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「UKのカルト的カルチャーにずっと惹かれてた」
ユールが語る、最新作『Evangelic Girl Is a Gun』インタヴュー

29 May 2025 | By Tsuyachan

シンガポール出身、ロンドンを拠点に活動するアーティスト、ユール。幼少期にクラシックピアノを習い芸大ではファッションを学び、ゲームや日本のヴィジュアル・カルチャーに親しみながら育った彼女は、その多層的なバックグラウンドを土台に、ポストヒューマン的な感性とエレクトロニック/オルタナティヴの美学を融合させてきた。2022年のアルバム『Glitch Princess』を経て、前作『softscars』(2023年)では「傷ついた身体」を抱きしめるように、より肉体的で感情的な音楽へと踏み出し、国際的な注目を集める存在になった。

そして最新作『Evangelic Girl Is a Gun』では、トリップホップやエレクトロニカ、さらにはロックサウンドといった音の彫刻を生み出している。声にはあえてオートチューンを使わず、生の感情をにじませた。音楽のみならず、映像や衣装、空間演出に至るまで総合的に設計されたこの作品をめぐり、ユールは自身のルーツ、創作方法、そして変化し続ける身体とアイデンティティについて濃密に語ってくれた。ユールの現在地を考えるには最高のヒントの数々が散りばめられている。

(インタヴュー・文/つやちゃん 通訳/青木絵美 Photo by/Vasso Vu)

Interview with yeule


──前作『softscars』以降、映画『I Saw The TV Glow』のサウンドトラックで、ブロークン・ソーシャル・シーンの曲をカバーされましたね。その経験が最新アルバムの方向性にも反映されているような印象を受けたのですが。

yeule(以下、Y):それは関係ないと思う。あの曲は映画にインスパイアされて書いた、映画のための曲だったから。今回のアルバムはまったく別のもので、いくつかの美学や音楽を組み合わせることで生まれたの。たとえばトリップホップとか、セクシーなシューゲイザーとか、ちょっとオルタナやエモ寄りの影響もあるけど、もっとダークな感じのサウンド。

──制作を始める段階で念頭にあったコンセプトは?

Y:私の場合、アルバムの曲を書き始める前に、まずはイメージで世界観を作り上げる。1997年生まれの私にとって、心に響くものや影響を受けてきたものを、ヴィジュアル的な要素にしてボードにまとめるの。私は90年代後半から2000年代初頭の音楽やファッションとともに育った。当時の自分の目には、それがめちゃくちゃカッコよく映って。当時は原宿ファッションのピークでもあったし、私は日本のアートにたくさん触れていたんだよね。それは、今では昔のものとみなされるんだけど。

──それを音楽に落とし込んでいくんですか?

Y:そう。音楽をどのように表現したいか? どのようなパッケージにまとめて提示したいか? 自分は何から影響を受けているのか? そこで、今回のような不気味な終末後の世界を思いついた。テーマとしては、グロテスクな中にも美しさがあること、芸術を武器として使うこと、ファム・ファタール的存在を受け入れること、などかな。あとは、女性らしさと男性らしさについて。神聖な女性らしさを保ちつつ、男性らしく振る舞うことについて。そういうものを織り交ぜたかった。シルクのように艶っぽい、絵画のような、そんな作品にしたかった。私はヴィジュアル・アーティストでもあるから、絵画にすごく影響されてる。写真ではなく、彫刻や絵画からのインスピレーションが多い。その方がユニークな表現方法につながると思うから。ごめん、長くなっちゃったね。

──今作は、画家/写真家のズジスワフ・ベクシンスキーに影響を受けているそうですね。腐敗や崩壊の先にある、霊的な風景が感じられる点は確かにユールの世界観に近い気がしますが、 実際のところどういったところに共感されたのでしょう。

Y:彼は、平凡かつシュールな風景を、悪夢のような夢に変換させるんだよね。でも、そこにはリラックスした感じもある。悪夢を白昼夢のように描いてるの。すごく柔らかくて、絹みたいな質感なんだけど、同時に細部がとても緻密で、無限の奥行きがある感じ。1点を見つめているだけで別次元に引き込まれるような感覚になる。そこには無数のコントラストや、光と影、色彩や細い線が存在しているから。本当に美しい作品だと思う。私は昔から、ディストピア的な景色に強く惹かれてきて。ユートピアにも興味あるけど、むしろユートピアが壊れていく様子に魅力を感じる。今回のアルバムでは、自分が昔使っていたロンドンのスタジオを忠実に再現した。友人のセットデザイナーのファーマン・アハメドと一緒に空間を作った。そして写真はヴァソ・ヴーが撮ってくれた。みんなとても素晴らしいアーティストで、私の世界観を理解してくれた。つまり、ある空間に対してセンチメンタルになるという感覚や、その空間を悪夢として、もしくは、失われた記憶のように変換するというアイディアね。そういった意味で視覚的にはベクシンスキーに影響を受けていると思うけど、このヴィジュアルができたのは、音楽の後だった。ただ、頭の中ではヴィジュアルを想像しながら作曲していたから、両方が相互に影響し合ってる感じかな。すごくダークでセクシーなレコード。オールドスクールのようにも聴こえるけど、まったく新しいサウンドでもある。アートワークやビデオなどの視覚的な要素もそういう意図を持たせたかった。グリッチやノイズといった視覚性だけでなく、ドリーミーな感じの視覚性もある──そういう色々な美学の組み合わせを追求したかったの。

──そもそも、楽曲制作はいつもどのように進められるんですか? 作品ではどんどん音楽性を変化させているので、楽曲制作の手順も変わってきてますよね?

Y:最初のアルバムはほとんど自分でプロデュースしていて、全部ひとりで作ってた。使ってたのは20ドルのMIDIキーボードと、すごくしょぼいマイク(笑)。それでDAWを立ち上げて作業するという流れね。でもアルバムを重ねるごとに方法は変わってきた。『Glitch Princess』のときは、ハミングを携帯電話に録音して、それをダニー(・L・ハリー)に渡して曲にしてもらったりしてた。『softscars』ではアコースティックギターと歌から始めた。今回のアルバムではベース、つまりいちばん低い音域のフレーズから始めて、そこからセクシーなフックを作ろうとしたんだよね。確かに制作方法は進化しているけど、制作の手順は、どんな音楽を作りたいかによっても変わるから。たとえば、エレクトロニカっぽい音を目指しているのか、それとも、もっとアコースティックで、シンセサイザーのような触覚的な感覚に重きが置かれた、ある時代のスタイルの音楽を目指しているのか。

例えば、面白いプロダクション・テクニックを使いたいなら、シンセサイザー・パッチから始めたり、色々な楽器で実験してみたりする。このアルバムでは、まず、ベースギターやベースシンセを使ってフレーズを作ってから、メロディをのせるという順番が多かった。昔は最初に言葉、つまり詩を書いてそこに曲をつけていたけど、今回は、意味のない言葉をただ口に出してみて、その響きの中から自然に出てくる言葉を拾っていく方法にしたの。無意味な言葉でも、そこに出てくる音や言い回しが、実は潜在的に自分が書きたいことだったりするからね。それが曲にぴったりはまることもある。歌詞の書き方には色々とあるけど、最近はこの方法が楽しい。

──プロデューサー陣には、ムラ・マサにA.G.クック、Fitnesss、キン・レオンといった面々が名を連ねていますね。それぞれ、どのような狙いがあって制作を依頼したのでしょうか。

Y:どのプロデューサーのこともすごく尊敬していて、それぞれスタイルが全然違うけれど、みんな素晴らしいアーティストだと思う。たとえばアレックス(ムラ・マサ)は、フックやメロディを見つけるセンスが抜群で、ギターリックやシンセパッチをとても早く作り上げることができる。まさに天才。彼はポップのレジェンドだし、UKドリルやドラムンベース、いろんな電子音楽のスタイルにも詳しい。今回のプロデューサーには全員に「90年代のトリップホップっぽいものを現代的にしたい」と伝えたんだよね。そしたら、それぞれの解釈で面白いものを作ってくれた。

Fitnesssは音のデザインがすごく緻密で、テクニカルなんだけど同時にパンクな精神の持ち主。バークリー音楽大学に通っていた秀才なんだけど、曲の作り方はすごくカオティックで、構造もルールもないように見える。でも、実はクラシックの知識を土台にして自分なりの形にしてる。私もクラシックとピアノの教育を受けてきたから、すごく共感できる。決められた演奏方法を指図されたりするのが嫌いだったし。だから彼とは、共通したマインドで自由に制作に取り組めたのが良かったね。

A.G.クックは、私の中で本当にお気に入りのプロデューサーのひとり。彼の『7G』というアルバムを4年前に聴いたとき、「この人、本当に多才だな」って思った。チャーリーXCXとか有名アーティストの曲も書いてるし、UKのプロデューサーのサークルがあって、そこから知り合って数回一緒にスタジオで作業して、ギターパッチなどを使ったらすごくクールな作品ができた。

それから、キン(・レオン)とは昔から一緒に音楽を作ってきた。彼は今、映画学校に通ってるんだけど、今回のプロデューサー陣の中で一番エモーショナルな人。感情面において一番共感できる。ただ、彼はかなり「教科書通り」にやるタイプだから、技術的なことや制作方法についてぶつかることもある。でも、何かを一緒に作り上げたときの達成感は大きい。お互いを知るために、一緒に制作することにはすごく意味があると思う。お互いのニーズや欲求、アートの視点などを知ることができるからね。

──90年代のトリップホップが、今のユールのどういった美学とリンクしていると思いますか?

Y:UKのカルト的カルチャーにずっと惹かれてた。ドリルやドラムンベース、それからもちろんポーティスヘッドやマッシヴ・アタックみたいなトリップホップの代表的なアーティストたちのサンプリングを使ったセクシーなサウンドも大好き。それに当時のダークで、荒削りで、歪んだ感じの音もすごくカッコよかった。ジャズの要素が入っていて、歌の表現力もあった。昔の音源をサンプリングして、それをスクラッチして音を歪めたりしていて、それがすごく面白いと思った。そこからチボ・マットや雑誌の《Stereogum》など新しい波が生まれたよね。カッコいいトリップホップのバンドはたくさんあるから、かなり深いところまで開拓した。今回のアルバムでは、現代的なエレクトロニカをトリップホップに組み合わせてみたいと思ったの。私が惹かれていたのは、トリップホップの音やプロダクションというよりも、その雰囲気。例えば、スローでうねるようなサウンドや、鋭いベースの音から感じ取れる、特有のセクシーさやダークさとか。ドローンぽい音なんだけど、ファンキーでもある。トリップホップ特有のスタイルや要素が組み合わさると、あの独特な雰囲気が生まれる。だから、今回のアルバムで私は「トリップホップをやっている」とまでは言えないけど、あのスタイルにはすごく影響を受けたと思う。ファッションにも言えることだけど、過去の時代をそのまま真似することはできない。でも、似たような雰囲気は再現できる。現代のアーティストなら、いろいろなジャンルを自分なりに解釈し直すのが大事だと思うし。

──今作では、 オートチューンを使わず生の声で表現しています。 何かきっかけがあったのでしょうか。

Y:まず言っておきたいのは、オートチューンが嫌いってわけじゃないということ。特定の雰囲気があるエレクトロニカなどを作るにはすごく良いツールだし、オートチューンを大胆に使った素晴らしい曲はたくさんある。でも今回のアルバムでは、自分の声で「汚い音」も出したかった。たとえば唸るような声とか、オクターブをスキップして上下にスライドしたりするような、教科書ではやらないような歌い方。音大では「音はまっすぐ当てろ」って教わるけど、そうじゃない「外した音」がユニークでかっこいいと思って、取り入れてみたいなって。でも実際、オートチューンを使うと、私が意図的に外してる音を勝手に直そうとして逆に変になってしまったの(笑)。だから今回は、もっと機械的じゃない、人間らしい音にしたくて。『Glitch Princess』ではかなりロボティックでテクニカルだったから、そこから少し距離を置いてみたかったというのもある。同じユールのスタイルなんだけど、ロボットみたいな複雑な感じを取り除いてみたかった。それから、AIが声を再現するときに、オートチューンが使われているのと使われていないのとで、難易度が変わるのかを知りたかった。まだその答えは出ていないんだけど、AIのプログラムや仕組みでそれをやるのが難しいのかどうか、ちょっと気になったという理由もある。

──なるほど。以前のあなたは、ポストヒューマン的とも言える現実逃避で夢想的な印象がありました。一方で前作や最新作では、「私はここにいる」「私はこの身体である」と、身体を通して能動的に自身を受け入れるような変化に至っているようにも見えます。

Y:うん、でも私は今でも基本的にはポストヒューマン的なアイデンティティを信じているよ。ただ、最近はAIの進化やジェンダーを巡る議論、宗教や民族的背景、政治的な視点が交錯していることもあって、「ポストヒューマン」という言葉自体が誤解されやすくなっていると思う。たとえばポストヒューマンとは、「人間の境界を取り払って未来の人類の新しい物語を作ること」みたいな考え方は、ちょっと大げさすぎるというか、誤解を招きやすい気がして。私にとってポストヒューマンという概念は、主にジェンダーの枠組みやアイデンティティのあり方に関わってくるもの。この話をする上で重要となるのは、ロージ・ブライドッティの『ポストヒューマン』とか、ダナ・ハラウェイの『サイボーグ・マニフェスト』と言った文献。また、ジェンダーについて書かれている文献以外にも、アート史とかSF、サイバーパンク的な美学に触れた文献もあって、そういうのもポストモダンの世界観につながっているしとても広大な思想だと言える。私は大学でもこの思想について学んだし、ノンバイナリーな自分にとっては非常に興味深い分野だった。だから、この思想については自分独自の視点を持っていて。そしてその視点は、今になってもあまり変わっていないと思う。

──「Skullcrusher」や「Evangelic Girl is a Gun」といった曲の MV は、日本のホラー映画や暗黒舞踏、ヴィジュアル系といった世界観とも共振しているように感じました。制作にあたっては、どのようなインスピレーションがありましたか?

Y:「Skullcrusher」のMVを作りたいと思った時に、物語というよりも、もっとパフォーマンスアートに近いものにしたかったんだよね。曲のテーマとしては、恋人について空想していて、そんな夢のような世界に固執していることから始まる。恋人の素晴らしくて美しい部分だけを自分の頭の中で理想化していたけれど、実際にはそんな人ではないと気づいてしまって、その夢の世界が崩れていく。だからこれは、理想化された恋人との別れを描いた曲でもある。他にも解釈はできるけれど、私が考えていたのはそんな感じ。MVの構想を練っていたときは、自分が閉じ込められているようなヴィジョンがあった。部屋に閉じ込められて、自分の意思がまったくきかない状態。映画『ゲット・アウト』でテレビの中に閉じ込められてしまうシーンがあるでしょ? あんな感じね。もしくは、水中で叫んでいる状態とか。そういう、純粋なフラストレーションや怒り、悲しみをどう表現するか考えて、拘束衣を着て、自分が暴れ回る、というシンプルなアイディアにたどり着いた。60fpsと通常のスピードの両方で撮影して、その動きの緩急を使って不気味で監視的な雰囲気を出したかった。

──「Evangelic Girl is a Gun」のMVは?

Y:あれはもっと幻想的で、SFやビデオゲームからインスピレーションを得た。私は子供のころ『ファイナルファンタジー』をたくさんプレイしていたの。天野喜孝のアートワークが本当に美しいと思っていて、彼のキャラクターデザインは私の衣装のインスピレーションにもなってる。アーティスト名のユールも『ファイナルファンタジーXIII』からとってるしね。『ファイナルファンタジーXV』もたくさんプレイしていて、ノクティスとその仲間たちがバイクや車に乗っているのがすごく好きで、そこから車に興味を持つようになった。私はJDM車(註:“Japanese Domestic Market”の略で、日本国内市場で販売されている車、または海外で販売されている日本車を日本国内の仕様にカスタムした車のこと)、例えば、マツダのRX-7みたいな昔の日本車が大好きで。最初は車で撮影しようとしてたんだけど、衣装がもっと見えるようにダートバイク(オフロードバイク)にした。ビジュアル的にもシネマティックで、ディストピアっぽさが出たと思う。MVの中の世界観は、私たちが天使のような存在を狩るハンターで、『エヴァンゲリオン』から着想を得てる。あの作品では使徒を倒さなきゃいけないでしょ? そういう暴力の物語とサイバーパンクの美学を組み合わせたかった。MVの脚本もちゃんと書いたんだけど、もちろんフルで実現はできなかった。でも、アップビートなポップ・ソング/ダンス・ソングに合わせて、そういう美しいシネマティックな映像を作るのは本当に楽しかった。幻想的なヴィジュアルとポップなサウンドの組み合わせがすごく面白くて。あと、デザイナーの友人たちも協力してくれたから、ファッションもたくさん見せたかった。私がMVで着用しているヘッドピースを作ってくれたのは、上海の友人で、素晴らしい才能を持つデザイナーのネイムヴァーグ。彼女は上海のショーのスタイリングもしてくれた。ファッションも私にとって表現のひとつだからね。「このブーツがバイクに乗っているところを見せたい!」って言ってショーケースするのが大好きなの! ヴィジュアルを制作するときは、そんな風によく考えてる!

──あなたの最近のMVからは、PlayStationを思わせるノスタルジックなゲームグラフィックのムードを感じます。昨今、ジェーン・リムーバーやオーケールーなど近いムードを感じさせるアートワークが増えている印象ですが、なぜだと思いますか?

Y:ジェーン・リムーバーは大好き! なぜって、それは、私たちがゲーマーだからに決まってる(笑)。同じゲーマーなら、アーティストがゲーマーかそうじゃないかなんてすぐに分かるの。私たちは、『エルデンリング』とか『サイバーパンク2077』とか、『サイレントヒル』『ニーア オートマタ』、『ファイナルファンタジー』『キングダムハーツ』、『リデンプションリーパーズ』みたいなゲームにどっぷりハマってる。あと、私はインディーゲームもすごくプレイしていて、《チラズアート》というゲーム制作チームのインディホラーもよくプレイしてる。主人公は女の子で、コンビニに行かなくちゃ行けないんだけど、そこですごくめちゃくちゃなことが起こったりとか……本当にめちゃくちゃなの! また別のゲームでは銭湯にいる設定なんだけど、そういうのを私は夜中1人でやっていて、これとない心地よさを感じる。安堵感というか。だって、このゲームの世界って、私が現実で見えている世界と全く同じなのよ。外の世界が怖く感じるの。だから、「あーこの感じ、すごく分かる!」って思いながらホラーゲームをやってる。アーティストでも誰でも、その人がどんなゲームを普段やっているとか、何にハマっているかというのは、その人の雰囲気で分かると思う。マンガやアニメなど、ファンタジーやSFといった世界観を表現する芸術様式はたくさんある。私にとってホラーはゲーム・ジャンルの中でも特に影響を受けているもの。ホラーゲームについてなら、いくらでも例を挙げて話すことができるけど、それはまた別の機会にね(笑)。あとすごく好きなのは…カウボーイ(照れながら)。

──カウボーイ?

Y:うん、カウボーイ!! カウボーイ最高!

──カウボーイものならなんでも?

Y:そう。カウボーイが好きすぎて。カウボーイになりたいの、キャハハ! いや、私がなりたいのは、サイボーグ・ガール。『ステラーブレイド』ってやったことある? アーティストの友人に教えてもらって、彼と一緒にこのゲームをやったんだけど、ものすごく美しいの。私はこういうゲームを何時間もプレイしているから、それが影響して自分の表現や作品にもその要素が染み込んでいるんだと思う。ゲームだけじゃなく、私はメディアやアートなどあらゆるものを吸収している。ギャラリーに足を運んで新しいアーティストを発見したり。現代のアーティストや過去のアーティストがどのようにして作品を形にして、その時代の政治的・社会的情勢を作品に取り込んでいるのかを見るのが楽しい。例えば戦後の時代なのか、不景気の時代なのか、政治的に不安定な時代なのかなど。それがその人や作品にどんな影響を及ぼしたのかに興味がある。ゲーム・カルチャーも、今の時代を反映していると思うな。最近の若者は、現実から逃避したい人が多く、ゲームはそういう人たちにとっての避難所みたいになってる。実際、今の若い世代の中には、リアルな現実を生きることにあまり魅力を感じられない人も多いでしょ。これは社会的・政治的な問題であって、私たちが真剣に話し合って取り組むべき問題だと思う。これはゲーム・カルチャーに対する私の個人的解釈であって、いろいろな解釈があると思うけどね。ごめん、また長くなっちゃったね!

──ゲーマーとしてのあなたの見解が聴けてよかったです。日本にもライヴに来てくださいね!

 

Y:早く日本でライヴをやりたいんだよね。ありがとう、またね!

<了>

Text By Tsuyachan

Photo By Vasso Vu

Interpretation By Emi Aoki


yeule

『Evangelic Girl is a Gun』

LABEL : Beatink / Ninja Tune
RELEASE DATE : 2025.05.30
購入は以下から
BEATINK / Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music


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