対談
三船雅也×藤田正嘉×山根星子
ベルリンの縁が刻まれたROTH BART BARONの新作『8』
ROTH BART BARON(RBB)の三船雅也は2022年秋にドイツはベルリンに移住した。厳密に言うと、ベルリンと東京の二拠点生活となり、ライヴやツアーがある時は東京に、それ以外は基本的にベルリンで生活をしながら制作や作業をしているのだという。近年、ほぼ年に1枚のペースでアルバムをリリースするその速度性にも驚かされるが、形態が常々変化したりヴァリエイションが増えたりしているのもRBBの特徴で、2020年夏に結成来の相棒だったドラムの中原鉄也が脱退、三船のソロ・プロジェクトとなった時ほどではないものの、サポート・メンバーの顔ぶれが少しずつ変わることも少なくない(ギターの岡田拓郎、ベースのマーティ・ホロベックは最新ツアーのラインナップからは外れている)。そういう意味では、三船雅也は何か動いていないと気が済まない……というか、自分が行動し眼に見える景色をチェンジさせることで新たな出会い、刺激を手にしていこうとするクリエイター。そして、その都度都度で曲を作り、作品として公開していく。動いた分だけ曲も生まれるから、三船が行動している間、RBBは作品が途切れることはないということなのかもしれない。
ニュー・アルバム『8』は、ベルリンと東京の二拠点生活が進行しつつあるそのプロセスが形になった1枚だ。コミュニケーションさえも不確かなベルリンでの生活を楽しみながらも戸惑い、支えてくれる仲間が大勢いる東京では慣れと安堵に心を巡らせる。ベルリンの鋭く冷たい風が顔を突き刺すようにひんやりとした音が三船のファルセット・ヴォイスを挑発し、淡々としたリズムや打楽器の音がホーンなどでダイナミックに撹拌させる空気に一定の緊張感をもたらす。それは、目指していた音楽のスタイルに寄せた結果などではなく、三船が見たもの、出会った人が彼にそうした曲、音に向かわせたと言ってもいいだろう。実際、ニュー・アルバムには、ヴィブラフォン、マリンバ奏者、作曲家で、コロナ禍以前までベルリンに住んでいた藤田正嘉、こちらは現在もベルリンを拠点にするヴァイオリン奏者でタンジェリン・ドリームのメンバーでもある山根星子が参加。三船の新たな行動が引き寄せた縁(えにし)が、まるで日記のごとく新作に刻まれている点では実に興味深い。そこで、その藤田、山根に三船を加えてベルリンでの生活、音楽家として生きること、新作での作業についてリモートで話を聞いた。それぞれとのセッションはフェイス・トゥ・フェイスで行われたものの、3人が同時に顔を合わせるのはリモートとはいえこれが初めてだという。気軽なトーク・セッションを楽しんでいただきたい。
(インタヴュー・文/岡村詩野)
Interview with Masaya Mifune, Masayoshi Fujita, Hoshiko Yamane
──3人が揃ったのは実はこれが初めてなのだとか?
三船雅也(以下、M):そうなんですよ。初めてです。でも、個々には会ったことあるんです。それに元々、僕より前に藤田さんと星子さんは繋がってたんですよね。
藤田正嘉(以下、F):そうですね、星子ちゃん……って呼ばせてもらいますけど(笑)、ベルリンでかなり最初のうちに知り合って。星子ちゃんの方がベルリン生活長くて、学生で先にいたんですよ。
山根星子(以下、Y):そうそう。お互いの貧乏時代を知ってるという(笑)。
F:ロストック音楽大学に通っていたんだよね、確か。
Y:そう、でも、たぶんまだ学校にも入る前から知っていたと思う。2006年とかだった。
F:そうだ。僕は2006年の11月にベルリンに行ったから。
Y:私は3月から行ってた。
F:で、ベルリンに移ってからアーティストと友達になって、その繋がりで確か知り合ったんだと思う。当時のベルリンはもっとアングラでインディペンデントな感じだったんです。そのぐちゃぐちゃした感じのところで出会って、ちょくちょく会ったり遊んだり。で、僕のアルバムのレコーディングにも何回か参加 してもらってね。いろいろ僕も勉強させてもらいました。で、気づいたら星子ちゃんはタンジェリン・ドリームに加入して……。すごいビッグになってびっくりした。
M:へえ〜! そういう流れなんですね!
F:ただ僕は3年前ぐらいに日本に帰ってきたんで、ドイツには13年、14年くらいいた感じになりますけどね。
Y:そうか、もう3年も前になるんやね。日本に戻ったのコロナ前やったもんね。
F:そう。僕が日本帰ってきたら、日本で最初の罹患者が出て。その後数週間後にはベルリンがロックダウンになった。ギリギリのタイミングで日本に移住できたんです。子ども3人いて家族5人で帰ってきたんで、もうほんとに足止め食らってたらどうなってたんだろうって……。戻る数年前から日本の田舎に引っ越したいねって妻と話をしていたんです。僕は山の中で音楽製作するのがずっと夢でした。で、今は兵庫県の北の方の、すごい田舎の町……山の中で暮らしてるっていう感じでなんですけど、もう本当に夢のような日々、夢のような生活だなと思ってて。自然豊かだし、食べ物も美味しいし……。すごい山の上の小さい集落にあった、使われていない保育所を借りて、まずはそこをスタジオにして。で、その横に空いていた空き家を買って、そこに去年くらいから住み出したんです。で、三船さんもここにレコーディングに来てくれたんですよね。
M:そう、今年の夏にね。ほんとに綺麗なところで。ちょうど運良く天気がいい時でした。確かに小さな町ですけど、若い世代の方が新しいお店始めたりしてて、僕が泊まった民泊も僕と同世代くらいのご夫婦がやっていました。
F:若い人がいろいろ自分で面白いことやりたいって感じで移住してきているんですよ。ベルリンにいた頃から日本の地方って面白いなってずっと思ってて。どこ行ってもほんと面白い人とか、なんかおしゃれなカフェとか、パン屋さんとか、レストランとかあるし、音楽イベントもあったりしますしね。と、同時にベルリンもすっごく変わってきていたんです。僕と星子ちゃんが移住した当初なんて、ほんとお金なくてボロボロだけど、みんなすごい好き勝手自由やってるっていう雰囲気があったんです。でも、それがどんどんなくなってきて。次のワクワクするとこはどこだろうって思った時に、日本の田舎って面白そうだなと思って。だから、(日本に)帰るっていう感覚よりは次の新しい面白いとこに行くっていう感じでした。僕出身神奈川県茅ヶ崎市で、東京とかにも住んでたんですけど、もうああいう都会にはちょっと戻りたくないって思っています。今、画面の後ろに映っていると思いますけど、まさにここで三船さんと2曲分レコーディングしました。僕が参加した部分は全部、ここで。もともとデモを送っていただいて。で、いろいろすり合わせとかしながら録ってみてっていう感じでした。
──三船さんが藤田さんの作品や活動に触れたのはいつ頃なんでしょうか。
M:いつだったかなあ……。
F:岡田(拓郎)くんと三船さんのYoutube番組で僕の作品をあげてくれたんです。僕自身はその時に三船さんを知りました。『Book of Life』を紹介してくれたんですよね。
M:そう、そうだった。藤田さんのファースト(『Stories』)を聴いて、そのあと《Erased Tapes》から出ている新譜とかをずーっとチェックしていたんです。ヴィブラフォン奏者の方の作品なんだけど、サウンドの音像がいい意味で日本人っぽくないなって思って。でも、メロディの感覚や音作りの繊細さは日本っぽい。なかなかこういうヴィブラフォン・プレイヤーは日本にいないよね、みたいな話を岡田くんとかとしたんです。その後、知り合いが間に入ってくれたりしてやりとりは始まったりしたんですけど……。
F:結局、直接会ったのは、今回スタジオに来てくれたのが初めてでした。
M:そう。藤田さんが鳥取空港まで迎えにきてくださって。
F:鳥取がすぐ横なんで、東京からだと鳥取空港に飛んでくるのが一番楽で早いんです。
──では、山根さんと三船さんのおつきあいは?
Y:三船さんがベルリンに引っ越してくる1年くらい前かな。
M:当時ROTH BART BARONでベース弾いてくれてたマーティ・ホロベックが、ジャズのドキュメンタリーを撮りにカールくんというドイツ人の男の子が日本に来るから、三船会っといたらって言ってくれて……ちょうど偶然同じタイミングで羽田空港にいたからそこで最初に会ったんです。そのカールくんが僕のドイツ人の最初の友達1号。で、ベルリンで会おうってことになった時に、カールくんが気を利かせてくれて。「ホシコってミュージシャンがいるから、仲間内呼んでちょっとパーティーしようとか」って。
Y:でもあの日、カールくんに初めて会ったんですよ、私も(笑)。
M:えー、そうなんですか? すっかり仲良いのかと思ってた。 カールくん、マメなんだよね。一人でオーガナイズしてくれる、ザ・ドイツ人って感じの。でも、そこで星子さんに会って、「え、タンジェリン・ドリームのメンバー? あのタンジェリン・ドリームですよね?」って感じで。でも、そこで初めて認識はしたんですけど、星子さんのそれまでのキャリアを知らず知らずのうちにチェックしていたんですよ。でも、そうやっていろんな人とちょっとずつ知り合いになると、本当にいろんな人がいるってことに気づいて。クリエイターの方だったり、ヘアドレッサーの方だったり、ベルリンでお豆腐作っている人がいたり……って。
Y:ミュージシャンもいろんなジャンルの人がいるし、デザイナーもいろんなジャンルの人がいる。基本的にベルリンってフリーランスの人が多いと思うんです。
──メルケル前首相が受け入れの政策を打ち出して以降、ベルリンは移民が増えています。そういう人たちがフリーランスとして働くようになっていることも大きいのでしょうか。
F:そうですね。やっぱり外国人が勤めるっていうとハードルが高いですよ。フリーランスでやってる方が身動き軽いから、フリーでやってる人が多いんじゃないですかね。
Y:まあ、その方がビザもおりやすいしね。他の町でフリーランスの外国人のビザなんてあんまりないと思う。
F:そういった意味では、ベルリンの行政が外国人に慣れているっていうのはあるかもしれないですよね。それと、今はわからないですけど、僕が住んでいた頃は生活費がすごく安かったんです。ただ、フリーの人が増えすぎて税理士さんが足りない、つかまらないってことはあったみたいですね。僕が住んでいたノイケルンって町は、昔はゲットーというか、行ったら危ないぞ! みたいな感じの地域だったんだけど、そこがすごく人気が出てきて。家賃もすごく高騰したり、住む場所が見つけられなくなったりしてかなり変わってきた実感もありました。シリアとかからの難民の人たちや、ヨーロッパからの移住者も増えて、町が混み始めたんです。それに伴って外から資本も入ってきて、おしゃれな店やら高い店やらもできて。家賃がその当時年間80%ほど上がったみたいでした。
Y:ただ、コロナの給付金なんかもアーティストがみんな一律に申請すればもらえた。外国人だからどうっていうのは特にはないので、そういう点ではベルリンは住みやすいですね。
F:社会がアーティストの存在を認めているというのは大きいですよね。アーティストには保険の優遇制度もあって。勤め人と同じようにある団体が健康保険とか社会保険の半額を負担してくれるんです。コロナの給付金の話もさっき出ましたけど、前の首相のメルケルさんが「アートは生活必需品なんだ」って言ってましたけど、そういうスタンスをとれるというのはすごいなって思いました。
Y:イタリアはそのあたりほとんどなかったみたいですけどね。ベルリンの私の周りの人は、みんなコロナ禍は最高のクリエーション時間だとか言ってすごくみんな充実してました(笑)。音楽家というもの自体が認められているというか、アーティストという存在が認められているっていうのは常に感じますね。ただ、じゃあ、ベルリンに音楽の仕事があるかっていったらやっぱりまだない。結局他の国や町にツアーに出て、稼いでくるみたいな。つまり、クリエーションはベルリンでするけど、ライヴは他で……って感じ。
F:アーティスト/ミュージシャンの数がもう星の数ほどいるから、ちょっと仕事があってもすぐツテで全部埋まってしまう。小さなところでライヴをやっても稼げないし。僕もベルリンにいた最後の方は、もうあんまりライヴ自体ベルリンでやらなくなりました。星子ちゃんが言うように、みんなベルリンに住んで製作して、外に出てって稼ぐっていうのは当時からもう普通に言われてましたね。ただ、逆に自分でオーガナイズするようなイベントは割とあって。僕の住んでた近くの《O Tannenbaum》ってハコでも、アンダーグラウンドでインディペンデントな人たちがわけわかんない面白い音楽をいっぱいやってたりしました(笑)。《Loophole》とかもそういうクラブ、ライヴ・ハウス。そういう場所はそんなに出るのが難しくはなかったですけど、今はもしかすると前ほどでもないのかな?
Y:コロナの影響っていうよりは、それ以前から徐々にベルリン自体が小綺麗に変わって来た流れなんだと思います。もう廃墟的な面白い建物もなくなってきたし、自由に好きなことができる場所が限られてきているんですよね。
F:こないだ2月に東京に行った時、東京のミュージシャンが毎週のように毎日のように、東京のいろんな場所でセッションしたりライヴに出たりとかしてるのを見て、ああいいなと思いました。そういうのはベルリンにはないですよね。毎週ベルリンで演奏しているようなミュージシャンは聞いたことないです。
──現在のベルリンのそうした話を聞くと結構シリアスというかシビアな印象も受けますが、三船さんはまだ移住から1年経っていないとはいえ、どのように感じていますか。
M:いや、ほんとにそうだと思いますよ。移った時には、コロナで全然クラブもやってないし、ライブ関連は焼け野原になってて。この先どうなんだろうなって思ってはいました。ベルリンでライヴをするってことはすぐには考えてはいなかったんですけどね。ただ、町をブラっとしているだけでも、雑居ビルの下の光がちっとも入らないようなところでパーティーとかをやってたりして、そういうのは面白いなって。僕はライヴ・ハウスがこんなにたくさんある東京にずっと暮らしてきたから、ベルリンはちっちゃい村みたいな感じって印象も受けるんです。商売とお金の動きは、もう圧倒的に日本の方がすごいと思いますね。ただ、昔、当時のベルリンの市長さんが「ベルリンはお金はないけどセクシーだ」って有名な発言をしましたけど、まさしくその通りだなっていうか、まだそういうバイブはある感じがするんです。そこにすごく惹かれたりはしますね。確かに僕はずっと東京にいたし、今も日本にファンのベースがあって、みんな助けてくれている。日本にチームがあるからこそ、ベルリンって面白そうだなって素直に思えるんだとも思いますね。
──そもそも三船さんはベルリンにすごく興味があった。
M:そうなんです。日本だとどうしても商売っけを出さないと誰も見てくれないっていうところがあって、そこにジレンマがあったんです。自分自身が自由になって、ほんとにやりたいことを見せても、それだけでは評価されない。太鼓判が押されて磨かれて、みんなが望む何かを、どれだけうまくできるか?……それが東京。でも、ベルリンに行ったら、「じゃあ、マサヤは何したいの? 君がやりたいことは何なの?」っていうのをすごく問われる。だからベルリンの社会が望むようにうまくチューニングしても、たぶんそれはうまく回らないっていうのはすごいよくわかる。日本とはベクトルが逆なんで、そういう点でもベルリンでの創作はすごくエキサイティングですよね。でも、星子さんたちも言ったように、ベルリンだけで勝負しようとはみんな思っていない。ヨーロッパ全体の流れで、どうツアーで自分の音楽を広げて生きていくか? みたいなところで音楽をやっている。僕自身、自分が地図を広げてみようっていう気持ちというか、未開拓なところ行ってみようっていうのがあったし、ベルリンに惹かれるミュージシャンも昔から多かったですしね。
F:さっき、ベルリンのネガティヴなことばっか言ってしまいましたけど、もちろん世界中からいろんなアーティストが集まってきてて、そういう刺激は本当に多くあるんです。外に出ればいろんなものがある。それこそ世界最高峰のベルリン・フィルもいるし、美術館も多いし、芸術分野ではなんでも世界一レヴェルなものがある。そこから派生した末端のすごいアングラなアートまで結構なんでもあるんです。自分が外に出ていけばいろんな人に会えるし、いろんなもの見られるし、僕が住んでいた時もそれ自体は本当に魅力的でした。その一方で、これは僕が個人的にもそれ以上に魅力を感じていたのが、自分が制作に集中したいと思ったら、アパートに引っ込んで自分のやりたいことにすごく集中できる環境だったってことなんです。単純にアパートが石造りで静かっていうこともあったかもしれないですけど(笑)、生活費が他の街に比べて安いんで、あんまりお金のことを気にしすぎず、お金はないけど時間はあるみたいな、ところがよかった。そういった意味でその自分の制作に集中したい、集中できる環境がすごくあったんです。そのどちもがベルリンの良さでした。外で刺激を受けたければいくらでもあるし、自分の中に籠りたければそれもできるし。しかも、誰が何をやってようが気にしない。人種的にも文化的にも多様なので、流行りがどうとか関係ないんです。だから、三船くんが言うように「君は何をやってんの? 何をやりたいの?」みたいなオリジナリティが問われるんだと思います。
Y:そうそう、ベルリンにいる限り、かなりいろんな人種のいろんな国から来たアーティストと知り合う機会って多いし、みんなバックグランドが全然違うから、考え方も違うし、表現方法もいろいろある。そういう人との繋がりや出会いがインスピレーションになるんです。しかも、私が今住んでいるところは、結構ど真ん中なんですけど、確かにそれでもわりと静かでクリエーションには集中できますね。
──三船さんはアメリカの音楽が好きだから、移住するならニューヨークとかLAという選択肢もあったかと思います。
M:そう、アメリカは音楽的にも影響受けてきたし、友達もいっぱいいるし、大好きなんですけど、ビザに寛容じゃなくなっちゃったっていうのもあって。ロンドンもロンドンでブレクジットがあって、しかも日本と同じ島国だから、それだったら東京でいいなって感じになっちゃうっていうか。あと、海外に実際に住むってなった時にやっぱヨーロッパの中心がよかったし、一度、第二次世界大戦でリセットされたベルリンだなっていうのがあったんです。
Y:私もだいぶ前からどこか他の町と二重生活したいとか、移住したいって思ったりしていました。アムステルダムとか面白そうだなとか考えたけど、やっぱりベルリンが一番かなって落ち着くところがあって。
M:ベルリンの人あるあるですけど、一回気に入ると結構ずっとベルリンを気に入ってらっしゃる方が多いですね。
F:ベルリンのペースが合わなくて出て行っちゃうっていう人も結構いるんですよ。ビジネスが回ってないから、もっとビジネスな感じにしたいのにみんなあまり働かないから嫌だって言って。そういう人たちはロンドンとかに移っていきます。東京に行くひともいますね。
M:俺らはロンドンともニューヨークとも、東京ともパリとも違うんです、っていうところにオルタナティヴなヴァイブスは感じます。現実的なことを言うと、例えば僕らミュージシャンが使うスタジオ、これ、個人的な感覚ですけど、日本よりはまだ安いっていう印象がありますね。
Y:そうね。いいスタジオもいくつかあるし、そんなに混んでないから予約もしやすいですね。でも、結構みんな自分のスタジオを持ってるんです。自宅なり、自分で借りてるスタジオなりを持っているというか。私も家の一部屋をスタジオにしていますし、バンド(タンジェリン・ドリーム)も別にスタジオを借りる形も持っています。
藤田正嘉のスタジオで──さて、RBBのニュー・アルバム『8』での作業についてですが、藤田さんの今の兵庫県の自宅スタジオに三船さんが訪ねていって録音したとのことでした。作業はどのような感じだったのでしょうか?
F:まず2曲、1曲目と4曲目のデモが送られてきたんです。「これにヴィブラフォンが聞こえたような気がする」って。それで、ちょっとした方向性みたいなのはあったんですけど、ただイメージつきにくい部分もあった。だから、やっぱり三船さんがスタジオに来てくれてからですかね。具体的に音出しながら、うん、アイディアっていうかイメージをこう擦り合わせていきました。
──もともとRBBについてはどのようなイメージを持っていたのですか?
F:いや、正直、今回お話いただくまでは音楽自体はそんなに聴いたことなくて。でも、どうもフジロックとかそういう大きいフェスティバルとかにも出ているみたいだし、すごいバンドなんだなあって、僕がこんなところで何ができるんだろうかって思っていました。
M:(笑)。
F:だからなんで僕に声かけてくれたのかなっていうのは正直なとこありました。
M:僕は藤田さんの音源とかもよく聴いていたので、ぼんやりとイメージしていたんです。なんとなくこうアブストラクトな形のスペースがある楽曲だったんで、ヴィブラフォンが曲のレイヤーを埋めてくれるかもしれないって思ったり。それ以前に、コロナがあって、みんな顔を合わせなくなって、やっぱり会って一緒に作んないと話になんないなっていうのをつくづく感じていたんです。だから、藤田さんにスケジュール確認して、日比谷野音でライヴをやった翌々日くらいにすぐバーっと藤田さんのスタジオに飛んで。
F:で、三船さんとスタジオに入って、僕が楽器を弾いて、こういう感じかなっていうのを聴いてもらって。「あ、そうですね」とか「もっとこうかな」とかそういうやりとりを重ねながら進めました。インスピレーションに合ったものをレコーディングしていくっていうプロセスだったと思いますね。でも、もっと苦労するかと思ったんですけど意外と早く進んだなって印象でした。
M:自分の楽曲から導き出さ れる藤田さんのイメージが、なんかスカルプチャーっていうか、彫刻彫っていく感じだったんです。だから、彫刻刀をガリガリやって、なんか浮かんできたものをキャプチャするような作業を二人でやった感じなんです。たまに僕がレコーディング・ボタン押したりとか、「こっちのマイクがいいね」とか「こっちの方がクリアになりましたね」とか言いながら、何回も何回もなぞって、彫り出していく作業を一緒にやったって感じ。僕は実際何もしてないすけど(笑)、やっぱり藤田さんだけで作ったら辿り着かなかったんだろうな……ということは実感しました。顔を合わせて初めてできることってありますからね。
F:ぼくはあんまり音楽的な教育みたいのを受けていないんです。耳を頼りにやってる感じなので、だからいつもすごい時間かかるんですよ。それに、その人の曲に何かするっていうのはやったことないっていうか、苦手というか……でも、今言ってくれたみたいに、やっぱり感覚的に言葉を交わしながら、まさに彫り出してくみたいな感じだったからできたのかなっていう気はしますね。
藤田正嘉のスタジオで機材に囲まれて──それに対して山根さんとはどういう作業だったのでしょうか。
M:星子さんには2曲参加してもらったんですけど、僕のベルリンのアパート兼スタジオにヴァイオリンとヴィオラを持ってきてもらって。で、やっぱり僕がマイクを立てたりしながら、一緒に話したりイメージ伝えたり、ちょっと簡易的な構成の譜面を書いたりしながら1日かけて作業したんです。
Y:そう。「BOY」の方はもうほとんどイメージができたんです。具体的な方向性はちょっと話し合ったけど割とすぐ1曲が終わって。じゃあ、「なんかもう1曲やる?」みたいな感じになって。
M:そうそう、じゃあ他の曲も聴いてみよう、みたいになって。その場でデモを聴きまくって決めました。これ、ドイツのアパートあるあるなんですけど、ちょっと動くと木の床がギシギシギシってすごい音がするんですよ。だから星子さんにはもう一歩も動けないみたいな状態で弾いてもらって……でも床の軋む音、若干入ってると思う(笑)。
Y:そう、だからスリッパ脱いでね、靴下で(笑)。
M:でも、3メートルくらいある天井の部屋は音の鳴りがすごくよかった。圧倒的に日本じゃ録れない音があるって実感しましたね。スタジオを借りるアイディアもあったんすけど、これはこれで面白いなと思って。今、生きてる自分の音を拾ってみたかったので。 Y:だから、急遽もう1曲やらせてもらったその「Krumme Lanke」は完全に即興でした。なんのイメージもなく、じゃあこれにストリングスかな、みたいな。
山根星子のスタジオの様子──山根さんはRBBをご存じだったんですか?
Y:さっき話が出たカールくんが主催したパーティーで飲んだ時に初めて会って。ちゃんと聴いてみようと思ったのが最初です。だから知らなかったんですよ。ただ、フジロックの配信を見て、ああ、最近の日本の音楽ってこういうのなんだなって思っていました。すごく日本のサウンドだなと思いながら聴いてましたね。すごく日本の音って感じがしました、私には。私が日本にいた時ってもっとロック・バンドっぽいものが多かったんですけど、最近のバンドはいろんなアコースティックな楽器も入ってるし、いろんなものがミックスされているんだなって。基本的に私、あまり歌が入ってるものを聴かないんですよ、家では。そういう意味では新鮮でした。
M:RBBはインディー・フォーク・ロックって言ってます(笑)。
F:僕もあんまり歌が入っている音楽は家では聴かないかな。僕、昔から洋楽をずっと聴いてて、その癖で歌詞を聴くっていう頭が全然なくて。日本語の曲聴いても歌詞がほんとに入ってこないんですよね。
──では、三船さんの歌詞については、どうでしょうか?
F:歌詞にあまり引っ張られすぎない感じですね。雰囲気とかがすごくあってイメージ強かったですね。特に「千の春」はベルリン……かどうかはわかんないけど、秋の落ち葉な感じがすごくして……実際、アルバム自体秋っぽい雰囲気がありますよね、ジャケットも含め。
M:でも、確かに藤田さんと星子さんに声をかけたのも、なんかそういうところにセンスがあるっていうか、テイストがあるって感じがしたからなんですよ。「歌詞の内容を聴いてこれアレンジしたよ」ってことにはならないだろうなって。日本は歌謡曲っていうものの文化がまだ強く、色濃く残っているので、言葉をすごくケアするんですよね。
F:それはそれで素敵な世界ですよね。そういう歌の文化に触れると、逆に羨ましいところはありますね。
M:ベルリンは、もうみんなバックグラウンドが違うから、言葉ってものがツールですよね。そのバランスがちょっと違うなっていうことに移ってみて気づかされました。それもこれも、僕がえいって引っ越さなかったらおふたりと出会えなかったし、気づくこともなかったわけです。自分が尊敬する好きなミュージシャンたちと作品を作るって……まあ日記っていうとなんか誤解がありますけど、今の現在地の僕が、等身大のそれでいてこう新しいことにトライしようとするってときに、やっぱ尊敬できる先輩……今もすごい活躍しているミュージシャンのみなさんとベルリンが繋いでくれた縁みたいなのを感じるんです。今回はそのコネクションとちゃんと向き合って音楽作りたかったんですよね。この楽器を弾いてる人だから、ヴィブラフォンが欲しかったから、ヴァイオリンが欲しかったから、というよりは、一人一人のアーティストとの出会いがそうさせたというか。実際、自然と僕は二人の演奏を観る機会があったし、もともと好きだったっていうのがあったからこそうまくパズルのピースがはまったんですよね。そして、実際に星子さんと藤田さんのアイディアに音楽的にも助けられ、プライヴェートでもすげえ助けてもらってるし(笑)。
──では、RBBのニュー・アルバム『8』全体を聴いて、改めてどういうところに魅力を感じたかを聞かせてください。
Y:いろんな音っていうのかな、いろんな楽器のサウンドとかそういうのがこう混ざり合って、たぶん歌モノではあるんだけど、その声自体も楽器みたいなサウンドのひとつ みたいになってるのが新しく感じました。それがすごく面白く感じましたね。声自体が変わってるというと……表現がおかしいかな?
M:全然大丈夫です(笑)。
──遠吠えみたいですからね。
Y:そうそう。あと、私の曲ってだいたいちょっとマイナーなものが多いんですよ。なんかちょっと暗いというか(笑)。だから、全体的なアルバムがすごく爽やかで、すごく明るい……嬉しい気持ちに なるな、と思いました。
M:録音が終わった後に、星子さん、こんなポップな曲やったことないよって言ってくださったんですよね。
F:僕は最初“ジュブナイル”っていうテーマがあると教えてもらっていていろいろ調べたりもしていたんです。僕は歌詞を聴かないせいもあると思うんですけど、それ以上にその背後にある何かを掴むところがある。だから、さっき三船さんが言ってたような、今の自分の日記的なものだっていう感覚が、すごいわかるっていうのはあって。もしかするとベルリンに移住されたっていう前提を知ってるからなのかわからないですけど、日記的でもあるし、サウンドも特徴的だとも思ったんです。失礼ながら前のアルバムとかそんなに聴いたことないんですけど、今回は結構コンプレッションというか、ドラムとか音を潰し てますよね?
M:今回は特にそうですね。
F:すごい思い切ってるなって思って。日本の音楽って綺麗に作られている印象があったけど、それだけじゃないんだ、ハードな音作りの仕方もあるんだって思いました。
──それはウェルメイドという意味ですか?
F:そうですね。あの細部まで気を遣って気を回して綺麗に作ったものをぶち壊すみたいな意味があるのかな、っていうのも感じました。しかも、全体のイメージは、さっきも話したように秋っぽい。でも、音のゴツゴツした感じと整合しているというか、ジャケットの並木とヨーロッパのゴツゴツした感じが微妙にリンクして、面白いサウンドだ なって改めて感じたんです。サウンドデザインという感じがしたというか……その辺の意図はちょっと聞いてみたいな、とは思いましたけど。
M:ドラムの音を潰してしまうことには賛否両論あったんです。バンド内でも。でも僕がこの音が浮かんでしまったので、もうやるしかない。ドラムに「スマン!」って言って潰したりしました。でも、確かにそうですね、ベルリンというかヨーロッパの町の雰囲気と合っているのかもしれない。前の作品がすごいオーガニックというか、綺麗に作ったんです。ストリングスも入れてオーガニックに。でも、ベルリンに移り、藤田さんと星子さんと会った以降くらいに、多分見た景色が圧倒的に変わったからなのかな。食べるものにも新たに出会った人にもすごく影響受けたんでしょうね。自然とそうなったというか。そのそのシフティングのグラデーションの過程が今まさにあるなっていう感じが今回のアルバムなのかもしれないです。
──お3方が同時に直接顔を合わすことがライヴで実現できるといいですね。
M:それは本当にできるといいなあ! 星子さんも8000kmを越えてきてください!(笑)
Y:ぜひ伺いたいです!
F:僕も何かでぜひ参加させてもらいたいです!
<了>
Text By Shino Okamura
ROTH BART BARON
『8』
LABEL : BEAR BASE / Space Shower Music
RELEASE DATE : 2023.10.18(配信) ※アナログ・レコードも発売中
アナログ・レコードの購入はこちら
ROTH STORE
《ROTH BART BARON “8” TOUR 2023-2024》
2024年
2月4日(日) 愛知 今池 THE BOTTOM LINE
2月11日(日) 熊本 早川倉庫
2月12日(祝月) 福岡 BEAT STATION
2月18日(日) 大阪 心斎橋 BIGCAT
3月1日(金) 北海道 札幌 cube garden
3月2日(土) 北海道 札幌 モエレ沼公園 ガラスのピラミッド
3月3日(日) 北海道 札幌 モエレ沼公園 ガラスのピラミッド *三船SOLO
3月17日(日) 東京 渋谷 Spotify O-EAST
公演詳細/チケット予約
https://linktr.ee/rothbartbaron
ROTH BART BARON Official Site
https://www.rothbartbaron.com/
藤田正嘉 Official Site
https://masayoshifujita.com/
山根星子 Official Site
https://www.hoshikoyamane.com/
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