「人生は完璧じゃないことぐらい誰もが知ってる」――ブライト・アイズのコナー・オバーストが語る、バンドの軌跡と現在地
前々作から実に9年ぶりのフル・アルバムとなった前作『Down In The Weeds, Where The World Once Was』(2020年)のリリース時、コナー・オバーストへインタヴューを行った際、彼は同作について「これまでのブライト・アイズのサウンドを総括するようなサウンドを作りたいというのがアイディアだった」と語ってくれた。コナー・オバーストを中心としマイク・モギス、ネイト・ウォルコットらと三人の生まれ故郷ネブラスカ州オハマで結成されたブライト・アイズは、コナーの兄とモギスが組織の原型を築いた《Saddle Creek》の成長と共にその抒情的なフォーク・サウンドと、心を掴むエモーショナルなメロディー、ブッシュ再選へ対抗する《Vote for Change》ツアーなどに象徴されるポリティカルな精神性をもって、2000年代のインディー・バンドを代表する存在となっていった。
前作リリース後、バンドは自らの過去カタログを《Saddle Creek》から現在所属する《Dead Oceans》へと移動。そのいきさつは本インタヴューでも語られているが、その出来事をひとつのきっかけにバンドは過去作を再録音し、再構築するプロジェクト《Companion》を始動していく。2010年代半ば以降、エモ・ラップ経由での再評価や、ビッグ・シーフ、フィービー・ブリジャーズに代表されるインディー・フォークの隆盛とも共振しながら、ブライト・アイズの楽曲をティーンネイジャーの頃に聴いて育ったミュージシャンたちが続々と彼らからの影響を公言し、楽曲をカヴァーした。さらにコナーはフィービー・ブリジャーズとはベター・オブリヴィオン・コミュニティ・センターというユニットを結成するなど、ブライト・アイズの存在感がインディー・シーンの中で増してきた近年を経て、彼らは実践的にも思考的にも、自らのキャリアを振り返るという時期に入っている。
今回のインタヴューは昨年11月に行われた。最新作についてはもちろん、上述したような自らのキャリアの総括、新たに出会いながら共演や音楽制作を重ねる若いミュージシャンたち、トランプの再選など様々なトピックに対してコナーは丁寧に、時に少し考えこみ、時に記憶をたどりながら真摯に答えてくれた。
(インタヴュー・文/尾野泰幸 通訳/竹澤彩子 写真/Nik Freitas 協力/岡村詩野)

Interview with Bright eyes(Conor Oberst)
――数年にわたる時間をかけて録音した前作と比較して、本作は相対的に短い時間で録音を行ったときいています。前作から本作の制作に至るきっかけはいったいどのようなものだったのでしょうか。
Conor Oberst (以下、C):そうそう、前作はまさにパンデミックの真っ只中にリリースされて、当然のことながらツアーも一旦お預けになった。その後は、通常のツアーと比べたら相当限られた本数ではあったけど徐々にツアーを再開していった。日本では実際のところどうなのかわからないけど、少なくとも自分の周辺にいる人たちはパンデミックだの、ロックダウンだのによって生活的にも精神的にも相当なダメージをくらっていて……。自分の気持ち的にもこう、何て言うのかなあ……、あんまりエンジンがかからないというか、「よし、曲を書こう」っていう気にならなかったんだよね。そのあと、友人のアレックス・オレンジ・ドリンクことアレックス・レヴィンがLAにある僕の自宅に遊びに来て、ダラダラと一緒につるんでてね。それで何がきっかけだったっていうのは忘れちゃったけど、アレックスが根がポジティヴな人だから。2人で普通にヒマを持て余してるときに「やることないし曲でも作る?」って言われて、「そうか、その手があったか」ってひらめいた(笑)。それでそのまま一緒に曲を書き始めて、3、4曲くらい完成したときにこれはもうアルバムにするしかないと。それで、そのまま曲を書き続けて、徐々にメンバーのマイク・モギスとネイト・ウォルコットを招き入れて、みんなで一緒にアルバムを仕上げたという感じかな。
――前作のリリース時に話を訊いた時、あなたたちは「これまでのブライト・アイズのサウンドを総括するようなサウンドを作りたいというのがアイディアだった」と話してくれました。オーケストラルで、レイドバックしたシリアスで重厚なサウンドが印象的であった前作と比べて、本作では軽快なルーツ・ミュージックや、ハートランド・ロックを下地とした、よりミニマルで繊細な楽曲が多く収められているように思います。前作と比較して、本作のサウンド・ディレクションの意図や背景はどのようなものだったのでしょうか。
C:そうだね、前回のアルバムとは確実に違うところから影響を受けてるのは感じるし、「スピリチュアル」って言葉がこれにあてはまるのかどうかわからないんだけど、根源的というか、これまでの作品に比べて今回はわりと古い時代の音楽からの影響が出てきてるのかなあっていう気はしていて。今回は制作にあまり時間をかけてないこともあるし……、それよりももっとこう原初的な衝動というかな、それこそ最初にバンドを始めた頃のエネルギーに気持ちが向いてたんだよね。ある意味パンク的というかDIY的な、それこそ一番最初にバンドを始めた頃のノリに近いような、友達同士で地下室で練習してたときの感覚だよね。実際、今回のテイクの大半はライヴ録音だったりして。みんなで同じ部屋で一緒に音を鳴らすっていうようなシンプルさを求めてたんだ。スタジオに入ってエフェクトだの何だのを駆使してサウンド・マジックを描いていくやり方に対して、今回はストレートにギターを思いっきりかき鳴らすみたいなシンプルさを求めてたんだよね。
―― 前作にあった総括というテーマを広げると、ここ数年にわたりあなたたちは“Companion”プロジェクトという、自身の過去作を採録したり、ルーツにあたるような楽曲のカヴァーを継続して来たと思います。そのなかにはかつて『Cassadaga』(2007)に収録された「Claiiraudients」が、ゆったりとしたフォーク楽曲から、パンク・ナンバーとして生まれ変わっているように、180度サウンドを再構築したような楽曲も収められています。そのような過去に立ち返るというプロジェクトはどのような意図で始まったものなのでしょうか。
C:きっかけとしては5年前、いや、もしかして、もう6年になるのかな。 《Saddle Creek》からこれまで出した作品をすべて引き上げることになって……。《Saddle Creek》はそれこそ自分たちがまだ若かったほとんど子供みたいな時期に仲間同士で始めたレーベルだから、今でも親しい友人が何人もいるんだけど、時代の移り変わりと共に初期の頃みたいにみんなで手作りでやっているっていうよりは、オーナーがいてみたいな通常のレコード・レーベルと同じような運営形態に移行していった感じなんだよね。そういう変化もあって、《Secretly Canadian》傘下の《Dead Oceans》にカタログを移動することになった。ベター・オブリヴィオン・コミュニティ・センターで一緒に仕事をした縁もあったし、長年の友人も何人かいたから、そこが自分たちに向いてるんじゃないかと思って。そこで《Dead Oceans》にカタログを移すにあたって、過去作品一枚一枚に”Companion (相棒)”として対になるEPを一緒に出そうというのがそもそものきっかけだったんだ。もう一つ、この機会に曲を再構築しようと思ったもう一つの理由として、例えば自分が曲を書いたとして、それがレコードなり何なりで形になったものが世間一般ではその曲のイメージとして定着していくわけだよね。ただ、時間と共に実際の作品になってる曲と自分の頭の中にあるその曲のイメージと齟齬が生じることもあって……、もちろん、歌詞だったり、基本となるメロディーだったりコードだったり根幹部分は大きく変わらないんだけど、ライヴやツアーに出て毎回歌っているうちにレコードに入ってるバージョンから微妙にはみ出していくもので……。だから、好きなんだけど好きじゃない曲にスポットライトを当てようみたいな。なんかややこしい言い方をしてるけど(笑)、曲自体は好きなんだけどアルバムの中に入ってるバージョンが気に入らないっていう曲を再録音してみようという、まさにセカンド・チャンスを与えよう、みたいな感じでね。
―― そのようなキャリアの総括や再訪を企図した“Companion”プロジェクトのなかで、ワクサハッチーやフィービー・ブリジャーズをフィーチャリングしているように、“Companion”プロジェクトは懐古的で、ノスタルジアに支配されたものではなく現在のミュージシャンへ自分たちの歌を繋いでいく仕掛けであるようにも感じます。そのフィーチャリングにはどのような意図があったのでしょうか。
C:そう。今言ったフィービーだったりワクサハッチーだったり、あるいはファースト・エイド・キットのジョアンナ&クララ姉妹だったり、ハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフのアリンダだったり、あるいはギリアン・ウェルチだったりね。才能ある友人や尊敬してるシンガーソングライターが身近にいて、素晴らしい声、音楽を自分達の作品のために提供してくれる。それはブライト・アイズというバンドが本当に恵まれてるところ。そうでなくても常にマイク、ネイト、自分という3人による岩盤体制にあるからね。ただ、ブライト・アイズの外では3人ともそれぞれ別々の顔を持っていて、個々に色んなミュージシャンと演奏してるから、当然のことながらアルバムごとに音が変化していくわけで……、その再構築を曲ごとにやったのが「Companion」であり、毎回レコーディングするたびに流動的にスタイルが変化していく。まさにその変化を捉えた再チャレンジバージョンだね。
―― あなたから見て、ワクサハッチーやフィービー・ブリジャーズはどのようなミュージシャンであり、どのような友人ですか。
C:もう、本当に、ミュージシャンとしても人としても大好きな2人だよ。ワクサハッチーのケイティに至っては彼女がアラバマのバーミングハムにいるときから知ってるくらいの長年の付き合いでね。アラバマで一緒に共演したミュージシャン仲間なんかの繋がりで……、それこそ彼女が高校生の頃にバンドをやってた頃から知ってるし(笑)。当時から本当に才能が光ってたよ。フィービーは、本格的にタッグを組んで一緒にバンドをやってるくらいの仲だからね。今でも本当に親しい友人の一人だし、僕は彼女の書く曲が本当に好きなんだよね。これまでさんざん一緒に歌って一緒に音楽を作ってきた仲だから。生涯の友人の一人だと思ってるよ。
―― 「Companion」プロジェクトや上述したミュージシャンとのコラボレーションの経験は本作にいかなる影響を及ぼしているでしょうか。
C:確実に影響が出てるね。インスピレーションってことにしろそうだけど、音楽ってそうやってサイクルでずっと巡ってるっていうのがすごく面白いし、感慨深いなあと思って……。今話題に挙がったアーティストについて話すとき思い浮かべるのが、まさに自分がこの業界に足を踏み入れたばかりの頃に先輩としてお手本にしてたり力になってくれたりアーティストとの関係性だね。それこそR.E.M.のマイケル・スタイプなんて、今でもう25年ぐらいの付き合いになるんだけど、何か困り事があったときやこの業界でやっていく上での先輩からのアドバイスを必要としているときに、自分にとってはすぐに相談できる信頼できる相手なんだよね。だから、今言ったような自分よりも若い世代のアーティストたちに対して、自分が先輩たちからそうしてもらったようにできるだけ彼らの力になってあげたい気持ちだし、それこそレコード会社との契約にしろ、ツアーやプロデューサー選びに関しても、少なくとも自分の経験から語ることはできるから。しかも、音楽的サイクルの部分で、自分もまたそれこそワクサハッチーだのフィービーだの若い世代のアーティストからものすごく刺激を受けているしね。そうやって、世代を越えてミュージシャンが全体としてインスピレーションの輪を廻し続けてるんだなあ、というのは本当に実感してるし感慨深い。
――自分に影響を与えた先達という話からすれば、以前いくつかのインタビューで、あなたは自分にとって特別なバンドとしてザ・リプレイスメンツの名前を挙げていました。私は、本作におけるキーワードの一つとして“パンク”というものがあるのではないかと想像しています。もしあるとすれば、本作におけるパンク性とはどのような部分に存在しているでしょうか。
C:そもそも“パンク”および“パンク・ミュージック”自体が、言葉としてもジャンルとしてもすごく曖昧だよね。その一言だけでたくさんの意味をあらわしてるし、どのようにも解釈できる。ということを踏まえて、僕個人のパンク観を語らせてもらうなら、たしかにザ・リプレイスメンツは大きな存在ではある。世間的にはパンク・バンドとしてあまり認知されていないとしてもね。ただ、その一方でもっと王道のパンクとして認知されてる、それこそザ・クラッシュだのなんだのを大量に聴いてきたわけだよね。あるいは初期のインディー・ロックやハードコア、もちろん呼び方は何でも構わないんだけど、イメージとしてはヴァンで小さなハコをツアーしてまわってるみたいな……。それこそ僕の地元のネブラスカみたいな地方にも遠征に来てくれるようなノリだよね。僕が子供の頃なんかはちょっと名の知れたバンドのライヴを観るためにわざわざシカゴやカンザス・シティにまで出向いていってたくらいだけど、そこまで有名じゃないバンドはヴァンで移動してネブラスカに寄ってくれたからね。昔オマハに《Cog Factory》っていう伝説のヴェニューがあってね。たぶんお客さん100人も入ればぎゅうぎゅうの会場で、窓もないがらんどうの箱みたいな空間で、その場にいる全員汗だくみたいな(笑)。自分にとってライヴの原体験はまさにそこにあって、その感覚がデフォルトとしてずっと染みついてる。もちろん年齢を重ねるにつれて、それ以外の色んな音楽と深く関わっていくんだけど、それでもあの本能に直接響くようなパンクならではのフィーリングっていうのはいつの時代にも共感できるものだからこそ、どんなに時代を経てもいまだに幅広い世代に支持されてるんじゃないかな……。そう思わない? そりゃまあ、一般的にはパンクは若者の音楽の象徴で若者だけに支持されているようなイメージがあるけど、ただ自分は年齢を重ねてもめちゃくちゃパンクな大人たちを数多く見てきてるからね。パンクっていうのは決して時代や年齢と共に色褪せてしまうものではない。若い頃にパンクに感化された人間は何歳になってもどこかでパンク的な姿勢や態度が染みついてるもので、それが折に触れて噴出してしまう。といのもありつつ、今回のアルバムに関しては普段のレコーディングよりもライヴ録音を多めにしたり、上から音を付け足したりという作業をいつもより控え目にして、それこそさっき君が指摘したように、前回の『Down in the Weeds, Where the World Once Was』なんかはオーケストラ的な要素だったり、スタジオならではの仕掛けを総動員していったけど、今回のアルバムに関してはあくまでもシンプルに徹してるし、それは確実に意図してたことだった。それが本作にとっての“パンク性”といえるかな。
――あなたにとってザ・リプレイスメンツなどのバンドがそうだったように、近年特にブライト・アイズに影響を受けたことを多くの若いミュージシャンたちが公言するようになっています。それはブライト・アイズの楽曲がインディー、もう少し広げるとロックの歴史の中でスタンダードとして確立されつつあることを示していると思います。しかしながら、“Companion”プロジェクトにおける楽曲の再構築はむしろその評価の固定化にあらがうような行動であるように思います。あなたたちにとって、自分たちの楽曲がスタンダードとして確立していくことをどのようにとらえているか、教えていただけますでしょうか。
C:そうだね……。自分の中の感覚としては昔も今もそんなに変わってないっていうか……。ただ、音楽で一応生計を立てて、そこそこの規模で活動してると、普通の仕事と同じようにマンネリ化してしまう側面も出てきてしまうんだけど……、その一方で自分のまわりでも音楽だけでは生活できなくて、就職していった例もたくさん見てきているわけで。だから、こうしていまだにミュージシャンを続けさせてもらってることに本当に感謝していて……。だって、自分のこれまでの人生でほぼずっとこの仕事をしてるんだから。おかげで今日までいわゆる世間一般の人達が思うところの定職には就かずにここまでやって来れてるわけで、本当に恵まれてると思う。そしていま言ってくれたように、自分に影響を受けたっていう若いミュージシャンが出てきてることもすごく嬉しくてね。若い子たちに自分の作品について「自分の人生を変えた大切な一枚」とか言われたりすると、本当にここまでやってきた甲斐があったなあと思う。と同時に、すごく年を取った気分にもなる。「うちの母親が大ファンだったんです!」なんて言われるとね(笑)。いや、それだって本当にありがたい話なんだけど(笑)。それとバンドとしても本当に恵まれてきたと思う瞬間も多くて、会場を見渡すとそれこそ10代の子達から60代まで、それこそ元々シンガー・ソングライター系の音楽が好きだったり《NPR》を観て好きになってくれたリスナーまで幅広い年代層がいて、もちろんその中間層の自分と同世代に近い30代、40代も含めてあらゆる年齢層が揃っていてね。若い子たちばかりでもないし年代層が限定されているわけでもない。自分達の作ってる音楽はどうやらどんな世代にも一定層に響くものらしい(笑)。
―― 作品の話へと踏み込んでいくと、本作の印象的な部分として、「spun out」や「The Time I Have Left」におけるスクラッチ・ノイズの挿入があります。楽曲のリリックとも相まって、その音は時間を巻き戻したり、未来へと進めたりする効果音のようにも聞こえてきます。これはどのような意図で配置したのでしょうか。
C:これに関してはヒップホップ・プロデューサーをやってる友人の功績でね。エリックっていう、E.Babbs名義で数々のラッパーやヒップホップ・アーティストを手掛けてる昔からの友人で、昔から一緒にレコーディングしたりツアーしてたりするMars Blackの作品にも関わってたりして。むかしにはツアーの前座も務めてくれてて、『Digital Ash In a Digital urn』(2005年)のアルバム・ツアーのときだったから、2005年とかになるのかな。というわけで、相当前から知り合いになるんだけど、 E.Babbsとずっと一緒に何か作ってみたいと思っててね。すごく才能あるプロデューサーでスクラッチとか本当に凄いんだよ。だから具体的に何をしてほしいってイメージがあったわけじゃないんだけど、とりあえず音源を投げてみたんだよね。ヒップホップを中心にやってるとはいえ、ミュージシャンとして心得てる人なので、ブライト・アイズの作品にゴリゴリのヒップホップのビートを被せるとか、わからないことは絶対しないだろうってことで信頼してたので……。その結果として、実際のヴォーカルに合わせてスクラッチ・ノイズを被せるっていう案を思いついたんだろうね。でも、言われてみればたしかにそうだね……今までその発想はなかったけど、たしかに時間を巻き戻したり、進めてるみたいな感じに聴こえるよね。ちなみに「The Time I Have Left」ではザ・ナショナルのメンバーで、友人でもあるマット・バーニンガーが一緒に歌ってくれててね。マットの声とスクラッチもまた珍しい組み合わせの気がするし、色んな意味で実験的で面白いものになったんじゃないかな。自分的には大満足してる。
―― 先ほどのような私の印象が脳裏に浮かんだのは、本作に“時間”もしくは“記憶”といったテーマやメタファーが存在しているように思ったからです。もし、私の考えが正しいのだとすれば、それはどのような意味内容を有しているものでしょうか。
C:そうだね、それは昔から自分の音楽の中にあるテーマの一つ。昔から時間の経過だの、死だの、実存だのといった厄介なこじらせ的なテーマに獲りつかれてて……。誰でも生きたらどうしたってそういう命題に向き合わざるを得ない出来事に直面する場面も出てくるわけじゃないか。ただ、僕の場合、子供の頃からそうしたテーマに獲りつかれていて、何も今回が初めてじゃないし、何だったらお馴染みのテーマでもあるかな。とはいえ、自分は今44歳になってるわけで、それをミドルエイジと呼ぶのか中年と呼ぶのか、表現はなんであれその年代ゾーンだよね。当然のことながら25歳のときの自分とは違うし、自分のまわりの景色もまるで違ってる。ただ、人生ってそういうものだとも思う。まわりの景色を含めてすべてが移り変わっていくけど、今の自分の目線からしか書けない……。少なくとも僕の書き方はそう。だから、自分が人生のどの地点にいようがそのときどきの波が襲いかかってきて、そのつどその経験を曲に還元し続けてるようなもので……。それで言うなら、年を取るって、まあ何と言うか、本当にクレイジーでなわけでさ。ただ、これってもしかしてみんなが感じてることなのかもしれないけど、自分の内側から外側の中心にして世界を眺めたときに、自分自身がものすごく変化したっていう実感はそんなになくて……、たとえ外側は大きく変化してるとしても、それを内側から見ている自分は昔も今もそう大差ない、みたいな。そういう意味では10代の頃の自分も、20代、30代の頃の自分の中の感覚的にはそんなに変化してなくて、いくつになっても自分は自分でしかない。それなのに、人から「すっかり年を取っちゃって!」なんて言われたりなんかするとさ(笑)。あるいは、いわゆる今の若者世代の感覚の中で自分にはさっぱり理解できないってものに遭遇したときに、つくづく自分は年を取ったんだなあって思うし、それこそ一気に100歳ぐらいの年寄りになったみたいに感じるときもあるからね(笑)。
――別の楽曲に話を進めると、祝祭感溢れる「Bells and Whistles」、疾走感のある「El Captan」といったフォーク・ロックや、ガレージ・パンクのような握りつぶしたようなギター・サウンドが印象的な「Raindow Overpass」、ダイナミックに仕上げたハートランド・ロック・テイストの「Train Still Run on Time」といったロック・ナンバ-の数々も印象的です。いま、ブライト・アイズにおいてロック・サウンドを構築する上で意識する共通点などがあれば教えていただきたいです。
C:うん、今言ったことどれも同意するし、いわゆるパンク・ロック的というのか何なのか、いずれにしてもアップ・ビートなノリが全面的に出てたり……、曲によってはビート主体というか、ビートに比重を置いてたりして、実際ツイン・ドラム体制で録音してたりね。「spun out」のドラムなんてまさしくそんな感じだし。曲によって鍵になるポイントみたいなものがあって、リスナーの関心をそこに誘導していくみたいな感じっていうかね。うちのバンドの場合はたいていそれがヴォーカルだったり、歌詞で伝えてることだったりするんだけど、今回はビートに焦点を置きにおってたりとか。ただ、それだけじゃないテイストも好きで……。たとえばキャット・パワーのショーン・マーシャルと一緒に歌ってる「All Threes」なんかはグルーヴやベースやドラムが注目ポイントになっていたりしてね。いずれにしろ一番いい形にしてあげるために最善を尽くしてるだけだよね。とくに自分が書いてる曲の性質だと、いったん曲が完成したらその後にはどんな方向にも転がすことができるので。いつもそのときの気分で「よし、今回はこれを使ってみよう!」みたいな。だからバグパイプみたいな変わった楽器をいきなり導入することもあるし、正統派カントリーみたいに仕上げることもある。あるいはもっとエフェクトを駆使した方向に振り切れることもできる。ただひたすら曲に奉仕してその曲のベストな形を引き出してあげようという。そうすることでリスナーに、感情と理性の両方向から働きかけようという試みだよね。
――少し話題が変わりますが、アメリカではトランプが再選されました。経済的、政治的さらには社会の雰囲気までも日本にも影響が出ることは避けられません。いまブライト・アイズは作品において、直接的に政治性を内包させることはあまり意図されていないと思いますが、かつて、Vote For Change Tourに参加していたこともあるあなたは、今回のこの結果についてどのように思い、これからの作品にこの現実が反映されることはあるでしょうか?
C:それはもう、日本への影響も絶対に避けられないよね……。今回のことが人々の生活を左右するだろうし、自分の生活にも、もちろん、今こうして話している君たち日本に住んでいる人たちの生活にも響いていくはず。それが今のいわゆるグローバルな社会の構造だから。ただ、アメリカの政治って昔からずっと振り子みたいに、両極端の間を行ったり来たりしてる。アメリカ国民は過去にもブッシュ政権を耐え抜いているわけで……、そこからジョン・ケリーが勝利するって信じてのに、ブッシュが再選されたときの絶望感たるやもう……。そしてそこからまた何も変わらない状況が何年も続いて、そこで鬱積した感情が黒人初の大統領のオバマ政権の誕生を導いたわけで、そのとき多くの人たちが「新しい時代が始まったんだ、ようやくこれで世の中が良い方向に開けていく」って希望を抱いたわけだよね。ただ、実際はそこですべてが解決するみたいな、そんな夢物語のようにはいかなかった。たしかにいくつか進歩した部分もあったとはいえ、そこにきて、最初のトランプ当選があって、それを耐え抜いた後の今回の結果なんでね。そこで終末論に走るのは簡単だけど、僕からすると正気じゃないしバカげてるとしか思えない。そもそもトランプ自体がやってることが無茶苦茶なわけで。政治におけるありとあらゆるルールを破ってるのに、それでも毎回勝利していること自体が異常で、なぜあれが社会的に容認されているのか僕にはさっぱり理解できない。しかも、同じことがアメリカだけじゃなくて世界中で起きている気がするし。日本ではどうなのかわからないけど、ヨーロッパでは原理主義者的な右寄りの政党が勢力を伸ばしてて、それと同じ現象が今世界の色んな国や地域でも起きている。それが僕には恐ろしくてたまらない。その先に何が待っているかは歴史がすでに証明済みなわけだから。今回、トランプが再選されたことで、落胆して憤りを感じたし精神的に相当打ちのめされたのは事実だけど、それが現実になってしまったからには自分にできることをしていくしかないし、自分のまわりの人たちに対して自分にできることをしていくしかない気がしてる……。自分の人生の中で関わり合う人たちにできるだけ思いやりを持って接するとか、本当にそういう小さなところから。その上で音楽が自分の人生の大きな部分を占めているわけだから、自分がそこから発信したものがいつかどこかでたとえ間接的にでも何かしらポジティヴなきっかけをもたらしてくれるんじゃないかって、自分は信じてる。今置かれている状況がどうであれ、いずれにしろ先に進まなくちゃいけないし、クリエイションを止めることなく自分からポジティヴなエネルギーを発し続けていかなくちゃ……、というか、すごく単純なところで、みんなもっと仲良くなれたらいいのに……。
――今のお話と少し関連する部分もあるのかもしれませんが、本作の示唆的なタイトル「Five Dice, All Threes」について、楽曲タイトル的に関連するである「All Threes」のリリックを読み解くと、必然性と偶有性は背中合わせなのだというような意図を読み取りました。つまり、いま、完璧だと思っていることもそれはたまたまそうなっているにすぎず、次の瞬間には崩れ落ちてしまうものなのではないか、というような。この示唆的なタイトルにはどのような意図が内包されているのでしょうか。
C:あれは負けを挽回しようとするギャンブラー心理というか。“Three”っていうサイコロを5つ使ったゲームがあって、3の目が一番低い数字として扱われるルールでね。一般的には賭け事としてプレイされるテーブル・ゲームなんだけど、順番にサイコロを一つ一つ振って、3の目は0として扱われて一番ラッキーな目とされてるんだよね。つまりサイコロが5つとも3だったら完璧なんだけど、当然のことながら滅多に起きない。僕もこれまで数え切れないほどこのゲームをプレイしてきたけど、今まで3回ぐらいしか遭遇してない。それでもゲームの席につくたびに、賭け金が上がるたびに「今度こそ」って、その滅多にあり得ない出来事が起きることを期待してしまうわけだよね。そういうメタファーが込められているタイトルだね。人生は完璧じゃないことぐらい誰もが知ってる、それでもサイコロを振り続けずにはいられない、あり得ない偶然が起こることを期待せずにはいられないのが人間なんだよね……。その先に自分が望んでいた幸福なり達成感なり、自分が必死に探し求めていた何かが手に入ることを期待して。とはいえ、数字的には不利であり、最初から勝算は薄い……、それでもまたサイコロを振り続ける。ひたすら何度でも。次の一手こそは本命であることを信じて……。これこそまさにギャンブラーの心理だよね。どんなに負けを見ても、次は必ずうまくいくと信じてる。
岡村(以下、O):実は私、数十年前にオマハに滞在したことがあって、ティム(筆者注:カーシヴのティム・ケイシャー。コナー・オバーストとは同郷の友人で、《Saddle Creek》のレーベル・メイトでもあった)の家に泊めてもらったんですよ。
C:そりゃすごい! しかも偶然、今日この後会う予定なんだよ(笑)
O:私からも少し質問をさせてください。あなたは10代の頃からミュージシャンとして活動してきて、それこそ神童と呼ばれていたわけですが、今は40代のミドルエイジという年齢になっています。そうした長いスパンで音楽と共に成長してきたことは今のあなたの人生にとってどのような影響を与えていますか?
C:僕が今みたいな暮らしというか、バンドをやって車やヴァンで移動しながらあちこちで演奏するようになったのが14歳の頃だからね。30年近くこういう生活をしてることになるわけで、人生の半分以上になる……。そのせいで自分の頭の中が混乱しておかしくなってた時期もあったし……、自分とアートとの向き合い方っていうところも、自分はただアートを作りたいだけで、それこそ強迫観念的に作らずにはいられない。ただ、その一方でそれが実質的にはお金を稼ぐ手段にもなっていて、最初はそのことにすごく戸惑いを感じたし混乱してたんだよね……。自分の中で相容れないというか、矛盾してるみたいに思えて。ただ、長いことやっていくうちに、結局、自分がコントロールできる範囲はあくまでも自分だけに限られてるってことを悟ったというか。実際、自分のまわりには僕よりもずっと売れて有名になっていった友人もたくさん知ってるし……、要するに自分のプロモーションのためにどこまでを許容範囲とするのかってことなんだ、とある時期から思うようになった。一つだけ言えることは、自分はこれからも作品を作り続けるだろうし、ツアーも続けるだろう。それは確実に言える。ただ、そのレコードが何枚売れるかとか、ライヴでどれだけの集客が望めるのかっていうのは、自分にコントロールできる範疇の外にある。自分はもともとそのへんに関して無頓着だったけど、ミュージシャン、というかアーティストと呼ばれる人たちの大半はそれが自分の職業となった途端に、成功なのか何なのか、あるいはまわりの状況からそうなってしまうのか、そうしたものに自分自身が絡めとられてしまう場合もあるんだよね。ただ、これって自分の育ってきた環境とかまわりの人たちの影響なのかもしれないけど、僕自身、もともと上昇志向がそんなに強くないっていうか、今よりも高い地位を目指して階段を一歩一歩上がっていくみたいな発想に興味がないんだよね。もし自分がそっちの価値観を優先してたら、今よりもコマーシャル的に成功していたかもしれない。ただ、自分は自分が信じているものだけを形にしたいって想いでずっとやって来てるし、自分がクールだと思うもの、興味をそそられるものだけを形にしてきたことで、それを面白がってくれる人がいたらいいなっていう、根底にあるのはそれだけなんだよね。その先に関しては、さっきも作品タイトルについて言ったように自分にどうにかなることじゃないからね。僕にできるのはただ自分から出てくる曲を形にして、その先に素敵な出会いが待ってますようにって祈るだけっていう、今はそんな感じだね。
O:最後の質問です。先ほどザ・ナショナルのマット・バーニンガーの名前があがりましたが、彼にとってのオハイオがそうであるように、オマハは今でもあなたにとって自分自身の一部のような大切な場所なのでしょうか。
C:もちろん、今もオマハに自宅があるしね。マイク・モギスの自宅が隣接してて、その中間に自分たちのスタジオがあるから、アルバムをレコーディングするときはたいていそこを使ってるし、ツアーに向けて準備をするときにはそこで練習してる。だから、オマハと今いるLAの両方に自宅があって、そこを行き来してる感じで……。昔はそれをニューヨークとオマハ間でやってたんだけど、今はLAとオマハ間になってる。だから完全に地元を離れたことは一度もなくて、いつでもオマハに家があったし、身内の大半は今でも向こうに暮らしてる。そういう意味でも、今も自分という人間にとって大きな位置を占めてる場所であることはたしかだよ。それにオマハも僕が10代の頃と比べたら進化を遂げていてね。昔はバンドが演奏できるような気の利いた飲食店やスペースもなかったけど、その時代に比べるとだいぶおしゃれにはなっているんで……。まあ、「オマハにしては」っていうカギ括弧つきだけど(笑)。だから、そうやって町が発展していく様子をワクワクしながら見守ってるところもありつつ……、うちのバンドや、かつてのレーベルやその周辺の仲間たちがそれに貢献した部分も少なからずあると思うしね。実際、オマハの音楽シーンに惹かれてオハマに移住してきた人たちがたくさんいるし、そこから地元に定住してお店やバーを開いたりしてるからね。そうだ! 君は過去にオマハに来たことがあるんだから、雰囲気わかるでしょ? 昔と今を比較するたびにぜひオマハを再訪しなくちゃ!
<了>
Text By Yasuyuki Ono
Photo By Nik Freitas
Interpretation By Ayako Takezawa

Bright Eyes
『Five Dice, All Threes』
LABEL : Dead Oceans / Big Nothing
RELEASE DATE : 2024.09.20
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