【未来は懐かしい】Vol.8
伝説的フォトグラファーが名盤『渚にて…』の後にプライベート録音していた
“イマジナリー”な未発表音源集
スティーヴ・ハイエットはUK生まれのギタリスト。60年代半ばからイアン・マシューズ(フェアポート・コンヴェンション〜マシューズ・サザン・コンフォート等)らと音楽活動をともにして、当時いくつかのシングル・リリースも経験している。黄金時代のロックやポップスの錚々たるアーティスト達との交流から写真家としての活動をスタートし、アート・ディレクター/デザイナーとしても活躍、後にはフランスを拠点に『VOGUE』や『Marie Claire』といった著名ファッション誌のフォトグラファーを努めたことでも知られる、まさしく伝説的なクリエイターだ。
そんなスティーヴ・ハイエットによる唯一のオリジナル・アルバム『渚にて…(Down On The Road By The Beach)』(1983年)は、ここ日本の《ギャルリー・ワタリ》(現ワタリウム美術館)での写真展示会に際して制作した作品で、実際にレコーディングも東京を中心として実施されたものだった。プロデューサー立川直樹の采配のもと、加藤和彦やムーンライダーズのメンバー、そしてニューヨークから一流セッション・ギタリストのエリオット・ランドールを召喚されて録音されたその内容は、当時風の語彙を用いるなら「環境音楽」の先端を行くようなものだった。とはいえども、例えばブライアン・イーノらによるシリアスなアンビエント・ミュージック風作品というわけではなく、かといって後に日本でも広く人気を集めた《Windham Hill》レーベル系のアコースティック・サウンドでもない、現代の語彙を用いるなら「バレアリック」なテクスチャをたっぷりと湛えた実にコンテンポラリーなリゾート・ミュージックだった。深くイコライジングを施されたハイエット本人のギターはそのファジーな音像ゆえに心地よい浮遊感を湛えたものでありながら、その実、フレージング面では時にブルージーとすら言えるテイストで、「Roll Over Beethoven」のカヴァーが収録されている通り、チャック・ベリーなどからも強く影響されたものだ。ただ心地よさを追い求めるだけではないそうしたプレイと、非常に空間的な効果に満ちたバッキングが一体となり、発売から30数年を経て、まさに「今こそ聴きたい」アルバムとなっているのだが、2017年に《ソニー・ミュージック・レーベルズ》から世界初CDリイシューされ、筆者周辺にも静かな熱狂が興ったのだった(同時期オリジナルLPを入手しその音楽に惚れ込んだ音楽家、Okada Takuroが、スティーヴ・ハイエット本人にアプローチの上、自身の作品『The Beach EP』(2018年)のアートワークへ氏のフォトグラフィーを使用、更に同作の中で『渚にて…』収録の「By The Pool」をカヴァーしたことも記憶に新しい)。
今回紹介する本作『Girls In The Grass』は、そのスティーヴ・ハイエットが『渚にて…』のリリースの後1986年から1997年にかけてプライベート録音していた貴重な未発表テープ音源をコンパイルしたアルバムである。一聴して感じるのは、『渚にて…』から引き続く流麗かつブルージーなギター・プレイの素晴らしさと、極めてインティメイトな質感のエレクトロニック・サウンドの融合だ。これまで、『渚にて…』でのサウンドは、もしかすると日本側のディレクションによって染め上げられたものだったのかもしれない、と予想していたところがあったのだが、これを聴くと、あくまでスティーヴ・ハイエット自身の美意識に駆動されていたものだったのだということが分かる。プライベート・テープという性質上、本作においてそういった志向がさらにプリミティブな手触りをまとうこことになっているのだが、簡素なリズム・ボックスやドラム・マシンを従えたそのサウンドは、現代における宅録音楽〜DTMとの共振を感じさせるものであるとも感じる。簡素ながら優れたハーモニー感覚を覗かせるギター・フレージングとその理知的な組み立ては、ギタリストとしては勿論、環境音楽家/ヴィジュアル・アーティストとしての彼のセンスを十二分に物語るものと言えよう。
特有の暖かなくぐもりに満ちたアナログ・テープ音質から、時代を進むごとに徐々にハイファイになっていく音像の変遷も面白く、デジタル・シンセサイザーの「いかにも90年代」なサウンドを聴かせるアルバム後半部は、『渚にて…』での美意識が時を経てアップデートされていくような面白さも味わうことが出来る。このあたり、もしかすると近年のニューエイジ・リバイバル以降の耳をもって接するにおいて、本作における一番の旨味ともいえるかもしれない。また、一部AORファンからも支持を受けてきた『渚にて…』だが、そういった視点からは特にこの後半パートにおけるデジタルなメロウネスを心地よく聴けるだろう(特にCDのみのボーナス・トラックとして収録された2曲「Coming Back Again」と「I Saw Your Car」にそういった傾向が顕著なので、マニア諸氏にはLP/配信とともにCD版もチェックすることをお勧めしたい)。
世に異分野クリエイター兼業ミュージシャンという存在は昔から少なくないが、優れたフォトグラファーたるスティーヴ・ハイエットがひっそりと作っていたこれらの音源に接すると、彼だからこそ作りえた風通しのいい音楽世界というのがじんわりと浮かび上がってくるようだ。スケープとして、あるいはアーキテクチャーとして音楽要素を捉えているかのような情景喚起的感覚は、DAWによるイマジナリーな音像操作がになった今だからこそ、他になかなか得難いチャームとして私達リスナーへ新鮮に届けられるものだろう。
追伸:ここ数年、癌に侵されその病魔と戦っていたスティヴ・ハイエットだが、大変残念なことに今年8月に79歳の生涯を閉じた。遺された音楽とともに、あまりにも素晴らしい写真作品の数々を通じて彼の死を悼みたい。(柴崎祐二)
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Text By Yuji Shibasaki