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「トランスナショナルな意識で音楽家として実践したかった」
菅原慎一(Shin)が語るSAMOEDOという新たなメルクマール

15 July 2022 | By Shino Okamura

コスモポリタンという言葉があるが、世界を自国と考え自分もまたその中の一人であるとする現在の菅原慎一(Shin)はまさにそうした存在と言っていい。彼がアジアの音楽に大いにインスピレーションを得て、シャムキャッツのメンバーだった時代から実際に何度も台湾や韓国などに赴き、現地のミュージシャンと交流を結んできたことはファンでなくても知られているところ。その熱意と知識の蓄積が奏功して、イベントでDJをしたりトークセッションに出演したり、ついには『アジア都市音楽ディスクガイド』という専門書を監修するに至った。音楽という枠組みを軸に様々な国のカルチャーに興味を持って自分の感性に引き寄せる今の菅原は、もはやセカンドキャリアなどというレヴェルではなく、ヒューマン・ルネサンスとさえ呼べる新たなメルクマール(指標)を自ら掲げる表現者だ。

そんな菅原の現在地を記すのがSAMOEDOという新たなバンドである。メンバーは鈴木健人(never young Beach)、nakayaan(Mitsume)、沼澤成毅(思い出野郎Aチーム、mei ehara、トリプルファイヤー、GUIROほか)というそれぞれに経験豊富で自立したミュージシャン仲間。しかしながら、ある種のスーパー・バンドなはずが、ここに届いたファースト・アルバムには作り手のエゴや主張が全くと言っていいほどない。そこに流れる空気を手でパッと掴んでみた時のような、ふわっとした感触と、目には見えないけれども手のひらにしっかりと残る掴んだ手応えと気配を音として再現したような。そんなポップ・ソングたちだ。韓国はソウルでスタジオ《ormdstudio》を主宰するキム・チュンチュ(playbook, Silica Gel)がミックスを、同じくソウルのレコーディング・スタジオ《Philo’s Planet》のJaimin Shinがマスタリングを担当したファースト・アルバム『SAMOEDO』には、音のゆらぎや言葉の危うさ、静かに歩調を整えるようなリズムをそのまま形にしたような曲が8曲収録されている。ここに至るまで、菅原は何を考え、何を見つけ、何に希望を託したのか。シャムキャッツ終盤から抱えてきた思いを存分に語ってもらった。ミュージシャンである以前に一人のアジア人、いや、地球に生きる一つの生命。SAMOEDOを楽しむ上で重要なのはきっとそんな感覚だ。
(インタビュー・文/岡村詩野 写真/Ryo Adachi(バンド)、Reina Tokonami(菅原) 協力:西村紬)

《TURN TV》で初のライヴを披露してくれた菅原慎一

Interview with Shinichi Sugawara


──アジアのポップ・ミュージックに興味を持つようになってからの菅原くんの感覚が自然とフラットに表出された音楽という印象がありますが、まずはこのSAMOEDO結成までのいきさつから聞かせてもらえますか?

菅原慎一(以下、S):正直言って、シャムキャッツの時とかはアジアの音楽が好きって言っても、それを自分でも取り入れようとか、あんまりそういう意識はなかったんですね。どっちかっていうと、割と好奇心とか。アジア音楽のカセットテープを使ったイベントとかも単純に自分が新しいものに出会ってワクワクして、それを共有したいっていう気持ちでやっていたんです。ただ、自分のこれからの活動に接点として加わっていく大きなきっかけになったのは、《DU BOOKS》さんからディスクガイド本(『アジア都市音楽ディスクガイド』)の制作の依頼があった時です。それが、去年……2年ぐらい前かな。

その時に、自分の知らなかった、それぞれのアジアの地域の横ではなく縦の歴史を知るわけですね。つまり、例えば今シティポップも話題ですけども、日本のシティポップがどういう流れで、どのように影響を与えたのか?みたいなことがわかってきて、日本のオリジナルのシティポップとは明らかに違うっていうことがどんどん自分でも理解できるようになった。そうすると、やっぱり韓国とか台湾とかタイとか、どの地域でもいいんですけどその土地のミュージシャンも最初からローカルなものだったりとか、その土地で培われてきた歴史とか文化とかを僕はあんまりしらなかったなって思ったんですね。僕はアジアっていうものが自分の表現のうちの一つとして捉えてきていたところがあった。でも、自分がアジアへの旅を通して何かを掴もうとする試みっていうところからは、もうちょっと抜けよう、抜けなきゃなと思うようになったんですね、正直。あくまでもアジアっていうのは、すごい等身大なんです。しかも自分も日本という国の中だけではなく、アジアの中にいる一人の人間だっていうことに気づいたことによって、表現として生かすのではなく、その中の一人なんだっていう目線で次に進もうって思えたんですよね。

──最初は一リスナーとして接していたが、次第に当事者という意識が強くなったということですか。

S: そうですね。どっちかというと、新しく生まれ変わるための養分を蓄えている作業というか、脱皮するための準備みたいな感じだったかもしれないです、感覚的には。あと、ある一冊の本に出会って。『トランスナショナル・ジャパン――ポピュラー文化がアジアをひらく』という本なんですが、これににすごい感銘を受けたというのも、かなりの理由の1つですね。今、アジアのポップ・カルチャーは日本とその他の地域で相互に浸透して日常化しているじゃないですか。だけど、なんかそこに孕む危険性みたいなことをこの本の著者の方は書かれていて。これを読んで、自分もそろそろこの本に書かれているようなことをちゃんと考えて、トランスナショナルな意識というか、地域的な想像力をかきたてるものを一人の音楽家として実践したいと思い始めたんです。SAMOEDOのアイデアの発端はこうした様々なことが合流したところにありました。ただ、ちょうどさっきのアジア音楽のディスクガイド本を作っていた時には、作りながらも、頭はもうSAMOEDOの構想に行っていましたけど(笑)。

──シャムキャッツという一つの時代を終えて、次に向かうタイミングで新たな使命感が芽生えたと。

S: そうですね。年齢とか自分が重ねてきたキャリアっていうのがまずドーンとあるわけです。ずっとバンドマンでやってきた人間のセカンドキャリアみたいな考え方をした時に、やっぱり同じことをもう一回同じようにはできないですよね。もう無邪気に音楽だとかバンドだとかばかりを考えてられないな、というような。と同時に、一人の人間として社会の厳しさを知ったんですね。自分が一人になって考えた時に、もうただの僕は菅原慎一でしかない。シャムキャッツって言っても、ちゃんとイチから説明しないと、自分が認識されないみたいなことはあるわけですよね。そこに対して、柔軟になおかつフレッシュな気持ちで向かってくっていうのはちょっと大変でした。ただ一方で、若い世代のミュージシャンやリスナーの方々にシャムキャッツの音楽を聴いていましたとか、影響受けてますっていう人との出会いも大きかった。そこに自分は勇気をもらったりするんですね。もちろん、シャムキャッツのファンに対しては申し訳なさもあるし、早く自分の口で色々また報告したいと思ってきたし、今でもそういう思いがあった。これは今もあります。ファンの方々には本当に感謝をしています。でも、この3年間でどんどん新しいことやって、新しい音楽を作っていかなきゃっていう気持ちがまず勝っちゃったんです。だったら早く形にして、それをファンの方に伝えて報告したい。そういう思いでSAMOEDOを始めたというところもあるんです。シャムキャッツってファンがもうシャムキャッツそのものだなっていうか。解散しても僕にみんな何も言わないんですよ。菅原、何やってるんだ、とかね。それってきっと長い目で応援してくれてるってことなのかなって。

──シャムキャッツとファンの関係って本当に特別というかすごく美しい間柄なんですよね。一方的ではなく互いに理解しあっているというか。だから菅原くんの新しい挑戦に対しても暖かく見守っているのかなと思いますよ。

S: 詩野さんはSAMOEDOを実際にどう思いました?

──正直言って、シャムキャッツが解散すると聞いた時には焦りました。菅原くんや大塚くんには「解散という言い方ではなく、せめて活動休止とかにできないか?」って電話でも話したと思う。でも、その間……コロナ禍になって今日まで2年ほど、世の中の動きや価値観が少しずつ変わってきた。結果としてリセットするにはいいタイミングだった。その間に、歌やメロディに対する感覚、音楽を聴取する姿勢など様々なアングルで見直しがはかられていて、確実に新しいスパンに入ってきていると私は感じているのですが、そういう中で菅原くんがバンドのセカンドマンというポジションだったという事実も、果たしてセカンドマンとは?みたいな定義が裏返っていった。サウンド的には環境音楽やアンビエント音楽の質感をバンドのレコーディングの現場で取り入れるような動きも加速したし、裏方にいた人の作業が反転していくような流れも自然に行われている。そんな中でSAMOEDOの新曲を聴いたんです。当然、すごくヴィヴィッドに感じたわけです。菅原くんが自然にやろうとしたことが、そのまま時代が求めている音になっている、と思って。

S: わあ、嬉しいなあ。そういう感覚で聴いてくれる人がいるとすごく励まされる。やっぱり自分がサイド・ギターというか、フロントマンじゃなかったっていうのは気になっていたところだし、SAMOEDOで声をかけたメンバーがみんな個性的だというのも分かっていたから。でも、それが自然な形で並列で融合すると絶対いいものができると思えたというか。例えば、僕が一番前に立ってお客さんを煽るようなのはあんまり想像できなかった。そういう音楽はやりたくなかった。すごい大きなこと言っちゃうと、さっきの本(『トランスナショナル・ジャパン――ポピュラー文化がアジアをひらく』)の影響もあるんですけど、固定化されてるものとか、ナショナリズムみたいなものにいかに反抗していくか、みたいなのも自分の中ではテーマになっていて。男性主義的な価値観とかもそうだし、ノスタルジックなものとかエキゾチックなものに対してもちょっと警戒感を持って実はこのプロジェクトもやったんですね。要するにその姿勢がSAMOEDOのサウンドにも出てるんだと思います。誰も劣っていないみんな同じっていう姿勢っていうか。

もちろん、それに至る考えはアジアの音楽に触れたこともきっかけとしてあるんです。ただもう一つは、価値観とか人と見る見方とかって、固定化されていくじゃないですか。まさにそれを変えたいというのもありました。多分自分ってどっちかっていうと懐かしさを喚起させる古いフィルムみたいなものとか、日常的な風景みたいなイメージを持たれてたと思うんですね。決してそれを否定しているわけではなくて、自分はそういう暖かいものとかも大好きだし、そういうのもやってきたわけですけど、SAMOEDOでは全部真逆でやろうと思ったんですね。懐かしさとか、古いフィルムみたいな価値観から脱却したいって。そこに繋がってるのが固定化された内向きなナショナリズムへの対抗心なんです。例えばアジアとかって極端に都市化されてなかったり、近代化を十分に果たしてない社会だったりするじゃないですか。そこに対して、ちょっとでも偽善的になってしまうと、危ういんじゃないかとか、そういうのをすごい考えてました。なので、SAMOEDOはアートポリフォニーなんです。ポピュラー・ミュージックっていうのは、僕はそういうためにあると思ってます。

──結果としてポップ・ミュージックのフォルムを再定義するような作品になったと思います。曲の構成も途中で放り投げたのようなものから、いつのまにか始まっていつのまにか終わっていくようなものとかもある。“ポップなフック”のような定番的作業に疑問を投げかけるようなことも実際にやってみたのでしょうか?

S: しました。SAMOEDOの曲作りやレコーディングはここに行ったら気持ちいいとか、これは正解だろうっていうのを全部我慢する作業でもありました。割と全部逆に行ってみようっていうのをすごく意識したというか。例えばSAMOEDOの今回のファーストって全部曲が短いんです。Aメロあって、Bメロあって、Cメロがあってみたいなことも、例えば絶対2回繰り返さないでおこうとか。あとは、その1曲の中で組曲みたいにこうガラッと変えたりするとか。まさに今詩野さんがおっしゃったようなことを考えながらやったんです。今の若者ってスマホで音楽を聴くじゃないですか。それに自分も準じたりしつつ、でも反抗もしていくかっていうのをどうすればいいかな?ってすごい考えたんですよね。だから、展開がポロポロ変わったり、引っかかっていくようなフレーズみたいなものがポンポン出てきたりしても、そのままにしておいた。早めに終わったり、ふと終わっていくみたいな曲は、自然とそうなったって感じですかね。

──音数も少ないですね。リズムもジャストとは言えない、ブレが生かされている。このあたりはメンバー同士が共有できる価値観、意思の疎通がなければできなかったかなと感じます。

S: そう、僕、今のK-Popとか聴くとちょっと疲れちゃうんですよ。音がモリモリすぎて。もちろん大好きな曲もたくさんあるし実際聴くし。でも、割とそういう問いを投げかけることがSAMOEDOでは多いかもしれない。考えさせたりとか自分も考えたりとか。曲がいきなり終わったとして、「これってなんだったの、今の通り過ぎた風は?」みたいな風に考えてもらうようなことはやってみたいことでした。

──曲名や歌詞からしてそういうところがありますね。ハッキリ言い切らない、説明しない考えさせる余白のある言葉。共感や愛着を強要しないそっけない音楽。例えば「Goodbye de」の“de”って何?って思いましたよ。

S: そうそう! その「de」っていうのは、「デ」だけどどこかの地域では「ド」とも読める。造語というか記号的というか、そういうそっけなさけなさは大事にしたかった。問を投げかける意味を考えていく作業ですよね。実際、今回のアルバムの曲は割と言葉とメロディが同時に出てくる場合が多くて。で、そのあやふやな面白さを生かしたところが多かったかなと思っています。今までは、ある程度聴きやすくしないと、とか、ポップ・ソングだしな……みたいなことを考えたりしていたんですけど、SAMOEDOはそこも曖昧にしておきたいんです。そういう意味では、“逆空耳アワー”みたいな作り方をしたと言ってもいいかも。聴く人それぞれに、いろんな人の空耳アワーになる曲が多いというか。

例えば「Suiteki」っていう曲はもっと柔軟に作っていて。コーラス部分に当たるところでいきなり日本語が出てくるんです。「嬉しくてたまらないから」っていう部分。でも、そこはただ空耳とかで終わらせるんじゃなくちゃんと言葉の意味を伝えたかった。文章として変だったとしても日本語がパッと入ってきて、聴いてくれる人が“ハッ”とするような感じというか。そういう“ハッ”って思う感覚こそが地域性を超えると思ったんです。例えば、日本のマクドナルドでも、韓国のドムドムバーカーでも、アメリカのピザ屋さんでもいいですけど、どこの国のどんな場所のスピーカーから流れてきても、そういう“ハッ”とする感覚って割と同じ作用があるのかなと思って。すごいグローバルな感覚のものを作りたいなって思った時に、こういうそっけないけど“ハッ”とする手法があるなって気づいたんですよね。その時にもう一つ気づいたのが、サシスセソの発音……英語のSの発音なんですね。菅原慎一、SAMOEDO、「Suiteki」とか。Sの発音は何かを想起させるんじゃないかって。日本語でも“しれっと”とか、“スラっとしてる”とか、特有の発語感と記号的感覚がありますよね。その作用みたいのには惹かれるんです。やっぱりポップ・ミュージックにおいて言葉って結構危ういというか、難しいですよね。それが例えば日本のマーケットだけを意識してるんだったら別にいいですけど、SAMOEDOはアジアの中の一つの音楽という意識だから、ちょこっとどこかの国の言葉をエッセンスとして借りてくるみたいな感覚でいてはいけないなって最近特に思うようになりました。シャムキャッツの時の曲に「我来了」って曲がありますけど、ああやって言語を少し拝借して使うっていう段階にはもう自分はいないかなって思っています。今はどっちかっていうとその意味を解体して、そこから新しい意味をあぶり出していかないとと思っています。

SAMOEDOの菅原慎一

──これまでも台湾のSKIP SKIP BEN BENの林以樂(リン・イーラー。バンバンの愛称で日本でも親しまれているシンガー・ソングライター)と一緒に7インチをリリースしてきたりしましたが、最初に出会った時と比べると交流していく上での意識も変わってきたと?

S: 変わりましたね。今は本当に同じアジアの仲間って感じ。最初SAMOEDOの曲を聴いてもらったら、「しんちゃん、新曲、めっちゃいいじゃん」みたいに言ってくれたんですよ。しかも、僕の低い声がいいねみたいなこと言ってくれて。韓国の元Parasolのなっちゃん(キム・ナウン)も同じようなことを言ってくれたんです。自分ではあんまり気づかなかったんです、自分の歌のキーの低さとか声質とか。そういう意味でも、今回改めてヴォーカリストとして参考にしたのはジェイムス・テイラー。ああ、確かに少し自分に近いなって思って。そんな僕の声が映えるような音響の感覚でもやってくれた韓国のキム(・チュンチュ)くんにミックスをお願いしました。彼とはもう6年くらいのつきあいなんですけど、時が来たら絶対に作業してほしいと思っていました。だから事前に結構細かくリファレンスを実は送っていて。レコーディングに入る前からデモを作って1曲ずつリファレンスを送っていたんです。キムくんは僕の大好きなSilica Gelのメンバーで作品を手がけていて。多分韓国のインディー・アーティストで一番たくさん作業をしているエンジニアじゃないですかね。こうしてみると結構韓国〜台湾の仲間たちが自然に関わってくれてるんですよね。

ただ、何よりSAMOEDOのメンバーはそういう部分も理解している。そもそもみんな培われている耳の良さがあるし、スタジオに入ってパッと音を出してもすぐ理解してくれる。これは韓国の、これは台湾の……なんて言わなくても、自分たちが求めている音をわかってくれてるんですよね。ドラムのスズケン(鈴木健人)って意外にもネバヤンでは安部(勇磨)ちゃんの声を生かした叩き方をしていて割と静かだったりするんですけど、それって僕が考える今の新しいポップ・ミュージックの再定義をするのに絶対に必要な感覚なんです。彼もヴォーカリストの声を、このメロディをどうやってちゃんと生かそうかってことを考えて音楽に向き合ってきたのかなって思います。これはnakayaanも沼澤成毅くんも同じですね。日本もアジアの中の一つだっていうのは、最近改めて実感します。

──つまり、菅原くんは自然とトランスナショナルを実践してきていたということなのではないですか?

S: そうかもしれない。トランスナショナルなものをやるにはやっぱり協働が大事なんですよね。アジアの人たちと自分も一緒になって作りたい、絶対いいものが生まれるはずっていう確信もあったし。ちょうどコロナ以降だったから、ネットなどを通じて連絡も取りやすいし、メールとかでゆっくりコミュニケーションも取っていける。国境を越えて協働的な実践を展開していくっていうのは、すごいやりたかったことなんですよね。でも、今回アート・ディレクションをやってくれたキム・デジョンくんは実は東京に住んでるんですよ。日本にいてもアジアの友達ができたりするし、それが自然になっているし。だからそっちのキムくんにもちょっと声をかけて、一緒にチームに入らないって言って。

──一方でサウンド面は割とひんやりとした感触です。アンビエント〜環境音楽の音作りの影響を感じました。

S: まさに。それはさっき話した自分の今まで固定化されてたかもしれないイメージの逆を行くためには、ある種寒い地域というか、冷えたような空気の感じっていうのがすごい欲しかったからなんですよ。Silica Gelがまさに僕が好きな音楽の質感で、これ、どうやって録音やってるんだろう? とか、すごい気になっていて。実際に韓国で音を出したら、すごくシャープなんです。そういう意味で、キムくんがミックスをしてくれたものは、当初想像していたものと違うタッチのものが来たなって感想が最初は正直あったんですけど、でもそれこそ望んでいたものというか、自分の思い通りにいかないことって、すごい大事だなとも思って。言葉もやっぱり100パーセント伝えられないですけど、伝わるものと伝わらないものがあって、相手にとってどう捉えられてるかというのは、自分とたとえ違ったとしても、そこから出てくるものはすごい素晴らしいものなんじゃないかって思えるようになったんです。今は僕もまた違ったアングルになっていて。アイルランドとかのポエトリー・リーディング作品にも刺激を受けています。次の作品にはそういう影響がまた少し出てくるんじゃないかな。

<了>

Text By Shino Okamura


SAMOEDO

SAMOEDO

LABEL : NOTT
RELEASE DATE : 2022.07.15


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連載【菅原慎一の魅惑のアジアポップ通信】


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