「僕が世に出すものはすべて、純粋に、そして一切の妥協なく、ありのままの自分そのものだから」
──日本とイギリスをルーツにもつラッパー、コルツが語るアイデンティティと進化の軌跡
今、UKラップは間違いなく新たな局面に突入している。1990年代後期から2000年初期に生まれた世代はコロナ・パンデミックを経験し、2000年代のアメリカのヒップホップやミーム文化に強く魅了されたイギリスの若者たちは、今、独自のサウンドを響かせていると言えよう。彼らの多くは自らの出自に規定されるというよりも、パンデミックのあいだに主にインターネットを通じて音楽や文化を吸収し、自己表現の手段としてラップを始めたケースも少なくない。ヒップホップを参照するだけではなく、ハンナ・モンタナやアディソン・レイなどのポップ・カルチャー、インディー・ロックやオルタナティヴなサウンドなどを自由に取り入れ再解釈している点が新鮮だ。このような自由な姿勢は、新世代UKラップを中心に発信するロンドン拠点のインディペンデント・ラジオ・プラットフォーム《Victory Lap Radio》の発展にも繋がっていると言える。パンデミックの退屈は、そうしたコミュニティの広がりを後押ししただけでなく、ベッドルームで天井を見つめていた若者たちに音楽へと向かう微かな衝動を芽生えさせた。
ノース・ウェスト・ロンドンで生まれ育ったアーティスト、コルツ(Coults)にも、同じ事象が起こった。大阪出身の母親とイギリス人の父親を持つ彼は、ロックダウン中だった2021年に楽曲をリリースし始め、シングル「F&F」のヴァイラル・ヒット(Sped-upヴァージョンはSpotifyで1000万回以上の再生回数)で一躍名を馳せた。その後、UKアンダーグラウンドの“aesthetic(世界観)”を形作る仕掛け人、LAUZZAが手掛けた「IS IT COOL?」のMVもリリース。ファースト・アルバム『COULTURE』(2023年)からサード・アルバム『MEMBERS ONLY』(2024年)ではタフで冷血なストリート・ラップを披露していたが、昨年発表の『New Romantic』以降はニュージャズに急接近したようなトラックが多く、ラップもよりレイドバックした印象を受ける。USトラップに強く惹かれたという彼のラップは、楽器のように操られる声とハードなライミングで、聴き手を引き寄せる。昨年にはカリフォルニアで開催されたヒップホップ・フェスティヴァル、《Rolling Loud》にも出演し、イギリスに留まらない活躍ぶりだ。
しかし、その道のりは決して平坦だったわけではない。「あの曲(「Millionaire Shades」)は、そういう考えを持つみんなへの、巨大な“fuck you”っていうメッセージなんだ」と、25歳のラッパーは語る。従順な生き方を重んじるアジア系移民家庭で生まれ育つということは、ステレオタイプな人生を歩むことを期待されることも同時に意味し、そしてアートの分野において指標が少ないとされるアジア系のアーティストとして、どのようにラッパーとしてのキャリアを切り開いていったのか──。今回、そんなコルツへのインタヴューが実現。紫色のLEDライトに包まれたロンドンのスタジオから、リラックスした様子で、時折日本語を交えながら、キャリアの出発点から現在地、アイデンティティの変化、そして今後のリリースまで語ってくれた。その言葉の端々からは、ロンドンという都市の中で自らのアイデンティティを再定義しながら、独自の音楽を形作っていく現在進行形の姿が浮かび上がってくる。
(インタヴュー・文・訳/島岡奈央 写真提供/Coults)
Interview with Coults
──取材前に連絡を取っていた際、昨日まで大阪にいたと言っていましたね。最近、日本によく来られているようです。日本にいるときは普段どんなことをしていますか?
Coults(以下、C):母が大阪出身だから、大阪で叔母やいとこと一緒に過ごすことが多いね。東京には友達がいるから、東京に行ってショッピングをしたり撮影をしたりもするよ。実はイギリスで買い物をすることはほとんどないんだよ。それから鎌倉に行くのも好きだね。彼女がハワイ出身で、鎌倉にはハワイのような雰囲気があるから、二人でよく一緒に行くんだ。
──ロンドン北西部で生まれ育ったそうですが、どんなエリアでしょうか?
C:北西部はとても静かで平和な場所。特に目立った場所があるわけではないかな。レコーディング・スタジオがある東側のエリアに行ったり、セントラル・ロンドンに行くことも多いね。正直なところ、ロンドンはあまり好きではないんだ。だから、アメリカや日本に行くとすごくエキサイティングに感じる。ロンドンに来ればわかると思うよ。たぶん他の人も同じことを言うと思うね。食事は最悪だし、率直に言って、退屈なんだ。
──日本語で話す時は、関西弁で話されますよね。
C:ああ、そうだね。母とは日本語で話すんだけど、母は関西出身だから当然関西弁で話すことになる。だから“あかん”とか言うし、この前目がかぶれた時“めばちこ”って言ったんだけど、実は“ものもらい”って言うんだよね? 知らなかったよ。
──どんな文化に触れて育ちましたか?
C:子供の頃は、日本人専用の保育園に通ってたんだ。でも、途中でそこは辞めた。たぶん母は、僕が英語より日本語の方が上手になっちゃうんじゃないかと心配していたんだと思う。けど、主に日本の文化に触れていたよ。食事も、テレビで見るものも、遊んでいたおもちゃも。学校に持っていくお弁当も、納豆とかおにぎりとか、他の子供たちが不思議そうな顔をするようなものばかりだった。
──現地の子供にとって納豆はなかなかユニークだと思います。
C:友達はみんな「なんだこれ?」って感じだったよ(笑)。けど僕は納豆が大好きだからね。
──そうなんですね。お母さんの影響で幼い頃から楽器を弾いていたと聞きましたが、音楽一家で育ったんですか?
C:まあ、そうとも言えるかな。父は80年代初頭にギターを弾いてパンク・バンドをやってたし、母はピアノを弾いてたよ。母が子供の頃から音楽をさせようとしてくれたから、僕はかなり小さい頃からチェロとピアノを始めたんだ。
──そこからどうやってラップに興味を持ったんですか?
C:演奏しなきゃいけなかったからクラシック音楽をたくさん聴いてたけど、しばらくするとちょっと退屈になってきて、他のジャンルの音楽も聴き始めたんだ。友達が聞いてる音楽とか。時々、父が昔のハウス・ミュージックを聴かせてくれたり。環境は大きな要因だね。
──ラップに興味を持つきっかけになったアーティストを覚えていますか?
C:ありきたりな答えに聞こえるかもしれないけど、初めて「うわっ、こいつすごい!」と本気で思ったアーティストはトラヴィス・スコット。それまではラップなんて全く聴いていなかったけど、『Rodeo』(2015年)にすごく衝撃を受けたね。当時はイギリスの音楽は全く聴かずに、アメリカの音楽をたくさん聴いていたんだ。自分はイギリス人なのに、イギリスのラップはなかなか聴けなかった時期があった。自分には合わないと思っていたんだ。今では違うけどね。
──興味深いです。2010年代はグライムがすごく流行っていた時期でしたから。なぜグライムには共感できなかったんですか?
C:友達はみんな聴いてたし、彼らはリリックに共感もしてたと思う。ただ、僕にはどうしても共感しきれなかったんだ。僕はリラックスするのが好きなんだけど、あの手の音楽の多くはリラックスできるものじゃなかったから。
──そこからラップを始めたきっかけは?
C:コロナ禍のロックダウン中、すごく暇してて。ちょうどその頃、Lancey Fauxが頭角を現し始めていた時期だった。イギリス出身のラッパーをしっかりと聴いたのは彼が初めてで、本当に驚いたよ。あんなサウンドは今まで聞いたことがなかったから。もちろんアメリカで似たようなサウンドは知ってたけど、イギリスでそれを聴くのは新鮮だった。Nafe Smallzみたいなアーティストはすでにそのサウンドをやってたけど、Lanceyに関しては、僕にとってはまるで別世界のようだった。コロナで暇だったのもあったから、それで「ちょっとやってみようかな」って思ったんだ。音楽を作り始めて最初の1年は何もリリースしなかったし、全然真剣にやってなかった。でも2021年になって、ようやく音楽をリリースし始めたんだ。
──「F&F」は2022年にヴァイラル・ヒットとなりました。Instagramの投稿を見る限り、あなたは2024年に大学を卒業したようですが、ということは、ファースト・アルバム『COULTURE』をリリースした時はまだ学生だったんですか?
C:あの曲を作った時は学生だったよ。たぶん大学3年生の時だったと思う。大学ではヨーロッパ言語、主にフランス語を4年間専攻してた。フランス語なんて話せないのに!(笑)3年生で留学をしなきゃいけなくて、パリに行ったけどパリが好きになれなかったから離れたね。僕には合わなかったな。
──学生生活とラップのキャリアをどうやって両立していたんですか?
C:両立なんてしてなかったよ。どちらかといえば、学校生活より音楽生活の方が優先だった。授業には行かなかったし、その時にはもう学校には全然興味がなかったね。
──昨年リリースされた最新アルバム『New Romantic』は、Yeat、アイス・スパイス、カルディ・Bといったアーティストと仕事をしてきたLA在住のプロデューサー、Vennyとのコラボレーション作品ですね。このコラボレーションはどのようにして実現したのですか?
C:彼には「sour haribos」っていう、TikTokでバズっていたビートがあったんだ。その曲のディストリビューション担当から連絡があって、要するにそのビートを使って新曲を作ってほしいと頼まれた。それで、まず「Wyoming」(2024年)っていう曲を作った。Vennyはそれをすごく気に入ってくれて、その後さらにビートを送ってくれるようになったんだ。彼は日本人ではないけれど、彼が作るサウンドがどこか日本ぽくて、このコラボはすごくしっくりきた。彼のプロデューサー・タグも日本語だしね。去年、《Rolling Loud》のためにLAに行った時に彼と会って、そのまま一緒にレコーディングしたよ。
──キャリア初期のハードコアなスタイルからある意味で距離を置いて、リラックスしたサウンドに挑戦しているように見受けられます。
C:ある意味、最初のスタイルは自分らしくなかったんだ。自分でも居心地が悪いと感じるくらいにね。ただ人にウケようとしていただけだって、自分でもわかっていた。だったら他人に合わせるんじゃなくて、自分自身に響くものを作るべきだと思ったんだ。「Wyoming」をリリースした時、その曲には日本語のヴァースが1つ入ってるんだけど、たくさんの人が、「なんで今まで日本語でラップしなかったの?これ、誰もやってないことだよ」って言ってくれたんだ。実はそれまで自分の文化を前面に出すことにはずっと抵抗があったんだよね。それって別にそんなに面白いことじゃないって、なんとなく感じてたからかな。でも、それは間違った見方だったと思う。だって、自分の日本ルーツの部分ってとても魅力的だから。それに気づくまで数年かかったよ。
──「Millionaire Shades」という曲では、子供の頃の記憶や、未来に向けた心境についてエモーショナルにラップしています。
C:当時は、僕にできないことばかりに目を向けようとする人がたくさんいた気がする。あの曲は、そういう考えを持つみんなへの、巨大な“fuck you”っていうメッセージなんだ。彼らは僕が成し遂げたことを知っていながら、まだやり遂げていないことばかりを語りたがる。ネットっていつもそうなんだよね。誰に対してもいつもそうなんだよ。ほら、悪いニュースって、良いニュースよりクリック数が増えるからさ。過去には「もううんざりだ、ぶちまけてやる」と思った時期もあった。でも最近、僕の音楽はもっとハッピーな雰囲気になっていると思う。それは、今の自分がより幸せな人間になっている証かもしれない。2023年から2024年頃までは、正直今ほど幸せではなかった。間違った人たちに囲まれて、いろんなことを抱え込んでいた時期もあったんだ。
──イギリスのラップ・シーンにおけるアジア系の存在感は、依然としてかなり限られているように感じます。
C:たぶん、日英ミックスのラッパーは僕だけだと思うよ。
──そのことについてどう考えていますか?
C:僕が誰かにとっての希望になれていたら、それはクールなことだよ。だって、この立場の難しさを知っているから。アジア系の親が“タイガーママ”(過保護で厳しいアジア系の母親を意味する。主に欧米や英語圏において、アジア系移民の母親に対して使われることが多い)なことやその他諸々は、みんな知ってるでしょ。日本の母親はかなり“kibishii”(厳しい)ってね。5歳から11歳までKUMONにも通ってたよ。実際、僕は母親にすごく厳しく育てられた。子供の頃は本当に厳しかったんだ。母がしつけのためにやっていたことなんて、インタヴューで話すことすらできないと思う。でも大きくなって、幸いにも音楽を始められて、音楽を始めて1年もしないうちに結果が出始めた。母がその過程や結果を見てくれたのは良かったと思う。正直なところ、もし5年間音楽をやっていて結果が出ていなかったら、母は文字通り、本気で僕を勘当していたと思うから。
──お母さんはきっとすごく誇りに思っていると思います。
C:うん、今はすごく応援してくれてるよ。たまにロンドンのラジオで僕の曲が流れたりすると、母は音量を上げて、スクショや動画を送ってくれるんだ。
──去年、カリフォルニアのフェスティヴァル、《Rolling Loud》に出演しましたね。イギリスのラッパーとして、アメリカの主要なヒップホップ・フェスでパフォーマンスするのはどうでしたか?
C:本当にクレイジーだったよ。だって、普段YouTubeやTikTokで観ているような場所だったからね。それに、仲間たちもたくさん一緒に来てくれたんだ。最高の瞬間だったよ。また出られるといいな。
──また、YTやLen、SINN6Rといったイギリスのアーティストともコラボしています。最近のイギリスのラップ・シーンをどう見ていますか?
C:今のイギリスのシーンは本当に盛り上がってる。ここ数年のアメリカのシーンには、いわゆる“ミーム・ラップ”と呼べるようなものがたくさんあったと思う。音楽なんだけど、ちょっとジョークみたいな感じ。多くのアメリカ人がそれに少し飽きてきたから、今はインスピレーションや楽しみを求めてイギリスに目を向けているんだ。特に、数年前まではUKラップがアメリカでこれほど人気だったわけじゃなかったからね。今では、ドレイクがワイヤレス・フェスティヴァルでフェイクミンクを登場させたりしてる。状況は間違いなく変わったよ。
──日本のヒップホップは聴きますか?
C:JUMADIBAが大好きだよ。彼は本当にイケてるアーティストだと思う。僕の良い友達でもあり、数年前に彼がロンドンに来た時に会ったんだ。それからもう一人の友達、Tade Dustもね。彼は超才能がある。僕が日本にいた時に中野で会ったし、去年彼がロンドンに来た時には一緒に何曲かレコーディングもしたんだ。でも最近は昔の曲をよく聴いてる。70年代のアーティストなんだけど、山崎ハコが特に大好き。彼女の音楽をよく聴くね。
──新曲「Kichi Kichi」が最近リリースされましたが、このタイトルは実は京都にあるオムライスのお店に由来しているんですよね?
C:「Kichi Kichi」っていう曲名をつけたのには、特にエピソードはないんだ。歌詞の中で「シェフがオムライスを真ん中で割るように、札束を真ん中で割る」ってラップして、ワードプレイした感じ。それで、そのお店に行ってミュージック・ヴィデオを撮ろうってアイデアが浮かんだんだ。僕はとにかく曲をリリースしまくる。すべての曲がバズることを狙ってるわけじゃない。そんなのどうでもいい。
──今、次のアルバムを制作中だと聞きました。
C:新しいアルバムは『Homesick』ってタイトル。文字通り、それがこのプロジェクトのテーマそのものなんだ。日本っていう、いわゆる“故郷”に戻りたいという僕の切実な想いが詰まっている。間違いなく、僕の最高傑作だと言えるよ。僕はロンドン生まれのイギリス人だけど、毎日目が覚めると日本の朝食を食べて、母はNHKを見てる。ここに住みながら、常に日本のメディアや文化全般に浸っている。ユニークな日常だよ。(スマホで自分の服装を見せながら)ほら、今だってこうして、僕はKapitalのジーンズにバーバリー・ブラック・レーベルを着ているしね。
──日本のジーンズ・ブランドから名前をとった「Kapital」という曲もありますね。
C:そうそう! ジーンズを買いたくなるたびに、日本に行かなきゃいけないんだよ。ただ、日本に戻りたいという欲求が絶えずあるんだ。父側には、残っている家族がほとんどいなくて。父方の祖父母もいない。でも大阪には家族がいて僕は彼らととても仲が良いんだ。
──そういった欲求はいつ生まれましたか?
C:日本にいる家族と親しくなった頃からだね。子供の頃、日本には3年ほど住んでいて、親戚とはすごく仲が良かったんだ。でもその後、イギリスに戻らなければならなくなって、次第に日本のことを忘れていってしまった。振り返られるように写真や動画はいつも見ていたけど、あまり記憶に残っていなかったしイギリスに友達もいたから、それほど強い繋がりを感じてはいなかったんだ。でも、年を重ねるにつれて、日本の家族のことを話す機会が増えるにつれ、もっとつながりを感じたいと思うようになったよ。
──最近のリリースに日本のルーツを感じる曲が多くなっているのは、そういった変化もあってのことなんですね。その背景には、考え方や視点の変化があったのでしょうか?
C:ある意味、最初のスタイルは本来の自分じゃなかったんだ。居心地が悪くなるほどにね。他のみんなと同じような音楽を作っていたとも言えるかな。自分がシーンの一部だと思っていたし、そのシーンで流行っていた音楽のスタイルに合わせる必要があると思っていたから。でも、ある時一歩引いて考えてみて、自分にとって一番いいのは、自分らしさを貫いた音楽を作ることだと気づいたんだ。僕にとって、それはまさに自分を表現できる音楽ってこと。自分の文化を前面に出すことが一番だと気づいたんだ。それで、『New Romantic』が出来たんだ。今の僕の音楽を聴く人なら誰でも、僕が嘘をついているとか、自分ではない誰かになりすましているとは、もう言えないはず。そんなこと不可能だしね。なぜなら、僕が世に出すものはすべて、純粋に、そして一切の妥協なく、ありのままの自分そのものだから。
<了>
Text By Nao Shimaoka
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