音響としての発声と屈託ないポップスの両立にとことんまで尽力して完成させた初の“日本語ヴォーカル・ポップス”
岡田拓郎の発声、発音は、ファルセットの音域になればなおさらだが、そもそもが日本語では音響的に伝達が難しいところがある。逆に言えば、肉声をそのまま音響装置として機能させることができる稀有な喉の持ち主だということになるわけだが、つまりは森は生きている時代に、彼が格闘していたのは日本語ロック(ポップス)をそうした稀有な声で歌うことの難儀だった。岡田自身「日本語の帯域成分は母音子音の関係でロウを出さなきゃ言葉が聞こえない。でも、日本語で上品なロウ感、音圧を出すのは本当に難しい」と語っていたように、となるとミックスとマスタリングによって操作することが肝要になってくる。そこで今作起用されたのがニューヨークのグレッグ・カルビ。これまでに数え切れないほど多数の作品を手がけてきたベテラン・エンジニアだが、もちろん、岡田が決め手にしたのは、グリズリー・ベアの『ヴェッカーティメスト』だろう。
しかし、果たして、ここに届いたソロ名義での新曲は、そうした音響としての発声処理と、屈託ないポップスの両立にとことんまで尽力して完成させた、恐らくは初の“日本語ヴォーカル・ポップス”だ。彼が自ら歌ってきた過去の作品、少なくとも森は生きている時代の2作品ではなしえなかった立体的な肉声は、ロウを削ってもちゃんと残っている低音にしっかりと密着している。しかも、茶目っ気あるポップスとしての存在感も失われてはいない。8分の6のゆるやかな曲調が引き出す優美な景色、室内楽的なアレンジの妙味が描く密室感……わずか3分にも満たないこの曲にはいくつもの多面的な切り口が存在する。だが、この曲で着目してほしいのは、カーティス・メイフィールドへの憧憬さえ感じさせるその稀有な声という造形物だ。福岡の音楽家であるduennとのコラボ、プロデュース作業、映画のサントラなどの仕事で自身のクリエイティヴィティという名の承認欲求を満たしてきた岡田が、常に苦心していた自身の歌との決着をアルバムの中でみせてくれる時が、ようやく近づいている。(岡村詩野)
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