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「トム・スキナーは15年くらい前から知っていて一緒にやりたいと思っていた」
生命の強さと余韻を伝える傑作『Weather Alive』
ベス・オートンが時代の荒波に飲まれない理由

20 September 2022 | By Shino Okamura

ウィリアム・オービット、レッド・スナッパー、ケミカル・ブラザーズとのコラボレーションで注目を集め、ソロ・デビューしてからはドクター・ジョン、テリー・キャリアー、ベン・ワット、エミルー・ハリス、ジム・ケルトナー、あるいはジム・オルークや彼女の夫でもあるサム・アミドン、マーク・リーボウらと共演し、アンドリュー・ウェザーオール、ハル・ウィルナーらとも仕事をしてきた。前作『Kidsticks』(2016年)は自分よりはるかに若いファック・ボタンズのアンドリュー・ハンがプロデュースに関わっている。1970年、イギリスはノーウィッチ生まれ。今年2022年12月で52歳となるベス・オートンは、しかしながらこうした錚々たる顔ぶれに愛され交流してきた一方、不思議とベテランとかキャリアというニュアンスとは無縁のアーティストであってきた。実質的なファースト・アルバム『Trailer Park』(1996年)をリリースした時から、ギリギリのところに居心地の良さを求めるようなハイブリッドなシンガー・ソングライターという印象だったが、今もなお彼女は“ここにはいるけど、どこにもいないような”存在。もちろん、いくら若い頃から英国トラッド・フォークの節回しを継承したような物憂いハスキーなアルト・ヴォイスが魅力だったとはいえ、年季とともにより深い陰影を讃えるようになっているし、アレンジや音作りのスキル、理解や咀嚼もそれこそ30年前より遥かに向上している。だが、彼女は滋味とか人間味というようなものに寄っかからない。かといってアーティストシップをふりかざすこともない。ポップス、フォーク、ハウス、R&B、ジャズ、ヒップホップ、エレクトロ、クラシック、ファンク、アフロ、レゲエ、中南米……意図的な合流、確信犯的なミックス作業ではなく、多くのアーティストたちの間でごく自然に領域横断が行われている現在、そうした時代の到来をとうに自分に引き寄せていたベス・オートンは涼しい顔で世相を眺めてきたのかもしれない。しごく淡々と。

新作『Weather Alive』は7作目となるオリジナル・スタジオ・アルバム。《ANTI-》から《Partisan》に移籍して届けられた。サンズ・オブ・ケメットなどでの活動で知られ、最近ではレディオヘッドのトム・ヨーク、ジョニー・グリーンウッドとによるザ・スマイルのメンバーとしても活動するドラマーのトム・スキナー、そのサンズ・オブ・ケメットやコメット・イズ・カミング周辺で活動するサックス奏者のアラバスター・デプルーム、ジ・インヴィジブル、ポーラー・ベアーといったグループの一員としても活動するトム・ハーバート……といったロンドンのジャズ・シーンで活動するミュージシャンたちが参加。ヘジラ/ザ・ヴァーノン・スプリングのサム・ベステ、アイスランドとアメリカを行き来するアンビエント系ピアニストのダスティン・オハロランの名前も見られる。シャザード・イスマイリー、クリス・ヴァタラロ、レッド・スナッパーのアリ・フレンドといった旧知の顔ぶれも揃っているが、いずれにせよ幅広い強者たちのサポートを受けるベスの人徳ぶりには頭が下がる思いだ。そして、こうしたフレッシュな面々によって演奏されたものをすべてリモートで取り込み、4ヶ月かけて8曲が丁寧に仕上げられていった。マーケットで買ったというボロボロのピアノで曲が作られたそうだが、実際にはいわゆるピアノ弾き語りのようなシンプルな曲は一つもない。ありとあらゆる音の断片や音質への追求が時空と国境を超えて咀嚼されクロスする、あの“ベス・オートン・マナー”がここでも大いに花開いているのみだ。

時代の主役に躍り出たこともない代わりに、時代の荒波に飲まれることもない、そんなベス・オートンが、実にスマートに今の時代の気風を纏い、シーンの動きとそっと連動し、生命の強さと余韻を讃えたようなアルバムを作り続けられる理由とは何なのだろうか? ZOOMで話を聞いてみた。
(インタビュー・文/岡村詩野 通訳/丸山京子)


Interview with Beth Orton


──今作はロンドンのカムデン・マーケットから買ったというボロボロの古いピアノで書かれた曲で構成されているそうですね。あなたがマーケットでピアノを手にいれた時、あなたの頭の中にはアルバムのことが既にあったのでしょうか?

Beth Orton(以下、B): いいえ、なかった。ピアノが来てから書けた曲ばかりよ。あのピアノがアルバムを作ったんだと言える。「Forever Young」の核になる部分だけはその前にあったけど、それにしたって、曲になったのはピアノが来てから。

──前作『Kidsticks』は、ループやプログラミングを生かしたエレクトロニックなアルバムでした。古い生ピアノで曲を作ったという今作はその前作からの反動とも受け取れますが、あなた自身は今振り返ってみてあのアルバムをどのように受け止めていますか? 

B:『Kidsticks』は家の中に二人の子供がいる状態でも、コンピューターで作れたアルバムだったの。感情的に深く関わらずとも、プロダクションやエンジニアリングの探求やループを使っての作業を進め、最終的にミュージシャンを招き、形にする。そんなふうに作られたのが『Kisticks』で、そこから学んだことを踏まえて、アコースティック楽器で作ったのが、今回のアルバムだった。だから反動というよりは前進だと呼びたい。今回は私自身、エンジニアリングに関わり──フランシーン・ペリーに授業をしてもらってね──最終的に二人で、もちろんロックダウン中だったので、その時々でリモートで、アルバム全体を手がけたわ。『Kidsticks』の時はアメリカに住んでいたけど、今回ロンドンに移って、アコースティック・ピアノがあって、それを「2本の指だけで弾いて音を探してみよう」というような子供みたいなアプローチで始めたのよ。同時にコンピューターをセットアップしてMIDIと繋いでいたから、そうしたいと思えば、ピアノ、ギター、MIDIのクレイジーのサウンド…となんでも試せるようにしておいた。つまり、ある部分では一緒だったけど、前作よりも感情的なランドスケープの中で深いところまで関われたの。昼間は子供たちが学校に行っていないから、その時間は自分だけの時間。その中、ピアノを弾くことで呼び起こされる記憶、それ自体が一つの楽器のようであり、より感覚的な探求へとつながっていった。自分の声とは違う別の声ね……。例えば『Trailer Park』と『Central Reservation』の時も、私は自分がギターを弾くとは思ってなかった。でも不安に思ったりしなかった。楽器をうまく弾こうと思ったこともあったけど、そんなことはあまり関係なくて、要はどう自分が感じるかということだった。だから反動ではなくて前進。わかってもらえるかしら……。

──ええ。アップライトピアノをあなたはご自宅の庭(の小屋)に置いたそうですね。つまり庭に出てピアノを弾いて……曲を書くことさえも、あなたの日常の一部になったということですね。

B:そう、まさにそういうこと。子供は学校に家に行っていない。私は以前のように「私は誰? 私はどこにいるの? 何がどうなってるの? FUCK!」という思いの中に没頭することができた。最初は、新しい家の奥の部屋に置いてたけど、部屋が寒いのでヒーターをつけてたの。そのうち庭の小屋に移して、天気に関わらず、毎日そこで弾いて作業をしたわ。家からちょっと距離が取れる場所でね。

──過去にピアノや鍵盤で曲を作ってきたこともあったかと思いますが、今回のアルバムの曲作りにおいて何か変化した部分はありましたか?

B:ええ。ジム・オルークと作った『Comfort of Strangers』(2006年)の「Worms」はピアノで書いた曲だったし、これまでにも何曲かは書いたけど、今回は全然違ってたわ。私はしばらく体調を悪くしてて、ピアノは一種の慰めだった。ピアノという場所に向かうことが心の癒しだったの。ピアノが生む空間の中に、気づけば私は入っていた。静けさや穏やかさ、そしてオンボロのピアノの弦から鳴らされる独特のレゾナンス、弦の1本1本のレゾナンスの中にまた別の音やコードが響き合って……私はそれに合わせて歌い始めていたのよ。

──体調はもう大丈夫なのですか?

B:というか、私は2つの慢性的健康障害を持っているということを、受け入れるしかないの。そのことに圧倒されてしまうような状況から遠く離れることはできない、つまり、私の体はある時点に達すると「もうだめ」と悲鳴をあげる。だから私はその範囲内で「あなたはどうしたいの?」「教えて、どうすればいいの?」と訊ねる。つまり、体の声に反することをするんじゃなく、出来る限りその声に沿うようにすれば、少し良く生きられるということ。私が体に必要なことを無視していると、体の方が私を諦めてしまうというか、だからセンシティヴに生きることを余儀なくされる。過去の私はそういう時、“飲んで、吸って”それを乗り切ろうとしてた(苦笑)。痛みはあるけれど、そうすれば痛みを感じずに済んだから。でも今は違う生き方をしようと努力してる。このプロセスに終わりはなくて「病気は終わった!」ということはないけど、これが私の現実なので、出来るだけその中で生きようとしてるわ。

──プレスリリースでも「このアルバムで私は人生に追い詰められたことで、自分自身が明らかになった……」と記されています。

B:それはね、いい意味で言ったことなのよ。今回はことあるごとに、そういうことがあったのよ。曲がり角に来るたびに何かが起こる。「これをプロデューサーに渡そう」と思うと「ロックダウンになっちゃった。だめだ」「あなたがやって、いや私がやる」というように。追い詰められたというよりは、人生が私自身に投げ返してきて「いいえ、あなたが自分でやりなさい」と言われているようだった。「自分がやるとしたらどうするの?」と。まるで自分が自分のお産に立ち会うドゥーラみたいに思えたの。いかにアルバムをこの世に送り出すか。トム・スキナー、トム・ハーバート……と素晴らしいミュージシャンが演奏してくれたけど、最終的な決断は私に残された。なんて素晴らしいレッスンだったんだろうと感謝しているわ。もしある時点でプロデューサーに手渡してしまっていたら……。でもそうしなかったことで自分の尺度がわかったんだもの。

──実際、これはすべてをセルフ・プロデュースした初めてのオリジナル・アルバムですよね?

B:ええ。前作は共同プロデュースで、あれにも深く関わってはいたけれどね。そうなるわね。

──一人で全責任を負いながらコントロール、作業を進めていく醍醐味と難しさ、どういうところに感じましたか?

B:一つ感じたのは、私にとっての拠り所は曲の本質だということ。例えば3日間、ミュージシャンとスタジオに入ってやったら、全く自分が予想してない方向に曲が行くこともある。例えば「Fractals」。トム・スキナーとトム・ハーバートがベース&ドラムでやったことは、私には予想外で「何、このエキサイティングな感じ?」と思えた。かと思えば「Friday Night」は突然、私が思いつきでスピードを速くしてやったものだったわ。でもそうやって録ったものを、小屋のスタジオに持ち帰って聴き直すと、曲の本質が失われていることに気づいたの。そこで、切ったり、テンポを落としたりして、本来の曲に“戻す”作業をしたわ。シャザード・イスマイリーとリモートで作業した時も、二人の間で「ここに何を重ねるべきか? 曲は何を求めているか?」と常に考えた。つまりは、曲の本質に立ち返って、そこから周りにあるすべてのものを繋いでテザリングし、曲を作り上げている。そこが醍醐味だった。

最も難しかったのは、自分を信じ、見失わないこと。ある時には「何が何でもやらなきゃ。ここまで来たんだからやるしかないのよ!」と自分に言い聞かせるんだけど、別の日には「もう絶対無理。そもそもなんでこんなことやろうとしたのよ、FUCK!」と思いながらスタジオにいる。でもそこで学んだのは、何も起きないと思ってても、翌日「あ、わかった!」と突然全てがダダダ……と解決する。毎回、そんなふうに目の前が開けるの、面白いみたいに。それが結局は長年やってきた経験値からくることなのだと理解した。直感で何を選択するか、そしてやり遂げること…最後まで、これが正しいのか間違いなのか、ということだけは判断が難しかった(笑)自分のやったことに対して、シャイになりがちだからだと思う。自分ではいいと思っても「これで正しいの?私にはわからない」という感じだった。クレイグ・シルヴィーにも最初、プロデュースしてと言ったのだけど、彼はミックスするから君がプロデュースしろと言ったのよ。で、彼のミックスを聴くと、彼はいろんなものを取り出すんじゃなく、逆に表に出す形にしたのよ。私にしてみれば、自分のミスをみんなに聴かれちゃうように思えたけど、彼はそうではない、美しい、変わったテクスチャーだ、と思ってさらに強調したというわけ。そんなわけで、どの過程も少しだけ辛くて、正直少しだけ居心地悪かったけれど、正直なものだったことだけは確か。

──既に名前があがったトム・スキナー、トム・ハーバートの他にも、アラバスター・デプルームなどUK新世代ジャズのフィールドで活躍する若い世代が多数参加しています。こうしたアーティストたちを起用した理由をおしえてください。

B:トム・スキナーのことは15年前から知ってて、ずっと一緒にやりたいと思ってたの。過去に少しやったことはあるんだけど。今回のアルバムの曲を考えた時、彼がピッタリだと思ったので私から連絡をし、まずはリモートで始めたわ。4~5曲トラックを送り、それに彼がパーカッシヴな、美しいドラムを入れてくれた。音数のないアルバムにしたい、という思いが私にはあったわ。言うならば、(ブルース・スプリングスティーンの)『Nebraska』にドラムが入ってたらどうだったろう? もしくはソランジュの「Cranes in the Sky」(『A Seat at the Table』収録)みたいなヴァイブだったら? そんな手触りよ……でもね、正直言うと彼、実はそんなに若くない。もう40代よ。

──(笑)

B:悪気はないのよ、ごめんなさい、トム!(笑) そのトムからトム・ハーバートを紹介してもらい、二人に最初「Unwritten」を演奏してもらい、録音したのがすごく良かったんで「来週も来てくれない?」と頼んだら、ビブラフォンのサム・ベストを連れて来てくれた。アラバスター・デプルームは、彼のアルバムを2020年のクリスマスに夫のために買ったのがきっかけ。サムのために彼が持ってない、もしくはアナログで持ってないアルバムを買ったの。他にもドン・チェリーの『Brown Rice』とかアリス・コルトレーンとかね。その時、レコード店の人が「だったらこれも好きかも」と勧めてくれたのがアラバスターだった。すっごく良かったので、年が明けてからレーベル経由で連絡を取り、「Fractals」と「Haunted Satellite」を送ったらすぐに戻してくれたわ。曲の中に紡がれる感じが本当に美して……そのまま全部使わせてもらった。シャザードも……彼もそんなに若くはないけど……あ、しかも彼はアメリカ人よね。

──トム・スキナーにはどのようなアイデアを求めたのですか?

B:さっきも言ったように、『Nebraska』の音数がない感じ……暗くも美しい世界、そこにドラムを入れたら……ということ、あとはソランジュの「Cranes in the Sky」も、そこから探っていくための参照点に名前を挙げた。トムのプレイは理解してたから、そこを出発点にしたいと思ったのよ。で、彼がトム・ハーバートを呼んできてくれて、1日で「Unwritten」を録ったわ。トムがリモートで作ったループに、私のMIDIパートが全体的に散らばったもののの上に、彼らがスタジオで演奏したの。その時点で、このデュオとならうまくいくと思いさらに3日間、全曲を聴かせ、彼らの思うようにプレイしてもらった。私からはこうしろああしろと指示は出さなかったけど、オープンながらもとてもセンシティヴな演奏をしてくれたと思う。でも「Fractals」とかでは彼らは舵を取ってくれたし、「Weather Alive」で私が起用したヴァージョンは、二人が曲を覚える意味で2~3回やっていたのを私が小屋のスタジオで手を加え、作業したもの。「Lonely」ではシャザード・イズマイリーがドラムとベースを叩き、「Forever Young」ではクリス・ヴァタラロがドラムとベースを弾いてくれて、「Friday Night」や「Arms Around A Memory」は私がドラムをループして……とそんなふうに、2回目で最後のロックダウンの頃には、美しい曲のパーツというかパラメータが出来上がっていたから、私はそれを使って何かができると思った。つまり、その時点で、そこに在るものを彫り出して、見えるようにしていったの。

──結果として、どの曲も起点と着店がアブストラクトで、アンビエント、フリージャズ、フォーク、R&Bがゆるやかにスパークしたような仕上がりのタイトル曲である1曲目「Weather Alive」など、もはやどのようにスタートし、どのようにフィニッシュしたのか見当もつきませんよ。

B:スタートは私がピアノで書いた別々の2曲よ。それを、ロジックでエディットする方法を学んでいる過程で「もしかしてこの2曲を一つにできるかも?」と思ったの。それで、あのAセクション、Bセクションが出来上がったのよ。私が一人でアイデアをブレンドする実験をしたというのかな。ピアノと声……とシンプルだったけど、MIDIも用いていた。バンドと一緒にやり始めてからは、2~3度曲に合わせて彼らが演奏してくれたドラムンベースの上に、私が二度ほど歌って…それを家に持ち帰り、ドラムだけを残して全部取ってしまったの。そして、ヴォーカルも歌い直し、それまであったものを別のところに移したりして好き勝手やったのよ。それをシャザード(・イスマイリー)に送ったら、彼はギターMOOGやを入れてくれた。ジェシ・チャンドラーに送ったら、メロトロンとフルートを入れてくれた。グレイ・マクマレーはギター、フランシン・ペリーもBセクションにプロフェットのパートを弾いてくれたわ。それをまた入れては、取り出し、また入れ、また取り出し、全部入れ、全部取り出す…そんなことを続けたの。最初ドラムも全部無くしてしまおうと思ったけど、ルームマイクだけを生かそうと色々やってるうちに、偶然できた音が美しいガールグループみたいにドラマチックで! ある時点では、ギターを全部入れて、それを一つずつ取り外して行ってみたり…。最初は単に「Weather」という曲で、その時から強力な曲の1つだと感じていた。でもやっていくうちに「Weather Alive」になって、文字通り、活気を帯びて(come alive)、美しくて楽しいものになった。より複雑なエディットはフランシンに、リモートで「こうして!ああして!」と私が指示を出す感じでやってもらったわ。あの曲の作られ方は、曲を彫り出した、というのにふさわしかった。他にどう表現していいかわからないのだけど、ミュージシャンたちの美しいパレットのおかげで、ものすごい広がりのあるトラックになったと思う。レコーディングした中でも私が一番気に入っていたのがエンディングと始まりだった。だからエンディングは全部残したの。アルバム完成後、トム(・スキナー)&トム(・ハーバート)、フランシンを自宅に招き、サム(・アミドン)も一緒に試聴会みたいなのをやったのだけど「エンディング全部残したんだね!」と驚かれた。よくみんな「今のエンディングは良かったね」とか言うくせに、エンディングをカットしちゃうけど、私はそれはしない! 全部残す。アンビエンスがとても好きだから。ベースのスペースエコーみたいなのとか。ミックスしてくれたクレイグ・シルヴィーも「ピアノのスツールのキィキィきしむ音まで聞こえる!」って喜んでた。ピアノもヴォーカルも自宅で録ったもの。すべてが実に有機的だったわ。

──今、名前が出ましたが、電子音楽家/プロデューサーのフランシン・ペリーの参加も驚きでした。彼女は女性やノンバイナリーたちがスタジオ・エンジニアリング、ライヴPA制作などで活動できるようにすることを目的とした組織《Omnii Collective》の設立者でもありますが、どのように知り合ったのですか。《Omnii Collective》に関わっていたのでしょうか?

B:ううん、まあ、学んだと言っても、彼女が週末に私の家に来てくれて、何度かレッスンをしてくれただけよ。そのレッスンがそのまま仕事になったというか。一つのことがわかったら、次のことへと繋がって、気づいたら私は曲を書き、自分でエンジニアリングしていた。すごくゆっくりとしたプロセス。どこかで勉強したわけじゃないけど、彼女は一緒にいてくれたの。素晴らしい女性、素晴らしい人間よ。《Omnii Collective》で彼女がやっていることも、本当に興味深い。彼女とやれて、本当に楽しかったわ。

──そういえば、「Fractals」はあなたが最も愛する音楽仲間である二人の死からインスピレーションを受けていると聞きましたが……。

B:そこまで露骨ではないけれど、ええ、インスパイアされたのは確か。

──アンドリュー・ウェザーオールとハル・ウィルナー。この二人との作業からどのような「財産」を受け取り、今に生かしているといえますか?

B:一言じゃ答えられない大きな質問ね。アンドリューが亡くなったと知って…彼とはまた仕事をすると信じていた。当時のことを色々と思い出したわ。彼との仕事には妥協は一切なくて、「Galaxy of Emptiness」(『Trailer Park』収録)をやった時も、曲の深いところまで行かせてくれたというか。ただ悲しいじゃなくて、すごく深い悲しみなの。私がアコースティック楽器では到達することができない感情の深さを、音(sonic)で実現してくれる。そこがアンドリューとの仕事の好きだった所。当時、私はストレートアヘッドなフォークのセンスに、ジャズやエレクトロニックを融合するような音楽をやってた。それに慣れてたし、そういう生き方をしてたし、それが自分にとって一番オーセンティックでエキサイティングな音楽の作り方だったから。でももし、アンドリューとバンドを組むなり、あれ以上のことを一緒にやっていたなら、どうなっただろう?って考える。あの時点で、私はたまたま成功してしまったんで、全然違う物語になったわけだけど。アンドリューの死を受けて、一緒にコラボレートする上で一番大切だったこと、つまりは二人が、彼が、私が生み出した空気──ということを思いだしたの。それはどこ? って。だって私にはビート・レコードは作れないし、アンドリューのやってたことはできない。でもあの感覚的な空気を、自分のソングライティングの中にまた見つけたいと思った。その気持ち、つまり音数が少なく、簡素なものを…とを持ちながら曲を書いていた、というのはある。結果的にそういうアルバムにはならなかったけど。

で、ハル(・ウィルナー)が亡くなった。ハルとやった時、私はシンガーだった。それまではシンガーだという意識があまりなくて、ずっとスポークンワードな人がたまたま歌ってるだけだと感じてたの(苦笑)。興味があるのは、言葉自体だった。もちろんメロディも大好きで、それは否定しようがないし、メロディも聞こえてくる。だから歌うことは自然だったけど、自然じゃなかった(笑)。つまり、シンガーであることは自然じゃなかったの。ところがハルとの仕事で、ステージでレナード・コーエンの「Sisters of Mercy」を歌った時、歌うことの自信を教えられた。彼とは何度か仕事をしたけれど、その度に「私、歌えるのかもしれない。シンガーなのかもしれない」と思わされたわ。それってすごく大切なことだった。だからハルが死んだ時、彼のことを書いたというのではないけれど、人生には無駄にする時間はないのだということの警告の意味で書いたの。つまりは、マジックのような仮定の考え方についての曲。「もし私がこうしたら、もし私が良い人間なら、もしこれをこうしたらこういう結果になる」と思っても、物事は必ずしもそうならない。どれだけ正しいことをしても、いい結果になるとは限らない。だってハルは61歳で死ぬべきじゃないし、アンドリューは56歳とかで死ぬべきじゃなかった。そんなの公平じゃないように思えた。だから「マジックを信じ始めること」について曲を書いたのよ。最初は、因果関係が正当化できないことに原因を求める「魔術的思考」のようで、必ずしも良いことじゃないように思えるけれど、最終的には本当にマジックが起きることを信じるというラヴソングになるの。自分自身との哲学的な会話とでもいうか。ハルが死んだ時「FUCK! こんなの間違ってる」と思い、「彼がマジックを信じ」「彼がマジックを生み出す」ことを書いた。そしてそれを少し発展させて「私たちみんな……(マジックを信じ、マジックを生み出せる)」ということにしたのよ。だからあの曲で一番大事な歌詞は「I’m every person in this dream」という1行。どれだけ自分が支配でき、どれだけ降伏せなければならないか、ということ。言ってみれば、アルバム全体がそこに基づいている。支配と降伏、いかに屈し、許すか……。

──歌詞といえば、「Friday Night」ではプルーストの名前を歌詞の中で引用しています(“私はベッドの中でずっとプルーストの夢を見ていた”)がこれはあなた自身の体験ですか?

B:病気で伏せていた時、プルーストの『失われた時を求めて』(のオーディオブック)をよく「聞いて」いたの。。彼は「弔慰」という立場から文章を書いていることがわかり、それは私自身の置かれた立場と似ていたので、とても慰められた。彼が留める記憶は私を慰めてくれたし、私自身も自分の記憶を反芻しているところがあったから、どこか似ていると感じたわ。だから自然と彼の名前が歌詞の中に現れたのよ。あれは実際に夜、眠れなくて起きていて、彼も夜、眠れずに起きていたことに、慰められることを歌っているわ。

Photo by Eliot Lee Hazel

──あなたはそもそもが圧倒的な個性と魅力を持ったシンガーだと思います。今のあなたを歌い手として深化させてきたのは、自分の中のどういう意識だと思いますか?

B:さあ、わからないわ。でもそんなふうに言ってくれてありがとう。とても嬉しい。今回の曲を書いている時も、誰のために書いていたわけでも、歌っていたわけでもなかった。ただ、サウンドを探求して、これを本当に確信持って歌ったらどうなるだろう?と、どっちつかずではなく、ただ声をぶつけるように歌ってみたり。そんなことを繰り返していただけ。声は、理解が深まるにつれ、変わってきたと思う。ハルのような人や、誰かと仕事をするたびに。元々私はカレッジで歌や音楽を勉強したことは一度もなくて、何をやっても「一時的に夢中になってること」だと思ってた(苦笑)。「この時期を越えたら、まともな職につくわ」と。時にはまともな職につくしかないこともあって、それは辛かったけど。でも、このアルバムを書いている時も、ある時点では「自分以外の人に歌ってもらうため」に書いていたのよ。自分に歌えるか自信がなかったから。でも結局は、やり続けるしかないってこと? 質問への答えはわからないけど、今回、すごく深く自分を掘り下げなければならなかったことだけは確か。毎回、掘り下げるたびに、少しだけ成長しようとしているの。

──アルバムのアートワークと写真を担当したエリオット・リー・ヘイゼル(※今回提供してもらったベスの写真も全てこのエリオットによるもの)は、ブラジルのアーティスト、ロドリゴ・アマランテを写したフォトでも知られる、極めてミニマルで現代的な作風が魅力ですが、エリオットの作品を今作で起用した理由をおしえてください。今作の作風とどのように符合していると思いますか?

B:彼のスタジオで撮った作品が好きだったのよ。結果的には自然の中で撮影したわ。上がってきた写真はとても面白かった。ああいうものは私は予想していなかったし、あれはどちらかといえば、彼が描くヴィジョン。でも彼が素晴らしいフォトグラファーだとわかっていたのでやったのよ。本当は、スタジオのような、コントロールの及ぶ空間でやりたかったけれど、結果的には良かったと思っているわ。とても美しいものに仕上がっていると思う。彼のヴィジョンではあるけれど。

──現在、フィービー・ブリジャーズ、シャロン・ヴァン・エッテンなど多くの女性シンガー・ソングライターが活躍していますが、そうしたアーティストたちの活躍をどのように見ていますか?

B:ええ、みんな大好きよ。エンジェル・オルセンも好きだし、フィービー・ブリジャーズも大好き。ニーナ・ナスターシャが最近出したアルバムは美して、正直な1枚だったわ。イギリスならクレオ・ソルが今のお気に入り。ソランジュはいつも素晴らしいし、エリカ・バドゥも新作は随分とごぶさただけど、今も昔のを聴き続けてる。シャロン・ヴァン・エッテンも……そうね、言われる通り、素晴らしいソングライターが今は本当に数多くいる。というかここしばらくそうね。そしてビリー・アイリッシュ。我が家は彼女の大ファンよ。すごい才能だと思うし、純粋で心に触れるクレバーな曲ばかりで、聴くたびに「なんて頭がいいんだろ。すごく好き!」と思わされる。歌詞もメロディも、心からの、衒いのないものだから。エンジェル・オルセンもね。女性が自分達の真実を歌うのに、とてもいい時代だと思うし、エキサイティングな時代。今、名前をあげた女性たちと、今後ツアー先で会えればいいなと思うわ。

──ところで、ここまでの力作が完成し、ご主人のサム・アミドンはどのような感想を話しているのでしょうか? 家庭の中で互いの音楽について話をする機会はどのくらいあるのですか?

B:ええ、家ではしょっちゅう話すわ。私は自分の音楽を全て彼に聴いてもらってるし、このアルバムにも、いろんな意味で彼は深く関わっている。曲が書き終わらないうちから、うちのママと一緒で、「すごくいいから、すぐレコーディングだ!」と興奮しまくるの。「待って待って、まだ終わってない!」と言って、宥めないとならなかった。2018年にも、そういうことがあって。曲がたくさんあるならすぐに作るべきだと言われて、始めたんだけど、やはりダメだった。それ以来、お互いに作り方がまるで違うんだってことを、理解するようにはなった。でもそうやって、何があっても私を励ましてくれる彼の熱意があったから、私は続けられているんだと思う。もしそれがなかったら、このアルバムは絶対にできていなかった。このアルバムに限らずね。実は肉体的にも精神的にも、人前に出て何かをする熱意がなくなってしまっていたの。さっき「Fractals」で言っていたマジックの話と一緒。世界が広がって、これをやって、あれをやって……人は善意に満ちていて……でも実際は善意ばかりじゃなくて、それにショックを受けて……。でもサムはものすごく誠実で真摯で強い人。だから彼の音楽に関する意見は信頼してる。できた曲を彼に聴かせ、時には彼の意見を取り入れることもあれば、「前回あなたの意見を聞いたら最悪になっちゃったんだから!」って、はねつけることもあるけど(笑)。でも私がより深いところまで物事を掘り下げられるのは、ミュージシャンとしての私を彼が信頼してくれているから。それには心から感謝してるわ。そして彼の音楽の趣味の良さもね。でもここ数ヶ月は、彼をあえてブロックしてた。「自分の直感で音楽を聴かなきゃ」と思ったから。とか言うと「直感」とか「不安」とか、誰もが同じような言葉がキーワードになってるみたいでなんだか嫌だけど(苦笑)。でも、本当にそう感じたのよ。ただ、家の中で彼が聴いている音楽、特にジャズが私に教えてくれたことは大きいわ。一緒になって12年間なんで、12年分聴いてきた。自分からそうしようとしたわけではないけど、自然と私の好きな音楽の視野を広げられたのよ。そんな広い音楽を持ってる人と暮らしているわけだから、それはラッキーだったと思っているわ。



<了>



Photo by Eliot Lee Hazel

 

Text By Shino Okamura

Photo By Eliot Lee Hazel

Interpretation By Kyoko Maruyama


Beth Orton

Weather Alive

LABEL : Partisan / Big Nothing
RELEASE DATE : 2022.09.23


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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes


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