疲れ切っていてもなお闘い続ける人々へ
これは大人のレコードだと思う。余裕がある、などと言いたいわけではない。くたびれていて、闘い続けているのだ。
『Gentle Confrontation』を初めて再生したのはある雨の日だった。1曲めのタイトル・トラックから、わざとらしくメランコリックなシンセが聞こえ、それが濡れた路面と不意にマッチして少しノスタルジックな気分になったのを覚えている。そして、シンセが響く中に、けたたましいドラムが鳴って、曲の雰囲気が移行していったとき、『穏やかな対決』というアルバム・タイトルに、妙に納得したのだった。「すごく疲れているし、とても退屈だ」と独り言ちながら、艶やかに濡れた路面が陽光を浴びて本当の色を見せるように、ロレイン・ジェイムスはこれまで触れてこなかった過去に、今、光を当てて何かを探っている。
往々にして、人が過去の、とりわけ傷跡に向き合うのは、いや、向き合うことができるのは、自己を認識したあとのことだ。わたしにはこれができない、では、なぜできないのだろう。どうしてできなくなってしまったのだろう。繰り返す自問自答(セラピーなど他者が介入する場合も、音楽や絵画など表現がそれを後押しする場合もあるだろう)の先で、人は閉じていた重たい記憶の扉を開く。
打算があったわけではないだろう。ただジェイムスは図らずも前々作『Reflection』(2021年)で鏡をのぞきこみ、(労働階級出身のクィアな黒人女性として)孤独と不安を抱えた自らの中に希望を見出し、さらに前作『Building Something Beautiful For Me』(2022年)では、自身が再発明と呼ぶように、不遇のクィア黒人ミュージシャン、ジュリアス・イーストマンへのオマージュという形で自己のスタイルや態度をむしろ鮮明にした。それらは無論、白人男性優位のシーンでの闘いであり、自らを理解するプロセスでもあったと言えよう。
その先で、わかりやすく言えば『Gentle Confrontation』に収録されたいくつかのモノローグで、ジェイムスはまさに記憶の扉を開こうとしている。「わたしが7歳のとき、父は天国に行った」。例えばビートのない「2003」でジェイムスはぽつぽつと語り始める。もしくは「Cards With the Grandparents」からはカードをシャッフルする音と会話がサンプルされたトラックが不意に切り替わり、ジェイムスの声が聞こえる。「わたしは本当に祖父母とカードゲームする時間を大切にしてた/おじいちゃんはもう認知症だ/でも彼は今もクールだよ」
ジェイムスが多くを語らず、あくまで抽象的に伝えているのは、プライベートな問題を扱っているからなのかもしれないが、とはいえ、ゲスト・ヴォーカリストたちの歌はジェイムスが今も闘いの只中にいることを伝えているようでもある。IDMとR&Bが溶け合った「Let U Go」では「心臓を拾い上げて中を見ようとする/どうあがいても離れない/なぜ泣くのか、その核心が知りたくてたまらない」とKeiyaAのオートチューンのかかった歌が儚げに響き、 エデン・サマラが参加した「Try For Me」では「もう一度自分自身を理解したいんだと思う」という声が重なって聞こえる。
また、いくつかのインタヴューで、今作でこれまでよく聴いてきた──DNTELやテレフォン・テル・アヴィヴ、アメリカン・フットボール、ティンバランド、ダークチャイルドなど幅広い──音楽を独自に再解釈したとジェイムスが話しているように、サウンド面でも彼女は自身の過去にフォーカスしているようだ。だが、前作もそうであったように、それらは彼女の緻密かつ大胆なエレクトリック・サウンド・プロダクションのフィルターを通して、再発明されているように感じはしないだろうか。ここでは、アンビエント/ニューエイジをベースに、ときに親密なメロディが姿を現し、カオティックなドラム(「I DM U」ではブラック・ミディのモーガン・シンプソンによる驚異的な生ドラムだ)が混じり合っている。気だるく、美しく、激しく。入り組みながらもスムースに移り変わるムードはどこか懐かしさと新しさをリスナーに与え、何よりもジェイムスの今を伝えているだろう。
『Gentle Confrontation』で、ジェイムスはリスナーに向かって記憶の扉をおおっぴらに開け放っているわけではない。だが、少なくとも本作は彼女が過去と対峙し、着実に何かを掴み取ろうとしている様子を、つまり彼女の今を映し出している。「最後にはあなたがすべての言葉を見つけられることをわたしは知っている」。「Speechless」にあるジョージ・ライリーの感動的なフレーズは、闘い続ける者だけに真に届くはずだ。(高久大輝)
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