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「1971年よりも、1965年や1966年のサウンドがやりたい」
ジェイレン・ンゴンダがノーザン・ソウルの国から見つめる母国のブラック・ミュージック

17 September 2026 | By Masashi Yuno

メリーランド州ワシントンD.C.郊外で育ち、2014年、ポール・マッカートニーが設立したリヴァプール・パフォーミング・アーツ・インスティテュート(LIPA)への進学を機に渡英したジェイレン・ンゴンダ(Jalen Ngonda)。その後ロンドンを拠点とし、2023年にダップトーン・レコーズから発表したデビュー・アルバム『Come Around And Love Me』で、60年代から70年代初頭のソウルをいまの感覚で鳴らすシンガー・ソングライターとして注目を集めた。

セカンド・アルバム『Doctrine Of Love』では、彼が愛してきた60年代半ばのソウルやニューオーリンズR&B、フォーク・ロックへの眼差しを、より鮮明に打ち出している。日本メディア初のインタビューで聞いたのは、少年時代に家族のレコードから受け取ったブラック・アメリカン・ミュージック、英国でノーザン・ソウルと呼ばれる音楽への距離、リヴァプール移住がもたらした創作上の自由、そしてアナログ録音にもジャンル分けにも囚われない制作観。自身の来歴と新作を手がかりに、その音楽が過去の再現ではなく現在進行形である理由を探った。

(インタヴュー・文/油納将志 通訳/長谷川友美)

Interview with Jalen Ngonda

──11歳の時にラジオでザ・テンプテーションズを聴き、祖母からスタックスやモータウンの7インチ・シングルを譲り受けたことが音楽的ルーツだと伺っています。しかし13歳の当時、周囲の同世代がポップスやモダンな音楽を聴く中で、古い音楽に夢中になっていることでからかわれることもあったそうですね。

ジェイレン・ンゴンダ(以下、J):やっぱり世間の常識とは違うものに強い情熱を持っていると、特に子どもの頃は周囲から浮いてしまうことがありますよね。もし大人になってからモータウンやオールドスクールの音楽に出会っていたら、あんな風にからかわれることはなかったと思うんです。13歳の頃って、みんなが学校というコミュニティに馴染もうとして、「クールなやつ」だと思われたい時期じゃないですか。だから、少しでも普通と違うことをすると、からかわれたり笑われたりする。

でも、それはすべて僕にとって人格形成のプロセスだったんだと思います。もし最初から周りの誰もが僕を応援してくれていたら、音楽を始める中でちょっとでも挫折したりネガティヴな経験をしたりしただけで、すぐに諦めてしまっていたかもしれません。地元の教会でドラムを叩いたり、ホコリをかぶったシングルを聴いたり、60年代の音楽にのめり込んだり……そういった体験のすべてが、今のアーティストとしての自分を形作っています。

──2014年に地元コミュニティや教会の支援を受けてリヴァプール(LIPA)へ移住されました。それまでの環境から離れ、リヴァプールという音楽の街へ移り住んだことは、ご自身のソングライティングにどのような影響を与えましたか?

J:同調圧力とも言い換えられますが、あんなに従順さを求められるようなコミュニティからリヴァプールへ移住したので、当然その影響はありました。別に僕の地元が『ハンドメイズ・テイル(侍女の物語)』みたいな極端に閉鎖的な場所だったと言いたいわけじゃないんですよ(笑)。両親は僕や兄弟たちに、やりたいことを追求する自由を与えてくれていました。ただ、育った環境の影響もどうしても残りますよね。

リヴァプールに移ったことが僕の曲作りに与えた一番大きな影響は、単純に想像力が広がったということです。リヴァプールの街並みやクラブの風景を思い描けるようになったり、世の中のことを少しだけ広く知ることができたりした。気の合う仲間と出会って社交的に楽しむ経験が、僕のイメージを膨らませてくれました。地元にいた頃の楽しいことといえば、屋外にある配電盤にぶら下がってドラム代わりに叩いて遊ぶようなことだったから(笑)。

リヴァプールへ移った後に書いた曲も、相変わらず古いレコードにインスパイアされて書いていましたけれど、世界を広く見たことで、より自由に書ける自信がついたんだと思います。ワシントンD.C.エリアで育った頃は、「DCで流行っているものに合わせなきゃいけないのかな」「成功するにはもう少しモダンなR&Bっぽくした方がいいかな」なんて余計なことを考えていた部分がありました。でもリヴァプールへ行ったらシーンがまったく違っていた。そのおかげで少し青臭さが抜けて、自分らしく曲を書けるようになったんだと思います。

──英国ではノーザン・ソウル・シーンをはじめ、ヴィンテージ・ソウルに対する熱狂的な支持があります。アメリカ出身のあなたから見て、イギリスにおけるソウル・ミュージックの受け入れられ方をどう感じていますか?

J:イギリスに移住する前からノーザン・ソウルの存在は知っていました。アメリカとイギリスでは捉え方が違っていて、イギリスではノーザン・ソウルをひとつのジャンルやカルチャーとして扱っていますよね。でも僕の地元はまさにそのレコードが生まれた場所であって、当時は60年代から70年代初頭のヒットしなかったB面曲やマイナー曲に過ぎなかったわけです。ノーザン・ソウル・シーンで称賛されている曲の多くは、僕のおばあちゃんや叔母さん、叔父さんが持っていたレコードと同じ、ブラック・アメリカから生まれた音楽なんです。

イギリスは1950年代からずっとブラック・ミュージックを深く愛してきましたよね。ザ・ビートルズからザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンに至るまで、英国から生まれた偉大なバンドたちはみんな、ブルースやロックンロール、ソウル・ミュージックを心から愛していた。

ただ、ソウル・ミュージック自体は世界中で愛されている普遍的な音楽だと思っています。イギリスだけが特別というわけではなく、日本でもブラジルでも愛されている。もちろん、60年代風のサウンドをやれば、そうした音楽が大好きなイギリスの観客には強く響きます。でも、僕が何よりも大切にしているのは曲の良さそのものです。いくら60年代風のスタイルで作ったところで、曲が良くなければ誰も聴いてくれません。まずは良い曲を書いて、それから好きなスタイルに落とし込めばいい。少なくとも、もう一度聴きたいと思ってもらえるような楽曲を作ることを常に心がけています。

──新作『Doctrine Of Love』は、前作『Come Around And Love Me』の70年代初期的なアプローチから、さらに遡って、1968年前後の音世界に焦点を当てたそうですね。なぜこのサウンドを目指したのでしょうか?

J:僕は昔から70年代よりも60年代の音楽をよく聴くんです。ファースト・アルバムを作っていた時期は70年代初期のサウンドにもハマりつつ60年代も聴いていましたが、前作を出した後は、自分がやりたい方向性をより明確に伝えるようにしました。「1971年よりも、1965年や1966年のサウンドがやりたい」と。それでライター陣と一緒にその時代感を突き詰めていきました。レーベルからの指示ではなく、僕自身がそのサウンドへの愛を表現したかったんです。設定がさらに昔へ遡ったように聴こえるかもしれませんが、2026年の今となっては70年代も60年代も全部古い音楽ですからね(笑)。単にスタイルの違いであって、ビートの叩き方やアレンジのアプローチを変えたということなんです。

──アルバムタイトルの『Doctrine Of Love(愛の教義)』という言葉には、どのような意図が込められていますか?

J:正直に言うと、最初は内輪でただ「Doctrine」と呼んでいただけの言葉遊びだったんです(笑)。特に深い哲学的なコンセプトがあったわけではありません。「Anyone In Love」という曲を以前リリースしましたが、言っているテーマは同じ愛についてです。「Doctrine」という単語の響きがかっこよかったから使ってみた。言葉遊びとしてのおもしろさもあるし、アルバムのタイトルとしてうまく機能していると思います。その意味については、聴き手のみなさんが自由に解釈してくれればいいと思っています。

ちなみに、アルバムに収録された「Love Is Gone」は、実は6年前に書いた曲なんです。ファースト・アルバムの時にも収録しようとしたのですが、当時はしっくりくるアレンジが見つからなくて一度寝かせていました。セカンドの制作中に改めて見直したらすごく良いグルーヴが見つかったので、今回ついに収録することができました。ずっとお気に入りの曲だったので、世に出すことができて本当に嬉しいですね。

──所属レーベルのダップトーンは、アナログ・オープンテープ録音に徹底してこだわることで知られています。アナログ環境での制作についてどう捉えていますか?

J:ダップトーンはアナログ・サウンドに特化した名門レーベルで、ジ・セイクリッド・ソウルズやザ・ウーマック・シスターズ、ジ・アルトンズ、ジ・シンシアーズといったレーベルメイトたちもみんな同じようにアナログで録音しています。それがレーベルの美学でありカラーですから。

アーティストとしては、タイムスリップしたような気分になれて最高だとは思います。でも、テープ録音という手法自体の物珍しさはすぐに薄れていくものなんです。「ああ、それが僕らの録音方法なんだ」と割り切った後は、とにかく曲の純度と、その楽曲が何を求めているかに集中するだけ。もし今日レーベルから「これからはデジタルしか使わない」と言われたとしても、僕は全然拒否しないと思いますよ(笑)。

世間の方々はラジオで流れるダップトーンの曲だけを聴いて、僕のことをシンセサイザーを一切使わないレトロな人間だと思っているかもしれませんが、実はダップトーンでリリースした20曲足らずの楽曲よりも、モダンな楽器を使って作った曲の方が多いんです。2000年代に育ち、2010年代を生きてきた人間ですからね。2017年のシングル「I Need You」ではシンセサイザーやエレクトリック・ドラムを使いましたし、EPの「Don’t You Remember」はサイケデリックなサウンドでした。自宅で作っているデモの多くにも普通にシンセサイザーを取り入れています。僕にとってモダンな楽器を使うのはごく自然なことで、今後も探求していくつもりです。

──近年、デーモン・アルバーン率いるゴリラズの「The Mooncave」にゲスト・ヴォーカルとして参加されたことも話題になりました。自身のソウル作品とは異なる現代的なプロジェクトでの経験はいかがでしたか?

J:あのトラックはすべてデーモン・アルバーンの頭の中から生まれたもので、僕は完全にゲスト・ヴォーカリストとして参加しました。彼と知り合えて、一緒にスタジオでセッションできたのは素晴らしい体験でしたね。

音楽性の違いについて言えば、スタジオに入ってしまえば、お互いにひとりのミュージシャンでしかないんです。ジャンルなんていうものは、音楽業界が後から都合よく作り出した区分に過ぎません。音楽は音楽です。良い音で、フィーリングが合えば、どんなジャンルかなんて関係ない。相手がヒップホップだろうが、カントリーだろうが、ジャズだろうが、自分と相手の間で心が通じ合うものがあれば、僕は誰とでも一緒に音楽を作ります。ジャンルの分類なんて、その後の話ですよ。

──最後に、アルバム『Doctrine Of Love』全体を通して、日本のリスナーにどのように届いてほしいと考えていますか?

J:僕のファースト・アルバムもセカンド・アルバムも、特定の概念で括られたコンセプト・アルバムではないんです。すごくオールドスクールな手法で作られていて、60年代前半から半ばのアルバムのように、「その時期に書いた良い楽曲を集めた10曲のコレクションなんです。70年代に入ってからアーティスティックなコンセプト・アルバムが主流になりましたが、僕は1曲1曲を独立した素晴らしい楽曲として全力で作っています。

だから、マーヴィン・ゲイの『What’s Going On』やピンク・フロイドの『狂気』のように、1曲目から順番通りに通して聴かないと意味が分からない作品ではありません。どの曲から聴いてもいいし、ランダムや逆順で聴いても同じように楽しんでもらえるはずです。1曲1曲に僕のあらゆるエネルギーを注ぎ込んでいますので、日本のファンのみなさんにも自由な形・順番で楽しんでもらえたら嬉しいですね。

<了>


Text By Masashi Yuno

Interpretation By Yumi Hasegawa


Jalen Ngonda

『Doctrine Of Love』

LABEL : Daptone
RELEASE DATE : 2026.6.5
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Tower Records / HMV / Amazon

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