Review

Duster: In Dreams

2024 / Numero Group
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スロウコアは通底し続ける

29 September 2024 | By Nana Yoshizawa

TikTokでのシューゲイザー・ブームの要因の一つに空間に充満するムード、ライターらしからぬ表現をすれば、良い感じの雰囲気があるからだと思っている。ショート動画の“BGM”としてアルゴリズムにピックアップされる幻想的な楽曲は、日常の切り取りと相まって、悲しみやメランコリーに近い感情を引き起こすのだろうか。こうした現実と幻想を混淆するさまは、魔術的リアリズムのようだとも感じる。このTikTokのアルゴリズムやオンラインを通じて、新たな拡大を続けるのが90年代のスロウコアを代表するバンド、ダスターだ。2018年の再結成から現在はサンタクルーズを拠点とするダスターは、同年代のスロウコア・バンドで名の挙がる、ベッドヘッド、コデインらを凌ぐストリーミング再生数で、なかでもファースト・アルバム『Stratosphere』(1998年)に収録された「Inside Out」はTikTokで127億回ストリーミングを記録しているという。

スロウコア、それと接近するサッドコアは、確かにシューゲイザーと近いムードがある。ゆったりと進むメロディー、抑制されたミニマルなアルペジオ、その音数を引きのばす音響、苦悩や悲しみを綴った歌詞においても夢幻的な空間を作り上げるという点では共通している。さらに音響を構築していく様は、昨今のシューゲイザーやドリーム・ポップ、例えばニューダッドやCruush、エセル・ケインらの底流に漂っているゴスの要素とも親和性があると思う。上述した、魔術的リアリズムは一次世界大戦後の社会不安のなかで生まれた背景やゴス/ゴシック・ロマンスが描く社会的迫害にしても、今の時代と重なる部分を反映しているからこそ人を惹きつける力を持っているのではないかと個人的には感じている。TikTokとスロウコアの音楽的な相性においても、非現実と現実の狭間に入っていくような体感が共通点だろう。

こうした没入を、ダスターの5作目となる『In Dreams』は示すようだ。オープニング・トラック「Quiet Eyes」の簡素なメロディーの弾き語りは『Stratosphere』の頃を思い起こす、アナログの温もりに溢れている。続く「Aqua Tohana」ではストリングスに似たエフェクターの倍音が充満し、サイケデリックなスペース・ロックを奏でていく。神秘的なアルバム・タイトルの今作は、数曲ごとに断片的な繋がりとなってアルバムを構成しているようだった。ドローン・ミュージックに共通するギターの持続音、その波長が生み出す心地よさに身を任せていると「Isn’t Over」から場面が切り替わったことに気がつく。Lo-Fiに歪んだ音色のシンセサイザーとギターのユニゾンは、掠れたヴォーカルの切ない感情を引き立てている。そして今作において「Cosmotransporter」は、ダスターの歩んできたスロウコアという音楽性がシューゲイザー、ポストロック、ドリーム・ポップへと拡大してきたことを象徴する楽曲だ。ギターのノイズやフィードバックが幾つも重なるこの楽曲は、モグワイの奏でる静かな躍動、スロウダイヴの織りなすクリーンな歪みと音響が共存していることを思い出させてくれる。これまで以上にシンセサイザーとドラムマシンを導入した今作、その音響の拡がりはただ眩いだけでなく、得体のしれない宇宙の不安定さと隣り合わせのようだ。

ダスターの『In Dreams』を聴くと、スロウコアはテンポが遅い内省的なサウンドを指しているのではないとわかるはずだ。それは様々な音楽性へと通底してきたことや、メロディーを削ぎ落とすこと、音響、空間への拘りにとどまらない。もしかしたら、遅い歩みのリズムの間からノスタルジックな日常が浮かんでくるのかもしれないし、『In Dreams』という言葉通りに、靄のかかる淡い時間へと誘われるのかもしれない。(吉澤奈々)

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