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【未来は懐かしい】Vol.14
社会主義時代に残されたチェコの刺激的なロック/ジャズ遺産

23 October 2020 | By Yuji Shibasaki

《Supraphon》は、チェコを代表する音楽レーベル。かつての社会主義体制下においては、《Panton》《Opus》とともに三大国営レーベルの一角を担い、スメタナやドヴォルザーク等国民楽派の作品の優れた録音を数多く有していることからも、ここ日本のクラシック・ファンへもその名が知られる名門だ。一方で、自国のポピュラー・ミュージックについても積極的に制作を行っており、ときに、社会主義体制下で制作されたとはにわかに信じがたいような<西側>的な作品も存在することは、よほどのマニア以外には知られてない事実だろう。だから今回、チェコと日本の外交関係樹立100周年を記念し、その《Supraphon》に残された珠玉のポピュラー音楽作品が、新シリーズ「東欧音楽紀行」の元国内盤CDとして再発されることになったのはまさに驚くべきことだ。

ラインナップは全5作。チェコ産ビッグ・ビート(西側でいう「ロック」のことで、「敵性語」として使用できない「ロック」の代わりに共産圏で用いられたジャンル用語)を代表する存在であるThe Matadorsの68年作をはじめとして、コアなプログレッシヴ・ロック・ファンにも人気の高いFlamengo『Kuře V Hodinkách』(72年)など注目すべきタイトルばかりであるが、ここに取り上げるのは現在の聴取感覚においてもひときわ心地よく聴けるであろう、ジャズ・ロック〜ファンク系の秀作だ(以下、当該ジャンルについて門外漢の筆者ゆえ、本再発シリーズの担当ディレクターでもある市来達志(ヨハネス市来)氏によるライナー・ノーツや、同氏による秀逸な連続ウェブ記事「東欧グルーヴ探訪」などを大きく参考にさせていただいていたことを最初にことわっておく)。

本作、Plameňáci /Flamingo /& Marie Rottrováによる本作『75』(76年)は、入り組んだアーティスト表記のため、一見すると複数の音楽家が参加したオムニバス作品と思われるかもしれないが、その実、Flamingoというジャズ系大所帯バンドによる4thアルバムである。Flamingoは、リーダーのRichard Kovalčíkを中心にチェコ第三の都市オストラヴァで結成された同市のラジオ局お抱えのオーケストラから派生したバンドだ。チェコでは戦前からジャズが国内に浸透しており、ほか東欧諸国でも見られるように戦後も独自の発展を遂げてきたという。特に、彼らが活動を開始した60年代は、例えば当時の先鋭的なチェコ産映画が「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」として高く評価されているように、各芸術分野における比較的自由な表現が花開いた時代でもあった。しかし、よく知られるように、アレクサンデル・ドゥプチェク共産党第一書記によるさらなる自由改革路線の推進(68年のいわゆる「プラハの春」)が、結果的にワルシャワ条約機構軍の介入を招き、権威主義的体制=「正常化体制」が敷かれることによって、その流れは覆されることになった。もちろん文化芸術面においてもこのUターンの影響は小さくなかったが、西側諸国における「68年革命」に端を発する西側ロック文化の繚乱と地下水脈的に共振するように、チェコ国内においても革新的な表現が息絶えることはなく、むしろ抑圧に対して静かな怒りを湛えたような「ロック」的作品も産み落とされることになった(このあたりの動きを象徴する作品が、上述のFlamengo『Kuře V Hodinkách』だろう)。  もちろんこのFlamingoも正常化体制推進(という名の抑圧)の波を受けており、その痕跡はまずバンド名にあらわれている。Plameňáci というのは、Flamingoという英語表記から「人民語」たるチェコ語表記に改めた結果なのだそうだ(それでもなおFlamingoという名を消し去らないところに彼らの矜持を感じてしまうのは穿った見方だろうか)。また、もう一つの連名「Marie Rottrová」は、Flamingoのリード・ヴォーカリストの名前であり、予てより彼女の人気が高まっていたことからこのような表記になったという(同時期のルーファスとチャカ・カーンの関係を思わせるような話だ)。Rottrováは長いキャリアを誇るベテランで、その迫力あるシャウトや安定感抜群のヴォイシングによってあのアレサ・フランクリンとも比較され、「チェコのレディ・ソウル」の異名を取る国民的シンガーでもある(実際にFlamingoのファースト・アルバムではアレサ・フランクリンのレパートリーをカヴァーしている)。

本作では、それまでのFlamingoの各作におけるビッグ・ビート/ソウル路線に増してジャズの色彩が強くなっており、いわゆるレア・グルーヴ〜フリー・ソウル的な聴取感覚においてもっとも好ましく受容されうるものだろう。正常化体制の影響で歌詞入り表現が困難になったことを受けたためか、M1の「最後の刹那」、M4「ペインティド・バンド」、M8「ダブル・サマーソルト」などインスト曲が目立つのも特徴で、叩き上げのメンバーが強靭な演奏を披露するそれらは、ジャズ・ファンクとしても理屈抜きにカッコいい。ジャケットに写るいかにもステージ・バンド風のコンサバティブな姿容からは想像できない刺激的なプレイが縦横無尽に飛び交っていく。

また、上述のM8やM9の「風の友」など、各所で聴かれるアナログ・シンセサイザーの鮮烈なサウンドも本作ならではの魅力だろう(チェコスロバキアは、70年代初頭からAnalyzátor a SYntezátor Zvuku、通称ASYZというモジュラー・シンセサイザーが独自開発/運用されるなど、電子楽器においても西側諸国の技術革新に遅れを取らない先駆性を誇った土地だ)。この時代特有の太く猛々しい電子音のわななきは、シンセ・マニアならにわかに破顔せざるを得ないだろう。そういった音響面に注目すると、熱い演奏と比較して、全体に録音やミックスが妙にひんやりしているというか、やけに端正なのも面白い。これは、この時期の東欧産レコードにある程度共通する特徴のようにも感じる。逸脱を好まない国営制作体制がそうさせたのか、スタジオや機材の物理的要因によるものなのか、あるいはその両方か。いずれにせよ、同時期の他地域におけるファンクやジャズ・ロックにはない独自の清涼感を生む要因になっているように思う。

また、カヴァー曲にも注目したい。M2「アイル・ビー・ホーム」は、ハリー・ニルソンの素晴らしいヴァージョンでもおなじみのランディ・ニューマンによる名曲。実に渋い選曲センスだが、チェコ語の歌詞は英語版からの翻訳でなく、ほとんどオリジナルと言ってよいものに改変されている。この曲の朴訥とした表情をはじめとして、各曲におけるRottrováのヴォーカルの多面性も特筆すべきで、たとえばM4、5(オリジナルLPではA面ラスト〜B面頭)に渡り収められた「カジモドの夢」における清廉なヴォーカルも素晴らしい。分厚いコーラスとあいまって、ほとんどソフト・ロック的といえる麗しいハーモニーを聴かせてくれる。また、今回の再発のボーナス・トラックとして収録された71年のレアなシングル「頑張れ!」におけるメンバーのPetr Němecとの息のあったデュエット歌唱もなかなかの聴きものだ。

現在、YouTubeやDiscogsなどを中心に世界中の音楽の加速度的なアーカイヴが進む中だが、「鉄のカーテン」時代の共産圏音楽については、未だごく専門的な興味が浴びせられるにとどまっている。だがそれは同時に、ここ日本のリスナーにとってまだまだ未知の音楽世界が広がっているということでもあるし、このような再発シリーズをきっかけに、今後大きな興味が呼び起こされる可能性を秘めているということでもあろう。

抑圧的な国内情勢においてもなお音楽を志し自らの表現を模索した当時のアーティストたちによる遺産を聴くことは、かの地の文化と歴史を知るという知的興奮とともに、そのように「新しい」驚きに触れさせてくれる行為でもある。「東欧音楽紀行」では、今後もポーランドやハンガリーなど他東欧各国の音楽遺産を掘り起こしてリイシューする予定とのことなので、楽しみに待ちたい。(柴崎祐二)


Plameňáci /Flamingo /& Marie Rottrová

『75』(【東欧音楽紀行】<日本・チェコ交流100周年記念>)



2020年 / 日本コロムビア(オリジナル・リリース1976年)

購入はこちら
Tower Records / Amazon / HMV / disk union


柴崎祐二リイシュー連載【未来は懐かしい】
アーカイヴ記事

http://turntokyo.com/?s=BRINGING+THE+PAST+TO+THE+FUTURE&post_type%5B0%5D=reviews&post_type%5B1%5D=features&lang=jp

Text By Yuji Shibasaki

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