Back

音楽映画の海 Vol.14
映画『ビートルズのいた夏』
十代の夏の日を描く映画の底にあるアンチ・レイシズムの魂

19 July 2026 | By Kentaro Takahashi

忘れられぬ十代の夏の日の物語。そういう青春映画を過去に何本くらい観てきたか分からないが、この夏、日本公開された『ビートルズのいた夏』は衝撃的だった。ラストシーンの美しさに気絶しそうになり、こんな映画の作り方があるんだ、と観終わってしばらく、痺れていた。

映画の原題は『TWST:Things We Said Today』。日本では『ビートルズのいた夏』というタイトルで、ビートルズの映画のひとつとして、観客動員を狙った形だ。しかし、ビートルズへの興味で足を運んだ観客の中には失望した人も少なくないだろう。ビートルズに関していえば、その演奏シーンはないし、レアな記録映像や新しい証言に触れられる訳でもない。

映画はビートルズの1965年8月15日のニューヨーク、シェア・スタジアム公演を題材にはしているが、コンサートが始まる瞬間に終わる。映画の中では、時代状況を浮き彫りにするドキュメンタリーと、極めて私小説的な一夏の物語が同時進行する。それを成立させているのは、記録映像の中にぽつりぽつりとイラストレーションを描き加えていくというユニークな手法だ。

監督はアンドレイ・ウジカ。1951年生まれで、ルーマニア出身のドキュメンタリー映画の巨匠とされるが、日本では映画祭で作品が紹介されたことがある程度で、僕もこの映画を観るまで、その名を意識したことはなかった。イラストレーションを描いたのはフランスのヤン・ケビ。彼は1987年生まれで、ビートルズの活動期には生まれてもいない世代だ。本作では二人のコラボレーションが映画史上にも例をみないような詩的な構成美を生み出している。



1965年の実写フィルムの上にヤン・ケビのイラストレーションが描き加えられ、十代の夏の日の物語が綴られていく

さて、ここまで読んで、興味を惹かれた方はぜひ、映画を観て欲しいと思う。ただ、この映画は一度、観ただけでは、かなり飲み込みづらい作品だということは、言っておいた方が良いだろう。僕も初見時には、冒頭からの30分くらい、自分が何を観ているのか、よく分からなかった。ラストまで行き着いて、これは凄い映画だとは思ったものの、数々の疑問は抱えたままだった。

その後、たくさんの調べ物をして、史実を確認してから、もう一度観た。さらに、アンドレイ・ウジカ監督の過去作品もチェックして、もう一度観た。そして、ようやく多くのことが読み解けた。いや、今もすべてを理解したとは思えないのだが、以下、僕が読み解けた限りのことは書いてみることにする。



『The Autobiography of Nicolae Ceausescu』トレイラー

アンドレイ・ウジカ監督は1990年代以後、ドイツで映画を作り始めているが、その作風はかなり特殊なものだ。端的にいえば、彼はカメラを回さないドキュメンタリー作家なのだ。

え? 取材を重ね、どんな映像が撮れたか、どんな証言が得られたか、で勝負するのがドキュメンタリー映画の監督ではないのか?

そう思う人も多いだろうが、ウジカ監督はそういう通念の破壊者だった。代表作とされる1995年の『Out Of Present』も2010年の『The Autobiography of Nicolae Ceausescu』も映像は既存のものしか使っていない。前者は1991年から1992年にかけて、ソ連の宇宙ステーションに取り残された宇宙飛行士、セルゲイ・クリカレフのドキュメタリー。後者は1965年から1989年までルーマニアを支配した独裁者ニコラエ・チャウシェスクのドキュメンタリー。後者を例に取ると、「ニコラエ・チャウシェスクの自伝」というタイトルの通り、それはチャウシェスクの支配下で撮影された公式映像だけを使った映画だった。

ウジカ監督はそこにナレーションも加えない。あらたな取材で、誰かから証言を取るということもしない。既存の映像を材料に、編集の妙によって、チャウシェスクの狂気とルーマニアの凄惨な社会状況を描き出す3時間の映画を生み出しているのだ。このことを知って、僕はDJのような映画監督だな、とも思ったのだが、『Out Of Present』にはテクノ、トランス系の音楽が多く使われているところからすると、ウジカ監督がDJ文化に影響を受けている可能性は十分にありそうだ。



『Out Of Present』トレイラー

既存の映像をのみを使うという点では、映画『ビートルズのいた夏』もウジカ監督の過去作品と同じだ。使用されているのは1965年当時のニュース映像と個人が撮影した映像。その収集だけで、数年をかけているという。ただ、本作では既存の映像の上にヤン・ケビのイラストレーションが描き加えられる。さらに、二人の主人公の独白や取り巻く人々との会話が音声として加えられ、ドキュメンタリーとフィクションがミックスされた映画が構成される。

と言っても、何も知らずに映画を見始めると、しばらくは描きこまれるイラストの意味も分からない。最初はタイプライターの横にイラスト化された記者証が置かれているシーンからだ。それは主人公のジェフリー・オズボーンが手に入れたビートルズの記者会見に参加できる記者証なのだが、映画は何も説明しないまま、ビートルズが空港に降り立つシーンに続いていく。

4人が空港に降り立つシーン

ジェフリーの父親はジョー・オズボーンという実在のラジオDJだった。ジョー・オズボーンは《WMCA》というニューヨークのラジオ局の人気DJで、ビートルズをはじめとするブリティッシュ・インヴェイジョンの曲を積極的に紹介したことで知られる。MIX CLOUDには彼の1965年のクリスマス・ショーのアーカイヴがある。


ジョー・オズボーンの1965年12月24日の放送が聞けるMIX CLOUDのページ

ジェフリーはその父親のコネで、1965年8月13日にニューヨークの《Warwick New York》(ホテル・ワーウィック・ニューヨーク)で行われたビートルズの記者会見の記者証を手に入れる。ジェフリーも実在の人物で、1970年代以後、詩人として活動してきたことで知られるが、彼がビートルズの記者会見に参加したのが事実かどうかは疑わしい。ジェフリーがビートルズに質問を投げるシーンがあるが、その姿はイラストで記録映像に描き加えられている。

映画のタイムラインはビートルズがニューヨークに降り立った8月13日から《Shea Stadium》公演が行われる15日まで。その間にジェフリーが徘徊したニューヨークの街やコニー・アイランドの海岸などが当時の記録映像でスクリーンに映し出される。しかし、説明は一切ないので、一回観ただけでは、それがどこで、なぜ、その映像が挟み込まれたのか、分からないことが多かった。

映画のもう一人の主人公はフィラデルフィアからビートルズの《Shea Stadium》公演を観にやってくるジュディス・クリステンだ。彼女も実在の人物で、2010年に出版された『A Date with A Beatle』の著者として知られる。しかし、映画中の彼女の物語はフィクションだろう。『A Date with A Beatle』の著者のジュディス・クリステンは1964年2月にビートルズがJFK空港に降り立った時にもそこにいた熱烈なビートルマニアだ。友人達とドライヴして、万博を観てから、《Shea Stadium》に向かう映画中のジュディスはそこまでの追っかけには思えない。ジュディスのニューヨーク行きを追うカラーの映像は万博を観に行った誰かが撮影したアマチュア・フィルムで、コンサート会場に入っていくシーンは撮影されていない。



ジュディス・クリステンの著書『A Date With A Beatle』

購入はこちら



ジュディスは夢想的な女の子で、春から秋にかけては蝶を追いかけている。ジェフリーはなぜか、そんな女の子との出会いを予感している。そして、二人はそれぞれビートルズの《Shea Stadium》公演に向かう。そんな夏の日を描きつつ、映画は同時にその時、ロスアンジェルスで起こっていたことも映し出す。

ロスアンジェルスでは8月11日から人種差別を背景にした暴動が起きていた。サウスLAのワッツ地区で一週間も続き、34人が死亡、1000人以上が負傷、4000人以上が逮捕されたワッツ暴動だ。ニューヨークでの万博やビートルズの巨大コンサートとロスアンジェルスのワッツ暴動を対比することで、映画は1965年夏のアメリカの揺れ動く空気を観客に体感させようとする。これはとても理解しやすい。

しかし、僕はその理解だけでは何かが足りないようにも感じていた。映画のパンフレットでも各所での映画評でも、そこには多くの言葉が向けられている。だが、アンドレイ・ウジカ監督はなぜ、1964年のビートルズの最初のアメリカ公演ではなく、1965年の《Shea Stadium》公演を題材にしたのだろうか?

当時のアメリカはワッツ暴動以外にも多くの事件が起こった混乱期だった。1964年には公民権法が成立する一方で、マルコムXが暗殺された。トンキン湾事件が起こり、ヴェトナム戦争になだれ込んでいった。しかし、ウジカ監督はルーマニア生まれである。1965年8月にはまだ13歳だった。当時の彼はビートルズを知っていたのだろうか? ワッツ暴動を知っていたのだろうか? 共産圏のカーテンの向こうで知ることができたのだろうか?



映画中のワッツ暴動のシーン

1965年8月、ルーマニアこそは激動の時だった。同年7月にニコラエ・チャウシェスクが権力を握り、新憲法の制定に進んだ。それによって、国名もルーマニア人民共和国からルーマニア社会主義共和国に変わったのが1965年8月21日だ。それは24年間続く、チャウシェスクの独裁体制の始まりでもあった。

1965年8月15日のビートルズの《Shea Stadium》公演の裏側で起こっていたのはワッツ暴動だけではなかった。アンドレイ・ウジカは13歳にして、国が違う国になってしまう夏を体験していたのだ。

映画ではそんなことは語られないし、監督のインタヴューを読んでも言及されていない。しかし、本作を作るにあたって、ウジカ監督が彼自身の1965年の夏を振り返らなかったはずはない。十代の主人公の中には、同時期に十代だった彼自身の体験が内包されているに違いない。

映画の中では「蝶」がキーワードとなり、それが美しいラスト・シーンへと繋がっていく。ルーマニアはヨーロッパの中でも有数の蝶の国だと知ると、それも頷けてくる。「蝶」が何のシンボルであるかは、本稿の最後で書こう。



イギリスの海賊放送の草分けとして名高い《Radio Caroline》の船

ウジカ監督のバックグラウンドを辿っていくと、映画の中の不可解なシーンも背景が見えてくる。映画の冒頭で映し出されるのはイギリスの海賊放送の船だった。「Caroline」という船名が見える。《Radio Caroline》は1964年にスタートしたイギリスの最初の海賊放送局だ。

しかし、《Radio Caroline》はビートルズの《Shea Stadium》公演とは何の関わりもない。ジョー・オズボーンの《WMCA》の番組とも関係ない。かかる曲はビートルズではなくチャック・ベリーの「Roll Over Beethoven」。この冒頭のシーンは映画本編とは繋がりが悪い。だが、ウジカ監督が彼自身のビートルズ体験を語ったインタヴューを読んでみたら、そこにそれが置かれた理由も見えてきた。

驚いたことに、ルーマニア生まれのアンドレイ・ウジカは1964年、12歳の時にはビートルズを知っていたという。彼はルーマニア西部で生まれ、当時はユーゴスラビア国境近くの村で暮らしていた。そこはドイツ系の住民が多い地域で、西ドイツ在住の親戚が来訪して、ビートルズのレコードが持ち込んでいたのだそうだ。

加えて、彼は《Radio Luxembourg》の電波をキャッチしていた。《Radio Luxembourg》は1930年代からの歴史を持つルクセンブルグの民間放送局で、1950年代以後はヨーロッパ全域にポップ・ミュージックを流していた。イギリスの海賊放送もこの《Radio Luxembourg》の影響下に生まれている。



ラジオ・ルクセンブルグの歴史を辿るドキュメンタリー。1992年に閉局した後も、その高さ215mの送信塔は残っている

《Radio Luxembourg》ビートルズ・ヴァージョンの「Rock’n Roll Music」を聴いたウジカは、それに夢中になったという。同局の強力な電波のお陰で、ウジカは共産圏の文化統制の中でも、ビートルズ世代の若者になることができたのだ。チャック・ベリーの「Roll Over Beethoven」を流す《Radio Caroline》の映像は、間違いなく、そんなウジカ自身の経験と重なり合うものだろう。

ウジカはビートルズを通じて、ロックンロールを知った。ロックンロールの元となったのは、人種差別下に生まれたアメリカのブラック・ミュージックである。

ブラック・ミュージックを敬愛するイギリスのバンドの襲来は、アメリカの人種差別社会を揺るがすことにもなった。ビートルズは1964年の最初の米国ツアーを行う際に、観客席に人種隔離がある会場では演奏しない、という条項を契約に折り込んだ。11月の米フロリダ州ジャクソンビル公演では契約を盾に、実際に隔離のない観客席を勝ち取っている。

米国のドラマ・シリーズ『ゲット・レディ! 栄光のテンプテーションズ物語』には1964年に「My Girl」大ヒットさせたテンプテーションズが米南部をツアーするシーンがある。そこでは会場が白人エリア、黒人エリアに区切られていた。ところが、1年後に再びツアーすると、区切りはなくなっていたと語られる。これもビートルズの影響力を窺わせる話だ。

映画中ではチャック・ベリーに加えて、サム・クックやシャーリー・エリスの曲も流れる。ハーレムで黒人のブルーズマンがスティール・ギターを鳴らしながら歌うシーンもある。音楽的にはビートルズよりもブラック・ミュージックの色が濃い。さらに、《Shea Stadium》公演の前夜にジェフリーが足を運ぶナイトクラブの情景は、映画が携えたアンチ・レイシズムのメッセージを象徴するものだろう。

このシーンも説明がないので、それがどこなのか? 最初はまったく分からなかった。だが、「Wilt’s」と書かれた看板を調べてみると、それはバスケット・ボールのスーパースターだったウィルト・チェンバリンが経営する《Big Wilt’s Small Paradise》というクラブだと判明した。

134丁目にあったこのナイトクラブの歴史は1920年代のハーレム・ルネッサンス期に、黒人実業家のエドウィン・スモールが作った《Small’s Paradise》に遡る。そこでは若き日のマルコムXがウェイターを務めたこともあったという。1950年代にウィルト・チェンバリンがそれを買い取り、《Big Wilt’s Small Paradise》としてリニューアルした。ウィルトはそこを人種隔離のないナイトクラブとして運営した。



身長213cmのMBAのスーパースター、ウィルト・チェンバリンはハーレムに理想のナイトクラブを作った



映画中ではクラブで激しくツイスト・ダンスする人々が映し出される。キレッキレッのお洒落な黒人ダンサーもいれば、コンサバなネクタイ姿の白人のビジネスマンもいる。1970年代の《Paradise Garage》以降のニューヨークのクラブ伝説は多くのところで語られてきたが、1960年代にすでに《Small’s Paradise》のようなクラブが存在していたとは! この1965年の《Small’s Paradise》の内部映像は映画の中でも最も資料価値が高いものだろう。



映画の中心に置かれた1965年の《Big Wilt’s Small Paradise》で踊るダンサー達

映画の中心に置かれたそれは、人種差別のない、多様性を尊重する理想郷の提示でもある。そのダンス・シーンで使われた曲も興味深い。オーリー・トルヒーヨ&ザ・セインツというグループが1961年に放った「Twist and Freeze U.S.A」という曲だ。オーリー・トルヒーヨはデンバー出身。リッチー・ヴァレンスを売り出したデルフィ・レコードからのリリースもあるところからして、チカーノのロックンローラーだと思われる。そして、この曲はラジオ・ルクセンブルグの定番曲となり、ヨーロッパでもヒットしたのだそうだ。ということは、それはウジカ監督の少年時代の記憶と結びつく、こだわりの選曲に違いない。

Orlie and The Saints 「TWIST AND FREEZE – U.S.A」
コロラド出身のチカーノ・ロッカーの曲だが、1960年代初頭にヨーロッパでもヒットした

《Small’s Paradise》は朝の8時まで営業していたという。ビートルズを観に行く前の晩、ジェフリーはそこで夜を明かし、早朝の魚市場にさまよい出ていく。

さて、ここまで書いてくれば、「蝶」は何のシンボルか、分かってきただろうか。《Shea Stadium》でジェフリーは近くの客席にジュディスを見る。コンサートが始まると、ジュディスは髪の毛を揺らし、蝶となって宙に浮き上がる。蝶の羽根は片側は真っ白で、片側は虹色の模様を持っている。ジュディスは色白の白人の女の子だった。白は彼女の色。だが、ビートルズのコンサートは彼女に虹色の羽根も与えるのだ。そのレインボウ・カラーは言うまでもなく、多様性の象徴だ。

蝶になって舞い上がるのは、ジュディスだけではない。《Shea Stadium》の上空に向けて、無数の極彩色の蝶がはばたき、昇っていく。この幻想的なラスト・シーンは何を意味するのか?



シェア・スタジアムの上空に無数の蝶が舞い上がる映画のラスト・シーン

冒頭の《Radio Caroline》がウジカ監督の少年時代の記憶と結びつくものだとしたら、このラストもウジカ監督の少年時代、ルーマニアでの経験と関係があるに違いない。彼は《Shea Stadium》にはいなかった。しかし、当時のアンドレイ・ウジカも蝶になり、舞い上がったのだ。ビートルズの音楽に触れて。

蝶は自由な魂の象徴である。差別や抑圧に抗し、多様性を尊ぶ魂の象徴でもある。1965年8月に始まるチャウシェスクの独裁下でも、ウジカはそれを保ち続けた。ビートルズの音楽は世界中で、そんな蝶を無数に生み出した。ウジカ監督はこの映画で、そのことを表現したかったに違いない。

「Things We Said Today」は1964年にシングル盤「A Hard Day’s Night」のB面として発表されたビートルズの曲で、その歌詞は「今日という日の永遠性」を歌っているように思われる。映画はジェフリーとジュディスの忘れ得ぬ夏の日を描いた。ウジカ監督自身のそれがどんな日だったかは分からない。説明されることもないと思われる。しかし、それが存在したこと、今も彼の中に存在し続けていることは、この映画を通じて確信できる。それは時を超えて、魂に触れる、そんな経験である、と言ってもいい。(高橋健太郎)



Beatles「Things We Said Today」


Text By Kentaro Takahashi


『ビートルズがいた夏』

2026年7月4日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて 全国順次公開


監督・脚本:アンドレイ・ウジカ
編集・サウンドデザイン:ダナ・ブネスク
録音・ミキシング:ダナ・ブネスク、ギヨーム・ソリニャ
ドローイング・アニメーション:ヤン・ケビ
プロデューサー:ロナルド・シャマー、アナマリア・アントチ、アンドレイ・ウジカ
エグゼクティブ・プロデューサー:ヌレディン・エッサディ、アンダ・イオネスク、エルヴェ・シャンデス、ケント・ジョーンズ、アンナ・クーリヒ
出演:トミー・マッケイブ、テレーズ・アザラ、シェア・グラント、サラ・マクラスキー
配給:オンリー・ハーツ
©LES FILMS CAMÉLIA, MODERN ELECTRIC PICTURES, TANGAJ PRODUCTION, ARTE FRANCE CINÉMA, L’INSTITUT NATIONAL DE L’AUDIOVISUEL, 2024
公式サイト
http://twst.onlyhearts.co.jp


連載【音楽映画の海】

過去記事(画像をクリックすると一覧ページに飛べます)

1 2 3 89