「アリス・コルトレーンのアンビエント音楽は本当にクレイジーで素晴らしい」
フォークからジャズ、浮世絵へと手が伸びるヴィレジャーズ11年目の挑戦
これほど多様なリファレンスが会話の中で飛び交ったインタビューも珍しい。音楽のみならず、小説、エッセイ、絵画……音楽もジャズ、アンビエント、ライブラリー・ミュージックから映画音楽まで枠組みが自由で柔軟だ。しかし、それら影響元のどれもが全く過不足なく、それどころかこれまでの彼のキャリアの積み重ねの中に一つ一つ、ミルフィーユのように静かに織り込まれているのがわかる。
コナー・J・オブライアンを中心とするユニット、ヴィレジャーズ。だが、本音を言えば、彼の作品を初めて聴いた時に、将来、こんな音楽家になっていくとは想像していなかった。去年2020年でデビュー10年。南北分割など様々な問題、内戦・紛争を経験してきたアイルランドという土地から登場したこの才能溢れるシンガー・ソングライターは、国を代表する人気アーティストに成長していく過程で、もっとどっしりとした、自分と音楽とアイルランドと…という関係性において寡黙に自己研磨していくタイプなのかと思っていた。しかしながら、ここに届いたニュー・アルバム『Fever Dreams』は、俯瞰して自身を見つめ、他者、他の事象とコミットしていこうとするオープンな姿勢が伝わる作品だ。
そういうわけで、以下の会話の中には多くの固有名詞が出てくる。だが、一つ一つをしっかり咀嚼しようというよりも、無邪気にそれら多彩な文化に触れていくことで自分をリラックスさせ、作品を遠くへと解放させようとしている横顔が感じられるのが魅力だ。歌ものには違いないが、初期のようにフォークロアなタッチへと舵を切らず、アンビエント、フリージャズ、ニューエイジ、ソフトロックなど、ある種の心地よさを醸し出す音像を取り込んだ作品にすることで、強い自我を消し去ろうとさえしているようにも聞こえる。歌詞はあるのに、歌詞の意味に埋没させないよう、ギリギリのところで成立させているのも興味深い。これまで割と縁があって来日のたびに取材をしてきたコナー・オブライアン。新作に合わせて久々に話を聞いてみた。(インタビュー・文/岡村詩野)
Interview with Conor J O’Brien
──あなたは去年2020年にアルバム・デビュー10周年を迎えました。せっかくのメモリアル・イヤーだったのにコロナ禍で満足な活動もできなくて残念だったと思いますが、まずはデビューからのこの10年を振り返ってもらえますか?
Conor J O’Brien(以下、C):そうなんだよ(笑)、去年は何もできなかった。コロナがなければ、もっとショーをやったりしたかったんだけどね。でも、デモなんかのデラックス・ヴァージョンをリリースしたりできたから、それが出来たのはよかったな。この10年で、僕自身はすごく変化したと思うし、それがソングライティングにも反映していると思う。最初の頃、ファースト・アルバムから3枚目くらいまでは、自分が全てを理解している気でいたし、そんな自分のアートを世界に広げなければ、みたいな考え方をしていた(笑)。でも今は、もっと人間味が出てきて周りの人々のことも考えるようになったから、作品に温かみが生まれるようになったと思うね。今では、人々をハッピーにするために曲を書くようになったし(笑)。
──何があなたをそう変化させたんだと思いますか?
C:どうだろうね。音楽活動を始めるまであまり旅をしたことがなかったけど、ここ10年で沢山旅をしたからかもしれない。絶えず旅をし人々に出会っていたし、そこに人間としての自然な成長が加わったんだと思う。その過程で、自分が地球の中心じゃないということに気づいていった(笑)。あと音楽に関しては、人々の前で演奏し続ける中で、自然と変化していったというのもあるんじゃないかな。逆に、失ったのは、自己中心的な考え(笑)。最初の頃は、10代の頃からの流れで怒りのようなものがまとわりついていたと思う。反抗心とか、国に対する怒りとか。でも最近は、それにフィルターをかけられるようになって、もっと冷静に物事を見れるようになったんだ。
──ニュー・アルバム『Fever Dreams』は2019年に制作をスタートさせたそうですが、コロナによって様々な点でストップ、方向転換を余儀なくされたと思います。コロナ前には今作についてどのようなアルバムにするべくヴィジョンを描いていましたか?
C:アルバムの曲を書いていたのは2018年から2019年頃で、レコーディングを始めたのが2019年。そのレコーディングの最終日が、ロックダウンのスタートの日だった。だから、やるべきことはコロナの影響を受けずにやり遂げることができたんだ。ロックダウンが始まると、家でレコーディングしたファイルを使って編集の作業をした。コロナが始まる前も、アルバムでは“エケーピズム”が主なコンセプトになっていたんだけど、コロナが始まってから、それがグンと増して、もはやファンタジーや夢のような作品に方向が変わったと思う。家でずっと作業していたから、逃避をサウンドとして表現するだけじゃなくて本当に逃避したくなったんだろうね(笑)。
──そもそも、なぜコロナ前からエスケーピズムをテーマにしていたのですか?
C:実は、それには日本が関係している。2年前にこのアルバムのタイトルとして最初に考えた名前は、“Picture of the Floating World”……つまり「浮世絵」だったんだ。浮世絵を”浮かぶ世界の絵”と直訳したその言葉が面白いと思ったんだよね。僕は江戸時代の浮世絵のアートにずっと魅力を感じてきたから、僕のノートには浮世絵の写真やスケッチが沢山あった。それにインスパイアされて曲を書き始めたんだよ。結果的にタイトルは他にもいくつか候補が出てきたりしてギリギリで『Fever Dreams』になったけど、“Picture of the Floating World”がアルバムの構想だった。江戸時代はもちろんのこと、17世紀、18世紀、19世紀の作品や世界観全体に魅力を感じるし、そのインスピレーションがイマジネーションを豊かにしてくれるんだ。
──確かに、ある種のエスケーピズムを孕んだ、アンビエント・ミュージックやニュー・エイジの要素も感じさせる非常にコンフォタブルでドリーミー、でもフリージャズの要素も感じさせる力強いアルバムになっていると感じました。エスケーピズムを発端にして、その後、どのようにジャズの要素へと広がっていったのでしょうか?
C:ジャズの要素が強く出ているのは、僕がデューク・エリントンやアリス・コルトレーンを沢山聴いていたからだと思う。40年代~80年代のジャズ。アフリカン・アメリカン・ミュージック全般を沢山聴いていていたんだ。アンビエントに関しては、多分ライブラリー・ミュージックの影響じゃないかな。ライブラリー・ミュージック(放送用音源)という音楽のジャンルがあるんだけど、映画のサウンドトラックなんかのために作られた音楽で、60年代や70年代に作られたライブラリー・ミュージックの中には使用されないままお箱入りになったものも多い。感情やシーン強調するBGMとして作られた作品で、その多くの音源の中から映像制作者たちが必要なものを検索して良いと思ったものを使用する。そのライブラリー・ミュージックを僕は沢山聴いていて、その音の質感や音色に魅力を感じ始め、言葉を持たない音楽にハマり始めたんだ。自分の音楽には歌詞があるのにさ(笑)。それらが影響して、アンビエントやフリージャズっぽい感じになったのかもしれないね。意識はしていなかったけど、僕は常に色々な音楽を聴き続けているから、それが自分のフィルターを通して音楽に出てくるんだと思う。
──あなたがデビューした頃は、ボブ・ディランを思わせるフォーキーな作風がメインで、私があなたに京都でのイベントで来日した際に取材をした際も、ルーツ・ミュージックの重要な要素の一つであるフォークロア・ミュージックについての話を多くしてくれました。そうした原点とも言える作風から、徐々に変化を遂げていった背景にはどのような思い、気づき、音楽嗜好や心の変化があったと言えますか?
C:僕にとって、フォークというものはすごく複雑。まず、フォークとは何かという定義が曖昧だからね。昔の僕は、自分の曲をとにかく言葉で埋めようとしていたと思う。歌詞で物語を語ろうとしていたし、あれはすごく複雑だった。でも今の僕の音楽にとっての言葉は、音楽というキャンバスに色の線をスッと加えるようなもの。最近は、そういう言葉の使い方のほうにより興味をもっているんだ。リスナーにストーリーを細かく伝えるのではなく、何かを示唆するような歌詞の取り入れ方をしたい。言葉ではなく、サウンド自体から何かが伝わってくるような音楽制作に興味が出てきたんだよね。なぜそうなったのかは自分でもわからない。人間、生きていて成長すると、何かに飽きが来ることもある。その流れじゃないかな。あとは、ミュージシャンとして成長し続けたいから、常に色々なことを試して学びたいという気持ちもあるしね。
──また、アイリッシュ特有の情熱的な歌や歌詞があなたの持ち味でもありますが、近年はストレートに感情を表現するのではなく、内包させる、もしくは熱い感情を消化させた上で別の表現を変えてから歌ったり歌詞にしたりするようになった、そんな印象もあります。
C:うん、以前はダイレクトなメッセージを込めた曲を書いていたけど、今は、もっと感覚や気持ちを表現するようになった。恋に落ちる感動だったり、理想の何かに近づけたような気がする時に感じる興奮だったり。空を見上げて、宇宙はなんて広いんだろうという考えにのめり込んでいく感覚とかね。そういう強い感情を3分の中でどうやって表現しようか、というのが今の僕の課題なんだ。今はそれを実験しているところ。ソングライティングは僕にとって訓練のようなものでもある。これからも頭をオープンにして、色々なアプローチを取り入れて試していきたいと思っているんだ。
──先行曲第一弾の「The First Day」ではサビのメロディ部分のユニゾンに対し、ドラマティックにホーンも響いています。「Song In Seven」などはフリー・ジャズ~北欧EMC周辺の新世代ジャズの影響も感じられるなど、やはりジャズからの影響を感じさせるアレンジですね。
C:ホーンとトランペットを演奏し始めたのは2018年。当時のツアーに参加してくれていたドラマーがステージで演奏していて、それが羨ましいと思ったから自分も始めることにした(笑)。で、今回のアルバムをレコーディングしている時に、自分でホーンのパートを書き演奏する準備が出来ている気がしたから、思い切ってやってみることにしたんだ。ジャズの影響は、さっきも話したように沢山ジャズを聴いていたからっていうのもあるし、個人的にずっと管楽器のファンでもあったから、アレンジメントなんかにも興味があるし、その作業が好きなんだよ。最初はそのドラマーに演奏の仕方を習っていたけど、そのうち自分で探っていくようになった。とりあえずは、アル・グリーンやマーヴィン・ゲイ、ソウル・ミュージックを沢山聴いて、そのグルーヴを掴めるようになるまで頑張ったんだ。今の段階では、それくらいできれば十分だと思った。次のレベルに達するまでは、かなり時間と労力が必要になるだろうからね(笑)。
──かたや、アルバムにはシンセや鍵盤類も多数使用されていて、そうした音作りの側面からはアンビエント、ニュー・エイジ、AORなどへの踏み込みも感じられます。
C:そうだね。影響は結構あるとは思う。自分にとって、そういう音楽と一番近いと思うもので僕がアルバム制作中に沢山聴いていたのはさっきも名前を出したアリス・コルトレーン。彼女のアンビエント・ミュージックは本当にクレイジーでシンセが素晴らしい。彼女のシンセサイザー音楽にはかなり没頭していたね。あのドローンサウンドや長いドラムやシンセのサウンドが、本当に瞑想的でスピリチュアルに感じたんだ。あの影響はこのアルバムに少し反映されていると思う。あとは、アンビエントじゃないけどウィリアム・デヴォーンの『Be Thankful For What You Got』も今回のアルバムに大きな影響を与えたと思うね。特にあのナイスなドラムのグルーヴはすごく好きなんだ。ロバート・ワイアットの『Shleep』もよく聴いていたな。
──いつになく多くの音楽リファレンスを下地にしたアルバムですが、他にもピエロ・ウミリアーニやアレッサンドロ・アレッサンドローニといった、イタリアの映画音楽などを多く手がけた音楽家の影響も受けていると聞いています。アレッサンドローニの手がけたB級ホラー作品の音楽は評価も高いですが、どうやってそれらの音楽に出会ったのでしょうか。
C:イタリアの映画音楽っていうのはさっき話したライブラリー・ミュージックの一部なんだ。その経緯で知ったんだけど、ピエロ・ウミリアーニやアレッサンドロ・アレッサンドローニに関しては、彼らの音楽を聴いていると、想像力が高まる。ある意味、彼らの音楽は空間を作り出している音楽だと思う。そしてその空間の中に自分を置くことができて、その中を旅するというのは、すごく冒険的だと思うんだよね。僕にとっては、夢の中にいるような感覚にさせてくれる音楽なんだ。まるで、自分がやりたいことがなんでも出来るような感覚になってくる。そこがすごく刺激的なんだよ。特に60年代後半から70年代前半の作品が僕のお気に入り。素晴らしい作品だと思うね。
──また、ローレンス・スティーヴン・ラウリーの絵画にも大いに影響を受けたそうですね。彼の作品は日常の中の悲哀や、産業社会、資本主義時代に生きる人々の孤独などがテーマになっていると思います。あなたの今作の歌詞にもフィードバックがあるように思うのですがどういうところに特に衝撃を受けたのでしょうか? アルバム6曲目「Circles In The Firing Line」の終盤の、パッション溢れる展開は何かラウリーの作品に込められた怒りにも近い印象がありますが。
C:そう、彼は日常を描き続けた人。そこが好きなんだ。彼の作品には沢山の人間が散りばめられていて、その中には夢っぽい側面もある。自分を取り囲む街を見て、その街をそのまま作品の中で描きながらも、そこには超現実的な何かが存在している。見慣れた景色のはずなのに、何かアウトサイダー感のようなものがあるのが魅力的だと思うんだよね。僕自身も、ダブリンの街を歩いていて、時にそこから引き離されたような感覚に陥ることがある。白昼夢を見ているような感じで、他の可能性について考えたりしちゃうんだ。今回のソングライティングでも、可能性について考えた。既存しているものはあるけど、自分がしたいことが出来るんじゃないかという可能性。彼の作品は、大衆の様子が描かれていながらも、個人個人の個性がしっかりと保持されているからね。僕が「Circles In The Firing Line」で触れているのは、プレッシャーからの逃避。インターネットがある今の世の中、皆が何かに従うというプレッシャーを感じているけれど、それに対する怒りを表現しているんだ。現代は、インターネットに洗脳され、皆が個性をなくしてしまっていると僕は感じているからね。
──やはりダブリンでの暮らし、アイルランド出身というアイデンティティがあなたの作品の根っこには依然としてあるということですね。アルバムに参加している女性アーティストのレイチェル・ラヴェルもアイルランド出身だそうですが。
C:うん、彼女はダブリン出身のシンガーで、素晴らしいライターでもある。まだ一曲しかリリースしてないしすごく若いアーティストなんだけど、彼女は最高。頭が良いし、彼女の声は本当に魅力的だと思う。2018年頃にダブリンで彼女のパフォーマンスを見たんだけど、その瞬間彼女とコラボしたいと思った。だから、今回それが叶って本当に嬉しいんだ。ロックダウンだったから、作業は全て電話とメール越しだった。彼女が僕にメールでオーディオを送ってくれたんだ。その後も偶然公園ですれ違ったりしたから、実際に顔は合わせているんだけどね。彼女は本当に冒険的なミュージシャンだよ。彼女のパフォーマンスを見た時は、まるで『ツイン・ピークス』やデヴィッド・リンチの世界を見ているようだった。それは、彼女のピアノと歌声が美しいのと、サンプルの使い方が素晴らしいから。それが本当にユニークなんだよ。ダブリンであんなパフォーマンスをしているアーティストを見たのは初めてだった。彼女と仕事ができて、本当に嬉しかったね。
──文章の面ではオリヴィア・ラングとオードリー・ロードのエッセイなどに影響を受けたそうで、こうして一つ一つを取り出してみても、あなたが本当に新旧多様なカルチャーに普段から触れていることがよくわかります。しかも、自国の文化に限らず、様々な国のアートにも精通しているようですが、普段どういうところから情報をキャッチしたりしているのでしょうか? これだけ情報が溢れている中で、本当にいいと思えるアートやカルチャーを取捨選択できる秘訣はありますか?
C:僕自身は、本や文学から情報やインスピレーションを得ることが多い。本を読んでいる間って、インスタグラムを見たりツイッターの投稿を読んでいる時とは脳が違う働きをしているような気がするんだ。僕もSNSを使いはするけど、なるだけ最小限に抑えようとはしているし、本を読むことにより重点を置いている。特にオードリー・ロードのような人からはインスパイアされるんだ。世の中や社会のことに目を向けた上で、同じ地球で生活する自分たちがお互いを気遣うことがいかに大切かに触れている。彼女のライティングには温かみがあるんだよね。すごく思慮深く、皆のことを考えている。読むことが好きというのが僕にとってはうまく機能しているのかもしれない。インターネットが普及する前から、僕は常に言葉や言語というものに興味を持ってきたし、読むことが好きだった。そこと繋がっているのが助けになっているのかもしれないな。グラフィックノベルを読めば、コミック本も読む。色々な世界の色々なものを読むのが好きなんだ。
──にも関わらず、アルバム自体は全体的に非常にコンフォタブルでエスケーピズムな感触のある作品にも仕上がっていて、怒りやジレンマと背中合わせであることを伝えているようにも思えます。あなたが今作で伝えたかったエスケーピズムとは、何からの逃避であり、何に向けて逃避していると言えますか?
C:それは難しい質問。一言でまとめるのは無理かもしれない(笑)。僕はただ、何か温かい作品を作りたかったんだ。そして、何か役立ち、助けになるような作品。音楽には、疎外感を感じた人々を助ける力、人と人の架け橋になる力があると時々感じるんだよね。だから、聴いている間その空間に住んでいる気分になれるような、温かくて美しいものを作りたかったんだ。
──アルバム・タイトルはコロナ禍のロックダウンなどを経過した後の作品としては非常にアイロニカルであり示唆的でもあります。
C:このタイトルは、アルバムに収録されている曲のタイトルの一つ。このアルバムのタイトルには、沢山の候補があったんだけど、最終的に僕にとってはこれがしっくりきたんだ。理由は、僕にとっては各曲が夢のように感じるのと、“Fever”に関しては、その夢の中にせん妄状態のようなものを感じるから。ここ5年くらい、世界では色々なことが目まぐるしく起こっていて、その全てが国際的で政治的という頭がどうにかなりそうな状況だったから(笑)。子供の頃、僕はよく明晰夢を見ていた。夢の中で、それが現実ではなく自分が夢を見ていることに気づくんだ。だから飛んでみたり、自分が好きなことが出来ることに気づく。子供の時はそんな夢を沢山見ていたのに、もう全く見なくなってしまったけど、このアルバムの曲は、僕にその時の感覚を思い出させるんだよね。今回のアルバム制作では、曲を書きながら、”自分がしたいことは何でもやっていいし、出来るんだな”と思う瞬間が沢山あったから。管楽器を加えることも、アンビエントなサウンドを取り入れることもできた。その感覚が、あのタイトルとすごくリンクしたんだよ。
<了>
Text By Shino Okamura
Photo By RICH GILLIGAN
Villagers
Fever Dreams
LABEL : Domino / beatink
RELEASE DATE : 2021.08.20
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