Review

The 1975: Notes on a Conditional Form

2020 / Interscope / Universal Music
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混沌の時代に愛を。苦悩しながら美しく踊る、
2020年のロックンロール

28 May 2020 | By Takumi Shida

まさに混迷の時代だ。2020年、新型コロナウイルスの脅威によって、移動や流通、都市生活、法律、医療、教育に至るまで、資本主義の下で積み上げられてきたあらゆるシステムの限界が露呈している。人々は収束を待ちながら自宅に籠り、オンライン上の民として1日の情報の大半を画面上から得ることになった。このような形でデジタル社会が加速していくのは予想外ではあったが、SNSが引き起こす悲惨な事件も含めて、前作『A Brief Inquiry Into Online Relationships』で描かれたインターネットのディストピアは、新たなディケイドの始まりにますます無視できないものとなっている。

そんな中、5月22日にThe 1975の最新作『Notes On A Conditional Form』がリリースされた。4枚目のアルバムとなる本作は、全22曲81分というまさに大作である。

まず、昨年夏に発表されていた2曲ーー環境保護活動家であるグレタ・トゥーンベリのスピーチをフィーチャーした「The 1975」、アグレッシブなハードコアパンク「People」で本作は幕を開ける。ここで歌われているのはリスクと向き合う必要性だ。「Love It If You Made It」で〈Modernity has failed us(近代化が我々の期待を裏切ってきた)〉と歌われたように、近代化が文明の発展と引き換えに置き土産にしていった様々なリスクのしわ寄せが、社会問題となって今の世代を苦しめている。我々はそれらを自分ごととして受け入れ、回避しつつも共存していかなければならない。核兵器や原発、地球温暖化などは最たるものだろう。インターネットが作り出す心の傷だって、決して例外ではない。本作は〈It is Time to Rebel(今こそ抵抗すべき時なのです)〉〈Wake Up!(目を覚ませ)〉と呼びかけ、世界と人との関わり方を見つめ直し、根底から意識と行動を変革しなければならないのだと訴える。『A Brief Inquiry Into Online Relationships』の続きに相応しい、より具体的なアクションの提示だ。

しかしその一方で、実際に行動に移すことの困難ささえも、マシューは自らの心理状態をひけらかしながら語っていく。精神不安定について歌うハウスナンバー「Frail State of Mind」、デジタルデトックスを題材にしたカントリー調の「The Birthday Party」、信仰とセクシュアリティの自白をフォーキーに奏でる「Jesus Christ 2005 God Bless America」、「人生が偽物に感じる」と歌ったメロウなR&B「Nothing Revealed / Everything Denied」、公と自己の狭間で揺れる心をデジタルクワイアに託した「What Should I Say」など……監視や強制を刷り込む現代社会は、知らず知らずのうちに人の心を蝕んでいるのだ。そして時より垣間見えるのは、孤独や精神的疲労の果てに、ここではないどこかへ行ってしまいたいという逃避的な感覚。ドラッグやアルコールやインターネットは一時的にはその扶助となり、束の間の快楽を感じさせてくれるだろう。しかし、逃避の果てにたどり着いた“どこか”には何もない。自分は何者なのかという葛藤、快楽を追い求めた先にある空虚ーーそれはスターダムを駆け上がったマシュー自身の苦悩であり、現代のユースが慢性的に抱え得る病でもある。

実のところ本作には、虚空を眺めながら想いに耽ったり踊ったりすることで、自分自身と向き合おうとする楽曲が少なくない。とりわけバンドのルーツであるエモや、囁くような歌と重なるフォークやカントリー、ハウスやダブステップを駆使したUK色の濃いエレクトロミュージックなどがその空気感を如実に表現している。「Conditional Form」という言葉に宿るある種の“不完全性”は人間の心そのものであり、ネット社会と資本主義の成れの果てでフラジャイルになっていく心のケアこそ、本作が描こうとしている内省なのかもしれない。

では、そんな迷路のような暗闇で、自分らしさを与えてくれるものは一体何だろうか。それはきっと、肌触りのするもの、温度を感じられるもの、家族や友人や愛する人とともに過ごす時間に尽きる。本作の終盤に用意された、マシューの父・ティムが作詞作曲した「Don’t Worry」は象徴的な楽曲で、恋をしているのにどうしていいか分からない時も、目が覚めて何曜日なのか分からなくても、どんなに辛い目にあっているのか誰も分かってくれなくても、〈Don’t worry, darling, ‘cause I’m here with you(心配しないで、君のそばにいるから)〉と歌う。まるで各曲の主人公たちにそっと語りかけるような、温かいラブソングだ。混沌とした世の中に決着をつけられるのは、大切な人への愛だけだと言わんばかりに。

ふと、Netflixのドラマ『SEX EDUCATiON』で主人公の父が放った印象的な台詞が脳裏をよぎった。

「When you’re young, you think that everybody out there really, really gets you. But, you know, actually, only a handful of them do. All the people who like you, despite your faults. And then if you discard them, they will never come back. So, when you meet those people, you should just hold on to them.(若い頃、周りにいる人全員の目が気になるものだ。でも本当に大事なのはほんのひと握りなんだ。欠点も含めてお前を愛してくれる人たち、その人達を裏切ると二度と取り戻せない。その人達を絶対に離すんじゃない)」

本作が行き着く結論は一見シンプルなもので、〈The moment that we started a band/ Was the best thing that ever happened(バンドを始めた瞬間こそが/人生で起きた最高の出来事だった)〉(「Guys」)と歌われて幕を閉じる。だが、自分を自分たらしめてくれる人に愛を伝えること、自分を信じてくれる人の手を取ることは、混迷を極める不透明な時代においても、確かな真実と居場所をもたらしてくれるはずだ。Apple Musicで公開されたドキュメンタリーフィルム『Behind The 1975’s Notes On A Conditional Form』の中で、マシューは「これは仲間がいることへの感謝を込めたアルバムだ」とも語っている。

「今こそ立ち上がらなけらばならない」と強く叫ぶ一方、すぐさま倒れそうになる脆い心も同時に曝け出す。そんな切実な二面性ーー晴れたと思ったらまた曇り、平静と焦りを繰り返すアルバム展開こそ、本作が出口なき時代のサウンドトラックである所以だ。社会問題に一喜一憂し、時に自暴自棄になりながらも、仲間の支えと愛を頼りに、着実に世界に言葉を届けていくマシューとバンドの姿は、多くの聴き手と同じ目線を共有していることを伝えてくれる。

最後に付け加えるなら、マシュー自身、その言動の両義性については自覚的であろうということ。現に彼は「もうインタビューに答えないかも」とも述べ、一定のポピュリズムに絡め取られる危険性を示唆している。ユースを代弁する傍ら、常に周囲を疑い、既存の枠組みを欺きながら、まだ見ぬ“仮定形”の土台の上に新たな自己を構築していくーーそれこそ彼らが社会と自己の間で創造する音楽。The 1975こそ、現代の苦悩の檻の中で美しく踊り続ける“ロックンロールバンド”なのである。(信太卓実)

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