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音楽映画の海 Vol.13
映画『イミディエイト・ファミリー』からこぼれ出てくる、語られぬ家族の事情

19 June 2026 | By Kentaro Takahashi

70年代のアメリカのシンガー・ソングライターの音楽が好きだった僕は、彼らのバックを務めるセッション・ミュージシャンにも強い興味を惹かれた。アルバムのクレジットを追い、たくさんのミュージシャンの名前を覚え、彼らの演奏にも耳を凝らす。そういう習慣がついたのは10代の終わり頃だ。『ニュー・ミュージック・マガジン』という雑誌の1975年2月号の特集記事「スタジオ・ミュージシャン名鑑」がバイブルだった。主にアメリカのスタジオで活躍するセッション・ミュージシャンを網羅したその記事を頼りに、たくさんのレコードを買った。あの頃は主役のシンガーへの興味よりも、裏方のセッション・ミュージシャンへの興味の方が上回っていたかもしれない。

6月19日に公開された映画『イミディエイト・ファミリー』はそんな70年代に一世を風靡したセッション・ミュージシャン達のドキュメンタリーだ。監督はデニー・テデスコ。彼は2016年公開のドキュメンタリー映画『レッキング・クルー 〜伝説のミュージシャンたち〜』も監督している。レッキング・クルーは1960年代のロスアンジェルスのセッション・ミュージシャン集団で、デニーの父親のトミー・テデスコはその中心にいたギタリストだった。

『イミディエイト・ファミリー』が描き出すのは、そのレッキング・クルーの時代より少し後の1970年代に、LAのスタジオ・シーンで活躍したミュージシャン達の物語だ。ダニー・コーチマー、ラス・カンケル、リーランド・スカラー、ワディ・ワクテル。その最初の3人こそは僕がセッション・ミュージシャンという存在に興味を募らせるきっかけになった人達でもある。

ジェームズ・テイラーの1970年のセカンド・アルバム『Sweet baby James』でギタリストのダニー・コーチマー(ダニー・クーチ)とドラマーのラス・カンケルを知った。ジェームズの1971年のアルバム『Mud Slide Slim and the Blue Horizon』ではそこにベースのリーランド・スカラー(リー・スカラー)が加わり、1972年の『One Man Dog』はさらにキーボードのクレイグ・ダーギーを加えた4人がチームとなった。同年、4人はザ・セクションの名でアルバムを発表。フュージョン・インストゥルメンタルのグループとして、1977年までに3枚のアルバムを残した。

ダニー・クーチ

ダニー・クーチは僕が最初に影響を受けたエレクトリック・ギタリストでもあった。といっても、彼の演奏をコピーしたことはない。僕がエレキ・ギターを弾き始めたのは大学入学後の1974年から。それ以前の高校時代にジェームズ・テイラーやキャロル・キングのアルバムでクーチの演奏を死ぬほど聴いていたから、エレキ・ギターを持つと、まずは耳が覚えていたクーチみたいな弾き方をしてしまう。ジェームズやキャロルの歌と会話するように、クーチはコードでも単音ソロでもない、ムニャムニャムニャという感じの2本の弦を使った短いフレーズを入れる。そんなクーチに強い影響を受けて、僕はシンガー・ソングライターの傍にいるギタリストになりたい、と強く思うようになった。



James Taylor「Don’t let me be lonely tonight」

ハタチ過ぎて、ベース・ギターを手に入れた時、最初にコピーしたのはザ・セクションのデビュー・アルバムの冒頭の「Do The Meat Ball」という曲のベースラインだった。ベーシストは6度の音をこういう風に使ってラインを作るんだ、という一生ものの学びを得た。そんな経験をしてきた僕にとっては、映画『イミディエイト・ファミリー』は、裏方のアンサング・ヒーロー達に光を当てた映画というよりは、まさしく10代の頃からのヒーロー達が主役になっている映画だった。



The Section「Do The Meat Ball」

だが、それだけに映画のオフィシャル・サイトの紹介文には引っかかった。「ザ・セクション (The Section)の中心的存在であったリーランド・スカラー、ダニー・コーチマー、ラス・カンケル、ワディ・ワクテルという伝説的な4人」という記述がある。しかし、ワディ・ワクテルはザ・セクションのメンバーではないし、ザ・セクションの3枚のアルバムでも1曲も弾いていない。ワクテルは基本的にザ・セクションとは関わりないミュージシャンだったはずだ。

LAのスタジオ・ミュージシャン事情には僕は強い興味を向けてきたから、彼らの歴史はかなり把握しているつもりだった。しかし、映画を観て、初めて知ることも幾つかあった。ひとつはジェームズ・テイラーにピーター・アッシャーを紹介したのはダニー・クーチだったということ。1960年代の半ば、イギリスのピーター&ゴードンが米国ツアーを行った時に、ダニー・クーチがキング・ビーズというバンドでバックを務めた。そこでピーター・アッシャーと知りあっていたクーチは、ジェームズ・テイラーがロンドンに向かう時に、アッシャーを紹介したのだ。

ピーター・アッシャー

《Apple Records》のプロデューサーになっていたピーター・アッシャーはジェームズの才能を認め、ロンドンで彼のデビュー・アルバムを制作した。1969年のそのアルバム『James Taylor』はヒットしなかったが、アッシャーはジェームズとともにLAに移住し、ワーナーとの契約を得て、アルバム『Sweet Baby James』を制作。これが巨大なヒット作となり、1970年代のシンガー・ソングライター・ブームの引き金にもなった。

ジェームズ・テイラーとダニー・コーチマーは少年時代にマサチューセッツ州の避暑地の島、マーサズ・ヴィンヤードで出会った。これは以前から知っていたエピソードだ。ジェームズはボストン出身、クーチはニューヨーク出身だが、ともに夏になると家族とともにマーサズ・ヴィンヤードにやってきていたのだ。最初は音楽関係ない遊び仲間だったが、ある日、ジェームズがとてつもなく歌が上手いことに気づいたんだ、とクーチが語るシーンはぐっと来る。意気投合した二人はフライング・マシーンというバンドを結成し、ニューヨークのダウンタウン・シーンで活動を始める。



Flying Machine「Brighten Your Night With My Day」

このフライング・マシーンのベーシストがチャールズ・ラーキーで、ラーキーはゲイリー・ゴーフィンと離婚した後のキャロル・キングと恋仲だった。1970年前後に彼らは全員LAに移住し、キングとラーキーとクーチはそこでザ・シティというバンドを結成する。つまり、クーチはシンガー・ソングライターとして大成功する以前のジェームズ・テイラーともキャロル・キングともバンドを組んでいたのだ。



The City「Snow Queen」

ラス・カンケルとリー・スカラーはLAでジェームズ・テイラーのためにピックアップされたミュージシャンで、それ以前の交友関係はなかった。こうした経緯を追っていくと、クーチが10代の頃にジェームズ・テイラーともピーター・アッシャーとも知り合っていたことが、すべてを結びつけていったのだと実感される。

その意味では映画『イミディエイト・ファミリー』の中心人物は間違いなくダニー・コーチマーである。そして、彼の物語は実はセッション・ミュージシャンのそれとは少し異なっている。クーチはセッション・ミュージシャンになる以前からジェームズやキャロルの友人だったからだ。クーチの歌と会話するような、ムニャムニャムニャというギターは友人だから弾けるものだった。ジェームズは1974年のアルバム『Walking Man』ではニューヨークのギタリスト、デヴィッド・スピノザにプロデュースを任せた。スピノザは凄腕のギタリストだが、クーチのようにくだけた会話をすることはなく、ニューヨークのセッション・ミュージシャン達が組み上げる精密なサウンドの中で、ジェームズの歌は孤独な響きを持っていた。



James Taylor「Walking Man」

クーチはLAが大好きになった。しかし、ジェームズはLAが肌に合わず、マーサズ・ヴィンヤードに自宅を建設して、東海岸に戻ってしまう。このマーサズ・ヴィンヤードの家はジョニ・ミッチェルと恋仲だったジェームズが、ジョニと暮らすために建てたものだったが、ジョニはそこに行くことを拒否した。ジョニの『Blue』収録の「This Flight Tonight」はそのことを歌った曲だろう、とジェームズは語っている。ジェームズはカーリー・サイモンと結婚して、マーサズ・ヴィンヤードの家で暮らした。アルバム『One Man Dog』の一部もその家でレコーディングされた。

クーチは1975年に「Honey Don’t Leave LA」という曲を書いた。同曲はクーチがデヴィッド・フォスター、ジム・ケルトナーらと結成したアティテュードというグループのアルバムで発表されたが、その後、ジェームズ・テイラーにカヴァーされ、クーチの代表曲になる。ジェームズが1977年のアルバム『JT』で同曲を歌ったのは、クーチの発案だったそうだが、LAを去ったジェームズがこの曲を歌い、シングルにまでしたというのは面白い。「Honey Don’t Leave LA」には、実はジェームズにLAを離れて欲しくなかったクーチの思いもこめられていたのではないかという気がする。



James Taylor「Honey Don’t Leave LA」

「Honey Don’t Leave LA」のようなソリッドなロックンロールは普段のジェームズの音楽とはだいぶ距離がある。しかし、ジェームズがLAを去った後のクーチはその方向に強く傾斜して行った。実は1980年代のLAで僕は一度だけ、クーチのスタジオ・セッションを観たことがある。同じ部屋の数メートル先でクーチが弾いていた。しかし、彼が持ってきたのはテレキャスターでもストラトキャスターでもなく、ヤマハのSGだった。そして、ギュイーンと一発、ロックなソロ・ギターを決めて、帰っていった。10代の頃に大好きだったあのムニャムニャムニャというギターの面影はどこにもなかった。



2021年に発表されたイミディエイト・ファミリーのデビュー・アルバム『Immidiare Family』

クーチがその方向に向かったのは、間違いなくワディ・ワクテルとの出会い、彼からの刺激が影響している。クーチとワクテルにはニューヨーク出身のユダヤ人という共通項があったと、映画ではドラマーのスティーヴ・ジョーダンが解説する。僕がワクテルの名を知ったのはキャロル・キングの『Thoroughbred』(1976年)というアルバムだったが、それがラス・カンケル、リー・スカラー、ダニー・クーチ、ワディ・ワクテルが集まった最初の仕事だったそうだ。ザ・セクションとは異なる、後にイミディエイト・ファミリーと名乗ることになるチームの誕生だ。



Carol King「Only Love Is Real」

この映画は基本的に、その1975年に誕生したチームにスポットを当てている。一方で、はるかに名が通っていたザ・セクションについては奇妙な描き方をする。まずは時系列がおかしい。リー・スカラーがビリー・コブハムと演奏したというようなエピソードの後に、ザ・セクションというフュージョン・インスト志向のグループが生まれたかのように描かれるが、実際にはザ・セクションは1972年にアルバム・デビューしている。ニューヨークのザ・スタッフなどに先行するセッション・ミュージシャンのグループだった。

ザ・セクション 右からクレイグ・ダーギー、ラス・カンケル、リー・スカラー、ダニー・クーチ

ザ・セクションのキーボード奏者のクレイグ・ダーギーはジェームズ・テイラーやジャクソン・ブラウンから厚い信頼を寄せられ、数多くのアルバムで彼らをサポートした。ところが、この映画にはダーギーはほとんど登場しない。ジェームズ・テイラーのバック・バンドは当初、キャロル・キングがピアノを弾いていたが、スカラーが代わりのキーボード奏者を見つけた、というエピソードで紹介されるくらい。ジャクソン・ブラウンの1977年のライヴ・アルバム『Running On Empty』の制作時のことが多く語られるが、この演奏陣もダーギーを含むザ・セクションにデヴィッド・リンドレーを加えた形だった。だが、映画中のミュージシャンの会話ではダーギーの存在はほぼ無視されている。



Jackson Browne「Running On Empty」

これはさすがに歴史修正ではないかと思ったが、しかし、ミュージシャンが自分自身で語る歴史というのは、往々にして、そういう傾向を持つかもしれない。人は語りたくないことは語らない。思えば、クーチは先述のザ・アティテュードについても語っていないし、1970年代始めに2枚のアルバムを残した彼のリーダー・バンド、ジョー・ママについても語っていない。ザ・セクションについては語らない訳にはいかなかったが、クレイグ・ダーギーには触れようとしなかった。

そこには何かよほどの事情があるのだろうか? 映画を観ながら、僕の中では疑問が膨れ上がってしまった。ハッキリしているのは、クーチ、スカラー、カンケルの3人は1975年以後、二つのチームを使い分けたということだ。一つはクレイグ・ダーギーを含むチーム、もうひとつはワディ・ワクテルを含むチームだ。とはいえ、ダーギーとワクテルが一緒に演奏することはなかったのか?

リー・スカラーとワディ・ワクテル

そう思って調べてみると、これがなかなか見つからない。同じアルバムにクレジットがあっても、一方が参加した曲には一方が参加していない。両者の名を見つけられたのはジャクソン・ブラウンのアルバム『The Pretender』の中の「Daddy’s Tune」という曲くらい。しかし、これはダーギーのピアノが主体の曲で、ワクテルのギターはダビングの可能性もありそうだ。



Jackson Browne「Daddy’s Tune」

この調査結果には驚いた。セッション・ミュージシャンというのはプロデューサーから電話をもらったら、30分以内にスタジオに飛んでいくような商売である。1970年代から80年代にかけて、LAでも有数の売れっ子セッションマンだったダーギーとワクテルの共演例など、何10曲あっても不思議ないと思っていた。ところが、ダーギーとワクテルは同席させてはいけないというルールがあったかのよう。少なくとも、クーチ、カンケル、スカラーの3人はそうならないように、セッションを組んでいたのだ。

これは多分、ワクテルと出会った後のクーチがソリッドなロック・ギター路線に向かったことと関係していそうだ。当時のLAのスタジオ・シーンではジャズ・フュージョン的なプレイもできるテクニカルなギタリストが主流を占めていた。ディーン・パークス、ラリー・カールトン、リー・リトナー、ジェイ・グレイドン、スティーヴ・ルカサーなどなど。クーチは彼らのようなプレイはできず、その列には加われなかった。ジェームズ・テイラーが去った後のLAで、クーチはワクテルとともに自身をロック・ギタリストとして再定義することで、生き残りを図ったのだろう。

クレイグ・ダーギーはジャズ・フュージョン的な演奏もできるキーボード奏者だった。たくさんのアルバム・クレジットを見ていたら、別の4人組での録音が目についた。ラス・カンケル、リー・スカラー、クレイグ・ダーギー、スティーヴ・ルカサーだ。1978年のキャロル・ベイヤー・セイガーのアルバム『Too』や1979年のラス・カンケルの妻のリア・カンケルのアルバム。そこではクーチを除くザ・セクションの3人が若いルカサーを加えて、いかにもこの時代のLAらしい洗練されたポップ・サウンドを奏でていた。



Carol Bayer Sager「There’s Something About You」

ニューヨーク出身のジューイッシュのギタリスト2人、ダニー・クーチとワディ・ワクテルはそれを好まなかった。彼らはもっとロックなサウンドで、LAのスタジオ・シーンを塗り替えようとした。そして、ザ・セクションとは別のイミディエイト・ファミリーを組織した。そういうことだったのか。この映画のお陰で、僕はようやく当時、彼らの周辺で起こっていたことが整理できた。クーチがあの誰にも弾けない、歌と親密に会話するムニャムニャムニャ・ギターを封印してしまった理由も、腑に落ちるようになった。

人が何かを語ろうとしない時、そのことこそが大きな物語を語ってしまうこともあるのだ。(高橋健太郎)



Jackson Browne Reunited with The Section「Rock Me On The Water」
2018年の《NAMM Show》で演奏したジャクソン・ブラウンと再結成されたザ・セクション。ダーギー、スカラー、カンケルはブラウンの1972年のデビュー・アルバムでも同曲を演奏している。

Text By Kentaro Takahashi


『イミディエイト・ファミリー』

2026年6月19日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、YEBISU GARDEN CINEMA 他全国順次公開


監督:デニー・テデスコ
登場する主なキャスト:ザ・イミディエイト・ファミリー(リーランド・スクラー、ダニー・コーチマー、スティーヴ・ポステル、ラス・カンケル、ワディ・ワクテル)、フィル・コリンズ、ニール・ヤング、リンダ・ロンシュタット、ライル・ラヴェット、キース・リチャーズ、キャロル・キング、ジェイムス・テイラー、ルー・アドラー、ドン・ヘンリー、マイク・ポスト、ジャクソン・ブラウン、ピーター・アッシャー、スティーヴ・ジョーダン
提供:Malibu Corporation・Osakana LLC.・WADO WINGX Co.,Ltd
配給:Santa Barbara Pictures
公式サイト
https://malibu-corp.com/immediatefamily


連載【音楽映画の海】

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