トーべ・ヤンソンが教えてくれた
自由を愛し、素直に生きるということ
ダイバーシティ、BLM、フェミニズム……年々、声高に叫ばれるようになってきた多様性にまつわる問題提起の数々について、わたしは基本的に大賛成だ。しかしながら、これらの問題を耳障りの良い言葉で、一方的に扇動していくようなムーヴメントにはどうしても気持ちが前のめりになれない自分がいる。正しい意見だと共感していても、「これが正しい」「これをしてはいけない」といった一方的な意見に対して、右向け右で従うことにどこかまだ抵抗があるのだ。自分の目で見て、考えて、自分がするべきことを一つ一つ選んでゆく。とてもシンプルなはずなのに、自分の意思と少しズレたアルゴリズムが情報を提案し、見えない波に呑まれそうになるこの現代において、どうしても難しく感じてしまうのは私だけではないだろう。
時は1945年、終戦直近のフィンランドで画家として日の目をみようともがく一人の女性がいた。その女性の名はトーべ・ヤンソン。のちに「ムーミン」の生みの親として大成するわけだが、当時彼女の周りには、有名彫刻家として知られていた父親からのプレッシャー、スウェーデン語系フィンランド人という国内ではマイノリティに位置する自身の出自。さらには、同性への燃えるような感情を犯罪として弾圧する社会といったさまざまな抑圧が取り巻いていた。この筋書きから私は、「今の時代に沿った、ウーマンエンパワーメント映画」と勝手に想像し、視聴リンクの再生ボタンを押した。
しかしながら、その予想は本編を見終わった頃にはすっかり裏切られてしまった。もちろん、実際に父娘の間に生じていたと言われる確執は物語の随所で強調されているし、愛した女性との関係は他人に絶対知られてはいけないというリスクを伴っていた。それでも、何かが違うと感じたのは、緊張感のある関係性を断罪することなく、個人の個性や感情を尊重し、認め合う姿が全編を通して暖かい目線で描かれているから。監督であるザイダ・バリルートや製作の段階から協力を惜しまなかったムーミンキャラクターズ社とトーべの親族たちを筆頭としたスタッフたちによる、自由を愛するトーべ・ヤンソンの生きた証をできる限り忠実に残したいという思いが、作品全体からありありと伝わってきたのだ。
その中でも本作でトーべを演じたアルマ・ボウスティの想いは一際強いものだったであろう。彼女は2014年にトーべ・ヤンソン生誕100周年を記念して制作された舞台「トーべ」で若かりし頃のトーべを演じ、その年に公開されたアニメーション『劇場版ムーミン 南の海で楽しいバカンス』では、フローレン(スノークのおじょうさん)の声を担当するなど、トーべそしてムーミンの世界をこの7年あまりの期間リサーチをし続けている張本人だ。日本版ポスターでも切り取られたトーべの踊り狂うさまは、この映画全編を通して伝えたいことを見事に表現していた。頭を振り乱し、スカートを大きく捲り上げてエネルギーを撒き散らすような踊りとともに、劇中でクローズアップされる表情には迷いと決意の入り混ざった複雑な感情が混在する。まるで、世の中の当たり前に立ち向かうための炎を、自身の心に着火するための儀式のようにも見えるこのシーンは、わたしたちの記憶にまで火の粉を撒き散らして、ふつふつとした余韻を残してゆく。
劇中でトーベがかける「SING SING SING」や「In The Mood」といったジャズの名盤をキーミュージックとしつつ、彼女の繊細な感情の変化に寄りそう劇伴が物語のコントラストを強める。音楽を担当するのはスウェーデンを代表するピアニスト、作曲家のマッティ・バイだ。無声映画に即興演奏をつけるという手法で独自のスタイルを確立してきた彼の音楽は、作品の持つ感情のうねりを直感的にかつ的確に捉え、劇中の時代と調和した情緒的な美しい旋律とともに、現代にも通じる不安や孤独感といった普遍的な心情の揺れ動きを見事に表現をしている。
本作では、トーべにとって転機となる30代から40代までにフォーカスをあてて物語が進む。その間には、ブレイク前夜の彼女を見守り、支え続けた恋人のアトス・ヴィルタネンや、トーべが心を奪われた女性ヴィヴィカ・バントラー、そして往年まで連れ添ったトゥーリッキ・ピエティラらトーべの人生を語る上で欠かせない人物たちとの出会いが描かれる。常に全力で相手と向き合うトーベは、新たな出会いや自身の心の動きによって愛情の形が変わることもしばしば。しかしながら、作中に登場した多くの人物たちは関係性を変えながらも、トーベから離れることなくそれぞれの人生を並走していったという。
なぜ彼女はこれほどまでに周囲の人間に愛され続けたのか。一度愛情を向けあった相手とも良好な関係を生涯に渡って続けられた彼女の魅力はなんだったのだろう。
その魅力の一つは、まっすぐすぎるくらい自身の気持ちに正直なところだろう。恋愛面だけでなく、それは創作活動からも見てとることができる。画家としての挫折から、イラストレーター、漫画家として名を上げ、世界一の発行部数を誇る「イヴニングニュース」の連載を担当したことで、一躍その名を世界へと馳せることとなったトーベだが、漫画家としてピークのタイミングで連載を弟に引き継ぎ、潔く画家へと戻る決心をする。物語の終盤で、ヴィヴィカとパリで再会した際にトーベは、「わたし分からないの。漫画か、舞台か、作家か、絵描きか。全部やりたい」と述べる。映画では描かれていない以降の人生も合わせると、油彩画家/フレスコ画家/イラストレーター/風刺画家/児童文学作家/漫画家/絵本作家/作詞家/舞台美術家/商業デザイナー/映像作家/小説家……などとにかく驚くほどの分野でそれぞれ功績を残し、最期まで妥協することなく創作活動を続けたことが分かる。彼女にとって芸術と人生、仕事と愛の間に境界線はなく、すべてはひとつだったのだ。
——「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってることだよ」(「ムーミン谷の夏まつり」より)
エンドロールでヴィヴィカ・バンドラーが「トーべの愛が眩しすぎた」と語るように、情熱的で自身の価値観を曲げることなくまっすぐに生きる姿は、わたしにとっても眩しすぎた。正直、ムーミンの物語について慣れ親しんでこなかったわたしには、北欧のほっこりとした絵本作家として知られる白髪の老婦人という勝手なトーべ・ヤンソン像が曖昧に根付いていたのだが、この作品を通して愛と自由を生涯追い求めるパンクな人物像へと変化した。エンドロールでは、実際のトゥーリッキが撮影したトーべの映像が数十秒流れる。そこには、オープニングでアルマの演じたトーべ同様に、全身で自由を表すトーべ・ヤンソンの姿が映し出されていた。何をやってもいい、誰を愛してもいい、どんな意見を持ってもいい。心のままに自分に素直に生きることの尊さを表現する彼女の姿を観て、わたしの中にそっと小さな火が灯るのを感じた。(市谷未希子)
Text By Mikiko Ichitani
『TOVE/トーベ』
10月1日(金) 新宿武蔵野館、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか 全国ロードショー
監督:ザイダ・バリルート
脚本:エーヴァ・プトロ
音楽:マッティ・バイ
出演:アルマ・ポウスティ、クリスタ・コソネン、シャンティ・ローニー、ヨアンナ・ハールッティ、ロバート・エンケル
配給:クロックワークス
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