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Bon Iver: SABLE, fABLE

2025 / Jagjaguwar / Big Nothing
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真実の愛とは寓話である

06 May 2025 | By Shino Okamura

本作がリリースされて二週間を迎えた4月25日、ジャスティン・ヴァーノンはBon Iver名義のインスタグラムで1枚の“家族写真”を公開した。赤ちゃんを抱き穏やかな表情を湛えて椅子に座るヴァーノン。その傍らには、女優のクリスティン・ミリオティが寄り添うように立っている。ついにヴァーノンもパパになったのか! あれ、でも、相手ってこの人だったっけ? と訝しく思った人も多かっただろう。だが、どうやらこれは本作のコンセプト、テーマを象徴する写真のようで、少なくともヴァーノンとミリオティがカップルである公的なアナウンスはなく、まして子供が誕生したニュースも伝わってきていない。いや、実のところもしかすると真実かもしれない。ヴァーノンはこの写真に対して、“TRUE LOVE IS A fABLE.”(真実の愛は寓話)と記しただけで、それ以上のコメントは一切していないし、何よりこのアルバムには「THINGS BEHIND THINGS BEHIND THINGS」なんてタイトルの曲だってあるくらいだから。ただ、一つ言えるのは、それが真実であれ寓話であれ、愚直なまでの多幸感を湛える勇気を、今、ジャスティン・ヴァーノンは手にしたのだろう、ということだ。そして、それは、まだまだ幸福は足りていない、ということを伝えることでもあるのだろう。

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「Everything Is Peaceful Love」。この約6年ぶり、通算5作目となる本作からの先行曲のタイトルを見て、そして実際にあからさまな喜びに満ちたこの曲の晴れやかな歌を聴いて、ファースト・アルバム『For Emma, Forever Ago』以降、彼を支配していた……というと、ややドラマティックにすぎるかもしれないが、長きに渡りとらわれていたトラジックなムードがようやくここでエンドを迎えたように思えた。ここが悲劇の一つの“終点”であることを示唆しているかのごとき「Everything Is Peaceful Love」というタイトルからは、一見すると幸せボケ&平和ボケ、その温厚なポップ・ソウル調の曲ともどもそんなまっすぐでパーソナルな息吹を受け取ることも可能だ。そしてそれは、ベッド・インをした1969年の初夏のジョン・レノンとヨーコ・オノを筆者に思い出させるし、その時に録音され、ジョンの死後もおりに触れて戦争への抗議の際に世界中で歌われてきた「Give Peace A Chance」をもチラつかせる。けれど、果たしてジャスティン・ヴァーノンはあの時のジョン&ヨーコの発信力に共振させようとしたのだろうか。いや、違うだろう。ヴァーノンがこの曲で歌う“every little thing is love”は確かに恋に落ちた時の多幸感、情熱のカケラを伝えている。しかしながら、この曲には“not really enough”、あるいは、“I still don’t know the truth”というフレーズが大きな存在感を持って響いてもいる。いくら、すべてがピースフルな愛に溢れていると歌っても、幸せそうな“家族写真”を公開しても、それは裏のまた裏のまた裏の寓話かもしれない、という真理を覗かせるのだ。溢れ出る幸せを纏った真実の愛とは、終わりの日がやってくることに怯える不安を大いに孕んだものという真理を。

そんな背中合わせの命題を表現するには、歌も歌詞もメロディも演奏もむき出しにする必要があったということなのだろうか。暗がりから薄陽が差すような空気を引き連れている「Everything Is Peaceful Love」はもちろんだが、ゴスペルのような「AWARDS SEASON」でも、“sable”“fable”“unable”と韻を踏みながら、明快なメッセージを言葉に込める。生まれ変わることができる、もう一度生きることができるんだ、と。今となってはボン・イヴェールの代名詞のようでもあるオートチューンによるヴォイス・エフェクトも本作ではあまり取り入れず、肉声をなるべく生かしているのも大きな特徴で、ジム・E・スタック、ダニエル・ハイム、ジェン・ワズナー(フロック・オブ・ダイムス)、ディジョン、マッギー、トバイアス・ジェッソ・Jr.といった参加アーティストたちとのコラボレーションが人間同士の生の交流の温もりを伝える。90年代のブラコン〜ポップ・バラードを思わせる「If Only I Could Wait」(ダニエル・ハイムとの共作曲の一つ)はキラキラとしたサウンド・プロダクションだが、一瞬の至福を切り取ることにフォーカスをしたような刹那がそこにハッキリとみてとることができる。青臭いまでに欲しいものに手を伸ばすこと、それが脆いものであると知ること、だが回り道をせずに恐れずに表現することを、ジャスティンは選んだ。それが、ボン・イヴェール史上、ファースト以来とも言えるフォーキーで温かみを携えたヴォーカル・アルバムとも言える本作だ。

聴く人によっては『For Emma, Forever Ago』を思い起こすかもしれない。ジャスティン・ヴァーノンが失恋の痛手を抱えたまま一人で部屋にこもって曲を制作するベッドルーム・プロジェクトとしてスタートしたボン・イヴェールは、その後、作品を重ねるごとにヒップホップやR&Bの音作りをヒントにしたりしながら、ライヴではダイナミックなバンド・サウンドを展開し、ジャスティンの信頼できる友人、知人らとのコミュニティを形成してきたが、あるいは一周してようやくベッドルームから抜け出すことができた、という解釈もできよう。昨年10月にリリースされたEP『SABLE,』に、新たに『fABLE』に相当する9曲を加えた構成で、ゲストの多くはその後半9曲の方に含まれている。ジャケットのアートワークも対照的なので、ボン・イヴェールとしてのこの17年のグラデーションやコントラストを感じ取ることもできるだろう。非常に計算され尽くした作品であることは間違いない。でも、私はこれは純潔な愛の希求だと思いたい。

世界から争いがなくなる日はまだやってこない。あれほど地元ウィスコンシンから投票を呼びかけたが、結局トランプが再び大統領に就いてしまった。先進国の多くも同じく右傾化しつつある。だからこそ歌う。だが、もうあの暗く寒々しい場所にはいない。この手で子供も抱き、愛する妻も傍らにいる……という寓話が、妄想のすみか……ベッドルームから抜け出たことを宣言しているのかもしれない。(岡村詩野)

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