第59回スーパーボウル・ハーフタイムショー
パーフェクト・ガイド!
ケンドリック・ラマーが灯した革命の炎
毎年2月上旬の日曜日にアメリカで開催されるNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の優勝決定戦、スーパーボウル。今年はカンザスシティ・チーフスと戦ったフィラデルフィア・イーグルスが、優勝の座に就いた。世界中のファンの視線の注がれるアメリカンフットボールの祭典だが、この試合の合間に行われる、有名アーティストのパフォーマンスが楽しめるハーフタイムショーも、毎年大きな注目を集めている。
今年の第59回NFLスーパーボウルのハーフタイムショーは、2024年にドレイクとの世紀のビーフで圧勝し、同年の11月には新作『GNX』もリリース、スーパーボウルの1週間前に行われたグラミーではディス曲「Not Like Us」で年間最優秀楽曲賞、年間最優秀レコード賞を含む5部門を受賞という快挙を遂げたばかりのケンドリック・ラマーが出演するということで、まさに世間は“ケンドリック祭り”さながらの状態で、尋常ではない注目を集めていた。
期待値をはるかに超えた素晴らしいケンドリックのショーは、既に2月9日に行われているため、その解説等はたくさんメディアや個人のSNSなどですでに行われているが、盛り上がりが落ち着いてきた中で見えてきた情報や考察、アメリカでの反応を交えながら、今回のハーフタイムショーに込められたケンドリックのメッセージについて探ってみたいと思う。
■ハーフタイムショーにまつわる事実と歴史■
まずはハーフタイムショーにまつわる事実と歴史をいくつか紹介しておきたい。
・第59回NFLスーパーボウルで、ケンドリック・ラマーは、史上最も視聴されたスーパーボウルのハーフタイム・パフォーマンスの記録を塗り替え、1億3,350万人の視聴者を動員
・ラッパーがソロ・アクトとしてハーフタイムショーに出演するのはケンドリックが初
・ハーフタイムショー出演、実はノーギャラ(でもその効果は?)
歴史的に、NFLはハーフタイムショーに出演するアーティストにパフォーマンスの報酬を支払っていない。支払っているのは、ショーの経費とアーティストの旅費だけ。しかし、スーパーボウルのハーフタイムショーは、多くのアーティストにとって非常に人気の高いパフォーマンスであり、その露出度の高さと名声は、リスナーやファンの大幅な増加につながる。
実際に、2月13日時点での情報によると、すべてのケンドリックのストリーミング数は430%急増し、中でも最も急増したのは「Not Like Us」で、1日のストリーミング数が222%増加し、再生回数は1,040万回に達した。最新アルバム『GNX』でも141%の伸びを見せ、合計3,100万回のストリーミングを記録した。「HUMBLE.」や「DNA.」のような過去の名曲もファンに再評価された。
次に、ケンドリックが今回のショーで着用していたアイテムは一夜にして完売した。彼が履いていたNIKE Air DT Max 96の売上は413%増加し、セリーヌのブルーデニムのフレアジーンズ(1,200ドル[約17万7千円!])も完売。も完売。このジーンズは元々俳優のティモシー・シャラメ(スーパーボウル直前にケンドリックにインタヴューしている Part 1, Part 2)のためにデザインされたものだが、ケンドリックが着用したことで、ファッション・ヒットにつながった。
また、《pgLang》が大々的に露出されたことも大きかった。ケンドリックと彼の高校時代からの親友でビジネス・パートナーのデイヴ・フリーが設立したこの会社は、音楽とヴィジュアル・アートを融合させたメディア・ブランドであり、いまだかつてないほどのスポットライトを浴びることになった。《pgLang》はスーパーボウルのステージ・デザインをすべて担当し、ケンドリックは彼のジャケットからネックレスまで、そのロゴや名前を至る所に露出した。 彼がつけていたネックレスの“a”は、ドレイク・ディスの「A Minor」(Minorは未成年を意味する)のことだという見解が多いようだが、これは《pgLang》のロゴであり、ブランドの宣伝が主に目的だったと言えるだろう。
・誰がケンドリックを選出したのか? ~政治がうずまくヘッドライナー選び~
ジェイ・Zと彼のエンターテイメント会社《Roc Nation》は、2019年からスーパーボウル・ハーフタイムショーのヘッドライナーを決定している。まず関係者が出演者候補のリストを作成し、開催都市が出演者を決定した後に、ジェイ・Zが最終決定する。今年の開催都市はニューオーリンズであったため、この都市出身のリル・ウェインは自分が選ばれなかったことに失望を表明していた。
ジェイ・Zがヘッドライナー選びに関わることになったきっかけは、2016年。サンフランシスコ・フォーティナイナーズのコリン・キャパニック選手を始めとしたアフリカ系アメリカ人の選手たちが、アメリカ国歌が演奏される間、片膝をついて警察の暴力や人種的不公正に対する抗議を始めたことに端を発してる。キャパニックの“膝つき抗議”により大きな論争が起こり、NFLは選手やファンとの関係が悪化し、リーグの対応にも批判が集まった。
そもそもアメリカ人口の人種比率では黒人が約18~20%であるのに対し、NFLは黒人が約56~60%と、圧倒的に黒人選手が占める割合の高いリーグであり、ヘッドコーチやオーナーなどの管理職では白人の割合が圧倒的に多いという現実もあり、長年にわたり多様性の問題も議論されていたという。
その結果、NFLは社会正義への取り組みを強化し、イメージを回復するために、2019年にジェイ・Zの《Roc Nation》と提携している。この提携には、スーパーボウルのハーフタイムショーの監修に加え、社会改革プログラム“Inspire Change”(変化を促す)への関与も含まれていた。ジェイ・Zの関与は、NFLとヒップホップ・コミュニティの関係を改善し、より多様で社会的メッセージを含むパフォーマンスを促進する戦略的な動きと見なされたという。
さらに、ジェイ・Zが今年のスーパーボウル・ハーフタイムショーにケンドリック・ラマーを強く推した背景には、ジェイ・Zとドレイクのビーフが関係していると指摘する声もある。初期の頃、ドレイクは自分がジェイ・Zを超えたとほのめかし、ジェイ・Zのリリックがアートに言及することがいかに多いかを指摘し、彼を無知な美術評論家になぞらえた。ジェイ・Zは、ドレイクがハイエンド・カルチャーを理解していないとして、ジェイ・エレクトロニカとの「We Made It」のリミックスで反撃した。
いろいろな政治事情や憶測はあるものの、ここ近年の活躍や、去年からの流れを考えれば、いずれにしてもケンドリックの選出は最も適切だったと感じている。
■至上最もブラックなスーパーボウル・ハーフタイムショー■
このショーを最初に観たときは、「なんてブラックなショーなんだろう」という印象が強かった。アメリカでは毎月、2月は“黒人歴史月間”とされていて、ステージでパフォーマンスをしたアーティストが全員黒人であったことから、そのメッセージに至るまで、黒人の美しさと力強さ、知性が最大限に表現されていた。そして観れば観るほど、「Not Like Us」に代表されるようなドレイクへのディスは表面上の解釈でしかなく、奥深い文化的な意味合い、政治的な声明、社会問題への警鐘、アメリカ社会へのメッセージ、そしてアメリカ黒人への愛情と励ましが込められていることが分かってくる。
偉大なアートは見る者を考えさせるというが、まさにそれを感じさせたのも今年のハーフタイムショーであり、数多くの対話も生まれた。いわゆる“コンシャス・ラップ”をメインストリームのスケールでやってのけ、メインストリームからアンダーグラウンドの観客を魅了する技量と器量と才能を持ち合わせているところに、ケンドリックの大きな魅力がある。
すべてが意図的であるケンドリックだけあって、彼が緻密に仕込んだ様々な意味合いや細かい芸に気づくたびに、驚きを覚える。ぱっと見て分かるような表面的なメッセージだけでも十分に楽しめるのだが、その裏に込められたメッセージを解読していくところに、今年のハーフタイムショーを楽しむ醍醐味があるように思う。
このショーに仕込まれていたメッセージやシンボリズム(象徴的な意味合い)を探し出す行為はエッグハント(イースターの伝統的な遊びで、イースター・バニーが庭や家の中に隠した卵を探し集めるゲーム。子どもたちに人気がある)に例えられ、それらを解き明かそうとする人たちの情報がSNSに溢れかえっていた。また、それらにはアメリカ黒人なら理解できるであろうメッセージが幾層にも重ねられていたのも特徴だ。ここからはセットリストと共に、その一部を紹介しつつ、今回のハーフタイムショーを振り返っていこう。
1. Bodies (GNX Trailer Song)
直前にリークされていた通り、プレイステーションのコントローラーを取り入れたユニークな舞台に、俳優のサミュエル・L・ジャクソンが司会進行役として登場。「みんなのおじさん、サムですよ。これは偉大なるアメリカン・ゲームです!」と、これから始めるショーを紹介する。舞台全体に壮大に表現されたコントローラーは、まるでわたしたち一般市民の暮らしはゲームのようにコントロールされているということを、象徴的に表現しているかのようだ。
そしていよいよハーフタイムショーの幕開けだ。黒人文化のアイコンであるサミュエルがアメリカ政府を擬人化したキャラで、本来は白人であるはずのアンクル・サムを演じるという、かなりパンチの効いたコントラストだ。彼はケンドリックやダンサーたちに、アメリカが黒人の文化や人々を組織的にどうとらえ、監視し、政策を進めているかを体現していた。
映画『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012年)では、サミュエルがこのアンクル・サムとかぶるような、奴隷制度の中で主人に忠実でありながら、黒人を裏切るような立場にいる役を演じていただけに、何とも滑稽で卑屈な印象を与える。サミュエル本人も後に、「映画史上最も嫌われる黒人キャラクターを演じることができて楽しかった」と語っていた。
オープニング曲に選ばれたのは、去年11月にリリースされたケンドリックの新作『GNX』のトレイラーとして紹介されていたサウンドを使っていたものの、アルバム未収録で、この日初公開された「Bodies(仮)」という曲だ。伝統的に、スーパーボウルのハーフタイムショーに出演するアーティストは、誰もが知っているような過去のヒット曲で観客を“エンターテイン”(接待)することが期待されてきた。しかしエンターテイナー(楽しませる人、もてなす人)という役割を誰よりも避け、アーティストであることに重点を置いてきたケンドリックは、11月にリリースされたばかりの、まだヒップホップ・ファンしか知らない、しかも音楽業界のスタンダードに挑戦状を叩きつけるような、かつラップ・バトルという起源に立ち返ったアルバムの、しかも未発表曲から攻めてきたのだ。
しかし、後から知った情報によれば、ケンドリックが往年のヒット曲を2、3曲しかやらず、『GNX』の曲に集中したのには理由があるという。《TDE》との契約、そして《TDE》が《Aftermath》と《Interscope》と交わしたジョイント・ヴェンチャー契約により、《TDE》からリリースしたアルバムの曲がストリームされると、ケンドリックにはその10~15%しか収入が入らないため(その収入率は今も変わらない)、それに不満を感じたケンドリックは2022年に《TDE》を離れた。その後ケンドリックは、デイヴ・フリーと共にクリエイティヴ企業《pgLang》を設立し、《Interscope》と、音楽の所有権とアーティストに80%の収入が入るライセンス契約を交わした。『GNX』にはほとんどマーケティング費用をかけなかったが、スーパーボウルへの出演は《pgLang》への絶大な先行投資となり、『GNX』の強力なマーケティングにも繋がった。
参考までに、Spotifyで音楽がストリーミングされた場合、アーティストが受け取る金額について記しておこう。いくつかの要因によって異なるが、一般的には、1回のストリーミングあたり約$0.003〜$0.005(約0.3〜0.7円)、100万回再生で約$3,000〜$5,000(約45万〜75万円)と言われている。この金額は、レコード会社、プロデューサー、作詞作曲家、配信業者などと分配されるため、アーティスト自身が受け取る金額はさらに少なくなる。天文学的な回数が再生されなければ、アーティストがストリーミングで稼ぐのは、至難の業なのだ。
この『GNX』というアルバム・タイトルは、ケンドリックが生まれた時に、父親が病院から息子を家に連れて帰るときに初めて乗せた車と同じヴィンテージ・モデルで、わずか547台限定生産された、1987年(ケンドリックが生まれた年でもある)製のビュイック・グランドナショナル・エクスペリメンタル(Grand National eXperimental)の略だ。彼のルーツともいえる、非常に重要な車なのだ。スーパーボウル出演後、このGNXは1台150万ドル(約2億2,500万円)に価値が跳ね上がったという。
そのGNXのバンパーの上に乗ってラップする「Bodies(仮)」は、初公開であっただけに、少なくともパフォーミング中は、内容をあまり理解できなかった観客も多いのではないと推測するが、非常に正直かつ挑戦的で、オープニングを飾るにふさわしい内容なのだ。特に印象に残るラインを紹介しよう。
「ルーブル美術館の前に何時間も座らせられたら、君は何もわからないだろう」
これは、自分はルーブル美術館のアートと同等のレヴェルの高いアートを見せているのだから、このハーフタイムショーの内容にしても、仮に説明したとしてもそれを理解することができない観客がいることは、承知していることを示唆している。また同時に、偉大なアートは、伝わる人には伝わるということも意図しているのだろう。
実際に、主に白人の年配層の観客に、「このショーは最悪だった」「つまらなかった」「ハーフタイムショーに期待していたものではない」などの意見も多く、議論を呼んだ。そしてケンドリックを「Not Like Us」以降に聴いて知ったファンにとっては、このショーは“ドレイク叩き”にしか見えなかったのではないかと推測する。しかしこのショーはあえて、「知る人ぞ知る」「分かる人には分かる」、または「黒人に向けたメッセージ」であることを前提としていたように思う。
「ジョニー(ジェイ・ロック)と(スクールボーイ・)Qの隣に立てと言ったって、お前には魂(アブ・ソウル)はないだろう」
そのルーブル美術館のアートを語った次のラインに、《TDE》時代からの永遠の兄弟である彼らの名前を挙げるところもまた最高で、思わず鳥肌が止まらず、ほくそ笑んでしまう。
そして2024年に、J.コールが「First Person Shooter」でドレイク、ケンドリック、自身を“ビッグ3”と呼んでケンドリックの怒りを買い、自身は即謝罪して“1抜け”したことで、ドレイクとケンドリックの一騎打ちが始まったわけだが、それに関してケンドリックは、「『俺が最高だ』って言ったのを覚えてるか?/お前がナンバー1とナンバー2は誰だって議論したときに/その話題にはいつも笑っちまうぜ~俺は『クラ――――イスト!(キリスト)』(大声で叫ぶ)を持ち出したけどな」と曲を終えている。
照明が薄暗いのでちょっと分かりづらいかもしれないが、この曲のパフォーマンス中に、GNXのドアからダンサーが次から次へと降りてくる。この車から大勢の人が出てくる描写が、“メキシコ人(またはヒスパニック系)あるある”な古いジョークやステレオタイプを表しているとして、ヒスパニック系の人たちが「ケンドリックは隠れメキシコ人に違いない」「ケンドリックは車から降りてくる人たちを通して誰をレペゼンしてたと思う!?」などとリアクションし、SNSでちょっとした話題になっていた。『GNX』では、ケンドリックが2024年ワールドシリーズでロサンゼルス・ドジャーズ対ニューヨーク・ヤンキース戦のパフォーマンスでスカウトした、メキシコの庶民音楽マリアッチのアーティスト、デイラ・バレラが3曲で登場したことでも注目を浴びた。メキシコ文化が深く溶け込んだLA出身のケンドリックが、ブラウン・ピープルの同胞に親しみを込めてメキシカンのネタを入れ込んだとしても、不思議はないだろう。
曲が終わると、ケンドリックがGNXの上から、「革命が放送されようとしている。タイミングは良かったが、間違った男を選んだな」と意味深なメッセージを発した。この引用は、アメリカの現状と、今年のスーパーボウルに出席したトランプ大統領への直接的な呼びかけとも解釈できる。2002年に、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領がスーパーボウルのコイントス(どちらのチームが最初にボールを持つかを決めるための硬貨投げ)には参加しているが、ドナルド・トランプは初めてスーパーボウル自体に出席した現職大統領となった。トランプがケンドリックのメッセージを理解できたかどうかは、また別の話だが。
また、この言葉は、詩人、ミュージシャン、ラップのゴッドファーザーとも呼ばれたギル・スコット・ヘロンの有名な「Revolution will not be televised(革命はテレビでは放送されない)」という曲にリスペクトを捧げたものだ。ギルはこのスローガンについて、こう説明している。
「最初の変化は心の中で起こるということについて語っていたんだ。生き方や行動を変える前に、まず自分の考え方を変えなければならない。だから『革命はテレビ放送されない』と言ったとき、俺たちが意味していたのは、人々を本当に変えるものはカメラで捉えられるようなものではないということだった」
しかし、ケンドリックがハーフタイムショーでやろうとしている“革命”は、まさに全世界に放送されようとしていた。「間違った男を選んだ」というメッセージについては、必要とされるメッセージを伝えるには、自分がふさわしい人物であることを強調しているようにも聞こえる。
また、もはやわたしたちはアメリカ政府、社会の意向に従うのではなく、目を覚まして、集団レベルで自分たちの信じるもののために立ち上がり、闘っていこう、というメッセージが込められているようにも感じられた(その意図は次の曲にも繋がっていく)。そしてそれこそが、政府が恐れている“革命”そのものなのだ。
そしてわたしが最も感動したことのひとつは、誰にでも分かりやすい伝え方ではなく、“分かる人には分かる”表現方法を取っているところだ。それはまさに、親や大人、敵対する人たちにばれないように、自分たちだけが理解できる言葉を暗号のように使うスラングのようでもある。そしてスラングを駆使したメッセージは、まさに“分かる人には分かる”ことを意図したアート形式、ヒップホップそのものだ。
2. squabble up
「喧嘩する」または「ダンスする」という意味を持つ、ある意味宣戦布告を意味する「squabble up」は、白、赤、青の服を着たダンサーと共にアリーナを盛り上げる。「満月だ、狼を解き放て、俺は犬だった」というラインで叫び声を上げた後に、ダンサーが軍隊のように階段を上がっていく中で、「喧嘩しようぜ」と繰り返しラップするケンドリック。
するとすかさずアンクル・サムがやってきて、「ダメダメダメダメ! うるさすぎる、無謀すぎる、ゲットーすぎる! ミスター・ラマー、君は本当にゲームのやり方を知っているのかね? 気を引き締めて!」と、ケンドリックのダンサーたちを戒めようとする。
アメリカ政府、より大きな白人アメリカ社会の声であるアンクル・サムとなって登場したサミュエルは、黒人パフォーマーであるケンドリックとダンサーたちに、アメリカン・ゲームに勝つためには、白人アメリカさんに快適に過ごしてもらわなければならない。そのためには、より静かに節度を持って振舞い、本当の自分らしさを抑えなければならない。その基準に合わないものはすべて“ゲットー”という烙印を押されてしまうことを示していて、アメリカ社会をなんとも饒舌に表現している。
3. HUMBLE.
そこで登場するのが、2017年リリースの『DAMN.』のヒット曲でファースト・シングル、「謙虚」を意味する「HUMBLE.」だ。この曲はケンドリック史上最も売れたヒット曲であり、一見、アンクル・サム(政府)や観客の要望に応えて披露するようにも見える。そして先ほど、軍隊のように階段でステージに上がっていったダンサーたちは、白、赤、青のボディでアメリカ国旗を形作っている。ここまでくると、ダンサーたちが全員黒人であることにも気づかされる。ケンドリックが国旗の真ん中に立ち、国や文化や人種の分裂を描いているように見える中、ダンサーたちは首を激しく振った後に、頭を垂れて右手拳を高々と挙げていた。これは、1968年のメキシコ・オリンピックの男子200メートル競走で優勝したトミー・スミス、3位のジョン・カーロスが、頭を垂れながら黒い手袋をした拳を高々と挙げた“革命”的な姿を思い起こさせる。これは本国における人種差別への政治声明と、黒人の誇りを掲げた行為だった。
後にスミスは「もし私が勝利しただけなら、私はアメリカ黒人ではなく、ひとりのアメリカ人であるのです。しかし、もし仮に私が何か悪いことをすれば、たちまち皆は私をニグロ(黒人を表す差別的表現)であると言い放つでしょう。私たちは黒人であり、黒人であることに誇りを持っている。アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう」と語ったという。これはいかに黒人が誇りを奪われ、精神的に抑圧されてきたかがうかがえるコメントだ。彼らのDNAは、間違いなく後世の子孫たちに受け継がれているはずだ。
そしてこの曲のパフォーマンス中に黒人男性の生身の体で形作られるアメリカ国旗には、非常に重要なメッセージが込められている。国旗の真ん中で割ったような形を、バラバラな状態のアメリカの現状を表していると指摘し、文字通りアメリカ黒人の何百年にわたる“無償”労働(道路、建物、作物など)、彼らが流した血によってアメリカが築かれたことを表している、と指摘する声が非常に多かった。そして“ブラック・カルチャー”も、アメリカを築いてきた重要な基盤であると同時に、紛れもない“アメリカン・カルチャー”なのであり、彼らが国旗に表現したように真っ二つに割れるものではない、という主張が感じられた。そしてその分断の真ん中に立ってストーリーを語っているのが、ケンドリックなのだ。
4. DNA.
「HUMBLE.」の「座れ、謙虚になれ」という言葉が続く中、ダンサーたちがフィールドに散っていくと、まさに「俺のDNAには忠誠心、王族の血が流れている」と主張する、ケンドリック史上、3番目に売れた曲である「DNA.」が始まる。フットボールの選手のように広いフィールドを移動しながらラップするケンドリックから、息切れがほとんど感じられないことに驚かされる。彼は毎朝早起きしてランニングをし、他にも体力作りとして、持久力トレーニング、コア(体幹)トレーニング、そして高強度インターバルトレーニング(HIIT)などを週5日行っているという。
また、隠されたメッセージのひとつとして、舞台に設定されたフットボールのフィールドを刑務所の構内に変えることで、大量投獄と人種的不公正を強調しており、舞台デザインと振り付けは、アメリカにおける黒人男性の制度的な閉塞感を象徴していたという指摘も多かった。そしてケンドリックの声は、刑務所に閉じこめられている囚人役のダンサーたちにも届くように響いていた。このイメージは、アメリカでは黒人の声がしばしば閉じ込められ、コントロールされ、沈黙させられていることを思い起こさせるものでもあった。このパフォーマンスは、アメリカ社会に対する大胆な批評でもあったのだ。
また、ライヴ映像では分からなかったが、パフォーマンスの間に観客席には“Warning Worng Way”(警告:間違った方向)というライトが照らされていた。これは、新たな形の奴隷制度とも言われる“刑務所産業複合体”をフィールドに反映していて、この国は間違った方向に進んでいるという警告を視聴者に伝えていたという見解も多かった。
5. euphoria
すると、ドレイクへのディス曲「euphoria」が登場。ケンドリックは全世界に観られている状況で、かなり直接的で攻撃的な内容のこの曲を披露し、ドレイクをディスってしまったのだ。この曲の中でケンドリックは、「家族のことに触れるなよ/深く入りすぎると、お前の家族の誰かが血を流すことになる」「もしお前がやるなら、俺はもっとエスカレートさせるぜ/それがやりたいことか?」とはっきり言っている。
しかしその後にドレイクはディス応戦曲「Family Matters」で、ケンドリックの婚約者のホイットニーを名指し、ケンドリックの子供のひとりは、ホイットニーがケンドリックのビジネス・パートナーであるデイヴ・フリーと浮気してできちゃった子だと言ってしまったのだ(事実ではない)。ラップ・バトルは往々にして、大袈裟に表現したり、はったりをかまして相手を攻撃するのが常だが、ドレイクにやるなと釘を刺していた家族ネタで攻撃を受け、それがケンドリックの怒りを爆発させた。それこそが、破壊力抜群の「Not Like Us」を生み出した。そういう意味では、このバトルの結果は、自分の実力を過信して戦略をしくじった、ドレイクの自業自得でもある。
念のため、ラップ・バトルについて簡単に触れておきたい。そもそもラップ・バトルというのは、言葉で競い合う喧嘩であり、お互いを個人的に攻撃するものではない。フリースタイルのセンス、韻を踏んで印象的なフロウでスキルを見せつけ、パンチラインで相手をディスり、それを見ているオーディエンスがいかに盛り上がるかで勝負が決まる、非常にフェアな言葉のスポーツであり、文化的なエンターテイメントだ。お互いにスキルを競い合って切磋琢磨することで、個人だけでなく、ひいては文化全体を高めていく、ヒップホップにかかせない重要な要素のひとつでもある。もちろんバトルをするからには、その結果も本人の責任と技術次第だ。ヒップホップが誕生したときから発展してきたラップ・バトルは、ヒップホップの伝統芸として、ヘッズに愛され続けてきた。
今はこれがインターネット上で行われるようになってきているため、インターネット上では、お互いの顔が見えない分、誹謗中傷が過激になる傾向はあるものの、2024年にヒップホップ界を盛り上げた世紀のバトルは、ドレイクに対するケンドリックのいじめなどではなく、極めて公平に、お互いのスキルで競い合った結果にすぎない。個人的な見解としては、ヒップホップの中でも、ポップスとしてトップを極めたドレイクと、カルチャー全体としてのトップを極めたケンドリックが対抗したのだが、アメリカ黒人の苦闘には興味もなければ理解もないドレイクが、カルチャーの土俵に上がって競い合ってしまったために、カルチャーの流儀で闘ったケンドリックが圧勝する結果になったと理解している。
また、これについては、クリスチャン・ラップ(キリスト教の信仰や聖書のメッセージをテーマにしたヒップホップ)のアーティスト、レクレーの見解も話題を呼んだ。
「ゴーストライターの件はともかく、ドレイクは素晴らしいラッパーだ。でもドレイクはカルチャーのファンだ。ケンドリックはカルチャーの産物だ。そこには違いがある」
6. man at the garden
実は、わたしがこの日、一番楽しみにしていたのが、この「man at the garden」だ。これは長年、血のにじむような努力をして、自己犠牲を払い、数々の苦難を乗り越えて手に入れてきた成功なのに、まだまだ認めてくれないアメリカ社会や彼を憎む相手に、そして世界に向けて、ケンドリックが「自分にはすべてを手に入れる価値がある」と主張する曲だ。
原曲はナズの「One Mic」にインスピレーションを受けて作られたという静かで力強い曲だが、この日は軽やかなドゥーワップを歌うダンサーの仲間たちをバックに、ケンドリックはほぼフリースタイル風にラップしていた。しかし、ケンドリックの声には憤りの感情を聞きとることができる。頭上から照らすライトは、常に黒人コミュニティが監視の目にさらされていることを象徴しているかのようだ。このアメリカ社会でゲームをプレイし続けるには、政府やシステムに強いられた妥協案を受け入れるしかない。しかしそんな環境の中でも、常に自分たちのコミュニティを作って支え合い、創造性と力強さでサバイヴしてきた。そして、自分は、自分たち黒人は、すべてを手に入れる価値がある人間なのだ、と。
そして「俺がそのすべてに値するのは、俺が手に入れたものだからだ/なぜ(俺ほどの努力も苦闘もしてない)お前が史上最高の名にふさわしいと思うのか言ってみろ」というラインでこの曲は終わる。原曲では、その言葉の後に、「クソッタレが(Motherf***er)!」と言って怒りを叩きつけて終わるのだが、さすがにスーパーボウルではその言葉を避け、「チッ」という感じでダンサーたちと一緒にその場を立ち去る。
しかし、後でこのシーンの意味を知ったのだが、ケンドリックの後ろには、白いシャツとジーンズ姿のダンサーたちが10人いる。そして彼らを照らしている電柱の上で、さらに1人横になって歌っている。この舞台のフィールドには全部で6本の照明の付いた電柱が立っていて、それぞれの電柱上に合計6人のダンサーが横になっていた。ということは、合計16人だ。『GNX』の最初の曲「wacced out murals」には、「たくさんの友人を失った、具体的には16人」というリリックがあるのだが、これは亡くなったケンドリックのホーミー、16人を象徴しており、彼らが天使となってケンドリックを見守っていたのだ。ケンドリックのホーミーなら、彼の価値をちゃんとわかっているはずだ。
するとアンクル・サムが登場し、「おーーー、仲間を連れてきたのか? 文化的チート・コードだ!(違反だから)スコアキーパー(スコア記録係)、命をひとつ差し引け」と指示をする。ただならぬことを言っているように聞こえるが、これはどういう意味なのか?
まず、ここで言う文化的チート・コード(チートコードにはヴィデオ・ゲームやコンピューター・ゲームの裏技のようなもの、という意味もある)とは、「人々が集まって人権を守るために闘ったり、コミュニティを作ったりするとき、現状に留まるようにとの戒めとして、そのうちのひとりが殺されることを意味している」のだという。
つまりこのセリフは、アメリカの歴史を振り返ったときに、人種差別や人権侵害で抑圧されている黒人が団結して権威(アメリカ政府=アンクル・サム)に反発する度に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マルコム・X、フレッド・ハンプトン、ヒューイ・P・ニュートンのような黒人リーダーが何者かによって暗殺/殺害されていることを示唆しているのだ。当然、コミュニティが先導すべきリーダーを失うと、そのムーヴメントは失速しがちで、続行するのが非常に難しくなる。
西海岸でギャングスタ・ラップの基盤となった、ギャングの歴史を振り返ってみても、同じことが起こっている。そもそもLAにおける黒人とラティーノのギャングの発足は、貧困、教育の欠如、白人から受けた人種差別への対応、白人ギャングによる嫌がらせへの対応として始まっている。労働市場の需要によってコンプトンのような街に黒人とラティーノの住民が増えたことで、白人の住民は逃げるように郊外へ引っ越してしまい、中には争い始めるギャングもいたが、公民権運動が始まったことでこのような争いは起こらなくなり、コミュニティの自立や警察の暴力からの保身活動へと移行し、ブラック・パンサー党などに入党した。そんな活動を懸念した政府や警察が、1956年から1971年に実施された対敵諜報活動プログラム(COINTELPRO)により、このような活動家のリーダーたちに対して、徹底的に投獄、暗殺、スパイ活動を行った。これが、アンクル・サムの言う文化的チート・コードであり、「命をひとつ差し引け」という意味なのだ。すると、すぐにクリップスやブラッズが結成され、コミュニティに力を取り戻そうとしたが、リーダーを奪われたコミュニティは衰退させられ、すぐに統制が効かなくなったり、ギャングの人数が激増することにもつながった。
このアンクル・サムを演じたサミュエル・L・ジャクソンの配役がまた絶妙だ。彼は60年代に公民権運動に深く関わり、キング博士の葬式で案内役も務めたというから、文化的チート・コードとひとりの命を奪うことを誰よりもリアルタイムで経験し、理解している人物だ。そう考えると、その言葉の重み、ニュアンス、メッセージ性に、深いため息をつかずにはいられない。その意味を深く理解している多くのアメリカ黒人に、この台詞が非常に深く響いたようだ(一般市民の意識を団結させて革命を先導するリーダー、特に黒人リーダーが歴史的にことごとく命を奪われてきたことを考えると、ケンドリックの身の安全を祈るばかりだ)。
もうひとつ、ドゥーワップ(50~60年代にかけてアメリカで流行した黒人音楽のコーラススタイル)の耳障りの良さを使って(いるようにわたしには感じられた)、アメリカ社会にとっては耳障りの悪い「man at the garden」の手厳しい社会的メッセージを送ったケンドリックを観て、感じたことがある。ケンドリックがヒップホップを通して起こそうとしている革命とその精神が、ジャズの形式のひとつであるビバップの精神性に共通する点があるということだ。
20年~30年代に大流行したスウィング・ジャズは、ビッグバンド編成で主に白人の“観客を喜ばせること”を期待されていた。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクなどのレジェンドを筆頭に、その体制への反発から生まれたビバップは、速いテンポ、複雑なハーモニー、即興演奏を特徴としている。そして何よりも重要なのが、ビバップのアーティストには、「誰も聴いていなくても構わない。俺たちはやりたいことを、やりたいようにやる」という社会批判と創造的自由の追求が顕著だった。商業的に大きな成功には至らなかったが、この時期尚早で革命的な精神性は、今のケンドリックの想いに共通するものがあるように感じられた。
というのも、ケンドリックの、「自分は大衆を喜ばせるためのエンターテイナーではない」という一貫したアティテュード(それをスーパーボウルのハーフタイムショーというエンターテイメントの象徴的舞台で実現するレベルの高さ)。「リスナーに、この複雑で高度なアート形式、文化の素晴らしさを伝えたい、リスペクトして欲しい」という想い。音楽を通してアメリカ黒人の歴史、現状、希望、真実、ストーリーを社会に訴え、同胞に伝える“グリオ”(Griot)のような活動において、ビバップと共鳴する精神性が、わたしには感じ取れた。振り返れば、アメリカ黒人は歴史上、音楽を通して自由を求めてきた。
7. peekaboo
そこで「peekaboo」だ。赤ちゃんをあやす時に使われる、一見遊び心のある印象を与える、「いないいないばあ」を意味するこの曲、実は、相手を脅迫したり攻撃したりする、ちょっと怖い曲でもある。この曲に関しては諸説が語られている。いくつか目にしたのは、異なる人種(の移民)や意見の異なる集団が最初はいがみ合っているのだが、最終的にはひとつになるという見解。また、この場所でケンドリックは女性ダンサーたちに、「レイディース、俺は行動を起こしたいんだ。みんなが大好きな歌を披露したいんだけど、彼らは俺たちを訴えるのが大好きなんだ」と相談する。「Not Like Us」のメロディを一瞬流してじらしておきながら、「スロウダウンしようか」と言って別の曲へと移行していく。訴訟の危険を抱えても、ケンドリックは気にせず限界に挑戦することを選んだのだ。
また「peekaboo」には、今は亡きXXXテンタシオンに関するメッセージが隠されているとして、かなり話題になっている。意図的なシンボリズム(象徴的な意味を込めたもの)なのか、都市伝説なのか、真意のほどは不明だが、一部紹介しておこう。
その1
・ケンドリックがこの曲を“X”(エックス)の枠の中でパフォーマンスしていたのは、ドレイクがXXXテンタシオンの死に関与していたことを知らせるため
・この曲のパフォーマンスは30ヤードラインの位置で行われていたが、“30”はローマ数字で“XXX”を意味する
・ケンドリックはドレイクのふたりのX(元カノ=Ex=X:SZAとセリーナ・ウィリアムズ)を登場させた上に、“X”の枠の中でパフォーマンスした
・XXXテンタシオンは黒と茶色(ゴールド?)の2色のドレッドヘアーで知られるが、この日のステージで女性のバックダンサーは彼への追憶で髪を黒と赤に染めていた
・XXXテンタシオンのフリースタイルのトレードマークであるひざまずくスタイルを、ケンドリックは「Bodies」でGNXの上で再現して追憶していた
・ドレイクは、XXXテンタシオンの「Look At Me!」(2015年)に酷似した「KMT」を2017年に発表している
・パフォーマンス終了後、ケンドリックはピンク色のダイアモンド型のキャンディ(子供を象徴)をくわえ、「この人たちに俺を近づけるな」と背中に書かれたTシャツを着ていた(ドレイクの小児性愛を示唆するこっそりディス?)
その2
・「peekaboo」はリトル・ビーヴァーによる「Give Me a Helping Hand」という曲の、「Give a helping hand / To your fellow men(救いの手を、仲間のために)」というリリックのサンプリングで始まっているが、XXXテンタシオン(フロリダ出身)は、まさにThe Helping Hand Challenge(ヘルピング・ハンド・チャレンジ)という、地元の児童養護施設の子供たちに必需品を寄付する活動を行っている。またこの活動は、ドレイクがフロリダのマイアミで行った「God’s Plan」(現物支給、現金配布、特大小切手による寄付といった慈善行為)を触発したと言われている
・「peekaboo」の曲の中でケンドリックは、17回「peekaboo」とラップしている。「Not Like Us」のMVの中で、ケンドリックは17回腕立て伏せをしている。これはXXXテンタシオンのデビュー・アルバム『17』への追憶。またXXXテンタシオンとジュース・ワールドはふたりともSoundCloudで「peekaboo」という曲を出している
ドレイクが小児性愛者かどうかは不明だが、スーパーボウル絡みでこの話題と重なる、興味深いなと思ったネタも。ケンドリックが最後の曲「tv off」のパフォーマンスを終えた後、客席に“GAME OVER”という電光メッセージが表示された。これはトランプ支持者の間では、未成年の少女を性的虐待し、人身売買していたジェフリー・エプスタインに代表されるような、アメリカ(おそらく世界中)に蔓延る小児性愛の犯罪ゲームを、トランプが終わらせる、というメッセージが込められていると信じている人たちもいて、物事の解釈は本当に無限大だと思った次第だ。
8. luther feat. SZA
そして待ちに待った、ケンドリックの元レーベルメイトであり、今やケンドリック級のスターとなったSZAの登場だ。ふたりのラヴソングをスムーズに歌う中でも思ったことは、SZAはこの日のテーマ色のひとつである赤い服を着ていたものの、家族が観ているショーであるとはいえ、彼女は肌を露出する必要も、ミニスカートで足を露出しなくても、知性とセクシーさを披露することができるのだということだ。
黒人コミュニティにとって非常にスウィートな存在であるルーサー・ヴァンドロスに捧げたこの曲は、アメリカの分断を一瞬でも忘れさせてくれる、特別なパフォーマンスとなった。
9. All The Stars feat. SZA
そして有色人種の俳優が出演した映画としては史上最高の興行収入を記録した、映画『ブラックパンサー』(2018年)サントラの大ヒットソング、「All The Stars」の登場だ。映画とMVに取り入れられたアフロフューチャリズムを象徴するかのように、丸い枠のステージの中で、ケンドリック、SZA、ダンサーたちは、時計と同じ右回りで進んでいく、未来を意識した方向性を描いていた。
10. Not Like Us
メロウな2曲が終わると、やっと言うことを聞いたケンドリックにご満悦のアンクル・サムが登場。「これこそ私の言っていることだ。アメリカはそれを望んでいるんだ。穏やかでいいね。もう少しだ。台無しにするな……」と言い終わらないうちに、みなさんお待ちかね、このハーフタイムショーに関する、「あの曲を演るのか?演らないのか?」と最も大きな話題になっていた、あの曲の悪名高いイントロがかかり、じらしながらもやっと始まろうとしている。これこそ、アメリカが求めていたものなのだ。しかし、ただパフォーマンスするだけで終わらないのがケンドリック。
ケンドリック「これは文化の分断だ。俺はここでやるぜ」
女性ダンサー「本当にやるつもりなの?」
ケンドリック「40エーカーとラバ、音楽以上の意味があるんだ」
女性ダンサー「本当にやるつもりなの??」
ケンドリック「奴らはゲームを操作しようとしたが、影響力は偽れない」
女性ダンサー「なら、そのままやっちゃいな!」
ケンドリックは、アメリカ中のお茶の間が観ている中、誰も期待していなかった爆弾を投下した。スケールがあまりにも大きすぎて、興奮とめまいが同時にやってくる。「40エーカーの土地と1匹のラバ」とは、南北戦争中に北軍が元奴隷の黒人に配分すると約束し、ジョージア州からフロリダ州までの海岸沿いの土地約160万エーカーを、元奴隷の黒人家族に40エーカー(約49000坪)ずつ分配することが決定していた賠償だ。これは、奴隷解放後のアフリカ系アメリカ人が自立した生活を送るための大きな希望となった。
しかし、この命令は南北戦争終結後、1865年末に大統領となったアンドリュー・ジョンソンによって撤回され、白人の元プランテーション所有者に土地が返還され、黒人たちは再び土地を奪われてしまう。この撤回は、アメリカの黒人コミュニティの経済的な遅れの大きな要因のひとつとされており、今日に至るまで、アメリカの黒人と白人の間の“貧富の差” は非常に大きな問題となっている。その後も、賠償(Reparations)の議論は行われているものの、実現の見込みはたっていない。この政府の約束を忘れないようにと、映画監督のスパイク・リー(とモンティ・ロス)は、自身らの映画制作会社に《40 Acres and a Mule Filmworks》(40エイカーとロバ一匹フィルムワークス)という名前を付けている。
第2次世界大戦中に、アメリカ生まれの日系アメリカ人(多くが農業を営んでいた)が土地を奪われて強制収容所に入れられた仕打ちに対しては、政府は後に少ないながらも被害者の家族に賠償金を支払っている。日系アメリカ人4世の年配の友人曰く、後にレーガン元大統領にひとり当たり2万ドルの賠償金をもらったそうだが、「2万ドルで土地が買えるわけがないだろ!」とブチ切れていた。
「Not Like Us」の話題に戻ると、「彼らはゲームを不正に操作しようとしたが、影響力を偽造することはできないぜ」というのは、ドレイクは《Universal Music》に対して訴訟を起こし、「Not Like Us」の売上はレコード会社の操作だと主張しているが、今や世界中に広がった否定し難い影響力は、間違いなく本物だということを言っているのだ。
ドレイクが訴訟を起こそうと、《Universal Music》にも、ケンドリックにも、NFLにとっても、グラミーにとっても、痛くも痒くもなく、「Not Like Us」の影響力はもう誰にも止めることができない。それにしても、ケンドリックは悪魔のような笑顔で、「なあ、ドレイク、未成年が好みなんだってな」と一連のネタをカメラ目線でラップし、世界中の視聴者が、未成年好きを意味する「Aマイナーーーーーーーーーーー!」のラインを一緒に叫んでしまった(さすがに、「小児性愛者[PEDOPHILES]」という言葉はかき消していたが)。
しかも、間髪入れず、ドレイクの元カノだが、ケンドリックと同郷コンプトン育ちのセリーナ・ウィリアムズがCウォーク(クリップ・ウォーク、1970年代にロサンゼルスのギャング、クリップス[Crips]によって生まれたダンス・スタイル)というダンスを踊るという、誰も予想しなかった痛快すぎるパフォーマンスが展開し、新たな伝説となった。
セリーナはキャリアを通じて頻繁に不正行為を疑われ、テニス界で最も厳しくドーピング検査を受けた選手のひとりとして知られているが、陽性反応が出たことは一度もなく、クリーンなアスリートとしてのキャリアを維持していた。しかし2018年に、セリーナはアメリカのアンチ・ドーピング機関(USADA)による抜き打ち検査の対象になった回数が、他のアメリカ人選手よりも圧倒的に多かったことが報道された。テニスは歴史的に白人が多いスポーツであり、特にセリーナと姉のヴィーナス・ウィリアムズは、黒人女性としてトップに立った数少ない選手だったため、その背景には人種的偏見があるという批判の声も上がっていた。
そんなセリーナは2012年のウィンブルドン選手権で優勝した後、センターコートでこのCウォークを踊った。「ギャング文化と結びついたダンスを、ウィンブルドンのような格式高い大会で踊るのは不適切」「未熟で品がない」と批判する声もあれば、「彼女が育ったロサンゼルスの文化を祝うもの」「ダンスは単なる喜びの表現であり、ギャングとは関係ない」と擁護する声もあった。本人も「ただ嬉しくて踊っただけ」と説明している(ちなみに2024年のパリ・オリンピックの聖火ランナーをしている間に、スヌープがCウォークをしている姿が目撃されているが、大して話題にならなかった)。
数々のグランドスラムを制し、史上最高の選手となったとしても、セリーナはウィンブルドンでは自分らしさを発揮したことを罰せられた。冒頭でアンクル・サムが注意したように、このアメリカ社会では、黒人が自分らしく行動する自由が許されないという現実はあるものの、黒人中心のスーパーボウルのハーフタイムショーでは、セリーナは謝罪することなく踊る自由を見つけた。だからセリーナのCウォークは、黒人女性の自由を祝福する場でもあったのだ(とはいえ、非黒人がNワードを使うべきではないのと同じくらい、地元民以外の人間がCウォークを踊ることは、適切ではないとされている)。
また、「Not Like Us」を舞台で踊る、白、赤、青の服を着たダンサーたちは、去年LA郊外のイングルウッドでケンドリックが主催したイベント《The Pop Out: Ken & Friends》のステージで、敵対するギャング同志を団結させた姿を思い起こさせ、胸が熱くなった。
11. tv off
そして「tv off」のイントロが流れると、「俺の名前はKドット、ケンドリック・ラマー、OKLAMA、ミスター・モラール。あなたたちとパーティするためにカリフォルニア州コンプトンからはるばるやってきた。さあ、みなさんご一緒に、マスタ――――――――ド!」と勢いよくスタート。名前を呼ばれたマスタードもステージに登場し、パーティがさらなる盛り上がりを見せる。そしてケンドリックは「LAのエチケットでニューオーリンズ(スーパーボウルのハーフタイムショー)を歩くぜ、叫びながら!」というラインを決めた。これは、LA市民にとってはたまらないラインだ。
そしてもう1度マスタードの名を叫んだ後に、「ヤツら悪ぶってるけど、誰かがやらなきゃならない」と自らを鼓舞するラインを続け、この曲の「テレビを消せ」という究極のメッセージを繰り返す。ここには、現在のヒップホップ文化や、それを支える音楽業界に対する彼の戦いについて、自分の厳しい行動こそが、より良いヒップホップ文化を築くために必要なものだという思いが込められている。
これらのメッセージは、「Not Like Us」の前に宣言したように、これは音楽以上の問題であり、「Not Like Us」、自分たちが真に何者かを知り、自分たちとは違う人たち(敵)(「Not Like Us」)が誰なのかを知ること。そして、革命は一方的な情報を押し売りしてくるテレビで放送されるものではなく、社会や制度にプログラムされることなく、テレビを消してひとりひとりが行動しよう、と訴えかけるメッセージだとわたしは受け取った。
また大きな舞台を踏むごとに成長を続ける「Not Like Us」は、この日ケンドリックがアメリカ黒人全体に、「They are Not Like Us」、「黒人である自分たちは白人とはわけが違う、黒人であることは素晴らしい、黒人であることに誇りを持とう」という団結のメッセージを送っていたようにも感じられた。
この日ケンドリックが着ていた青のジャケットには、「GLORIA」という文字が描かれていた。これは『GNX』に収録されている最後の曲(アルバムでの曲名はすべて小文字表記)であり、コモンの「I Used to Love H.E.R」を思わせるような、ラップの栄光、リリックを書くペンへの愛情、キャリアの成長などを、愛する女性に擬人化して「GLORIA(グロリア)」と呼んでいるのだ。それはヒップホップへのラヴレターのようでもあり、このほんの13分のショーの間中、ケンドリックはカメラに一番映るジャケットの表で“ヒップホップ愛”を前面に出していたのだ。
「結局のところ、ラップ・ミュージックほど力強いものはない。俺たちこそが文化であり、ラップは永遠に生き続ける」
これは、ケンドリックが今年のグラミーで5冠獲得した時に語っていた言葉だ。彼はまさにこの言葉を、世界中がこのハーフタイムショーで目撃する中で証明してくれた。彼と同じ時代に生きて彼のラップ・ミュージックを呼吸できることに、感謝の気持ちでいっぱいだ。(塚田桂子)
第59回スーパーボウル・ハーフタイムショーの全編はこちらから。
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Text By Keiko Tsukada