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フジロック出演!
スカートのライヴにみるポップ開拓者としての強靭な孤独

20 July 2019 | By Shino Okamura

スカートは素晴らしいレコーディング・ユニットだが、素晴らしいライヴ・バンドでもある。ここではそんな話を書いてみたい。

去る7月6日に梅田クラブクアトロでスカートのライヴを観てきた。フル・バンドでのライヴを観るのは去年のtofubeatsとの2マン以来。その時は、ベースが現在の岩崎なおみ(鈴木慶一のコントロヴァーシャル・スパークのメンバーでもあり、多くの作品、ライヴで活躍中)に交代して初めて観るライヴだったこともあり、同じ曲でもベーシストが代わるとこうも印象が違って聞こえるのかと驚かされたものだった。加えて、その際に興味深かったのは澤部渡がステージでアコースティック・ギターを手にしていたことだ。過去に何回かはあったのかもしれないが、少なくとも私は澤部が正式な演奏の場でアコギを弾いていたのを見た記憶はない。澤部は弾き語りであってもエレキ、というイメージが出来上がっていたので、単純にアコギを抱えている姿自体が新鮮だったし、それ以上に澤部の洒脱なカッティングがさらに抜けのいい音になって響いていたのも大きな発見だった。

6月に発表されたニュー・アルバム『トワイライト』には、実際にアコースティック・ギター主体で作られたという曲が多い。「遠い春」「花束にかえて」などはアコギらしさを反映させた代表的な曲だ。デビューから10年を数える今のこのタイミングで改めてアコギを手にした理由を、澤部はこう話してくれた。「ずっと弾き語りでも僕はエレキを使っていたんですけど、古い国産のアコギでピックアップがついてないんです。直立不動でライヴをやらなきゃいけなくて(笑)、ちょっと動きたくても動けない。それがイヤでエレキを使っていたんですけど、弾き語りのライヴも増えてきたので新しくマーティンのD-35Eを買ったんです」。それが想像以上に自分にフィットしていることから手にする機会が増え、バンド編成でのステージでも使うようになったという澤部。今回のツアーでも多くの曲でアコースティック・ギターを弾いている姿が見られたが、実際にそのマーティンのD-35Eを購入する前からアコギに向き合うことが多くなっていったという。澤部自身30代に入り、メジャー・デビューを果たしつつも、一方でもろもろのプレッシャーや不安が襲ってくるようになったことももしかしたらアコースティック・ギターのトーンに心を預けるきっかけになったのかもしれない。

そうやってアコギを投入した時期と、岩崎なおみが新ベーシストとして迎えられた時期とが重なったことで、レコーディング作品はもとより、ライヴはかなり方向性が変化してきた。それは渋くなったとか穏やかになったという意味ではなく、重層的に、立体的に、感情が表現されるようになった、ということでもある。アルバムではエンジニアの葛西敏彦が澤部としっかり意識を共有させることで、アルバム後半のややダークな色彩の曲においてもキレのある音質を与えることに成功し、アコギ主体で書かれた曲であっても、結果、極めてソリッドで現代的な仕上がりとなった。一方、ライヴにおいては、ステージ向かって左側に立つ岩崎のなめらかなベースラインと、澤部を間に挟んで反対側に位置する佐藤優介が弾く鍵盤のシャープながらも淡いトーンが、ハイトーン・ヴォイスを適宜メロディに合わせてコントロールする澤部のヴォーカルに寄り添っていく。この前列3名で奏でられる情緒豊かでヒューマンで、少しばかりのダークネスを湛えたムードを、エネルギッシュで躍動的、でもテクニカルに走る一歩手前くらいの抜け感で攻めるわけでも受け止めるわけでもなく、サラっと周囲に放流するような後列、ドラムの佐久間裕太とパーカッションのシマダボーイ。ステージ正面から観ると、その左右前後に奥行きある演奏があたかもウォール・オブ・サウンドをステージで体現しているかのようだ。とりたてて凝った音響演出などないのに、ダークネスとブライトネスが美しいグラデーションを描きながら作り手である澤部の感傷を優美に伝える「花束にかえて」「トワイライト」あたりは、アルバムのみならず、ステージでも絶対的なクライマックスだと言っていい。今のスカートのライヴは澤部の感情や思いが翳りゆくさまをこれまで以上にディメンショナルに表現する舞台発表のようだ。

そう思えるのは、アコギの投入が音に変化を与えたとはいえ、それでもスカートは決してギター・バンドではないということだろう。これだけ厚みのある音作りながら、バンドにはギタリストは澤部しかいないし、その澤部はカッティングの名人であるということが、スカートをバンドではあってもギター・オリエンテッドにはしていない。先日のステージを見ながら改めて思っていたのは、ほぼ大抵の曲で澤部がしっかり前を向いて歌っていたことだ。「CALL」(2016年『CALL』収録)だけがとても難しそうに左手の頻繁に確認しながら歌っていたが(運指がすごく難しいようだ)、それ以外は、ギターはあくまで曲の指揮となりうる目安なのではないか? とさえ思えるほど彼の大きな体と自然にフィットしながらカッティングやリフが奏でられる。曲はギターで書くことが多いのだろうが、決してギタリスト目線で曲に向き合っているわけではないから、おそらくたとえライヴであってももうこれ以上どこにもギターを挿入する余地がないのだろう。それはおそらく澤部が曲全体のスコアを見据えたディレクター目線でステージに立っているからではないかと思う。KIRINJIの弓木英梨乃がジョインした2018年3月の渋谷クアトロでのステージから「回想」(『CALL』)の動画が今も公開されているが(シングル「遠い春」初回限定版DVDに収録されている動画)、あのパフォーマンスにはレコーディング作品さながらのストリング・セクションが含まれていた。いわば奥行きのあるチェンバー・ポップとしての構想の中で、弓木の弾くギターもあくまで澤部のカッティングに厚みをつける効果を生んでいる。

ギターを弾いて歌っているのにギター・オリエンテッド・ロックとは最も遠い距離にあるバンド。もしかすると、室内楽的ポップスとしてのギターの可能性を、澤部はライヴにおいても黙々と追求しようとしているのかもしれない。もちろん「セブンスター」(2013年『ひみつ』収録)、「さよなら!さよなら!」(2017年『20/20』収録)のような曲だとフロアは単純に盛り上がるし、観客と一体となれるような一般的なバンドらしさも当然ある。だが、スカートのライヴでは、大勢の中で観ていても、友達と一緒だったとしても、ふっと一人寂しさを感じてしまうような瞬間がとても多い。先日の大阪でのライヴを観ながら何度も何度も目頭が熱くなったのは、きっとそうしたポップ開拓者としての強靭な孤独をそこに見たからだと思う。ステージを見渡すと、そこにメンバーは確かに5人いるし、エネルギッシュに演奏も進んではいる。なのに、澤部だけが暗闇の中で明かりを求めてポツンと佇んでいるかのような錯覚。いや、それは錯覚などではなく、ポップ・パイオニアとして歴史を継承しながら更新していく重圧にも向き合うスカート澤部渡の真実に違いない。(岡村詩野)

■スカート Official Site
https://skirtskirtskirt.com/

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Text By Shino Okamura


FUJI ROCK FESTIVAL’19

2019/07/26(金)〜28(日) ※スカートは28日(日)出演
新潟県湯沢町苗場スキー場
https://www.fujirockfestival.com/

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