「青の系譜」とYUMEGIWAの話【スーパーカーの遺伝子 vol. 1】
kurayamisaka、なるぎれ、新世代インディー/オルタナから再考する対談連載
【スーパーカーの遺伝子 vol. 0】
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Talk Session with Yasuyuki Ono and Shoya Takahashi (TURN editorial team)
▼目次
1.スーパーカーってどう聴いてきました?
2.壊れそうなメロディ、その向こう側に広がる……
3.吹き零れる程のAO、青、蒼
4.青臭さと諦念ブーム(?)
5.「ローマ字×日本語」タイトルで追いかけたYUMEGIWA
6.いまこそ「自分ごと」として聴くスーパーカー
「スーパーカーの遺伝子」を考えるためのプレイリスト
スーパーカーってどう聴いてきました?
髙橋翔哉(以下、髙):今日は事前に、スーパーカーについて時系列に沿って話していこうと決めていたんですが、まずどこから話しましょう?
尾野泰幸(以下、尾):今日、スーパーカーのインタビューを読み返していたんですけど、解散までの期間まで通して、「シューゲイザー」というワードが一回も登場していなくて。むしろジーザス&メリーチェインだったり初期ダイナソーJr.だったり、『Futurama』以降はレイヴの話やニュー・ウェイブの話が出てきたりという中で、改めて本人たちのスタンスとしては、スーパーカーってシューゲイザーバンドではなかったんだなと思って。
それで、いまスーパーカーをシューゲイザー以外の側面で聴きなおすと面白いんじゃないかなと思ったんですよ。僕がkurayamisaka、せだい、hardnutsといったバンドにスーパーカーを感じるのも、シューゲイザーとして感じているわけではなくて。むしろ髙橋さんが前回言っていたような、フェミニンで少年性を廃したようなフィメール・ボーカルと男声ボーカルの絡みだったり、(シューゲイザーというより)ブリットポップ的なギターの鳴りに感じていて。
髙:あー。
尾:『スリーアウトチェンジ』に入ってる「u」とか「PLANET」ってオアシスみたいな曲がありますし。髙橋さんはスーパーカーをどう聴いてきたのか気になります。
髙:僕がスーパーカーを聴き始めたのって、《Rolling Stone Japan》や《snoozer》のオールタイム・ベストに『HIGHVISION』とか『スリーアウトチェンジ』が入っていたからなんですよね。最初に聴いたのが『HIGHVISION』で、だから彼らをシューゲイザーとしては入門していない。
尾:なるほど。
髙:むしろ『Kid A』以降のレディオヘッドとか、サカナクションと並べて聴いていましたね。それであとから、シューゲイザーとしての受容のされかたをTwitterなどで知りました。でもたしかに尾野さんの言うように、「PLANET」とかはオアシスやザ・ヴァーヴみたいなブリットポップみのある曲もありますよね(笑)。
尾:そう、「PLANET」とかストリングスが入ってきた瞬間に「オアシスだ!」となる(笑)。僕も年齢的にも完全に後追いで、最初に『スリーアウトチェンジ』を聴いたのは大学に入学した2011、12年ごろなんですよね。当時の印象はとても平坦というか、メランコリックでダークな感じのメロディがずっと続くし、アルバム自体も長くて掴みどころがないなと思っていましたね。
『JUMP UP』以降のアルバムも同じ印象で、エレクトロな要素が入っても自分の中でフックが感じられないバンドだと思っていたけど、そこから15年経ってたまたま「Lucky」がYouTubeで流れてきたときに、これはなんてすごいんだ!みたいな(笑)。ボーカルのハーモニックなところとか、ギターの鳴りの奥深さや広がりがすごいと思って、この15年で聴こえかたの感覚が変わりつつあるんだろうなと思いましたね。髙橋さんは、最初に聴いたときと今で感覚が変わったところってあります?
髙:僕がスーパーカーを聴き始めたのは2015年ごろで。当時の自分はクリープハイプやゲスの極み乙女のような、フェスブームで幅を利かせていたロックというか、ギターが単音でピーキーな音色で鳴らすようなバンドサウンドをよく聴いていたんですよ。だからスーパーカーはリアルタイムで好きなバンドとは別モノとして聴いていた。コードを軸に曲を作っている感じが強いですし。
それが2010年代以降、ドリーム・ポップ的な空間で演出するようなサウンドが流行ったり、2020年代以降にノイジーなギターサウンドが復活する中で、改めてスーパーカーをいまの耳で「自分に寄り添う音」として聴けるようになった感じがしますね。
尾:なるほど。僕が初めて聴いたころは、日本でいうとceroや星野源のような、ブラック・ミュージックの要素のあるメロディの輪郭がはっきりした音楽が流行り始める時期でしたね。それとほぼ並走するかたちで、例えばディアハンターやテーム・インパラ、フランク・オーシャンのようなドリーミーな音像の音楽が「あり」になっていって、さらに現在はウェンズデイやホットラインTNT(Hotline TNT)のようなギターバンドが息を吹き返してきている。スーパーカーの音像はいまが一番「あり」だと思うんですね。
壊れそうなメロディ、その向こう側に広がる……
髙:メロディの話にフォーカスしますが、ナカコーって初期はヴェルヴェット・アンダーグラウンドやデヴィッド・ボウイの影響を強く受けていて、特に初期のスウィートなメロディや曲の平坦さはヴェルヴェッツ的。ちなみにナカコーはTwitterで裸のラリーズを原点と言っていて、ギターノイズはそこからの影響だと思うんですけど。
尾:ああ、そうなんだ。
髙:それで、今回取り上げる現在のバンドたちも、メロディがポップでスウィートという共通項があると思うんです。
尾:たしかに。メロディがすごく繊細というか、危ういバランスで成り立っていて、一歩間違うと全然ダメになっちゃいそうなんだけど、それを巧みにポップに聴かせるすべがある。ウィーザーやティーンエイジ・ファンクラブのようなパワーポップ的など真ん中ストレートではない、そのバランスがすごくいいなと思っています。
髙:なるほど。
尾:それに対してボーカルも主張しないから、繊細なメロディにボーカルもきちんと乗るんですよね。《snoozer》の『スリーアウトチェンジ』のころのインタビューで、ナカコーがいしわたりのリリックについて「感情込めるって作業をしてこなかった……してこないヴォーカリストで」と言っていて。そういうボーカルのある種の無機質さも影響してるんだろうなって。
髙:そういえば、企画盤『RE:SUPERCAR 1 -redesigned by nakamura koji-』には「Hello」などのデモバージョンが入っているんですけど。
尾:あーそれ聴いたことない。
髙:メロディはそのままなんだけど、歌詞はテキトー英語なんですよ。ナカコーが自分で作詞していないのは大前提ですが、本当に歌詞への関心が薄いんだなと聴いたとき思いました。彼はスーパーカーを組む前にボアダムズみたいなノイズ音源を作っていたそうですけど、作りたい音質や、ヴェルヴェッツなどに触発された作りたいポップスが先にあって、歌詞はその器に入っている要素でしかないんだなと思いましたね。
尾:うんうん。
髙:尾野さんが言っていた、メロディが繊細というのはスーパーカーにも当てはまって、特に「Lucky」のようなフルカワがボーカルをとる曲は、彼女の声の細さもあってよりフラジャイルな感じがしますよね。
尾:話は戻りますが、僕がFor Tracy Hydeに乗り切れなかったのはそこのバランスの違いだったんですよ。メロディがよりはっきりしていながら、フルカワミキ的なフェミニンでハイトーンのボーカルと、噛み合わせが良くない感じがしていた。一方でkurayamisakaはそうではない。そこで自分のテイストに合うかがはっきり分かれている気がします。
髙:それについて、スーパーカーのメロディのエッセンスがジーザス&メリーチェインであるのに対して、For Tracy Hydeはもっと’00〜2010年代前半の日本のギターロックを内面化していると思うんですよ。
尾:なるほど?
髙:もちろん多くのリファレンスがあるのは大前提として、でもメロディがくっきりしているのはジャパニーズロック的というか。成分の比率の違いな気がします。
尾:たしかに。今回名前を挙げたkurayamisaka、hardnuts、sidenerdsといったバンドは、Jロックのルーツってあまりないと思うんですよ。あるとしてもバンプやアジカンとか。そこが彼らのメロディに影響を与えてると思いますね。
髙:そこの違いを言語化するのって難しいと思うんですけど、たとえば今回尾野さんが挙げてくれたバンドって、強引にはシューゲイザー系のバンドとエモ系のバンドに分けられると思うんですね。それぞれビートやギターの音の運びは全然違いますけど、メロディの違いってあるんでしょうか?
尾:スーパーカーの流れとエモの流れが2つあるとすると、これらが別々に進んでいる感じはしないんですよ。スーパーカーの流れがあって、そこにエモが合流してくるイメージというか。
髙:うんうん。
尾:くだらない1日はエモのほうで合流せずに進んでいるように見えますけど。メロディの違いで分けられる感じはなくて、スーパーカー的なものを受け継いでいるバンドが総体として現れてきている。その中に同時代的な90年代エモリバイバルの要素が、おそらく彼らが大学時代に影響を受けて取り込まれているイメージで聴いていますね。
髙:たしかに、近年はシューゲイザー的な音楽にエモ的な音楽が接近している感じはあるかもしれませんね。2010年代前半〜半ばは、この二つはもっと明確に棲み分けがされていたはず。
尾:スーパーカーが2005年に解散して今が2025年、この20年を埋めるミッシングリンクがきっとあるはずなんですよ。《残響レコード》周辺だったり、ART-SCHOOLやTHE NOVEMBERS周辺のよりダークなバンドもあるでしょうし。メジャーではBase Ball Bearがいて。そのあたりを知りたいですけどね。
髙:そうですね。ちょっと話がズレますけど、オリヴィア・ロドリゴの親世代がテイラー・スウィフトやパラモアを聴いてたみたいな話が好きで。20年で世代が一回りするというか、スーパーカーの子供世代がいまバンドをやっているような側面もあるかもしれないですね。
尾:kurayamisakaがツアーゲストにHomecomingsを呼んでいるんですけど、Homecomingsの「HURTS」とか英詞で歌っていたころの感じにはスーパーカー的な要素もあったと思うんですよね。Homecomingsとか、《Second Royal Records》周辺のインディーもそこに合わさってくるのかなと思って。
HomecomingsってYogee New Wavesとかnever young beachとかシャムキャッツと一緒に語られてきたけど、この対談で名前を挙げてきたバンドと一緒に聴かれていないイメージがある。でもkurayamisakaが呼んだってことは、その流れと一緒に聴いてきた人は一定数いるはずで。
髙:あー。hardnutsとかその感激と記録のインタビューを読むと影響源にバンプとかアジカンが挙がっていて、でも彼らのアウトプットがバンプやアジカンに近しいとは限らない。同様に、一見するとリスナー層が被らないように思える複数のシーンに、じつは潜在的なリンクがあるのは不思議じゃないですよね。あと言われて気づきましたが、たしかに初期のHomecomingsってスーパーカーっぽいかも。
尾:そうですよね。Homecomingsはキャリアを重ねてやがて日本語詞になって、福留さんの趣味もUSインディに寄っていきましたが、初期は『スリーアウトチェンジ』のころのスーパーカーを思わせる感じで。ただ最新作『see you, frail angel. sea adore you.』は、じつはスーパーカー『HIGHVISION』を下地に作っているとインタビューで言っていて。2024年初頭の能登の地震で失われた故郷の風景を、青春時代に聴いていた『HIGHVISION』やインディートロニカ的なサウンドを掘り下げることで辿るというテーマ性があるんですよね。それもあって、スーパーカーがルーツの深いところにあると思っています。
髙:へえ〜、それは知らなかった。
尾:髙橋さんが新しいバンドを聴いていてスーパーカー的だなと感じるときに、具体的に頭に浮かぶのはどのアルバムなんですか? 僕は完全にファーストだけなんですけど。
髙:僕もファーストですね。特に「Lucky」や「Hello」など、ナカコーとフルカワミキのボーカルが絡む曲。あるいは翌年の『OOKeah!!』、『OOYeah!!』は近年のバンドと並べて聴けるんですけど、一方で『JUMP UP』や、『Futurama』以降はほかの要素が入ってきて全然別モノになっていく。ちなみに、『OOKeah!!』、『OOYeah!!』の2枚はデビュー前からあった未発表曲で構成されているので、『スリーアウトチェンジ』と性質の近いアルバムです。
『JUMP UP』に入っている「Sunday People」のカップリングに「Seven Front」という高速ブレイクビーツ的な曲がありますが、B面曲という事実も含めて、「裏スーパーカー」というか表には出していない当時のナカコーのモードを出した曲だと思うんですね。これも近年のバンドとはだいぶ雰囲気は違うのですが、それでも例えば“電球”を聴いたときにスーパーカーを引き合いに出したくなる何かがあるなって。ただ『スリーアウトチェンジ』の話に戻すと、ラウドなギターとフィメール・ボーカルで聴かせるという、初期スーパーカーのイメージが時代を越えて流通しつづけているのは確実にある。
吹き零れる程のAO、青、蒼
尾:そうそう。あと『スリーアウトチェンジ』ってすごく北国っぽいですよね(笑)。気温が低いというか、冬の張り詰めた空気と、雲がない青い空のイメージ。ジャケットも青いですし。
髙:そのころはスーパーカーは東京に出ていなくて、歌詞にも「青い森」が頻出する(笑)。
尾:そうそう(笑)。
髙:それは「青森から東京へ!」というイメージ戦略かもしれないのですが、意識的か無意識か、北国的な要素が歌詞にも入っていますよね。ジャケットが青いのも重要なポイントだと思っていて、今回取り上げたいくつかのバンドもジャケットが青いんですよ。
尾:たしかに! ジャケが青い!
髙:青空とか、アオハル感もあって。ミクロ菩薩もhardnutsもZanjitsuも青い。
尾:TIDAL CLUB、simsiis、kurayamisaka『evergreen/modify Youth』も青いですね。髙橋さんがプレイリストに入れているレミオロメンの『HORIZON』も青い。曲は「プログラム」か。
髙:レミオロメンの「プログラム」はレディオヘッドの「Airbag」なんですよ。リズムパターンと、ギターのプロダクションが明らかに「Airbag」の引用。
尾:そうなんだ。『HORIZON』めっちゃ聴いたなあ、「蒼の世界」が入ってる。
髙:あとはサカナクションも明確に青のイメージを打ち出し続けている。必ずしも『スリーアウトチェンジ』がその起源にあるとは思いませんが、この青のイメージはどこからきているんでしょう? 最近僕はタナソーさんの影響で「イメージの流通」っていう概念で捉えてしまうんですけど(笑)。
尾:先の《snoozer》のインタビューでタナソーさんが、「歌詞のモチーフで何故、こんなに空が多いの?」と訊いていて、いしわたり淳治は「青森になんもないからじゃないですか(笑)。空見るかと、空に見られるか」と答えていて。その心象風景が彼らにはある。
髙:ふーん。
尾:さらにそこから繋がるのは新海誠的な世界観。第二次大戦以降に北海道が共産国家領になり、津軽海峡を境に日本が南北分断されているという設定で、青森の津軽半島が舞台。『雲のむこう、約束の場所』は所謂“セカイ系”の代表作品でもありますが、セカイ系の世界観と青というイメージも繋がっている気がするんですよね。アニメのアートワークが多いのも今のバンドたちの特徴ですけど、2000年代以降に流通したセカイ系の系譜にあるアニメの影響も大きいと思いました。
髙:セカイ系漫画の『最終兵器彼女』の舞台が北海道だなって思い出しました(笑)。
尾:なるほど、そうなんですね。
髙:あとセカイ系というよりはサブカル軸として、岩井俊二『リリイ・シュシュのすべて』も青と緑の映画ですよね。こっちは2001年公開なので時代もスーパーカーに近い。韓国のParannoulは、『リリイ・シュシュのすべて』をサンプリングしていることで話題になりました。90年代後半から2000年前後の時代の空気みたいなものを、みんなどこかで感じているんですかね。
尾:いま挙げているバンドのメンバーの多くはおそらく20代から30代前半くらいで、共通体験や時代感覚としてアニメは大きいと思います。ちなみに『ユリイカ』の新海誠号も『セカイ系とは何か』という本も青いんです(笑)。
髙:へえ〜。
尾:だから大事なのは「青」なんですよ。スーパーカーのファーストのジャケットが赤かったら印象は全然違ったでしょうね。
髙:この対談のためにいろいろ聴いてたら、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは赤いけど、ライドもジャケが青いですよね。スーパーカーの「DRIVE」がライドの「Vapour Trail」に似ていたり。ライドに「Seagull」という曲があるのがスーパーカーでは「Sea Girl」という曲があったり。
尾:ライドが大事だった。
髙:スーパーカーが意外とシューゲイザーっぽくない曲が多いのは、ギターの高音がキンキン鳴っているからだと思います。ライドも初めて聴いたときは高音がキンキンしすぎだと感じて「これがシューゲイザーなの?」と思ったんですよね。
青臭さと諦念ブーム(?)
髙:あとはもっとストレートに、青春とか青臭さの「青」でもありますし。
尾:たしかに、それはそうだ。
髙:でも、スーパーカーのファーストのあまりにも“みずみずしい”さまに比べると、今回挙げたバンドたちはそこまで青臭さやみずみずしさを感じるわけではない気がするんですよね。
尾:たとえばkurayamisakaはアートワークのキャラクターにストーリーを作っていて、そのストーリーに対して曲がついているんですよね。自らの体験ではなくて、青臭さみたいなものを物語として仕立てているんだと思います。
髙:“なるぎれ”のアルバムも、「深夜アニメの第一話」がコンセプトなんですよね。これは尾野さんのレビューで知りました(笑)。
スーパーカーが出てきたころと今の違いは、なによりアニメやライトノベルが若い世代の基礎教養になったことだと思います。ライトノベルこそ、青臭さや少年性を多分に内包したジャンルですもんね。
尾:デビュー時の年齢も、スーパーカーが『スリーアウトチェンジ』を出したときはまだ20歳くらいだから、いまとは状況が違うんですよ。青森に住んでいるスレていない田舎の少年少女という。
髙:年齢的にも地で「青かった」ってことですね。
尾:あとはいつだったか、いしわたり淳治がリリックに対してインタビューで答えていたんですけど、何も変わらないんだなという感覚があったみたいで。宮台真司みたいな話になっちゃいますけど、なにか大きな一撃が起きて世界が180度変わってしまうことはなくて、このまま何もない日常が永遠に続いていくという前提で書かれた歌詞だったんですよ。それを20歳の若者が歌っているっていう。一方で今のバンドは20代から30代前半という世代もあり、むしろ目の前の生活もある中でどうサバイブしていくかというところが大事になっているのかもしれないですね。
髙:たしかに。90年代後半って『エヴァンゲリオン』にしろ『ファイト・クラブ』にしろ、「期待しない」とか「絶望」とかがあらゆる作品の通奏低音みたいになっていたと思うんですよ(笑)。なにか表現しようとしたらそういうアウトプットにならざるを得ないものが時代だったんだろうなって。同じいしわたりのリリックにしても、初期は「自分で自分の」というような個人主義だったのが、『HIGHVISION』のころにはもっと抽象的で忘我的になるように、時代によって変わっている。
尾:初期スーパーカーに話を戻すと、そういうテーマや「何も変わらないんだな」という感覚のリリックを、感情を込めない平坦なボーカルで歌い上げるという、何重にも体温の低い音楽に対して、歪んだギターがそれを包む。その体温の低さが、初めて聴いた2011年頃の自分にはそれが退屈にすら聴こえたけど、いま違った聴こえかたをするのは感覚の変化なのかもしれないですね。近年のバンドのリリックについても改めて着目して聴き直したいですね。
髙:たしかにあまりリリックに注目して聴いていなかったかもしれない。でも、90年代って言っても豊かじゃないですか。
尾:そうですね、そうですね、バブルは弾けていたとしてもいつかこの不況は終わってまた輝ける日本が戻ってくると信じることが今より相対的に可能だった、というか。
髙:いま振り返ると当時のバンドって「お気楽に絶望してる感じ」に見えなくもないのかもしれない。これはタナソーさんがデビュー後のミューズやトラヴィスのことを、レディオヘッドと比較した表現ですけど(笑)。そしてこれはかつての東京インディーにおいて顕著でしたが、今のバンドのリリックの方がもっと生活に接近したというか、ヒリヒリとした「ガチ感」がある気がなんとなくします。
尾:うんうん。全然違うと思いますし、《残響レコード》やHomecomingsなどのあいだの世代を見ても、歌ってる内容は全然違うんだろうな。リリックを軸に系譜づけていくのもおもしろそうですね。
髙:ジャパニーズ・オルタナのリリシズム。1冊の本としてありそうなめちゃくちゃ大きなテーマ(笑)。ちなみにスーパーカーの作詞家であるいしわたり淳治はその後、チャットモンチーや9mm Parabellum Bulletのプロデュースもしていますし、スーパーカー解散時の《snoozer》のインタビューですでにチャットモンチーのプロデュースの話を匂わせていましたよね。
尾:話してましたよね。
髙:だからいしわたりも、あいだの世代を繋ぐキーパーソンでもありそうですね。一方でナカコーは牛尾憲輔らに接近して「音のひと」になっていったのは象徴的だなと思います。
「ローマ字×日本語」タイトルで追いかけたYUMEGIWA
尾:髙橋さんと僕の共通認識として、ファーストがやっぱり偉大だったんだという話がこれまでありました。
それでもう一つのポイントとして、これらのバンドってkurayamisaka然り、simsiis「yodachi」然り、アルファベットで曲名やバンド名をつけていることが多いんですけど、これは後期スーパーカーですよね。『Futurama』や『HIGHVISION』のころの記号の使い方なんですよ。これはナンバーガールの影響も関係してそうですけど、スーパーカーとして見ると、サウンドは初期を、記号は後期を引用してるって感じ。
髙:そうなんですね、気づかなかった! でもたしかに、こういうローマ字化された日本語でしか表現できない何かがありますよね。
尾:「YUMEGIWA LAST BOY」とか、この感覚なんなんでしょうね(笑)。それっぽいよね、みたいな。
髙:(笑)。ちょっと広告代理店っぽい小綺麗さに近い気もしますけど、それだけじゃないんですよね。
尾:サイバーパンクでもないんだよな。YUMEGIWA(夢際)とか、現実感が薄れるっていう効果はあるかもしれないですね。
髙:門脇綱生さんがやっている「遠泳音楽 Angelic Post-Shoegaze」というプレイリストがあるんですけど、スーパーカーの曲もいっぱい入っていて、このリストで提示されている「遠景」とか「祝福」とか「彼岸」といったテーマ性と、ローマ字表記された日本語には共通するムードがあると思います。滅菌された架空のディストピア、というか……。
いま《snoozer》を見ていて思ったんですけど、スーパーカーに対するコピーとして、「崩れきったビルディング、その向こう側に広がる青空」、「交わされた約束」って、「遠泳音楽」とかセカイ系とつうじる世界観ですよね。
尾:なるほど、新海誠のタイトルっぽかったです(笑)。
髙:でもkurayamisakaとかはそういう感じでもないんだよなあ。
尾:そう。だからそこは記号だけ借りてきてる感じがしますよね。でも「YUMEGIWA LAST BOY」ってなんであんな曲名のつけ方をするんでしょうね。『Futurama』のころも「SHIBUYA Morning」とか「A.O.S.A.」というのがあったり。
髙:『HIGHVISION』で顕著ですね。
尾:「AOHARU YOUTH」とかさあ。「OTOGI NATION」、「NIJIIRO DARKNESS」、「SILENT YARITORI」(笑)。架空感というか、現実から離れるというか、デジタル感というか。
髙:思い出したんですけど、入江陽が昨年に『恋愛』というアルバムを出したときに、「平仮名で『れんあい』とすることも考えたんですけど、そういう逃げはやめて、ストレートにわかりやすく『恋愛』としました」と話してるんですよね。「逃げ」とか「照れ」を肯定して受け容れる、みたいな感覚っていま重要だと思っていて。
* interview with Yo Irie シンガーソングライター入江陽がいま「恋愛」に注目する理由 | ele-king尾:うんうん。
髙:ビリー・アイリッシュとかアリアナ・グランデといった女性シンガーが曲のタイトルを全部小文字にしていた時期に、「声の小ささ」みたいなものを表現していたって批評されていましたよね。
スーパーカーはそうだったかわからないけど、バンド名や曲名を今のバンドがローマ字日本語にしているのって、照れ隠しとか、漢字で綴ると角が立つのを回避しているところがあるんじゃないかなって。
尾:うんうん。あるいは、バンドをやっている自分と、それ以外の音楽をやっていないときの自分とがいて、キャラを使い分けているみたいなイメージもありますね。
髙:バーチャルな存在というか。
尾:そうそう。アニメのアートワークが多いことにも繋がると思いますし。 しかしこの「AOHARU YOUTH」とかって発明ですよね(笑)。
髙:そうですよ。なんでこんなタイトルにもなにも、それはいしわたり淳治が天才だからですよ(笑)。
尾:そういうこと?(笑) ファーストの曲名も面白いですよね。1曲目が「cream soda」っていうのもすごくいい。あんたが大将! 正解!って感じ(笑)。
髙:すごいですよね。歌詞は全然関係ないのに、あまりに曲名と曲の雰囲気が合っている。確実にいくつかの発明をしてしまったバンドだと思いますね。
尾:いしわたり淳治の本がちくま文庫などから出ているから、それを読めば歌詞やタイトルについても書いてあるのかな。これは「歌詞回」をやるときまでの宿題ですね。
いまこそ「自分ごと」として聴くスーパーカー
尾:最初の話に戻りますが、あらためて2010年代は星野源やSEKAI NO OWARIの時代だったわけですよね。
髙:EDMとネオソウルとシティポップみたいな。
尾:それを経たあとに、一周回っていまではウェンズデイがUSインディで一番面白いとか、ホットラインTNTのようなギターバンドが一番いいんじゃないかという中で、スーパーカーの『スリーアウトチェンジ』が「あり」になってきている。
髙:たしかに。サカナクションや星野源が2015年に広義のシティポップをやり始める前までは、むしろ『HIGHVISION』や『ANSWER』のほうが自分ごととして聴けたんですけど、『JUMP UP』以降の4枚はすべて音に時代性が刻印されすぎているから…。
尾:そうそう。
髙:レディオヘッドだっていま初めて聴く人がいたら『OK Computer』や『Kid A』よりも『In Rainbows』からのほうが入りやすいだろうし。
尾:『HIGHVISION』のころはニュー・ウェイブ・リバイバルの影響を受けていたという話もしていて、時代に紐づいた音楽だと思うんですよね。一方でファーストは、デヴィッド・ボウイやヴェルヴェッツ、ジーザス&メリーチェイン、ダイナソーJr.、ブリットポップなど射程の広い音楽になっていて、陳腐な言い方をすれば「エヴァーグリーン」な感じになっているんだろうなって。
髙:処女作はアーティストの本質があらわれるという話はよく目にしますけど、まさに高校卒業したばかりの人たちが普通に楽器を持ったら出てきた音楽。時代性とか関係なしに、ただインプットして無意識に出てきたというのが長く時代を越えるものになったとしたらシビれる話ですね。
尾:時代の中で評価の浮き沈みは当然あって、いまはすごく「あり」になっている。だって、スーパーカーのようなオルタナバンドを聴くより、森は生きているとかシャムキャッツを聴いてたほうが楽しいって時代はあったはずで。ちょっと特定のバンドを引き合いに出すのは難しいですけど。
髙:そうですね、『スリーアウトチェンジ』とか、レディオヘッドでいえば『The Bends』のようなベターッとしたギターの音なんか聴けないよ、みたいな。
あとは先ほども名前を出したParannoulとかAsian Glowとか、韓国インディーにもスーパーカーの『スリーアウトチェンジ』とどこか通ずるバンドもいくつかあるし。あるいは《Rate Your Music》を見ても、海外でもファーストが一番聴かれているのがわかる。英語圏から見ると、日本の音楽自体がBorisとかボアダムスみたいにノイジーなものが好まれる傾向はあるけど、それだけじゃない必然性もありそうというか。
2023年にアルバムを2枚出していたバー・イタリアの「my little tony」という曲が、Big Muff系のファズペダルが使われていると思うんですけど、ナカコーが初期スーパーカーで使っていた歪みもBig Muff系なんですよ。
尾:うんうん。
髙:あの特有のローファイでこもったような音色を、最近いくつかの作品で聴いたはずで。アナロジーとしてではなく、マジの意味で初期スーパーカーのサウンドって今っぽいんだと思う。
日本においてもナンバーガールと並べて、僕たちみたいな後追い世代がリーチしやすいバンドではありますよね。
尾:ディスクガイドなどの影響も大きいでしょうし、あとはニコニコ動画の「名盤ベスト」系の動画でもよく取り上げられてたんですよ。もちろんアジカンやBase Ball Bearが影響を公言しているというのもありますね。いわゆる「98年の世代」って、くるり、ナンバーガール、スーパーカー、中村一義ですけど、高3のときの自分としてはナンバーガールがいちばん違和感なく聴けていた気がする。
髙:ゼロ年代後半〜2010年代の高校生が聴いているロックのなかに、いちばん欠片が残っているのはナンバーガールだと思いますし(笑)。
ナンバーガールはTwitterやインターネットとの相性がいいというのもありますしね。オアシスが再結成したときには私たちより若い世代でさえ盛り上がっていましたけど、それはなんでかというとリアムやノエルがいろんな逸話とか武勇伝があって、Twitter上で「芸人化」している側面があるからなんですよね。THIS IS 向井秀徳もそういうアイコニックな存在ですし。 スーパーカーにしても、Twitterとシューゲイザーというジャンルとの親和性が非常に高いから、スーパーカーがシューゲイザーであるかはさておき、常にメンター的な存在として経由せざるを得ないバンドではある。
尾:うんうん。今回は「スーパーカー回」になりましたね。キーワードとしては、「青」の系譜、ジュブナイルなイメージ、あとは日本語のローマ字表記にみる記号性、というところでしょうか。 新しいバンドを紹介する方向にも今後広げていきたいですね。やっぱりkurayamisakaは、聴いたときに頭に浮かぶイメージがスーパーカーに近いなと思いますし。
髙:他にもたくさんウォッチされていますよね。尾野さんが教えてくださったバンドだと、個人的にはなるぎれやNerdy Pixie、あとSleepinsideが好きでした。僕はエモよりもシューゲイザーの嗜好性が強いですが……。
僕が興味深いと思うのは、これらのバンドが同時多発的に発生していると思ったところが、じつは繋がり合っていることですね。kurayamisakaとYubioriと“せだい”のメンバーが重なっていて、Fallsheepsがせだいが主宰の《tomoran》からリリースしているみたいな。
尾:それで言うと、僕は東北大学のバンドサークルのコンピレーションも取り上げたいなと思っています。なるぎれとかミクロ菩薩が入っているんですよ。
髙:2020〜2022年卒中心のディスク1と、在校生中心のディスク2があるんですね。すごい、バンドサークル生の夢じゃないですか!
尾:しかもクオリティも高いんですよね。このコンピレーションだけですごく雰囲気が伝わると思います。
<了>
「スーパーカーの遺伝子」を考えるためのプレイリスト
Text By Shoya TakahashiYasuyuki Ono
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