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神話なき世界を生き残るには?
“2010年代のロックバンド” ROTH BART BARONのディケイドと、その集大成『けものたちの名前』 #1

02 January 2020 | By Nami Igusa

2010年代が終わって新しいディケイドが始まった。いつの時代だってそうなのかもしれないが、おそらく2010年代という10年間は、とりわけ思考し続けることを求められた時代だったように思う。特に、社会に横たわるいくつもの境界線について、だ。富める者は富む一方、貧しさはかつて中流と言われた層までをも引き摺り込み、両者の間を分つ溝がますます広がった。この国では税や学費の負担を決める線引きが見直されたり新たに作られたりもしたが、結果として境界線の付近の人々こそが取りこぼされ、不可視化されている。先進国は右傾化の気運を高め、分断の象徴とも呼べるかの国の大統領を生んだ選挙や、ブレグジットの国民投票を通じて、人々は「われわれか、さもなくばあいつらか」の選択を余儀なくされた。

ただ同時に、個人的な領域においては、これまで無自覚に刷り込まれてきた線引きを自覚し、捉え直す動きも現れ始めた。たとえば、男女というジェンダーの区別、あるいはセクシュアリティのあり方。その自明性についてこれほど議論が交わされドラスティックにその認識が変容した(しつつある)ディケイドは、1970年代の第二波フェミニズム(ウーマンリブ)の時代まで遡らなければ見当たらないかもしれない。

当然そうなってくると、思考し続けることに疲れて、完全に思考停止してしまっている人も出てくるし、実際そんな人々のほうが残念ながらマジョリティだろう。だが、2008年に産声を上げたバンド、ROTH BART BARONは、2010年代というディケイドを通じて思考し続けることを決してやめることはなかった。彼らはそのはじまりからずっと、現代社会によって無数に引かれてかたこうした見えない境界線のひとつひとつを見定め、定義し直しながら、その線のこちら側と向こう側を行き来し続けてきたバンドだ。さらに言えば、音楽の聴かれ方やそのための媒体が根本から変わったこの10年間で、自分たちを狭いところに押し留めようとする形骸化したルールに囚われることを拒み、自分たちらしく音楽を続けていく方法と場を、常に能動的に作り続けてきたバンドでもある。その意味で、ROTH BART BARONは、2010年代において最も”インディーロック”であることをひたむきに体現したバンドだったと言えよう。いや、日本において、このディケイドにおける、ほとんど唯一の”ロックバンド”と呼べる存在だったと言っても過言ではない。

今回のインタビューは、そのフロントマンにして、TURNでもライターとして筆を執る、三船雅也との対談だ。2019年11月にリリースされた4枚目のアルバム『けものたちの名前』を軸とした内容ではあるものの、話題は自然と「2010年代とはどんな時代だったのか?」という議論にも及んだ。『けものたちの名前』もまた、私たちを取り巻く様々な線引きについてのアルバムだ。対話を通じて、その広く深遠な洞察力や想像力に驚かされながらも、彼らのこれまでの集大成的な傑作が、2019年の終わりに、そして2010年代の終わりに生み落とされ、それが各所で絶賛を浴びていることは全くの偶然ではないのだ、という確信を強く抱かされたのであった。

2020年5月の《めぐろパーシモン大ホール》でのバンド最大規模のワンマンライブまで続くツアーの最中である彼ら。2010年代を、誰よりも悩み、誰よりも逞しくサバイブしてきたバンドの見てきたディケイドと、その終わりに世に送り出されたニューアルバムにまつわるロングインタビューを2回に分けてお届けする。ここで話されたことはきっと、次の10年を私たちが生き残るための道標になるに違いない。
(取材・文・写真 / 井草七海)

Interview with Masaya Mifune

──『けものたちの名前』の話の前に、少し時間軸を巻き戻してみたいと思います。これまでの活動の中で、ターニングポイントになったのがやはり前作の『HEX』だなと思っておりまして。はたから見ていた身からすると、吹っ切れたというか、ブレイクスルーがあったのかなと感じていました。それまでのライブパフォーマンスは、見ていて、「うまくお客さんに届いていないもどかしさを感じているのかな?」という風にも感じていたんですよ。それが、『HEX』のリリースで突き抜けた感じがしたんです。

三船:吹っ切れたっていうよりかは、もっと自由になったって感じですね。ステップアップしたっていう感覚。そもそも日本でロックミュージックをやるって、アメリカやヨーロッパでそれをやるよりも、すごく複雑なことで。日本のロックミュージックには、戦後何十年くらいの歴史しかないし、自分たちにはルーツのないことをゼロからやろうとする行為だから。だから、理にかなっていない生き方だなと思いながら自分は日本語で創作を続けてきたわけですけど、その中でのフラストレーションというか、自分の感覚を他人に共有できないジレンマみたいなのがこれまではあった。それが気にならなくなったのは、『HEX』のおかげなのかなと思ってますね。そいつとの向き合い方がわかってきたというか。一緒に生きるしかないなという気持ちになった(笑)。

──例えばセカンドアルバムの『ATOM』(2015年)のリリース前後なんかは、食い入るように真剣に見ている方が多くて、それもあってかライブ中でもシーンとした印象を私としては持っていたんですけど、『HEX』のツアーファイナルでは、大きな歓声と拍手が巻き起こっていて。この3年間で全然反応が変わりましたよね。

三船:確かにライブにも、これまでと違うお客さんが来るようになったのは感じましたね。もともとライブに来てくれていたお客さんっていうのは、現状のこの世界によしとしていないタイプの人たちが多かったと思います。でも『HEX』を出したあたりから、たぶんこの世界である程度楽しく生きられている人も来るようになったように感じる。
今、生きている人たちの中では、そういう人のほうが正直マジョリティだと思うんだけど、それでもなんか馴染めなかったり、居心地の悪い思いをしている人たちに届いている印象っていうのはありましたね。毎日ロットを聴いているってわけじゃない人でも、なにか楽しみを求めている人たちが来てくれて、ライブを覗きに来てそれではまっちゃった、みたいな。だから、今のライブは、すごくエネルギッシュな場になってきたと思います。

──その『HEX』からインターバルも短く、ニューアルバム『けものたちの名前』がリリースされたわけですが、今作の最初のビジョンっていうのはどんなものだったんですか?

三船:当初は、ニック・ドレイクの『ピンク・ムーン』くらいシンプルな作品でもいいんじゃないかと思ってたんです。すごくトラック数が少ないけど、ディティールのあるもの、っていう構想で。リラックスした音楽を良い音で録った作品をカジュアルにサクッと出すようなことをやりたかったんですが…。実際、そんなリラックスしたら、前作超えられないだろ! ってことで、結局すごいことになったんですけど(笑)。関わる人は増やそうと思ってたんですけど、こんなにおおごとになるとは(笑)。

──音も変わりましたよね。これまでよりも音が明るい印象を受けましたし、低音の存在感もしっかりあって。特に低音の厚みは、『HEX』のサウンドからも通じる部分があります。

三船:そうですね。今の時代の音作りっていうのは、高い音から低い音まで、すごく解像度が高く出せるようになったから、そうなってくると低音で表現できることってすごく増えたんですよね。それに向き合う作品を作りたいなと思ったし、挑戦してみたいと思った。アコースティックでありながらすごくローの効いた音楽。良質なヘッドフォンとかイヤホンで聴かないと感じ取れない音もデザインしていくっていうのは、2010年代の後半的な価値観だなと思うし、一方で10年後にはもう忘れられてる価値観かもしれない。だからこそ今という時代にふさわしいサウンドメイキングだと思ったんですよね。

──今作では低音もグッと重みを増しているけれども、一方で生楽器の音は生々しく鳴っているし、クラップの音もヴィヴィッドに聴こえて。デジタルに寄りすぎず温かみがありながら、でもしっかりアタック感もあるサウンドになっている。そのバランスが、今まで以上にバンドにがっちり嵌っているなと感じました。

三船:前作もそうでしたけど、デジタルなものとアナログなもの、無機的なものと有機的なものとの一体化っていうことをすごく考えていて(ニュー・アルバム『HEX』大好評! 人間も機械も。オフラインもオンラインも。目に見えないモノをも信じ、ゆるやかにつながる“僕たちの音楽”とは)。例えば法隆寺とかの古いお寺なんかで、木と鉄が錆びついて一体化しちゃってるみたいな、そんなイメージ。違う存在同士をどうにかしてハイブリッドにしていく感覚っていうのが、これまでよりも無理なくできたように思います。

──その意味でも、いろいろな物事の境界をあいまいにしていく、というのが今作のテーマにあるように思いました。言うなれば、男女の境界もそうです。今作では、三船さんのヴォーカルに加えて、女性のヴォーカルもフィーチャーされていますしね。だから、普段からそうした「境界をあいまいにする」ことに意識を向けているのかな、と感じたのですが。

三船:境界を再定義して、自分なりにもう一回認識しないと気が済まないたちではあると思う。誰もいない田舎道の信号で赤だったときに止まる必要があるのか? とか、その赤って色はなんで赤って呼ばれているのか? とか、一回分解して見てみたいっていう…。あと例えば、ここ最近の日本では、「男性性 / 女性性」をもう1回再度定義しましょう、っていうことも一般的に考えられるようになってきましたよね。アジアって、ヨーロッパなんかに比べるとその流れには乗ってこなかったとは思うんだけど、いよいよ考えなければ成立しないという段階になってきた。

──確かにそうですね。

三船:個人的にも、ちょっとした日常に潜む違いに敏感に生きてきたと思います。自分だって、男だけどかわいいものも好きだし、男だけど声が高いし。またそこで「男だけど」って言っちゃう感覚ってなんなんだろう? とも考えるし。あと、高い声は10代の時はコンプレックスで、歌うのは好きだけど恥ずかしくて歌えなかったりとか、見た目も日本人離れしていて、コーヒー屋さんに行ったりなんかすると英語で話しかけられたりとか(笑)。違いに敏感に生きてきたっていうのは、そういう経験からでもあるのかなとは思います。

だから、誰かが決めた線を自分で引き直したいんだと思うんですよ、僕は。誰かの決めたルールを自分で飛び越えて、行ったり来たりするのが好きで。音楽で言ったら、洋楽/邦楽っていう区分けも行ったり来たりしたいし。逆に、誰かが決めたものに生かされるっていうのは、子どものころからあんまり好きじゃなかったかも。野生児ですね(笑)。



──社会的に刷り込まれてきた境界線には、誰しもみんな縛られていると思うんですよね。でも基本的には多くの人はそれには無自覚で。でも、2010年代の最後の3年くらいでその意識っていうのが、日本でもドラスティックに変わったという風に実感しています。
無自覚にそこにあった境界線のあり方について、日本社会もより多くの人が自覚するようになってきて、誰かの決めたルールや線引きを考え直そうという社会的な波が顕在化した。そしてそれが奇しくも、『HEX』の出たタイミングとも符合していたように思えて。だから『HEX』で表現されていたことに、受け手である社会がまさにあの時、バチっと共鳴したんじゃないかと、あとから考えてみると感じさせられるんです。


三船:確かに。それは、わかる気がする。

──ロットは以前から同じことを表現し続けてきたとは思うんですけど、多くの人にとっては当初は捉えづらかったのかもしれませんね。でもここ3年くらいで、より幅広い人たちにとっても、明瞭にそれを自分事として実感できるようになったのではないかと思うんです。それが、最初でお話ししたようなライブの場でのパフォーマンスに対するダイレクトな熱量の高まりにつながったのかもしれないな、とも思っていて。

三船:なるほど、それはあるかもしれないね。ただ、臭い物に蓋をじゃないけど、本当はそれを見ないようにして生きていくことのほうがある種楽じゃないですか。リクルートスーツって着る意味あるの? なんでみんな同じ髪型にしなきゃいけないの? とかね。でも、それにしたってその70年代の価値観を50年間いまだに引きずる必要があったのか、とか、今改めて再定義しないといけないよね。今は、あとはそこに誰がメスを入れるのか? って状態にはなってるけれども。

──2010年代を通じて、私たちが解体しなくてはいけないものが見えてきたというか。

三船:人間って基本怠惰だから、無意識に乗っかってたほうが楽ですよね。服装自由って学校とかに言われても、結局制服があったほうが楽だしね。だって、いちいち「田舎道で誰もいないけど、この信号は止まるべきだろうか?」なんて考えてたら大変だよ(笑)。いちいち責任を取らなきゃいけないんだから、相当タフだよね。でも、誰かがやらなきゃいけないんだよね。やらなかった人たちのせいで今の大変な生活があるわけだから。

──今「2010年代がどんなディケイドだったか」と訊かれたら、私は「神話が崩れた」時代だったなと答えます。「安心」「安定」「これに乗っかっていれば大丈夫」っていう神話が崩れて、社会のメッキがどんどん剥がれていって。これまで信じていたものが幻想だったんじゃないか? と思わされて。これまで信じていたものから放り投げだされて、これからどうしたらいいかわからない、という。

三船:2010年代のはじまりは、日本で言ったら震災があって。慣れ親しんだ渋谷でも、照明とかビジョンとかが全部消えるなんて夢にも思ってなかった。それで、大きい会社やメディアの言うこと、国の言うことは信用できないから、自分でいいと思うものを自分で決めましょうという気運が高まって。今までの自分たちの生活や信じていた神話が崩れて、自分で自分の生き方を決めなくてはいけないんだ、ということをすごく自覚した10年間でした。
そして、その神話が崩壊した中で、自分の居場所を作って、自分の生き方を作っていく、サバイブしていく必要が生まれた。もちろん、突然放り出されても今までそんなこと教わってないよ、っていう人たちもたくさんいるけれど。

──そうですね、それがいまだにできない人たちが、どちらかというとマジョリティではありますけれど。

三船:神話っていうか、ファンタジーを作りづらい世界になったなと思ってるんです。現実のほうがファンタジーよりもよっぽどヤバいことが起こってるし。「11月なのにこんな暑いの?」とか。日本で言ったら、原子力発電をやめて火力発電を使うようになったけれど、この10年間で気温はうなぎのぼりに上がってるわけですよ。原発はトラウマだけど、使わなければ自分たちの子供たちは生き残れないかもしれない。電気を使わなければおじいちゃんおばあちゃんは死んじゃうかもしれない。今更それは無理だし、引き返せないところまで来ている。

だから、人間の逃げ場所としてのファンタジーは必要なんだけど、妖精が出てくるようなファンタジーって、もう通用しないですよね。宮崎駿が今「ファンタジーは難しい」っていうのもすごくわかるし。 神話が崩壊した世界で、人間はどう生き残るべきなのか、ってことですよね。『けものたちの名前』ってアルバムは〈生き残れたら〉という歌詞から始まるけれど(「けもののなまえ」)、それも偶然じゃなかったんだなと思います。まさしくこのアルバムは、神話が崩れた世界の話なのかもしれない。


■「神話なき世界を生き残るには? “2010年代のロックバンド” ROTH BART BARONのディケイドと、その集大成『けものたちの名前』 #2」へ続く

Text By Nami Igusa


けものたちの名前

ROTH BART BARON

けものたちの名前

LABEL : felicity
RELEASE DATE : 2019.11.20

けものたちの名前

“けものたちの名前” Tour Final – Live at めぐろパーシモン大ホール

2020年5月30日(土) START 17:30


オフィシャル web 先行販売2020年1月1日(水)AM 0:00〜 1月13日(祝月)23:59(抽選)
一般発売2020年2月1日(土)AM 10:00〜
全席指定 S席=5,500円 A席=4,500円 B席=3,500円 学生席=1,500円(※入場時要学生書提示)
チケット購入はこちらから

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