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踊ってばかりの国: PRISM

2026 / FIVELATER
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歌う身体、解き放たれる身体

12 September 2026 | By Ren Terao

2025年に惜しくも営業を終了した味園ユニバースでのラスト・ライヴの映像では「ghost」(2019年)も演奏していて、「乗っ取って/僕を乗っ取って/身体はいらないから」というコーラスに観客のこぶしが力強く上がっていた。前作『On the shore』(2024年)ではアレンジの変化で実際には使用されなかったコードチェンジの幻を「Dsus4」と歌った。今作でもまた「コード左手、右手の指が泳ぐように」(「シーラカンス」)と小気味よくギターを鳴らすその身体をトレースしていた。

インタヴューにてフロントマンである下津光史(Vo,Gt)は「今作の『PRISM』では、メンバーのこともフィーチャーしたくて」と述べ、周囲の出来事をテーマにすることでソングライティングに刺激を入れようとしたようだ。しかし、それでも残るギターを弾き歌を歌う、あまりに濃い当事者性、その美しさが逃れようもなく刻まれている気がした。

互いのコンディションを確かめ合うようにセッションから始まる「PSYCHE STAR」がアルバムの口火を切り、2022年にリリースされたシングルの再録「ニーチェ」からアルバムの本題は始まる。スロー〜ミディアムテンポを中心にエネルギーを上乗せしていくグルーヴは、キャリアを通してたどり着いたサイケデリアの勝ち筋を体現しながら「唄を書いた」と、あまりに素直な言葉が紡がれる。続いて、ハイハットが疾走感を生みながら、アルペジオと言葉が同じ高度で空中を飛び交う「Blowin’ in the wind」への並びは、景色が開ける本作のピークの一つだろう。

日本語詞につきまとうモーラのもたつきを振り払うように、軽やかに鼓膜を揺らす。曲先でも詞先でもなく「曲と詞を同時に書く」という下津のエピソードを思い出しながら、その瑞々しさを肌で受け止めていると「全てを食べて/また言葉を生み/旋律に乗せるのが得意よ」と歌の中で先回りされてしまう。録音物に生じたこのリアルタイム性が曲に没入感を与える。

もちろん楽器隊も研ぎ澄まされている。近年のトリプルギターによるアルペジオやフィードバックの間を活かした透明感のある絡み合いが、ほのかに即興性も感じさせながら揺らぐ。特に丸山康太(Gt.)のジャズを取り入れながら異物感の強いアプローチは、洗練と奇跡待ちの瞬間を積み重ねたごときシグネチャーサウンドとして「酸性雨」や「6月の現状」に聴くことができる。

まぎれもない相乗効果だろう。身体(=歌を歌う当事者性)がヘッドホンを通して立ち上がる。聞き手が歌に巻き込まれる。“だからこそ”ゆらめくようなアルペジオ、爪先立ちでフリークアウトのキワを攻めるギター、ダビーな音響が非・身体的なサイケデリアを際立たせる。身体を自覚させた上で、身体から解き放つ。

語弊を恐れずに言えば、やるべきアプローチやスタンスが明確で一貫しているチームだ。今作に限らずだが、例えばボブ・ディランやフィッシュマンズといった影響をきわめて素直に明かし続けている。そのハードな叙情性は《URC》や関西フォークのムーブメントから、ステージ上でのイノセントな振る舞いは甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)から、それぞれ系譜を受け継いでいるのかもしれない。あるいは、betcover!!、カネコアヤノ、Hedigan’s、越冬などの後進が受け入れられる土壌をひっそりと育んできた、と考えるのは突飛だろうか。

しかし、踊ってばかりの国がシーンを動かしてきた、などと軽々しく言ってしまうのはしっくりこない。ポジションなど構うことなく、バンドアンサンブルの深みへ潜る、そんな彼らだからこそ言い放てる「音楽はやはり魔法」(「China Bike」)という言葉が、身体の中でリフレインする。踊ってばかりの国の10枚目のアルバムである。(寺尾錬)


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