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【未来は懐かしい】
Vol.73
10年間の「CDディグ」を経て、今思うこと
国産環境音楽〜ニューエイジの殿堂入り作品『風のオアシスII~森と水の物語~』を聴く

15 September 2026 | By Yuji Shibasaki

思い起こすと、私が日本の環境音楽やヒーリング〜ニューエイジ・ミュージックの中古CDを熱心に買い漁るようになったのは、今から10年ほど前のことだった。その当時の中古CD市場は、いまだ「ブルー・オーシャン」と呼ぶに相応しい状況で、今思うと信じられないような人気盤・レア盤が、比較的簡単に見つかったものだった。この間、それこそ数え切れないほどの膨大な作品を入手してきたが、まさに玉石混交、いかにもお手軽な作りのCDから、音楽的クオリティの高さに目を瞠ってしまうような傑作まで、多種多様の「ハズレ」と「アタリ」を延々とひきつづけて来たという実感がある。環境音楽〜ニューエイジの大々的なリバイバルなどを経て、さすがに近頃になるとかつてほどの衝撃的な「発掘」は少なくなってきたものの、それでも稀に未知の作品と出会うこともあり、日々の中古CD屋巡りは、トレンドとは無関係にほとんど自分にとってのライフワークのような営みになっている。

一方で、これだけ継続的に探索を続けていると、「おそらくこのジャンルにおいてこれ以上の内容を持つものは存在しないだろう」という確信を抱かされる作品のリスト──つまり「殿堂入り」作品の一覧が、自然とアタマの中で整理されてくるのだった。例を挙げるなら、吉村弘の『Wet Land』(1993年)、磯田健一郎の『プリオシンの浜辺』(1990年)、矢吹紫帆の『New Meditation』(1990年)、越智義朗の『Aqua – Water From Sanctuary』(1996年)などがそうした「殿堂入り作品」にあたるが、個人的に、それらと比肩するか、ひょっとするとより一層強い愛着を抱いているといいうる作品がある。それが、今回紹介する小久保隆の『風のオアシスII~森と水の物語~』だ。

本作のオリジナル盤は、環境音楽家/音環境デザイナーの小久保隆が、テイチク・エンタテインメントと共同展開していた“ION SERIES”の一環として、1993年にリリースしたものだ。小久保隆は、あの非常に印象深い──正しい意味で肝を冷やされるような──緊急地震速報の警報音や、電子マネーiDの決済音を手掛けたことでも知られるサウンド・アーティストであり、1970年代末から80年代にかけては、バッハ・リボリューション、ツトム・ヤマシタ、新月、坂本龍一らとの音楽活動を経験する傍ら、シンセサイザーを駆使した様々なアニメ作品のイメージ・アルバム作りにも関わってきた大ベテランである。環境音楽のフィールドでは、SANYOのエアコン購入者向けに作られた特典盤『Get At The Wave』(1987年)という代表作を残しており、同作の再発、および環境音楽リバイバルの決定打となった『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980–1990』へ同作からの楽曲が収録されたことで、国内外のマニアの間でにわかにその名が知られるようになったという経緯がある。

『風のオアシスII~森と水の物語~』は、そんな彼がかつて制作したニューエイジ系CD作品の中でも、現在最も高い人気を誇る存在といえる。同ジャンルのリバイバルが、例によってYouTubeのレコメンド機能等を介して広く拡大していったことはよく知られていると思うが、この『風のオアシスII~森と水の物語~』も、まさにそうした環境において急激に注目され、カルト・スタンダードとして奉じられるに至った作品だ。2019年にアップロードされたフルアルバムYouTube動画は現在500万再生を超えており、数ある同ジャンルの「定番」の中でも、ひときわ多くのリスナーに親しまれる存在となっている(今回のLP/CD両フォーマットでの再発も、まさにそうした動きを受けたものだろう)。

改めてじっくりと本作を味わってみて、感じ入らないではいられないのは、録音・整音クオリティの見事さと、高尚と低俗のどちらにもはまり込まないハーモニー構築のセンス、アレンジの秀逸さ、そして、それらに伴う全体のサウンドの眩いまでのきらめきである。自身の開発による3次元立体音響システム──人間の頭部と上半身を模したダミーヘッド型のバイノーラル録音装置を中心とする「サイバーフォニック」技術──を駆使して収録された山梨県武川村(当時)周辺の自然音は、数多ある自然音のフィールド・レコーディング作品と比べても、目覚ましいほどのクリアさとリアルな音場感を湛えており、特にヘッドホンで鑑賞したときの効果は相当のものだ。更に、そうした自然音と混じり合うように配置されたシンセサイザーのサウンドの瑞々しさも特筆すべきだ。深く広い残響を伴ったパッド・シンセの音と、シグネチャー的なディレイ・サウンドが絡み合う様は、ごく朴訥としたものでいながらも、同時に、それがゆえにかえって悠久の時間・空間感覚を想起させずにやまない。特に、M1「森の目覚め」で聞かれる繊細極まりない響きはどうだろう。環境音と楽器音が相互陥入的に浸し合っていくその様は、まさにサウンドスケープ思想以後の環境音楽実践の最良の部分を受け継いでいると評すことができると共に、音響構築物としての美学的な卓越性という意味においても、同時代のヒーリング・ミュージック・ジャンルにおいて出色のクオリティを打ち立てていると言っていいだろう(繰り返すが、全くもって難解なところがないシンプル――ポップとすらいえる――構造だからこそ、ある種の実用性を担保することが求められるヒーリング・ミュージックとして、特に卓越しているのだ)。

ところで、本作のジャケット表1面には、小久保による印象深いエッセイが載せられている。曰く──。

ある日、
イオンの森(武川村にある小久保のスタジオを囲む森――引用者)の奥深く
僕は小さな泉を見つけた。
清らかな水がたえず沸きあがり
森のたくわえていた、新しい力が動き始める。
ポツリと雨。稲妻が、天を切り裂く。
突然の激しい雷雨の中で、僕は記憶をたどる。
──あの遠い夏の日──
無限の可能性にみちていたあのころのことを。


国内外問わず、当時のニューエイジ系CDが、主に団塊〜ポスト団塊〜新人類世代を含む30〜50代の成人層に支持され、彼/彼女たちが日々の暮らしの喧騒から逃れるためのツールとして受け入れていたという事実に照らした時、この文章が、明らかに彼/彼女たちのノスタルジアを喚起させるような内容になっているというのは、特に印象深く感じられる。つまり、この文書によって言祝がれているのは、音楽と環境音の共存が喚起する(「大人」の作り手/聞き手による)子供時代への遡行的な時間感覚であり、そのことが同時に喚起する、一種のマルチモーダルな感覚の貴さなのである。

そしてこれは、私自身が初めて本作を聴いたときの感覚にも非常によく合致する。上に引いた文章を目にする前から、本作で描かれるサウンドスケープに触れた途端に、私はごく自然に、幼少年期の自らの目に映じた田園や森林の風景を喚起したし、ここに響き渡る深遠な電子音の連なりに、あのときに確かに抱いた自然への畏怖のようなものを、確かに感じ取った気がしたのだ。言ってみればそれは、かの時代の「大人」たちが素朴なノスタルジアを抱き得た時代=1990年代前半期への二重化されたノスタルジアであり、それが喚起する様々な記憶・風景・匂いへの二重化された郷愁だったのである。今考えてみれば、上の文章もそうだが、M2「夏の記憶」、M3「遙かなる青い星」というトラック名にも示唆されているように、ここでは、ほかでもない小久保自身が、そのような記憶と風景・匂いのマルチモーダリティの共鳴基となろうとし、実際になってくれているのだった。翻って考えてみれば、優れた環境音楽作家、およびサウンド・デザイナーというのは、まさにそのような共感覚的な回路を我がものとしつつ、優れた「製品」としてパッケージすることに長けた人物だと定義することすらできるのかもしれない。

そうした意味では、今回の再発盤でも、資生堂のアロマコロジー研究により制作されたオリジナル盤封入の香り付きジャケットもそのまま復刻してほしかったような気がするのだが、コスト的・技術的なハードルあってのことだろう、残念ながら付属していない。なので、できれば、手近にある「森のイオン」を感じさせるアロマ・オイルでも香りながら、じっくりと本作を味わってみて欲しいものである──などと書きながら、かつてこうしたCDを買い漁る日々の駆動力になっていた逆張りめいた諧謔心のようなものがすっかりと雲散霧消し、今やその「作品」としての潜在的な力に身を投げている自分を発見し、少し驚いてしまっているのも正直なところだ。まるで、かつて団塊〜ポスト団塊〜新人類世代を中心とした「大人」のリスナーたちが、こうしたCDに心身をほぐされ、「無限の可能性にみちていたあのころ」の記憶をくすぐられていたように、である。10年という月日を経て、今私やようやく、そう思える地点まで運ばれてきたのだ。しこしこと中古CDを掘り続けているつもりが、思えば遠くへ来たものである。(柴崎祐二)


Text By Yuji Shibasaki


小久保隆

『風のオアシスII〜森と水の物語〜』


2026年 / テイチク・エンタテインメント


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柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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