僕やあなたが「ここでうまくやっていく」ために
属性からいかに解き放たれるか。これは人類に限らずあらゆる生命体にとって永遠の命題であり、そしておそらくどんな生命体もそこからは永遠に解き放たれ切ることができない。どこかに属することを望む者もいれば、どの属性とも均等に接点を持ちたがる者もいるし、どの属性とも接点を持とうとしない者もいるだろう……その分類のほどはわからないが、いずれにせよ、属性を意識することは、少なくとも民族、人種、国籍で一定の区分けが成立してしまっている人類の社会において逃れることはできないし、これこそが軋轢の元凶となりうることはこれまでの歴史が証明してきた。
現在放送中の連続ドラマ『東京サラダボウル』(NHK総合)は、まさにその属性の是非というものを改めてつきつけられる非常に重いドラマだ。東京・新宿の警察署に配属されている国際捜査係の女性刑事(奈緒)と、中国語に堪能な警察通訳人の男(松田龍平)が外国人による様々な事件を捜査する、という内容だが、実際は一般的な刑事モノとは少し異なる。歌舞伎町や新大久保などが管轄にある新宿が主な舞台なので、アジア系外国人による危うい犯罪が毎回描かれており、女性刑事と中国語通訳人の二人が善と悪の狭間を認識しながら、犯罪に巻き込まれた人々を窮地から救っていこうとする、というものだ。その中には被害者はもちろん、やむを得ず不法行為に手を染めてしまった加害者もいる。母国語がなかなか通じない東京で、自分たちの居場所を求めてさまよう外国人の声にならない本音や故郷への思慕を、二人は現場で距離を縮めながら掬い上げていく。加えて、警察通訳人は刑事だった頃に同僚であり恋人の男性を国際犯罪によって亡くしたことで心を閉ざしており、女性刑事は子供のころに姉のように慕っていた近所の韓国人女性とその一家がやはり犯罪に巻き込まれて離散してしまった事実を整理しきれないまま大人になった。追う方も、追われる方も、それぞれにもっていき場のない怒りや焦燥や哀しみや諦めを抱えたまま、都会の闇に潜む属性による摩擦と対峙していく。原作は昨年2月まで連載されていた黒丸(『クロサギ』他)による漫画だが、ドラマでは主演の二人──一見あけっぴろげな奈緒と徐々に心を開く寡黙な松田龍平の奥行きある表情が実にいい。
実は何も知らずに初回放送を見て、どうもこの劇伴は王舟っぽいなとすぐさま思った。そして、エンドロールのクレジットでその名前を確認し、なんと素晴らしい抜擢だろうかと心が湧き立った。もちろん、近年は映画やドラマのサントラの仕事を多数重ねている王舟が起用されたことは意外でもなんでもない。ことにNHKのドラマはこれまでに『嘘なんてひとつもないの』『彼女が成仏できない理由』『柚木さんちの四兄弟。』など話題作の劇伴をいくつも手掛けている。私はまあまあ熱心な地上波国内ドラマウォッチャーなので、王舟が手掛けたそれらの劇伴を、ドラマをチェックする中ですべて自然と耳にしてきたわけだが、「自身のオリジナル作品をそもそも多くリリースする(つまりサントラ仕事が先ではない)ミュージシャン」としては、少なくとも、同じようにNHKのドラマの音楽を多く担当してきた大友良英(『白洲次郎』他)や、鈴木慶一(『女子的生活』他)と並ぶ音楽家と言っていい。それでも、今回の『東京サラダボウル』の音楽を王舟が手掛けていることは特別だと感じる。
もちろんそれは王舟が上海生まれ、東京在住の中国人、という民族的な属性の狭間で活動してきただろうことが大きい。しかし王舟の作品を知っている人ならわかるように、彼は属性ゆえの軋轢、摩擦を作品にほとんど投影してきてはいなかった。自身のルーツを過剰に意識したり、掘り下げたり、あるいはそこに思いを寄せていったりするような作品作りを少なくとも自覚的にはほとんどしていない。王舟と彼の民族ルーツについて話をしたことは一度もないが、2014年にリリースされたバンド編成によるアルバム『Wang』……いや、それより前にCDRでリリースしていた『賛成』『Thailand』の頃から、彼は自分の居場所をどことは明確に設定しないまま、あるいは、起点をどこに置くのかをそれほど意図しないまま、時には日本語で歌い、あるいは英語でも軽やかに歌ってきた。初期にはフォーク・スタイルの曲もあれば、スキャットを主としたボサ・ボヴァ調の曲もあったし、活動が続くにつれて、アメリカン・プリミティヴとアンビエントを接続させたような曲も増えていった。電子音をとりいれることも厭わないし、バンド・サウンドへの愛着も見せる。柔らかな声と穏やかなメロディラインを武器に、様々な属性、様々なスタイルを軽やかに横断してきた、それが王舟というミュージシャンだ。
そういう意味では、この『東京サラダボウル』のサントラは、音楽制作、活動を通じて都市の中で自発的に、マイペースに呼吸をしてきた王舟による、劇中に登場する都市の闇に潜むアジア系の人々に向けられた、ある種の生き方の優しい提案とも言える1枚だ。1曲目「東京サラダボウルテーマ」、2曲目「ユメB」、3曲目「新宿区の夜明け」と、次第に空気の中に溶け入るようなアンビエントなエレクトロ・サウンドが真夜中から明け方までの時間の経過を伝える。4曲目「大切な人を思う」、5曲目「仕事終わりの一杯」と穏やかで清潔感のあるピアノ主体の曲が並び、「通訳センターの日常」を経てグッドタイム・ミュージック・スタイルの「レタスのある暮らしA」へ……と中盤付近は、ヒューマンでユーモアラスな風合いをも讃えるドラマの内容とシンクロするかのようだ。かと思えば10曲目「警部補・阿川博也」、11曲目「深刻な事態」、12曲目「迫る危機」の後半の入り口付近の3曲は、犯罪現場の緊迫したヴァイオレンスを描いているし、13曲目「Let’s Go」、14曲目「新大久保、聞き込み調査」、15曲目「レタスのある暮らしB」、16曲目「多国籍な料理たち」あたりではファンク、アフロ、中南米音楽の要素を加えてまさしく多国籍な新宿の風景を切り取ってみせる。そうして「差し伸べられた手」から「ユメA」までの最終盤4曲の流れで再び冒頭のようなエレクトロ・アンビエントなタッチに戻り、日常がこうして繰り返されている、というように町の変わらぬ情景を抽出する、という具合だ。展開、構成はもうお見事という他ないし、ヒリヒリするような血生臭ささえ伝える10〜12曲目は、それこそ大友良英や鈴木慶一の劇伴に息づくブルータルな側面を継承しているようにも思える。
もちろん、かように作品全体に起伏はある。だが、王舟は淡々と、穏やかに味わっている自分自身の東京の暮らしを、嘘偽りのないその“当事者”の目線でそこに落とし込んでいるようにも見える。突っ張っていない、殻に閉じこもってもいない、何かを隠蔽もしない、やたらと謳歌もしない、日本生まれではない中国系の自分は、それでも今こうしてここにいて生きている、というメッセージを音に与える。そうすることで、彼は属性から解き放たれようとしているのだ。もちろん、最初に書いたように、実際に簡単に解き放たれることはなかなかに難しいのだけれど、もしかするとそれはこんなにも可能なのか、と思わせる作品になっているのは間違いない。
劇中、かつて警察官になった理由を尋ねられた松田龍平演ずる有木野は、「どこかに属したかったから。俺はここでうまくやっていきたい」と答える。どうしてもどこかに属したくなってしまう、人としての業の背後にあるのは、ただ、ただ、ここでうまくやっていきたい、というだけ。王舟はきっとそのことをよくわかっている。(岡村詩野)
※ちなみに、ドラマのエンディング曲は韓国のバンド、Balming Tigerの「Wash Away」。サントラには収録されていない。