴さっていうか、暴力性だったり猥雑さだったり……北野映画に出てくるような雑居ビルっぽい感じのムードっていうか、きわめて日本的ではあって。こういうポストパンクの人たちとかディス・ヒートがやってたようなエッジが立った音楽を日本人でもこんなクールにできるんだ、っていうのが惹かれたところだったかな。日本のニュー・ウェイヴ/ポストパンクの文脈ももちろんあるけどそれとは一味違うって、一番初めに聴いたときに思ったかな。よくあるおどろどろしい妖怪みたいな感じというか、いわゆる横文字の“ジャパニーズ・アンダーグラウンド”みたいに呼ばれてしまう音楽への冷静な視点を感じた。
澁: ありがとう。
岡: どういたしまして(笑)
澁: (笑)。ただポストパンクにしてもサイケデリックにしても、俺は間借りしてるっていう感覚はあって。どっちにも属していないというか属しきらないというか。やっぱりロックという大雑把な括りがちょうどいいかなと今は思ってる。
岡: ハハハハハ。ロックって難しいよね。俺も喋りながら「ロック」って言うか迷った部分もあるけど、でもやっぱロックだなって思った(笑)
澁: だよね。もうロックってほぼ無価値な言葉だもんね(笑)。なんの象徴にもなっていないというか。
岡: 元々自分たちが10代のときはUSインディーとかが面白かったから、過去の音楽──カンとかディス・ヒート、ピンク・フロイドとかビートルズみたいな音楽と、リアルタイムのインディー・ロックの面白さみたいなのが接続できた時代だったとは思うけど、やっぱり今やロックってなんだろうねっていうふうには思うよね。
澁: 思うよね。
岡: と言いつつ、Zamboaのアルバム聴いて、「こんな気骨あるロック久々に聴いたわ」っていうのがやっぱ一番初めに思ったことだったよね。
澁: うん。なんか昔そういう話したよね、骨太なロックやりたいみたいな。
岡: 骨太なロックね(笑)
澁: 「岡田くんにもその気持ちあるんだ」って当時びっくりして。
岡: (笑)
澁: 岡田くんにシンパシーを感じるところもめっちゃあるし、自分の知らないことを知っているとか自分にないものを持ってるとかって尊敬するとこもあるけど、基本的にアウトプットとしてはそんなに似てないじゃない? でも根幹で繋がってるんだっていうのは結構感動した。
岡: 気骨があって骨太なロック、やっぱやりたい(笑)
澁: ハハハ。岡田くんの音楽はさ、世界の音楽的な潮流に割と即していて……やっぱアンビエントっぽいジャズとか「今っぽ〜」とかって思うんだけど、でも決して「お前らってこういうの好きだよね」みたいな媚びがないというか(笑)。「これを『A Love Supreme』のカヴァーって言い張るんだ、すご〜!」みたいな徹底した厳しさはあるから、なんかそういうとこが好きですね。
岡: ハハハ。お互い比較的厳しい音楽やってるよね。今のミュージシャンの中では、たぶんきわめて厳しい方ではあると思う。
澁: そういう気持ちはあるよね。
岡: そうだね。
澁: 俺、いま普通に働いてて、もの作る系の仕事をしてるんだけど、ものづくりしてるのに、思い入れみたいな自己愛からはみ出さない状態で、完成まで持っていく人って意外と多いなと思ってて。
岡: というと?
澁: 批評性なしに、思い入れだけで作品を完成させることってできるじゃん。「頑張ったから」とか。
岡: これは今好きだからとか。
澁: でも、9割くらい自己否定のなかで一瞬でも自分を肯定できる瞬間がある、っていうサイクルに乗っからないとさ、作品って完成しないじゃん。だけど、自己愛だけで自分の作品を評価したつもりになっている人は意外といるなと思ってて。
岡: うん。今がそうっていうよりは昔からそうなんじゃ?と思う部分もあるけどね。
澁: まあね。
岡: 作品の持つ批評性について考える人が少ないんだなってのはたしかに思う……、でもオルタナティヴとポップスの決定的な違いは、やっぱりそこにあるなと思ったりもするね。きわめて厳しいポップスももちろんあるけど。
澁: めっちゃあるね。
岡: うん。ただそういうことを考える人は少なくなってるような気がするよね。最近ジャズ批評のバックナンバーを読んでて、1969年〜71年あたりのジャズが、ハード・バップから行きついた先のフリー・ジャズも行きすぎちゃって、ここからなにしようかっていうときに、作品にどう意味を持たせるか、自分たちがなにを見出すか、とにかく先が見えないみたいなタイミングの雑誌で(笑)。あの時代って、今みたいに例えばハービー・ハンコックの新譜が出たとして、世の中の人はこの作品をこういうふうに聴いてるんだみたいなのが簡単に知ることができない時代だったから、そんな時代の人たちが書いた音楽に関する文章って、音から色んなことを想像するしかないからただの情報じゃなくて詩みたいに感じるんだよね。ジャズ批評のバックナンバーは聴き手の話だけれど。
今話してたことも、その感覚に近いことのような気がするんだよね。いつもなぜ今の時代にこの作品を作るのか、ということは作る時も聴く時も自然と考えちゃうけど、そういうのは自分たちが10代の頃に聴いたり読んできたものがそうだったからなんだよね。そうした一つの音楽に対する執着みたいなものはたしかに今の時代薄れていっているようには感じる。だから島崎(森哉)くんの《ele-king》の文章とか、昭和のライターが書いたみたいだって話したけどそういうことかもな(笑)
澁: 言ってたよね、今日の昼にLINEでちょっと話してたんですよ。《造園計画》ってレーベルやってる島崎森哉くんが《ele-king》に『未来』のレビューを寄稿してくれたんだけど、愛のある文章だよなと思って。“褒め”らしきものが一つも見当たらないのに、そこにめちゃくちゃ愛情があることがわかる。例えば作者が「これは誤読だよ」って言っても絶対に訂正しない強さがあるんですよ、「でも俺はこう思うんで」みたいな。彼みたいな存在は非常に貴重だよなと思ってるし、例えば彼は俺が売れようとしても批判しないと思うけど、安直な音楽を作ったら黙って離れていくと思うんだよね(笑)
岡: (笑)、でもよくわかるよ。
澁: 発売前に試聴会をやって、6年ぶりにアルバム出すからちょっとウェルカムムードかと思ったんだけどさ、ガチで葬式みたいな雰囲気でさ(笑)。みんな一人でくるのよ、友達連れとかじゃなくて。
岡: アハハハ!
澁: みんな『エヴァンゲリオン』の劇場版を観にくるような顔で来てて(笑)。この作品がどのぐらい響くのか全くわかんないからさ、思い出すだけで口の中が乾いてくるんだけど、あの雰囲気。

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岡: そんなことがあったんだ(笑)
澁: 本当にリスナーも厳しいんだなと思って(笑)
岡: そこまで来る人たちは厳しい人たちだろうけど。
澁: ね、お金払ってまでアルバム聴きに来る人だからね。
岡: これは興味本位で訊くけど、どういう人が来るの?
澁: 結構、老若男女なんだよね。
岡: ライヴもそんなイメージだ。
澁: 男女比でいうと若干男の人が多いんだけど、女の人も20代前半ぽい子もいれば、40代ぐらいの人もいるし。『Milk』から作品出してない6年のあいだに初めて知りましたみたいな人もいたりとか。結構バラバラで、知った顔ばっかりかなと思ったんだけどそうでもなく。
岡: どこかで聴かれ続けてるんだ。6年も経ったんだね。
澁: いやー経ったよ、すごいよね。
***
「何年何月にこういうこと思ってた人がいた記録って、なにか響くんじゃないかなって」(澁谷)
澁: そのジャズ批評の本はさ、今でも知ってるライターの人とか書いてるの?
岡: 面白いことに、ほぼいないんだよ。何十人書いてて、本出してる2人か3人は名前を知ってたりするけど……ジャズのライター自体をそんなに詳しくないから何とも言えないけれど、今じゃほとんど知られてない人が大多数かなあ。
澁: それって一種のファンダムだよね。
岡: そういうことになるよね。
澁: だよね。ファンカルチャーの延長として、そういう本が存在したっていうことだよね。
岡: だし、結構読者投稿みたいなのもあって。田舎のほうの18歳が「チャールズ・ミンガス聴きました」ってすごいリリカルな文章書いてて、そういう時代だったよなっていう。音楽を聴いて音からなにかを想像することが当たり前のことだったし、自分たちも10代の頃に音楽聴いてたときってそういうふうに聴いてて。だから、ピンク・フロイドのあの曲の何秒にあの音が入ってくるみたいなのは今でも覚えてることもあるけど。
澁: 俺、なんかそういう話好きなんだよね。スージー・アンド・ザ・バンシーズってイギリスのバンドいるじゃん?
岡: よく知らないや。
岡村(編集部): ザ・キュアーのロバート・スミスが一時期バックをやっていましたよね。
澁: いや、実は私も全然通ってなくて。ただこのスージー・アンド・ザ・バンシーズって、元々はセックス・ピストルズの親衛隊なんだよ。
岡: 親衛隊がいたんだ、ハハ。
澁: そう、俺、親衛隊って概念好きでさ(笑)
岡: ちょっとよくわかんないかも(笑)
澁: ほんと、わかんない!? なんだろうな……今で言う「推し活」とは熱量が違うじゃない。親衛隊って存在があったことを知ってると、推し活って所詮自己表現の一種みたいに感じるけどさ(笑)、親衛隊って結構信じられるよな、みたいな。
岡: なるほどね。
──澁谷さんは、ある時期から自身の作品を言語化することに力を入れていると感じます。それは先ほど話していた、自己肯定と自己否定の話ともつながると思うのですが、同時に批評や親衛隊的カルチャーの呼び水にもなるとも感じます。自身の作品を言語化しようとする動機について、どのように考えていますか?
澁: 自分の作品に注釈をつけるのは、野暮といえば野暮じゃないですか。注釈にはならないように、補助線ぐらいになる温度感で書くようには心がけている、でも今回はちょっと語りすぎたなとも思ってて(笑)。例えば、今日岡田くんと話してたんだけど、『未来』のレコードの付録にはレコーディングシートっていって、ドラムのマイクセッティングとか機材一覧とか載ってるんですよ。これは日本の古いジャズレーベルの《スリー・ブラインド・マイス》がやってたっていうのを知ってたから、こういうのやりたいなとは思ってたの。
岡: 鈴木勲のレコードとかも、キックにこのマイク使ったみたいなの書いてあるよね(笑)
澁: そうそう。ウッドベースにこのマイク立てるんだ!とか。
岡: レコーディングシートに書いてあったから、ソニーのC-38Bをキックに立てるんだとか思いながら見てたけど。でも、ああいうのを見て若いミュージシャンとかリスナーの人で、大切にしまっておいて活用してくれる人がどこかにいると、信じたいとこってあるよね(笑)
澁: あるよね。あと、ZINEでもレコーディングシートでも、女の子でも読めるみたいなのは心がけてて。
岡: と言うと?
澁: こういうギーク的な話って多分めちゃくちゃ「男子」だから。でもそこに物語性とか主観とかを入れれば、読み物として読んでもらいやすいかなと思ってて……。俺、なにかを書いたとき、必ず書き終わった日付を入れてるのね? 不思議なことに、年月が経った後にその日付を見ると感じるものがあるんだよね。そういうのって読む人にとっても大事な気がしてて、例えば何年何月にこういうこと思ってた人がいるって記録って、なにか響くんじゃないかなって。それが文章を書く意味の大部分な気すらしてる(笑)
岡: うん(笑)。10年前に書いたブログをふとしたときに読み返してグッとくるみたいなことってあるよね。自分の日記とかも大事っていうか、昔の思ってたこととか忘れちゃうよね。
澁: 忘れる! 忘れるね。
岡: 俺も日記とか書いてたから、20代のころ毎日天井を見ながらずっと音楽のこと考えてたけど、いまその頃の日記とかたまに読みかえすと若気の至りもありつつそれでも熱い思いがあって、こんな気持ち忘れかけてたなあなんてことはあるよね。人ってあんなに熱を持ってたことも、5年とか経つと忘れてしまうんだよ。
澁: たしかに……天井を見つめてグルグル考えてる時間は俺もめちゃくちゃあった。今は移動とスーパーで買い出ししてる時間がそれになって、考え事に集中しすぎてカゴが空のまま10周してるみたいなことがよくある(笑)俺、動画撮る時とかも「今日は何年何月何日です」って言うようにしてて。そうするとたった1ヶ月前とかでも、結構ノスタルジーを感じるんだよね。
岡: よくわかる。でも結局今こうやって生きてるのも、過去の積み重ねでしかないからね(笑)。いまお茶飲もうって思ったのも、いつかのなにかのきっかけがあってこの選択をしてるところもあるし。
澁: 運命論的な。
岡: (笑)……人がなにかを選択するのは過去の経験の積み重ねというか……全然アルバムの話にならないけど大丈夫?
澁: ハハハ!
***
「誰しもいつかやってみたいなとは思うけど、本当にやった人はディス・ヒート以外に俺は知らない(笑)」(岡田)
澁: 俺と岡田くんの共通点として話そうとしてたことがあって。お互い特定のレコーディング・エンジニアの人とゆるく師弟関係があるんだよね。岡田くんは葛西(敏彦)さん、私は《ツバメスタジオ》の君島(結)さんと。
岡: 君島さんは今回のアルバムに関わってない?
澁: 今回はマスタリングをお願いしたのと、ちょっとだけスタジオ使わせてもらったところがあるかな。
岡: どの曲?
澁: 「朶雲」のリズム・パターンが変わるところわかるかな?
岡: あれだ、変拍子っぽいところからリズムチェンジするところだ。
澁: ドーンってなって、そこから頭打ちになるでしょ? タツタツタツタツ…のパートの後に、ちょっとR&Bっぽいリズムになるとこがあって(笑)
岡: その視点で聴いてなかった(笑)
澁: あそこ、たしか《ツバメ》で録った気がするな。
岡: でも、ドラムとかは本当に、違う日とか違う場所のテイクが混じってるんだ。
澁: 混じってるね。細かくエディットはしないけど、ここからここはこのテイクみたいな、でかいエディットはしてる。
岡: 今回はリハーサルも全部録る方式でしょ? それは結構びっくりしたかも。誰しもいつかやってみたいなとは思うけど、本当にやった人はディス・ヒート以外に俺は知らない(笑)
澁: でも、リハスタでさ、今の録っておきたかった〜って瞬間めっちゃない?
岡: めっちゃある。
澁: めっちゃあるよね。
岡: ちょうどメモしてたんだけど、レコードのアルバムの文章でさ、結構いいこと書いてるなって思ったんだよな……。
*「リラックスした演奏のタッチ」「大胆さ」「無計画さ」を、テンポの変化や揺れ、演奏ミスやアクシデント、環境ノイズ等のさまざまな形で捉え、それをアナログテープとミキシングコンソールを使ってミックスすることにより、原始的な「記録」としての迫力と緊張感を携えている。Zamboa – 『未来』|Jolt! Recordings
かつてのテープ録音時代のレコードのように、みたいな意味合いもあると思うけど。なぜ無計画さとかミスタッチって迫力に感じるんだろう、すごく魅力的なんだろうっていうのは、理由はうまく言えないなって思ったんだよね。
澁: 俺、そういうものに価値というか、好きだって感じはじめた明確なきっかけを覚えていて。活動初期によくライヴの写真を撮ってもらってた岡田貴之さんっていうカメラマンの人がいるんだけど。1回、下北の《GARAGE》でお客さん1人の前で演奏したことがあって、そのとき岡田さんがきてくれて、お客さん1人なのに、なんか力んで弦が切れたんだよね。
岡: ほう(笑)
澁: たしか暴れた拍子にギターのヘッドがどこかにぶつかって、弦も切れるはチューニングも狂うわで最後の曲がめちゃくちゃになって。別に恥をかいたとしても1人しか見てないんだけど(笑)、ただすごい落ち込んで。変なもの見せてすいませんとかって言おうと思ったら、言う前に岡田さんが「最後の曲すごい良かったよ」って言ってくれて。「あれは計算してできるものではないから、すごい良かった」って。そこで価値観がめっちゃ変わったんだよね。
それまでは正解が絶対にどこかにあってそれを探すんだってモチベーションでやってたんだけど、なにか探そうと思って見つけたものよりも、予期せず計算外のことが自分のものになった瞬間の方が、再現ができないし、自分以外の誰も経験できないことで、こっちの方が面白いし迫力あるなって、価値観が変わったんだよね。
岡: なるほど、いい話だね。次からその話させてもらおう(笑)
澁: (笑)
──今のお話を聞いて、本作のアートワークが二重スリット実験からインスピレーションを得ているというエピソードに関連して、量子物理学的な“制御しきれなさ”や“解明されていなさ”といったものを連想させました。なぜ二重スリット実験なのか、その背景について教えてもらえますか?
澁: 二重スリット実験は、簡単に言うと、これまで科学でわかりきっていると思ってたことが、「人間が観測してるからそう見えてただけ」みたいな話なんですよ。観測しないときと観測するときで結果が変わるみたいな。もうなにが本当かわからなくなってくるというか、自分の存在すらわからなくなるみたいな話で(笑)。竹山が「量子力学知ってる?」みたいな話をしてたんで、それで動画とか見て面白いって思って。シュレディンガーの猫って有名な言葉あるじゃん?
岡: ……詳しく知らないや(笑)
澁: (笑)。箱の中に猫がいて、この猫が生きてるか死んでるかは、箱を開けた瞬間に決定するのであって、箱を開けていない状態では生きてもいるし死んでもいるみたいな。アルバムと繋げるならば、そういう結果になる前の可能性の話なんだよね。
──「未然形の音楽」という言葉で表現していましたよね。
澁: そうですね。ひとつの結果に帰結する前の可能性の状態をキャプチャーしたかったから、アートワークも、そういうものにしたかったんだと思う。
岡: うん、なるほどね。
***
「ロックは元々アマチュアNo.1決定戦みたいなところあるじゃん(笑)」(澁谷)
──今回そのような要素を音楽に取り入れるために、すでにお話に出ているとおり、セッションをすべて録音するという手法が採用されましたが、その中で印象に残っているエピソードはありますか?
澁: ……そうですね……セッションで録ってるものって、これを作品と言ってリリースしても仕方ないような瞬間ばっかりなんですよ。だけど自分はすごくいいと感じる。その瞬間を引き延ばしたくて録りまくって。竹山がリラックスして本番じゃないところで、「最近こういうリズムを覚えたんだよね」とかって叩いてみせたりとか、そういう瞬間が好きで……。さっきの「朶雲」のR&Bっぽいパートは、明確にブラックミュージックからの引用があって、「たしかこれだったよな」って聴き返すんだけど、どこにもリファレンスにしたビートはないんだよね(笑)
岡: (笑)
澁: ミーターズのあれじゃなかったっけ?とか思うんだけど、どこにもあんなビートがなくて。ってことは竹山が間違ってるんだよ。叩けてると思って叩けてない結果なんだよ。でもそういうものが面白いんだよね。

岡: それってこの録り方じゃないと収められなかったし。普通に録ろうとするとそのビートをもう一度その場で聴くはずだもんね。
澁: そうなんだよね、正解を参照してさ、それどおりに叩くと思うんだよ。
岡: なるほどね、特に昔の音楽とか、こういう勘違いから新しいものが生まれてきたんだなって思うような。
澁: 昔の音楽、それの塊だよね!
岡: 細野さんも、ベースの弾き方について、ギターみたいにピックで弾くものと思ってたけど、なんかのレコードの内ジャケ写真を見て「親指をピックアップに載せて人差し指を使う弾き方があるらしい」って知ったみたいな話があるしすごい時代だよね。今みたいに動画で指の動かし方を見れる訳でもないから、その先は写真から想像するしかないの。今でもそういうことができる可能性を提示してくれた意味でも、『未来』はすごいアルバムだって思って(笑)
澁: 俺もそういう話めっちゃ好きなんだよね。誰かの真似のつもりだったけどめっちゃオリジナルなことやってたみたいな。そういう勘違いってやっぱり正解を参照できなくて、想像で補うしかない環境でしか生まれないし。
岡: なんでそれを音楽で体現しようと思ったのか聞いてみたいな。そうしたある種の荒さとか勘違い、正解のなさみたいな話とか、そういったものの良さって音楽好きの間ではよく話される話題だけれど、実際レコードとして自然に落とし込むのが一番難しいポイントだったりする訳じゃない。エディットやミックスなんて一般的には整えて慣らしていく作業だったりする訳だし。
澁: 一つ印象に残ってるのは、ceroの髙城さんと折坂悠太くんのインタヴューを読んだときに、髙城さんが「これからは明確にテクニックの音楽の時代になっていくだろう」って話をしてたんだよね。明確に音楽的な素養を積んだ人が売れているし、これは多分アカデミックだなっていうクオリティの高さのものがどんどん出てきて、作った人の年齢知って「若っ!」ってびっくりするみたいなのがめっちゃ増えた。ただ、例えばショート動画でたくさん再生されてる楽器演奏系のやつとかは、これ「曲」とは関係ないんだよなと思うものもある。他の楽器と合わさった時に「手が早く動かせます」みたいなのを「テクニック」と呼んで良いのだろうかっていう。人の曲の構造を詳細に解説できることと良い曲を作れるかどうかも実は関係ないと思うし。そういうことを考えてて、結局アカデミックであろうと独学であろうと一番大事なものは何か別にあるよなと。ロックは元々アマチュアNo.1決定戦みたいなところあるじゃん(笑)
岡: みんな野良ミュージシャンのはずだからね、ロックって(笑)
澁: 『未来』って、俺たちはアマチュアでい続けますって宣言ともいえるんだよね。音質とか演奏力に関してもそうだし。つまり、広くいうと楽器が買えない人とかたくさんの音楽を聴けない人でも、別に音楽を作っていいじゃん? 自分がかっこいいと思うものを作っていいはずなんだけど、そうではないという雰囲気が世の中にある気がしてて。それには抗いたいからアマチュアにしか出せない純度の高さとか、プロがやらない手法、使わない機材を使ってカウンターを入れたいみたいな、そういう気持ちはあります。
岡: しびれる話だね、それは。
澁: (笑)
岡: でも、やっぱりそこらへんは難しいよね。明らかに時代はそうなって、周りのプレイヤーを見てると30代になって残ってるのって、アカデミックな人たちか、両親がミュージシャンだったりとかの……
澁: そうなんだよね、文化資本の話になるんだよね。
岡: 一人で作品を表現するアーティストやバンドは、音楽的な言語を他者と共有しないでも音楽を作ることができるけど。日本でいわゆるセッションマン的な仕事をしながら音楽をやっていくみたいな話になると、音楽を学べた人たちの強さってたしかにあるっていうか。そういう知識があると、少なくとも音楽の側生地をシェアしていくときに早いしスムーズだと。俺は完全なる野良ミュージシャンだけど、ギリギリそういう人たちと仕事することもある。そしていつも俺だけ譜面読めない。
澁: ハハハハハハ、そうなんだ。
岡: やっぱり読めたら便利でしょうしね。でもウエス・モンゴメリーも譜面読めないっていうから、「じゃあいいや」って。
澁: 音楽はプロだけのものになっちゃいけない気もするんだよね。
岡: ジャズなんかは過去のプレイヤーたちのメソッドを学ぶことも重要である一方、やっぱり音大の教育の対象にならないドン・チェリーみたいな部分が大切だったりすると思うんだよね。ロックはこのドン・チェリー的なセンスが一番大切だと思う。音大出てるのにロックやるんだ、みたいな人もいっぱいいるなとは思うけど。
澁: いるよね。大体くだらないよね(笑)
岡: ハハハ……心の“いいね”ボタン押しとくよ、それ(笑)。もちろん学んでて本当に最高のものを作る人もいるんだろうけど。
澁: 今ロックの話の文脈でドン・チェリーの名前がでたことになんかすごく納得する部分があって、俺も竹山も好きで、「Brown Rice」をライブでカバーしたこともあったんだけど、具体的にドン・チェリーのどういう部分のことを言ってるの?

岡: ちょうどジャズ畑の人に日本のジャズシーンにドン・チェリーみたいなプレイヤーを集めてバンドやりたいみたいな話してたら、日本でもバークリーでもドン・チェリーみたいな感覚肌のプレイヤーはメソッドにできないから結果としてジャズ教育の中ではスルーされてるみたいな話を最近したんだよね。
澁: なるほどね。
岡: ドン・チェリー的って多分一言に言えば、例えば自分が知らない文化の音楽が演奏されてる場所で、鈴とか太鼓を渡されたとしても、なんの躊躇もなく音楽に加わることができる、加わろうというトライが事前にできることだと思うんだよね。
ハービー・ハンコックがドン・チェリーの家に遊びに行った時にドンが「それじゃあ音楽でもやろうか!」って言われてもハービーが「どの曲やる?」って聞いたら不思議な顔されたらしい(笑)。ドン・チェリーにとって音楽って息したり誰かと会話するくらい日常の自然な行為なんだよね。もちろん彼にはベーシックなアカデミックな素養はあったりするけれど、それでも彼の生み出した作品や演奏は本当に気持ちが良いくらい自由だよね。
澁: 良い話だ。ロックの面白さはやっぱり出来なくても知らなくてもそれが「仕方のないこと」として仕方なく許されるっていう粗さとかテキトーさゆえの迫力だと思うし、学んだ後にそれをやるのはフェイクになってしまうと思う。アカデミックなものに対する尊敬や畏怖がありながら、でも心のどこかでそうなりたくないっていう危機意識みたいなのもあるんだよね。
岡: 音大で楽典を学ぶと、コード進行が論理的に決められたところしか行きようがないから、それで音大行ってたミュージシャンが「譜面読めないのいいな」って言ってるのはよく言ってるなあ。そうじゃない音に行くにしても、基本的には論理でいくらでも説明出来てしまう……みたいな思考に入ってしまうみたいな。
澁: でも俺もそこまで変なことしてないなっていうのを自覚はしてて。よく言うカート・コバーンのコード進行が音楽理論的に間違ってるみたいなロマンのある話を聞くじゃない? そういうものを信じてやってたところあるけど、俺がやってることも普通に音楽理論上では名前がついてるんだろうなって。
岡: いや、そうかな……(笑)
澁: うん。一応枠の中でやってるような気がするんだよね。
***
「不完全だけど、聴いてる側には“完璧な不完全”って聴こえる」(岡田)
──とはいえ、今回のアルバム……前作/前々作もそうでしたが、いわゆるフォーミュラ化したサイケ・ロックの枠組みからは逸脱していて、その大きな要素が音階や和音だと思うんですね。澁谷さんが過去の音楽に言及するときは60〜70年代のUS/UKのロックや2000年代以降のインディー・ロックが多いですが、でも実際に私たちが聴くことのできるZamboaのアウトプットとしては、もっと非西洋っぽさや日本伝統芸能っぽさを感じます。そういった要素はどのような回路で積み重ねられたものなのでしょうか?
澁: (しばらく考える)……なんでしょうね。
岡: 今回、最初にアルバム聴いて「めっちゃやばいね」とかってLINEを送ったときに、富樫雅彦の『スピリチュアル・ネイチャー』みたいな美意識というか、通じるものを感じた。『Milk』のときには『Acid Mt.Fuji』(Susumu Yokota)の話をしたけど、『Milk』ではそういう記号的な日本ぽさは感じなかった……。今回は「朶雲」と「ひばりの朝(Hibari No Asa)」が今までにない、記号的な日本っぽさが感じられると思ったかな。
澁: ちょっと話を戻すと、岡田くんが『Milk』に入ってる「元旦」を聴くと、富士山が見えるんだよねって言ってたのが面白くて(笑)

岡: ハハハハハ、言ったね。
澁: 『未来』はたしかにその記号的な日本っぽさはあって。ただ、出身の鹿児島の民謡のカヴァーとかは昔からやってて。
──「おはら節」をライヴで演奏していますよね。
澁: そう。「おはら節」はシャレでやってるんじゃなくて、かっこいいと思ってやってて。ああいうものをやってみようかなとは思ってた……。民謡っぽい歌い方って、意外と練習しなくてもできるというか。
岡: 地元で歌ってたとか、おじいちゃんおばあちゃんの歌っているのを聞いてたとかってわけでもなく?
澁: でもなく。なんかできない? ものまね的なやつ。
岡: あんまりやったことないね、でもいま尺八のフレーズとかがなんとなく浮かんでくるような感じなのかな(笑)
澁: そんな感じ。あれをものまねでやっているような。
岡: 参照というよりは、自分の中の詩吟っぽいメロディーがでてきた感じか。
──以前からやっていた、ビートを短い循環で刻むスタイル自体が、日本のお囃子や和太鼓に通じるものがあるなと思いました。
澁: 秋田の竿燈まつりっていう、提灯がたくさんぶら下がったでっかい竿を持って練り歩く祭りを見たことがあって。そのときのお囃子が笛系のウワモノと太鼓なんですよ。「これ、ツーピースロックバンドじゃん」と思って(笑)、ベースいないから。それでこういうことをやってみたいとは思った。
──ツーピースの話が出ましたが、近年のUKのインディーシーンではメンバーと音数が多いバンドが増えてきて、それが一つの限界を迎えつつあると思っています。一方で、Zamboa以外にも、ロンドンのO.やブルックリンのウォーター・フロム・ユア・アイズ(Water From Your Eyes)など、2人組でマキシマムな音を出しているバンドも増えてきている。だから、Zamboaのアルバムが今年でたことはとてもアクチュアリティのあることだと感じました。
澁: へえ、そのバンド知らなかったです。
岡: (Zamboaは)元からそうだったから……(笑)
澁: 元からそうだった(笑)。でもたしかに俺も今年《Island House Recordings》が出してた2人組のZonkっていうバンドがいて、めちゃくちゃかっこよかったです。
岡: 作品って何人かでつくることが多いわけで、人数が多くなるほどシェアしきれない部分って増えていく……。2人なら、合致すれば、2人だけで密度がどんどん濃くなっていいものができるよなって思うような。
澁: 岡田くんは逆に、アルバムを作るにしても参加人数が多かったりするじゃない? あれってどこまでコントロールしてるのか、そもそもコントロールしてないのかって興味がある。
岡: それはね、タイムリーで考えてるところで。作品に関してはトラックメーカー的なタイプで、自分で編集して一人でなんでもできるけど……、ここ1、2年で久々にライヴをやっていく中で、結構コレクティブっぽいバンドになっていって。バンドをやってたときに同じ釜の飯を食い、同じ音楽を聴くっていう良さってあったなと感じるタイミングでね。いま現在進行形で俺は考えてるって感じだけどね(笑)
澁: みんなに、「こう弾いて」とか指示はするの?
岡: 前のアルバム(『Betsu No Jikan』)はチェーンメールのようにみんなに送って録っていって、ディレクションも文章で送ってたけど、「あなたが思った解釈で弾いてもらって、ここがいいと思ったら編集します」みたいな感じだったから(笑)。いま作ってるのは、もう一度ちゃんとディレクションしようみたいな感じだねー。でも、譜面に起こしてできるタイプの音楽じゃないから、やっぱり話しながらやっていかなきゃいけないね。即興的に聴こえるけどコンポーズされていたり、また逆も然り。ジャム的には極力ならないような塩梅というか……。
澁: 俺も今回、ジャムの一回性がありつつ、「コンポーズされている」というところを捉えたくてさ……、ただ、リフだけ持って行っても、竹山は俺の頭の中で鳴ってるドラムを叩かないんだよ。例えば他の人の作品を(エンジニア側として)録ったりする時に、メンバー同士で「今のテイクよかった、よくなかった」って言っているのを、「別に全部よくね?」って思うことない?
岡: ハハハハハハ! でもよくわかるよ、ていうか(自分が)プレイしてないと……
澁: そう! 自分がプレイしてないと鳴ってる音しか聴いてないし、つまりプレイしてるメンバーは鳴ってない音を聴いてるんだなって思うわけ。それぞれの中で理想とするプレイがあって、例えば俺が「ザ・ストゥージズみたいでいいじゃん」って思っても、ギタリストが「いや俺はジョニー・グリーンウッドみたいに弾きたいんだ」とかって思ったら、それは成功テイクじゃないわけで(笑)。その鳴ってない音を聴いているみたいな関係性ってめっちゃ重要だよなと思ってて。例えば、岡田くんのメンバーってある程度固定になってきているんだっけ? 石若(駿)くんとか。
岡: 録音はそうだけど、毎日会う訳でもなく1年に1回録音するために会ってるみたいな感じなんだよね。そういう意味でもバンドっていいなって考えてたんだよね(笑)
澁: 森は生きているのときはさ、そういう、頭の中で鳴ってるものが共有されてる感じってあった?
岡: 森は生きているはソングをやる瞬間はそうなるんだけど、長尺のインプロみたいなことやりたい瞬間は、自分が思ってる音と出せばいい音が日によって変わってくるからさ。そこの感覚のシェアっていうか、考え方の共有はうまく出来なかった。本来、全員で何十年もいっしょに続けてやっと上手くいくようなことだと思うから。いま思えば10年、20年やっても上手くいく日もあるしいかない日もあるって思うんだけど、みんななんでこれできないんだろう、同じ感覚でできないんだろうってなっちゃってたかな。
澁: わかる、俺らも2人だからギリギリやれてるだけであって、5人とかでそれが起こるとすげえストレスだろうなとは思う。
岡: 形にならないし(笑)。それに当時はディレクションの仕方もよくわからなかった。でも、すごいシビアな関係性がないとできない実験的なことをやるにあたっては、ツーピースだからできるっていうのはあって。ザ・ホワイト・ストライプスだってベースがいたらより音楽的な形にはなるけど、あの2人の方が絶対いいじゃん?
澁: 絶対いいよね。音楽的に乏しい部分を補ったからといって良くならないっていう。
岡: それも、アカデミックな音楽だけが良質な音楽じゃないっていうのと近い話だと思うかな。不完全だけど、聴いてる側には“完璧な不完全”って聴こえる(笑)。これしか考えられないっていう音楽がそこから生まれることもあるからね、不思議なもんですね。
澁: サティの代表曲の「ジムノペディ」「グノシエンヌ」も彼が音楽理論を学ぶ前の曲らしいしね。面白いよね。
***
「“執拗さ”ってなんだろうって話、今日の昼もしたよね」(澁谷)
──先ほどのジャム的なプレイの話について、岡田さんが《サンレコ》で優河さんの『Love Deluxe』の録音について書いていた記事に、それに近いエピソードが出てきます。今回のインタヴューを行う前に、澁谷さんからはその《サンレコ》の記事にとてもシンパシーを感じていると聞いていました。どういった点に共感したのか聞かせてもらえますか?
澁: いま出てる号に書いてあったやつで、使ってるワードにめちゃくちゃシンパシーを感じたんだけど、たぶん「自然」ってワードを出してた。覚えてる?
*岡田拓郎が語るPro Tools活用術 〜Pro Toolsとの出会いとプレイリスト機能
岡: ……なんとなく(笑)。なに書いてたっけ?
澁: なんかね、「自然」って言ってたのと、どんな機材よりも今持ってるものを使い倒すことが最高のプラグインです、みたいな。
岡: それはダニエル・ラノワが言ったやつだな。
澁: そうなんだ(笑)、引用か!
岡: そうなんだよね。昔、テープエコーしか持ってなかったからコーラスとかリバーブもテープエコーで全部やってたけど(笑)。えーと、音楽が自然みたいな状態であればいいな、みたいなやつかなあ。 今日ちょうど次の号の締め切りギリギリのやつを書いたばっかだから頭が覚えてないんだ(笑)
澁: 今日、岡田くんが今作ってるやつを聴かせてもらったじゃない? あれも、「自然」ってワードを出して語るにしっくりくる音楽だなと思った。例えばアンビエント・ミュージックにも、明らかにこれは自然を模倣してるのかなと思う人がいるんだよ。
岡: そうだね。
澁: 自然の音を楽器を使ってやってるのかなと思うことがあって。その方向性を感じた。
岡: なんかね、書かれた譜面を読みながら演奏するというより川の流れとか山そのものを演奏したいなって気持ちはあるよね。録音された音楽もそういった状態でありたいとも思うし。でも、この10年でグリッドされた音楽にけっこう耳馴染んでしまった部分もあると思って。90年代のJ-POPとかがテレビで流れると、急にピッチにびっくりしたり……。DAWって構造的にどうしても四角いピクセル的な考え方で音楽を作らなくちゃいけないんだよね。正しい値が数値で見えてそれに対してどう対処するかというか。
澁: ライターの柴崎(祐二)さんともそういう話をしてて。DAWの画面が最初から4分の4拍子であることによって、みんな4分の4拍子しか作らないんじゃないかみたいな話とか(笑)
*Interview with Zamboa | Jolt! Recordings
岡: ハハ、たしかにね。「朶雲」の拍子がさ、4分の4、4分の3を行ったり来たりするけど、鼻唄で作ったメロディーにビートをはめたらああなった感じ?
澁: そうだね、たしか自然に“7”になってたんだよね。4分の4の曲って一つのフレーズを4回しするのが自然なんだけど、3回しで止めたいときがあって、12で終わるみたいなことも割と昔からやってるね。
岡: 俺も好き。フォークロアだね。
澁: ミックスのときもあってさ。ある曲を通して聴いたときに、この盛り上がる展開の手前で終わるべきだって感じる瞬間があるんだよね。一応盛り上がりどころとしたところはあるんだけど、通して聴いたときに、明らかにその手前で終わった方がいい瞬間とかない?
岡: ある。今回そういう意味で、「この世でもあの世でも」とかは長めのそういうパートがある感じはしたけど、他は寸止め感っていうか、行き切らないところは感じたかな。禁欲的なアンサンブルっていうか。
澁: でも俺が今言ったのは、その長い曲なんだよね。
岡: あーそう!(笑)
澁: 「この世でもあの世でも」って、本当は最後にもっと盛り上がるパートがあったんだけど、俺の中ではあれは尻切れという編集なんだよね。
岡: なるほどね。たしかにまだ行こうと思えば行けるなって……
澁: 行こうと思えば行けるけど、絶対ここで終わった方がいいって感じたからそうした、みたいな。
岡: そういうふうに感じた、その心は?(笑)
澁: うん、なんだろうね……直感に従った方がいいという。
岡: アハハハハ。そう、同じ曲もいっぱい録ってただろうし、何百時間ぐらいあった中からこの一つを選ぶって……、編集の正解がないって話もしてたけど、結局音源としてはあるテイクに決まって、みたいなことが起こってるわけじゃん? その決定する瞬間ってなんなんだろうっていつも思う。
澁: でもさ、明確に「これで完成だ」って瞬間あるでしょ?
岡: うん、あるんだよね。でも俺ならその量を録ってたら、決めきれなくなっちゃうと思うけどね(笑)
澁: この正解はもう1回できるけど、この間違え方は二度とできないっていうところかな。
岡: なるほどね(笑)。じゃあ細かいハサミ入れはあんまりしてない? ここからここまでこのテイクを選ぶみたいな感じ?
澁: そんな感じ。もう捨てたテイクが膨大という。
岡: (笑)、それもまた使うつもりなの?
澁: 丸ごとアルバムからあぶれた曲はあるからそれは使うかもだけど、もう発表した曲の別テイクとかは考えてないかな。
岡: それよりやることがいっぱいあるかもね。
澁: 岡田くんも気性としては、一生ミックスやってるタイプ?
岡: うん。難しいよね。自分で足し引きを考えてミックスしながら録音もして、気に入らなければ一からアレンジし直すようなことをずっとやっちゃう感じだね……こんなに執拗に録音するってどういうことなんだろうね(笑)
澁: “執拗さ”ってなんだろうって話、今日の昼もしたよね。
岡: 録音機材が好きとか、編集作業が好きだったりはあるにしても、この執拗さってなんだろう?ってときどき考えたりするね。
澁: なんだろう、愛情とも繋がってる気がしてるんだよね。自己愛と自己否定のサイクルの中で、極論、「意味のないこと」を無限に頑張れる力が、、他者への愛情に跳ね返ってくるような。例えば、自分の声を初めて録音して聞き返したときの絶望ったらないじゃない?(笑)
岡: そうだね(笑)
澁: 音楽キャリアの初めの壁じゃん。ギターのFコードとかよりももっとでかい壁がある。
岡: 「こんな声なんだ」って。
澁: そう、俺ってこんな声だったんだって絶望ったらない(笑)。それでもなんかずっと音楽のことを考えているとか、もっと良くしたいとかって飯も食わず寝もせず自分の作ったものと向き合い続けるのは心に傷をつける行為だと思うし、そういう内省を経ていない「何も刻まれてない」ツルツルの心の人間がいたら絶対怖いじゃん。翻って、誰かを引っ掻けるはずの爪を隠した作品というのも空虚だし。じゃあこの傷が俺の道徳なんだなみたいな。そういえば、岡田くんって『ルックバック』観た?
岡: 『ルックバック』観てないや、なんだいそれは?
澁: マジか観てないんだ! 漫画家になるっていう漫画なんだけど。去年映画にもなった。『ルックバック』もそういう執念の話、愛情の話として観れるなと思って。
岡: たしか葛西さんが音楽に関わってたから、ポスターは見たことあるけど、詳しくは知らなかったな(笑)
澁: アハハ!
***
「2人でこんなに完璧でこれ以上でもこれ以下でもないライヴってできるんだって」(岡田)
──Zamboaとしては、今後ツアーやライヴは予定していますか?
澁: 今のところ予定してないですね。
岡: ライヴもないんだ? ツアーだけじゃなくって。
澁: うん、ライヴ自体がない。ライヴね、ぶっちゃけた話すると、もう100人規模のところでやったら終わると思ってるんですよ。応援してくれている人を失望させるような気がしてて。気合い入れてでかいとこでやりたい。とはいえ、そのでかいハコが埋まる雰囲気も赤字OKで箱を抑える資金も今のとこないんだよね。
岡: なるほどね。ライヴの埋まる、埋まらないは難しいよね。
澁: うん、岡田くんってライヴやってるんだっけ?
岡: 俺も自分のバンドとしては年に1、2回できたらっていう感じでやってる。
澁: 固定メンバーで?
岡: そうじゃなかったから、来年(2025年)はバンド的な形でやりたいなとは思ってるね。今年は他のアーティストのプロダクションに入ることが多かったから、自分のライヴをできる感じじゃなくって……。でもZamboaのライヴは観たいなと思うね。
澁: 観たいと思う? ちなみに、サポートを入れたらシラける?
岡: やっぱり2人でやった方がいいんじゃない? 音源ではベースが入ってるところはあるけど。Klan Aileenのライヴ観たときに、その足りなさは観てる側としては案外感じられなくって。
澁: 足りなさ?
岡: ライヴってその場のダイナミクスと轟音と、ヴォーカルが出てビートが入ってたら、それで聴くんだよね。そういう意味で、クランのライヴ観たときに、2人でこんなに完璧でこれ以上でもこれ以下でもないライヴってできるんだって、感じたかな。
澁: ありがとう。それは意識してる。でもツーピースって、マジで、最初から限界なんだよね。
岡: そうだよね。抜き差しとかも難しい。
澁: 抜き差しもできないし、過不足ないちょうどのところを探すみたいな(笑)。だからどんづまるんだよね。
岡: ハハハ。音源ではオーバーダブがあったりするからね、でも2人のライヴは引き算の美学でできるんじゃない?
澁: 音源と全く違うみたいなね。それも一つの方向だよね。
岡: きみらのリハに行けばライヴが観れるって感じかー(笑)
岡村(編集部): 澁谷さんから岡田さんにエールはありますか?
岡: そうだ、たしかに、先にもう出来上がってるから応援メッセージほしいかも(笑)
澁: 一応肩の荷がおりたということで……なんだろうな……「信じるしか道はありません」って感じで(笑)
岡: そうだよねー(笑)。ありがとう、信じるよ。
岡村(編集部): 録りは終わったんですか?
岡: 大体形は見えて、ここからミックスしていくけど、全貌がやっと形になったってところです。
澁: 今日聴かせてもらったのは完成じゃないんだ、何割ぐらい?
岡: あそこから足し引きして、ミックスしてってぐらいかなあ。
澁: ふうん。安心した、あれで6割とか言ったらどうしようと思って(笑)
岡: 言っとけばよかったかな(笑)、実際、8割、9割はきてるって感じで。
澁: じゃあ、7割ってことだね(笑)
岡: とも言えるね(笑)
岡村(編集部): リリース予定はいつごろですか?
岡: その前に、今まで録ってた日記みたいな宅録音源を集めたレコードが来年3/7に出るから、それを出したあとに出す感じになりますね。BandcampとかSoundCloudに流れ星のように上げては消してたやつに目をつけてくれた人がいて(笑)。今日澁谷君に送ってたのは来年どっかのタイミングでって感じかな。
澁: ちょっと前に配信が始まったあのシリーズってこと?
岡: そうそう。あれがアルバムになるって感じかな。
澁: 岡田くんはすごいよね、めっちゃ売れなさそうなやつとめっちゃ売れそうなやつを交互にやっていく感じで(笑)。並行してやりつづける人いるんだって毎回思うけど。
岡村(編集部): バランス取れてますよね。
澁: デヴィッド・ボウイみたいだよね! 「今回は売れなそうな方か〜」みたいなさ(笑)
岡: ハハハ! なるほどね。でもそれ大事なことだね。売れなそうつづけたくはないけど、そうありたいよね(笑)
澁: 次のが爆発するんじゃない?
岡: 本当? ありがとう〜。
<了>
Text By Shoya Takahashi

Zamboa
『未来』
LABEL : Jolt! Recordings
RELEASE DATE : 2024.11.6
購入 : Bandcamp / TOWER RECORDS / hmv / Amazon

岡田拓郎
『The Near End, The Dark Night, The County Line』
LABEL : Temporal Drift
RELEASE DATE : 2025.3.7
購入 : Bandcamp / Apple Music
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