象徴交換と忘却
祥子の場合(2026年8月2日)
南青山のフォト・スタジオには、今日もたくさんの衣装が運び込まれている。ベージュ、ブラウン、カーキ、くすみブルー……AWシーズンらしいカラー・バリエーションに、祥子は少し安堵する。数年前に試してみたパーソナルカラー診断や、ちょっと前にやった顔タイプ診断によると、祥子には落ち着いた色が合うようだった。
「ささ、顔、やっちゃいましょう」
スタジオのアシスタントたちが忙しなく駆け回っているのを横目に、馴染みのメイクさんに声をかけられる。職業柄なのか、メイクさんにはサバサバした性格の人が多いが、彼女はそのなかでも飛び抜けてサッパリしていてありがたい。祥子はここぞとばかりに片耳にイヤホンを挿して、インスタ、TikTok、YouTubeと、自身のアカウントを巡回していく。
「Shokoさん、いつも参考にしてます♪3着目のワンピースは154cmだとMサイズですかね?」
「お顔が優勝すぎる🧡」
「Shokoさま、いつもお綺麗に、されていて素晴らしいです👍ぼくちんもお仕事🏢🏢頑張っちゃいます😤」
「お肌がツヤツヤ!ケアどうしてますか?」
届いたコメントにいいねをつけて、必要そうなら返信する。モデルを始めた10年ほど前は、事務所がSNSを管理してくれていたが、5年前にフリーになってからというもの、管理はもちろん、自らの手で編集して動画を投稿するようになった。撮られることが生きがいだった祥子にとって、自分を撮ることも仕事の一部になるなんて思ってもみなかったことだ。でも、意外と違和感はなかった。撮っているのが誰であれ、撮られることは祥子にとって特別なことであり続けた。
「いいですね〜」
「最高!」
「かわいすぎる」
カメラマンが声を出しながらシャッターを切る。テンポよくポーズを切り替えながら、祥子は沸き立つ興奮に身を委ねる。これが私。本当の私。この瞬間のために、祥子はなんだってしてきた。
ケヴィンの場合(2026年8月12日)
「…おい、起きろよ。今日撮影しとかないとストックなくなるだろ」
「ああ、ごめん、寝ちゃってた」
「明日からスケジュール合わないんだから。わかってんのかよ」
相方の小言には慣れてきているが、なぜこうも偉そうなのか、ケヴィンは少し頭に来ながら目をこする。大柄で声のデカいブロンドの白人が、外国人らしいイントネーションでゴシップをバッサリ切りまくるというフォーマットを作ったのはたしかに相方のケンスケだ。おかげでバイトせず飯も食えるようになった。でも、批判は全部、ケヴィンに降りかかっていた。
「日本から出て行けハゲ」
「街で会ったら絶対○す」
「よその国で、よその人の話で飯食うカス」
「最近火力弱ない?」
「売名乙。まず漫才頑張れよ」
スマホを覗くと、SNSの通知が溜まっている。「チッ」とケンスケにも聞こえるように舌打ちをして身体を起こすと、俺だって本当はサンパチマイクの前に立って笑いを取る人生にしたかったよ、とケヴィンは心のなかで愚痴ってみる。最近は、うまく眠れていない。
庸一郎の場合(2026年8月15日)
「庸一郎さんには、まだまだ教えてもらわなきゃいけないことばっかりなんで。ええ、それじゃ3日後、朝6時に」
「はいはい」と気だるげに電話を切ると、庸一郎はソファに腰掛けて棚に目をやる。
『眠れぬ夜の絆』
『最後の映画館で、それぞれの映画と』
『戦慄のメタファー』
庸一郎が監督として手がけた作品のDVDが、そこにはズラリと並んでいる。いまだに名作と呼ばれる作品だって少なくない。庸一郎にとって、映画はすべてだった。デスクの上にある、現在撮影中の作品の台本には、しかし庸一郎の名前は載っていない。
きっかけは、3年前のスキャンダルだった。数十年前に関わった俳優が自死し、遺書に庸一郎の名前があった。彼のことを生前パワハラした人物がそこにはリスト化されていて、彼は映画業界に殺されたのだと、週刊誌は大々的に報じた。バブルを引きずった当時の現場と今の現場の感覚は違えど、パワハラがあったのは事実だった。「キャンセル・カルチャーってやつですね。世間はすぐに忘れますよ」と、励ましのつもりで後輩が話していて、実際その通りになった。とはいえ、業界内部で忘れられることはなく、現在は自分を信頼してくれている近しい関係者の頼みを聞いて、後進の育成という体で裏方のひとりとして、いわゆるミニシアター系の映画を撮っている。予算は少ないし、有名な俳優が出演することもない。まるでその昔、学友たちと初めて映画を作ろうと息巻いていたときのような感覚だった。庸一郎は、それにかつてないやりがいを感じていた。
祥子の場合(2026年8月2日②)
「お疲れ様です!30分休憩入れましょう」
ブランドのプロデューサーの碇が珍しく現場に来ていて、スタッフ全員に聞こえるよう声を張る。祥子は不自然に思いながらメイクルームに戻り、イヤホンを耳に挿して、YouTubeで最近ハマっている曲を流す。英語がわからないけれど、なんとなく何を歌っているかは映像から伝わってくる。カメラは銃と同じ。撃たれたことなんてないけど、きっと同じように生きてるって感じるはずだ。ワンカットの映像のなかに、撮られることの苦しみと快楽が詰まっていた。
「祥子ちゃん、休憩中悪いね」
肩を叩かれて我に返ると、碇が隣に申し訳なさそうな顔をして座っている。
「祥子ちゃん、本当にごめん。社長が若いインフルエンサーを使えってうるさくてさ。最近の子はみんな自分で撮ってるから、プロの現場も経験させた方がいいとか言ってて」
「そっか」と、祥子はできるだけ笑顔で応じる。
「だから次回からちょっとお試しで他の子にお願いすることになってね。いや、俺は祥子ちゃんがいいって言ったんだけどさ。ごめん。埋め合わせするから。仕事が落ち着いたら箱根とかで良い旅館取るからさ、また行こうよ」
スマホに目を戻すと、MVは終盤に差し掛かっている。そこに映るおじさん俳優の真似をして、祥子も自分のこめかみに銃の形にした指を突きつけてみる。ほんと、カメラって銃といっしょだ。
庸一郎の場合(2026年8月16日)
クランクインまでまだ空いている時間があったので、庸一郎は馴染みのレコード店に顔を出していた。外に出たことを後悔するほどの暑さに苛立ちながら、ハンカチで汗を拭っていると、面出しされたレコードが目に入る。スコセッシに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル……あと誰か。センスが良いのか悪いのかわからないが、興味のそそられる並びだ。
「これでしょ?新譜なんだけどちょっと聴いてみてよ。これはレコードとCDで違っていてね、CDの方の最後の曲がまた面白いんだ」
庸一郎のあれこれを知る店主が、矢継ぎ早に言って、店内のBGMを切り替える。オモチャのように歪んだギターのイントロから、女性の声が聞こえてきて、しばらくすると老いた男性の語りに変わる。聞いたことがあるような、ないような声だなと店主を見ると、なぜかニヤついた表情でこちらを見ている。
「クローネンバーグだよ。あんた、好きだったでしょう」
「へえ」と返事をしながら、庸一郎はもう一度音に集中する。オブリビオンイズフリーダム、たしかにクローネンバーグはそう言ったようだった。オブリビオン……忘却、忘却こそ自由、か。庸一郎はどうしようもなく嬉しくなって、CDを買って帰路に着いた。さあ、撮影の準備をしよう。
ケヴィンの場合(2026年8月19日)
「ケヴィン、お前、ちゃんとネタ集めてんのかよ」
「いいだろ、別に何してようが、それはお前の役目だろ」
ケヴィンは吐き捨てるように言って、Spotifyでお気に入りの曲を再生する。「And maybe I fucked your dad / Just kidding, I’m only saying that for effect(それとあんたのパパとヤッたかも/冗談だよ、ただ効果を得るために言ってるだけ)」。その通りだなと思う。善意も悪意もない。コメントを寄越す連中は、俺を同じ人間だと思ってないけど、俺もそいつらを同じ人間のように思ってない。ただの数字。金になればいい。それだけ。それがケヴィンにとっての芸能界になっていた。
「『映画監督・篠塚庸一郎が死去、ロケ中に崖から転落か?不審死との声も』だって。うーん、つーか誰だよこれ。パスパス。『人気インフルエンサー・Shokoが暴露!枕か脱ぐか、迫られた選択【本人提供㊙︎写真有り】』か、闇深そー。Shokoってもう30なのかよ。ババアが仕事無くして暴露で小銭稼ぎかねえ。これはアリっちゃアリか」
ケンスケが独り言のように直近のニュースを読み上げているのが、イヤホンの外からぼんやり聞こえる。どうでもいい。思考するのをやめて、ケヴィンはストロング缶を開けて喉に流し込む。近頃はこうしないと、声が思うように出せなくなっていた。
注目を浴び続ければ、いつか、誰かが、手を差し伸べてくれると思っていた。そのいつかがくる前に、自分たちが生んだ地獄に足を取られていることを、ケヴィンは理解し始めていた。そして、もがけばもがくほど、その地獄はズブズブと身体を飲み込んでいくのだった。
イヤホンからは、もう別の曲が流れている。「Yeah, we’re walking on a runway that goes straight to hell / I know(私たちは地獄へとまっすぐ続くランウェイを歩いてる/わかってる)」。もがき続けなきゃ。忘れ去られるまで。ケヴィンは、ケンスケの用意したほとんどメモの台本を開く。仕事の時間だ。
(高久大輝)
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