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「深夜に録音すると遠くから聞こえる“街の騒音の残滓”が微かに入り込んでいる。それは“日常的に耳にしていること”の解釈でもあるんだ」
ベルリンに暮らす2人の気鋭──mu tateとNEXCYIAに訊く

14 November 2024 | By hiwatt

今回、私が取材をしたのは、mu tateとNEXCYIAという、ベルリンを拠点にする気鋭のアーティスト。基本的には、アンビエントやグリッチにカテゴライズされる音楽を作っているが、そのビートの質感からディコンストラクテッド/ポスト・クラブにメンションされることもある。レフトフィールドの音楽を好む人々にとっては、知る人ぞ知る存在かもしれない。

何故この2人かというと、単純にファンだったからということもあるが、8月15日にリリースされた「Sans Titre」という、彼らのコラボ曲を聴いてしまったからだ。あまりに出来が良過ぎた。それに、2人が9月にそれぞれのアルバムをリリースするというタイミングも重なっていたので、InstagramのDMを通して話を持ちかけた。彼らは直ぐに快諾し、3人のチャットで鼎談することにも興味を示してくれた。それぞれの人種は違うが、ほぼ同世代の共通した感覚を持つ3人が対話をすることで、何か新しい気づきが得られると思ったし、そもそも友人である2人の関係性を見て、シーンの温度感を感じられると思った。

日本との時差の関係上、私が夜に連絡している一方、数日にわたって朝っぱらからこんな話をさせたと思うと、少々申し訳なく思う。だが、ヨーロッパ/ドイツ/ベルリンで暮らす、インディペンデントな音楽家のリアルライフを知ることができた。何よりも、対話を経るごとに私の意見を歓迎し、信頼を感じ、本質的な理解を深め、友人と言ってくれるまでになったことが、本稿の意義の証明なのかもしれない。
(インタヴュー・写真/hiwatt) ※トップ写真の左がmu tate、右がNEXCYIA

Interview with mu tate, NEXCYIA

ベルリンに生きる2人のミュージシャン

──今回はインタヴューを引き受けてくれてありがとう! それと2人とも、アルバムのリリースおめでとう。どちらも素晴らしい作品だったけど、これからその話もできたらと思う。まずは、2人の出自について聞かせてください。

mu tate(以下、m):俺はラトビアのリガで生まれ、カウグリの近所にあるジュルマラという小さな海辺の町で育った。 海辺までは歩いて10~15分の距離で、9階建てのアパートの最上階に住んでいたから、窓から海がよく見えた。 

周りはほとんど同じような(旧)ソビエトのアパートが建ち並んでいたが、その殺伐とした雰囲気は緑の多さで相殺されていた。 周りには松の木や森がたくさんある。 90年代には犯罪が多発していたにもかかわらず、概してとても静かだった。ほとんどの時間、外で友達と遊んだり、海で泳いだり、自転車に乗ったり、プレイステーションで遊んだりと、普通の子供らしいことをして過ごした。 祖母は毎年夏になると、ずっとビーチにいた。


──今、Googleマップで確認したけど、とても美しい町だね。当時はロシアとの関係はどんな感じだった?

m:俺がラトビアにいた頃は、今ほどの緊張関係はなかったよ。もう国を離れて13年も経つしね。

NEXCYIA(以下、N):僕はパリ郊外、ノルマンディー地方にあるヴェルノンという小さな町で生まれ、人生の最初の20年間はヴェルノンとパリを行き来して過ごした。それから、2014年にサウンドデザインを学ぶためにロンドンに移住したんだ。 母はテキサスとLAの出身で、父はスコットランド人だけど、フランスで出会い、そこで駐在員として生活を築いたんだ。 最新作『Exodus』は、僕の祖父と亡くなった叔父に捧げられたものだけど、その核となるのは、1960年代から1970年代にかけてテキサスからLAに渡った家族の旅の物語だ。 僕の知る限り、祖父と叔父はダヴ家で最初のミュージシャンで、主にブルースと多くの教会音楽を演奏していた。 いろんな意味で、このアルバムは彼らへのオマージュであり、彼らは私の音楽の道に深いインスピレーションを与えてくれた。 叔父の名前はナット・ダヴ。日本でライヴをしたこともあって、日本の音楽誌にもインタヴューをされたことがあるんだよ! (そう言って、『BMR』誌に掲載された、鈴木啓志氏によるインタヴュー記事の切り抜きを送ってくれた)


──そうなんだね! ルディ・レイ・ムーア主演の『ピティー・ウィートストロー』(1977年)の劇伴を手掛けていたようだね。聴いてみたけど、すぐに素晴らしいピアニストだと分かったよ。最新作は、その叔父さんとお祖父さんに捧げられたと言っていたけど、アルバムで使われているヴォイスサンプルは彼らのもの?

N:そうだね。最新作では、家族のホーム・テープをサンプリングしている。ちなみに、その叔父の劇伴の一曲は、RZAの「See the Joy」でもサンプリングされているよ!(笑)

──それぞれのアーティスト名の由来は?

m:正直に言うと、由来はないんだ(笑)。ただ、響きや、文字にした時の見た目が気に入っただけだよ。

N:僕も同じ(笑)。この名前は作り話のようなもので、特定の意味やテーマを持っているわけではないんだ。

──活動を通して、無意味なものに意味を付加することが、アーティストの果たすべきことだし、きっとそれがいいのかもしれないね?(笑)今は何処を拠点にしているの? あと、今の年齢も教えて欲しい。

m:今は33歳で、ベルリンを拠点にしている。ただ、ベルリンに移ったのはこの夏で、そんなに時間は経っていないんだ。ロンドンに13年間住んでいたんだけど、あの街の慌ただしく物価の高い生活から解放され、心機一転したかったんだ。 また、ベルリンでパートナーと出会い、2年間の遠距離恋愛をしていたんだけど、どちらか選ぶ必要があった。ベルリンは、今の俺たちにはより理にかなっているんだ。ここには友達もいるし、生活費も少し安いし、それほどエネルギッシュではない。 仕事を減らして人生を楽しむ余裕がある。大抵の必要なものは得られる大都市だしね。 ロンドンにはもっとたくさんのものがあるけれど、なんにしたってお金がかかるし、補助金なんかも少ない。 それに、ずっと働いていたらなんにもできないからね。 

N:僕は29歳。ベルリンを拠点していて、同じくこの夏に移ったばかりなんだ。ロンドンに10年住んでいたんだけど、僕も環境を変えたくなってね。ベルリン、バルセロナ、パリのどれにしようか迷っていたんだけど、音楽や知り合いがいることを考えると、ベルリンがいいと思ったんだ。ただ、ここに住むのは長くて2年くらいかな。もっと日差しのある場所がいいよ(笑)。

──2人の付き合いは長いの?

N:けっこう長いよ。2015年に大学で出会った。ロンドンにある《Bachelors in Sound Art & Sound Design》の同じクラスで学んでいたんだ。

──もう10年の付き合いなんだね! お互いの第一印象はどうだった? また、NEXCYIAはあるインタヴューで、mu tateのことをリスペクトするアーティストだと語っていたけど、今はお互いにどういう存在なの?

N:YES! いい質問だ! 当時の僕たちはたまに遊ぶくらいの仲だった。その頃の僕は、純粋にヒップホップなんかのビートを作っていたんだけど、mu tateは既に超ヤバいものを作っていた。初期の頃から彼の大ファンなんだ!

m:たぶん2年前まではそんなにつるむことはなかったよね? でも、よく連絡は取り合っていて、お互いの音楽をフォローしていたよ。

──この前、コラボ楽曲「Sans Titre」がリリースされたけど、超ハマっててもう30回以上聴いているよ! これが初めてのコラボだったの?

m:そう、作品をリリースするのは初めてだね。

m:この曲は2021年に作ったものかな? PCに眠っているのを見つけて、いつかリリースすべきだと思っていた。僕がビートを付けたんだ。

N:この曲は、3月に発売された僕のファースト・アルバム『Endless Path of Memory』に収録されている「Orchid」が元になっているんだ。


m:ああ、そうだ、クレイジーだよね。 忘れていたよ(笑)。

──改めて聴いてみたけど確かにそうだね! 実質的には「Orchid (mu tate Remix)」みたいな感じだね。この曲が《29 Speedway》のコンピレーションに収録されたのにはどういう経緯があったの? あと、あのコンピレーションの中で誰のトラックがお気に入り?

m:確かにこれはリミックスと言えるかもね。一つのステムを使って複数のトラックを作るのは、よくあることなんだ。何年もかけて集めた音をフォルダに入れていて、いつもリサイクルしている。このトラックはすでに完成していて、どこかでリリースしようと考えていたんだけど、《29 Speedway》のベンがNEXCYIAに提供を持ちかけてきたんだ。あのコンピレーションの中だと、Tati au Mielのトラックも好きだし、Pent & Dylan Kerrのも好きだ。彼らは素晴らしいよ。


2人のルーツミュージック

──どういう音楽を聴いて育ったの?

m:父は若い頃、地元のバンドでドラムを叩いていて、音楽はいつも身近にあった。ビートルズとかCCRとか、クラシック・ロックやブルース、ジャズもね。ずっと家にコンピューターがなかったから、幼少期はインターネットにアクセスできなかったんだ。けど、音楽番組のチャンネルは全部持っていた。MTV、ドイツのVIVA、フランスのMCM、その他名前を忘れたものからすべてを吸収した。

最初に買ったテープは、オフスプリング、リンプ・ビズキット、ブリトニー・スピアーズだったと思う。学校の友達がよく聴いていたしね。10代前半はウータンなどのラップをよく聴いていたし、最初に買ったCDはDMXの『Flesh Of My Flesh, Blood Of My Blood』だった。 クレイジーなアルバム・ジャケットだよね。

その後、キッド・カディの『Man On The Moon』のタイトル曲に参加しているノサッジ・シングから、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、Shlohmo、Clams Casinoの存在を知った。これらは初期に大きな影響を受けた。そのすべてが、いまでも僕の作品に反映されていると思う。

──君とは音楽遍歴が似ているよ。私には7歳離れた兄がいて、彼が流すラップロックやポップパンク、Y2Kポップスを聴いて育った。あの頃にラップロックから音楽を聴き始めると、自ずと趣味が広がるよね。ちなみに自慢だけど、ノサッジ・シングが初めてのインタビュー相手だったよ(笑)。

m:そう、特に90年代後半から00年代前半にかけて、ラップがメインストリームで爆発的に広まった時期だよね。最近、あの時代をちょっと懐かしく思っているんだ。BAPEのような狂ったような明るい色のファッション。クレイジーな時代。けど、あの頃にアンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックにもっとアクセスできていたらと思う。テツ・イノウエ、Spacetime Continuum、そしてShuttle358のようなアーティストを発見したのはずっと後のことだった。いろんな意味で、今の僕らや友達が作っているものと似ているんだ。

──その気持ちも凄く分かるよ……(笑)。でも、年齢的には不可能だったよね……。

N:僕は10代の頃に、様々な音楽に触れて育った。父はレコードを集めていたし、母はディー・ディー・ブリッジウォーターのマネージャー兼エージェントだった。クリスマスや誕生日にはたくさんのCDをもらったし、車の中ではいつも何かしらのプレイリストやミックステープが流れていた。父はザ・プロディジーの「Firestarter」をかけながら私を追いかけ回していた!(笑) でも、ジョン・マーティンの『Solid Air 』や『One World』も流れていた! 今でも日常的に聴いているヒップホップ、ネオソウル、R&B、メイシー・グレイの『On How Life is 』や、ローリン・ヒルの『The Miseducation』なんかもね。

一番古い記憶では、フージーズの『The Score』、ナスの『Illmatic』、その後はアウトキャストの『Stankonia』、N.E.R.D.の全アルバム、50セントの『Get Rich or Die Tryin』、ジェイ・Zの『The Black Album』を聴いていた。Diam’sの『Dans Ma Bulle』、Oxmo Puccinoの『L’amour est mort』など、フランスのラップにもたくさん触れたよ。

初期の頃にやっていた音楽に影響を与えたのは、ヒップホップやラップだった。初めて手に入れた機材は、ローランドのSP-404だったし。それから、2015年に重度の肺炎を患って入院した時に父が持ってきてくれたアンビエントのレコードを聴いたんだ。サウンドマングリングツールやAbletonを本格的に試し始めたのは2018年から2020年にかけてだよ。

──お母さんまで音楽業界の人なんだね! めちゃくちゃ羨ましい環境だよ。けど、これまでの話を聞いて、君の音楽にキング・クルールのような、現代ロンドンのブルースにあるダークなムードであったり、ループの感覚にヒップホップ的なセンスを感じていたのに納得がいったよ。

日本からの影響と、日本の音楽市場への視線

──日本には熱心な音楽ファンが多くいて、エッジィな音楽を取り扱うレコードストアは根強い人気をもっているんだ。NEXCYIAの今年リリースされたデビュー・アルバムは、京都の《Meditations》ってレコードストアが取り扱っていて、ソールドアウトになっていた。mu tateの全ての作品も、全ての店でソールドアウトになっている。君たちの音楽は、間違いなく日本の音楽ファンに届いているよ。そこで、君たちが影響を受けた日本の音楽、それと日本をマーケットとしてどう見ているか教えてほしい。

N:友人からNujabesの『Metaphorical Music』と『Modal Soul』を見せてもらったんだ。でも、その直後にDJ Krushの『Kemuri』に出会って、恋に落ちたんだ! 日本には行ったことがないし、機会があればプレイしてみたいよ。

m:ああ、Nujabesのその2枚のアルバムは特に印象深いよ。

N:あとは、Masayoshi Fujita、坂本龍一、冥丁なんかも好きだよ!

──ちょうどこの前、日本の古い屋敷で冥丁のライブを見たよ!

m:俺たちのレコードが日本に届いたことは知っているよ。 俺らのシーンの大きさを考えると、そんなに遠くまで伝わるなんてクレイジーだ。多くの人の心に響いたことに感謝している。思いつくところでは、テツ・イノウエ、Ultrafog、坂本龍一。それから芦川聡、越智義郎、吉村弘。高田みどりも素晴らしいアーティストだ。ロンドンの教会で彼のライブを見ることができた。そして、飛行機をハイジャックしたバンド、裸のラリーズだね。今、全部聴き直しているけど、これらを聴くのは久しぶりだ。一度は1ヶ月くらい日本に来たいね。少なくとも2、3週間は。最終的に日本での生活を経験するのは夢だね。

──よくそんなに知ってるね。日本人でも知らない人の方が多いよ(笑)。いつか君たちの来日公演を企画できたら光栄だけどね。話は変わるんだけど、mu tateの去年のレコードを買い逃して後悔してるんだよね……。

m:いくつか置いてあるから送るよ!

──マジで? サインも書いてよ!(笑)

Deconstructed Club/Post Clubという不確かで特異なジャンルと、彼らの外縁

──君たちの音楽は、基本的にはアンビエント、もしくはヤン・イェリネックのようなグリッチ・ミュージックにメンションされると思う。けど、ディコンストラクテッド/ポスト・クラブにもメンションされることもあるよね。ディコンストラクテッド・クラブといえば、OPNやアルカ、ソフィーが代表的な存在だけど、君たちはアンディ・ストットの流れにいると思う。ただ、音楽自体は大好きなんだけど、ネーミングがちょっと大雑把に感じるんだ。オルタナティヴ・ロックみたいにね。

一方で、ポスト・クラブという名前には好感がある。スペース・アフリカがあるインタヴューで、マンチェスターの通りをナイトクラビングする内に、漏れ聞こえる音楽が混ざり合って、彼らのダブテクノサウンドが生まれたと言っていた。それを読んで、このジャンルの本質に気づいたんだ。クラブで聴くための音楽ではなく、クラブでの断片的な記憶が、脳内のエコーチェンバーを経て生まれる音楽なんだって。君たちの音楽にはそれを感じるんだけど、どうかな?

N:正直に言うと、それらのジャンルについてはあまり詳しくないんだ。ちょっと恥ずかしいよ(笑)。2015年〜2017年ぐらいに、スウェーデンのプロデューサー、aircodeに出会ったときに初めて知ったと思う。当時の僕はオーディエンスだったけどね。結局、みんなその言葉が嫌いで、笑っていたと思う。けど、当時はすごくトレンディで、エモくてクールだったし、アウトサイダーたちが集まってシンコペーションされたビートに夢中になるムーブメントだったから、半分好きでもあった。

m:ディコンストラクテッド/ポスト・クラブといえば、2015年前後のグライム・クラブ・ミュージックを連想していた。君が挙げたアーティストが扱うような、金属的なパーカッションやガラスを割るサンプルとか。音楽はクールだったけど、ずっとこの言葉はおかしいと思っていた。

君の解釈はいいね。理にかなっている。君の言う通り、俺の音楽には常にクラブ・ミュージックの痕跡があるし、それは意図的なものだ。クラブ・ミュージックのエキサイティングなリズムを、自分の中で聴こえたように、そして好きなように、ドローンで掻き消すことに興味があるんだ。 

音楽のほとんどは深夜に録音していて、遠くから聞こえる「街の騒音の残滓」が、微かに入り込んでいる。それは、「日常的に耳にしていること」の俺なりの解釈でもあるんだ。長い間、無意識的なものだったんだけどね。それこそ、スペース・アフリカのジョシュ・イニャンとはよく話すんだけど、それが俺たちの音楽の共通点だと思う。イギリスでの生活に大きく影響されていて、そこには荒涼とした雰囲気や絶望感さえもある。でもそれがロマンチックなんだ。美化し過ぎかもしれないけどね。

──まさに君の音楽からそれを感じる。例えば、最新作の4曲目では、ノイズが虫の声にも聞こえる。夜中に聞いた虫の声が頭の中で増幅されているような感じ。ある種のフロー状態にある時の脳内エフェクトが再現されているような感じがする。

m:そう、生活の周りにあるものは常に強い影響力を持っていて、俺の場合はそれが顕著だ。それが伝わってよかった。

 

──スペース・アフリカの話になったけど、君たちは自らのいるシーンをどう規定している?

m:そうだな……Special Guest DJ、Ben Bondy、usof、Ulla、Pontiac Streator、Hysterical Love Project、Ultrafog、Igor Dyachenko、Mori Mori、Nueen、Jake Muir、Pent、stone、JS、J、Picnic、Perila、Space Afrika、recなんかがいるコミュニティがある。レーベルとしては《Motion Ward》(LA)、《3XL》(ベルリン)、《Living Room》(リスボン)、《Index》(グラスゴー)、《Theory Therapy 》(シドニー)、今は無き《C-》や《Daisart》などが中心となってね。

うん……名前についてはいい案を見たことがないな。俺らがやることはすべて、以前からあることの繰り返しのような気がするんだ。ジャングルのような画期的なものはない。 新しいジャンルとしてすぐに定義されるかは分からない。みんな様々なタイプの音楽に興味があるから、ひとつに決めるのは難しいんだと思う。アンビエント、ジャングル、トラップ、カントリー、ロック、ジャズ、ダウンテンポ、トリップホップなど、今のサウンドや、新しいプロダクションの手法に影響を受けたものなら何でもいいんだ。

環境が音楽に与える影響と、右傾化するヨーロッパ政治について

m:イギリスには常に最もパワフルな音楽があった。さっきも言ったけど、周囲の環境が憂鬱だったからだと思う。灰色で、荒涼としていて、ある意味では美しい。俺が育ったラトビアもそうだったから共感できた。NEXCYIAは、自分の音楽とイギリスでの生活について考えたことがある?

N:ああ、本当にそう思う! イギリスはすごく憂鬱になる国だから、僕が作る音楽も結局はその殺伐とした雰囲気を反映したものになると思うんだ。生活環境、食、天気……時に、人々がここでの悲しみを語るのを聞くだけで、僕のレコードにはそれが表れているような気がする。僕が録音するサウンドスケープには、いつもさまざまなムードがあり、それは私がこの国に抱いている愛と憎しみを象徴している! 10年住んでいても、家にいると感じたことは一度もないし、安っぽく聞こえるかもしれないけど、音楽はそういう暗い時のセラピーだったんだ。そうして、イギリスは素晴らしいアーティストを輩出してきた!

──それで言うとベルリンからの影響はどう? ヨーロッパの国々が右傾化しているけど、昨今の政治状況は、インディペンデントの音楽家にも影響があるのかな?

N:8月中旬にベルリンに引っ越してきて、1ヶ月が経とうとしている。物心ついたときからロンドンを離れたくてウズウズしていたし、気分転換の時期だと感じていた。 オンラインでつながっていた人たちにやっと会えるし、まだ訪れる機会のなかった空間を探検できることに興奮している。徐々にだろうけど、自分の音楽が進化していくのを感じる。新しい環境が新鮮なインスピレーションを与えてくれることを期待している。

とはいえ、現在の政治情勢、特に右翼的な政策の台頭は、実験的な音楽シーンに影響を与える可能性がある。前衛芸術や実験芸術に対する公的資金援助が優先されなくなれば、助成金や補助金、文化プログラムに頼っている音楽家は経済的支援の減少に直面するかもしれない。また、実験的な活動を主催していた会場へのアクセスも難しくなるかもしれない。しかし、政治的なシフトは芸術的な抵抗を刺激することもある。 僕を含め、音楽家たちは、自分たちの作品をより政治色の強いものにしたり、ラディカルなものにすることで、こうした課題を創造的な燃料に変えて対応するかもしれない。

m:まあでも、それは時期尚早かな。長い間、忍び寄ってきたことだから驚きはないよ。リベラル左派だってコインの裏表だ。不安はあるけど、反発なく収まることはないだろうね。状況が改善する前に、さらに悪化することもある。

──NEXCYIAの言っていることは、ヨーロッパのアーティストは勿論だけど、EU圏外からのアーティストに対してはより厳しくなる可能性があるよね。日本からも、ベルリンに移るアーティストは少なくないんだけど、ビッグピクチャーで見れば他人事ではないと思わされたよ。ただ、mu tateの言うように逆も然りで、そもそも国が潤っていなければ、助成金や補助金の財源も絞られる。市民が先を見越し、イコライザーとならなければいけない。


──NEXCYIAのアルバムの話をしよう。このアルバムを聴いて、私はThe Caretakerを思い出した。彼はアルツハイマー症候群についての大作を作ったけど、このアルバムもまた、記憶と、記憶の中のノイズを音で表現しているよね。記憶というのはぼやけていたり、モザイクがかかっていたり、切り刻まれているけど、アンビエントや、ノイズ、グリッチで、それがうまく表現されている。それでいて、ホームテープのサンプルを聴くたびに、とても懐かしい気持ちになる。このタイトルは、文字通り「出エジプト記」のメタファーだったりする?

N:『Exodus』をタイトルに選んだのは、1970年代にテキサスからカリフォルニアへと移った、私の家族の物語を綴ったアルバムだからだよ。だからある意味じゃ君の言う通り。感動的な雰囲気や、朽ち果てつつある想像上の街並みを捉えようと構成したんだけど、同時に繊細で美しい瞬間も導入しようと試みた。そう、僕の作品のほとんどは、記憶、アーカイブ、アイデンティティを探求している。この作品が自分にとって重要なのは、先人たちに敬意を表したかったからなんだ。

──mu tateはこの作品をどう聴いた?

N:正直に言ってくれよ(笑)。

m:この作品は本当に素晴らしいフロウを持っている。大小問わず、さまざまなヴェニューのライヴで何度も聴いてきたけど、ロンドンの《Barbican Centre》で聴いたのが良かった。お気に入りは2曲目の「Soak」だ。

──その曲は私もお気に入りだよ! あとは「Fade」と「Bend」も素晴らしい。アンビエントやビートも秀でているんだけど、ミックスが特に冴えている。この作品で活躍した機材や、お気に入りのプラグインは?

N:ありがとう!! ハードウェアは使わず、基本的にはラップトップだけだね。僕はAbletonを使っているんだけど、さまざまな周波数を徹底的にイコライジングし、リサンプリングし、さらにイジっていろんなテクスチャを生み出した。あと、流動性を高めるために、あえてグリッドを無効にしている。主にAbletonの純正プラグインを使っているんだけど、Robert HenkeによるGranulator 2/3がお気に入りだよ。

──そうだよね。オフグリッドではあるんだけど、なぜかグルーヴィーなのが君の音楽の特徴で、それがシグネチャーだと思うんだ。あと、Granulatorはやっぱり必須だよね(笑)。


──最後にmu tateの作品の話をしよう。この作品もまた素晴らしい作品だった。「欲を減らす」というタイトルの通り、ミニマル思考というか、そういうコンセプトがあったの?

m:『Wanting Less』は、ある種の自分への戒めなんだ。 期待値を下げたり、野心を抑制したりすることではなく、今あるもの、そして今の自分に満足することへの戒めだ。それはまた、ノイズのレイヤーを剥がして捨てることでもある。このアルバムのサウンドはかなり雑然としているが、音のパレットは「エレクトロニック」ではなく、より地に足のついたサンプルやフィールド・レコーディングを好んで使っている。コンセプトとしての「侘び寂び」は、私が伝えようとしていることに似ていると思う。

──そう、ノイズではあるけど、ノイジーではない。間違いなく音楽として機能していると思った。日本人の感覚からしても「侘び寂び」を正しく理解し、まさにテツ・イノウエのようなアーティストを思い起こさせたよ。ただ、リバーブやサウンドスケープは日本にはないもので、これが両立しているのが凄い。フィールド・レコーディングをしたと言ったけど、ロンドンの街を散歩しながら録音したの?

m:テツ・イノウエと比較されるのは非常に光栄だよ。このアルバムは2021年から2023年にかけて、ロンドンの自宅で制作した。フィールド・レコーディングの多くは、過去8年間住んでいた家から録音した。さっきも話したけど、部屋から聞こえる街の喧騒を利用したんだ。

──それじゃあロンドンでの生活の総括的な側面もあるんだね? 話は逸れるけど、「Sweat」のベースサウンドは一体どうなっているんだ?! チルな曲なんだけど、あのベースを聴くとじっとしていられない……。

m:ああ、確かに「総括」というのはいい表現かもしれない。 あのベースサウンドが大好きなんだ。このサンプルは前から持っていたんだけど、いくつか特定のキーの範囲内で弾いたときだけ、こんなにいい音になるんだ。だから、曲全体をこの音に合わせる必要があった。

──今作で最も重要な機材やプラグインを教えてほしい。また、初めて試したテクニックなんかはあった?

m:ステレオイメージのためにiZotopeのOzone Imagerを使ったし、現実の空間を再現するためにコンボリューションリバーブを使った。あとはたくさんのイコライザー。ほとんどFl Studioの付属プラグインだよ。サードパーティのものはあまり使わないんだ。当時は新しい作り方を見つけたんだろうけど、正直覚えていないんだ(笑)。クールなものの多くは、偶然や実験から生まれるからさ。

──なるほど。究極的にシンプルなプロダクションだったから、君の純粋なセンスが生々しく表現されたんだね。 個人的には前作が君の最高傑作だと思っていたけど、今作が塗り替えたかもしれない。NEXCYIAはこの作品をどう聴いた?

N:このアルバムはとても気に入っている! ライブで曲を聴けるのが本当に嬉しい! 好きな曲は 「Sweat」、「Spore」、「Some Days Felt Like Home」だけど、正直、アルバム全部をリピートしている! 彼のプロダクション・テクニックには、いつも感心させられる!

──そうだ、9月22日に一緒にライブをやるんだよね?

m:ああ、友人のArad Acidと共にね。

──彼もまた優れたタレントだよね! 《Soda Gong》のファンだからチェックしているよ。イベントの成功を祈っているし、いつか君たちのパフォーマンスが観れたらと思うよ。今回は長い時間、丁寧に答えてくれてありがとう!間違いなく貴重な時間だったよ!

m:ありがとう。楽しい会話だったよ。

N:こちらこそありがとう! 楽しい会話だったし、感謝でいっぱいだよ! ベルリンに来る時は連絡してね! いつでも歓迎するよ!


<了>


追記:mu tateのDJセットを見て


11月1日の深夜、代官山UNITで行われたイベントで、mu tateのDJセットを見た。会員/招待制のイベントであったが、彼のおかげで、AceMoMaや、Loukeman、Dazegxd、Physical Therapyなどなど、欧米の気鋭が一堂に会する、弩級のイベントを体験することができた。

前に演奏していたブルックリンのデュオ、Dekalb Worksのアンビエントなセットから引き継ぐようにして、まさに彼の得意とするアンビエントとグリッチが交わるトラックからスタート。ラグジュアリーなフロアだったこともあり、リバーブをかけたMixで自分の色を保ちながらも、空間にも寄り添う。ドラムンベースやブレイクビーツなど、強いビートで盛り上げながらも、ビートの音色で繋ぎながらJames Kのような近年のトリップホップにも寄りかかったり、UKドリルやグライムで流れを瓦解させるなど、スリリングでただただ面白い。彼とのインタヴューから受け取った、UKシーンへの愛着と、パーソナリティが詰まった1時間のセットであった。

一方で、その後に本人とも話したのだが、いつかライブセットを披露しにまた日本に戻ってきたいとも話してくれた。滞在中に日光東照宮にも訪れるそうだが、リアルな“侘び寂び”であったり、日本で受け取ったものを作品として昇華してくれることも非常に楽しみだ。(hiwatt)


DJ中のmu tate

Text By hiwatt


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