カオスを糧にして自在に飛び回るポップ・ミュージック
まずアルバム・タイトルとアートワークがクール。それらが端的に示すのは彼女の大胆さだ。欲望はときに、地下鉄で四つ這いになれるほど獰猛なエネルギーをもたらすだろう……。
キャロライン・ポラチェック名義では2作目となる本作は、彼女のポップへの情熱と野心を余すことなく解放したようなアルバムだ。チェアリフト時代のインディ・ポップを発展させ、多彩なサウンドで世間を驚かせた前作『Pang』(2019年)以上に幅広く、ややもすると過剰に思えるほどジャンルを横断してかき混ぜてみせる。時代がジャンル・ミックスからジャンル回帰へと移りつつあると言われる昨今だが(ビヨンセ『RENAISSANCE』など)、ここではほとんど開き直りに思えるほどエクレクティックなポップ・ミュージックが展開される。それが戦略的な作業に聴こえないのが本作の突出したところだ。オープニング、ポラチェックが天空に向けてソプラノで歌い上げるイントロで幕を開ける「Welcome to My Island」はすぐにリラックスしたラップに移るが、コーラスで彼女は「ディ、ザーイヤーーーーーッッ!!」と絶唱する。「ディ、ザーイヤーーーーーッッ!!」。この瞬間が本作のパワーを明確に象徴している。内なる情動を抑える必要などないことを、ポラチェックは身をもって示してみせるのだ。
前作に続き《PC Music》出身のダニー・L・ハールとの共同プロデュースによる本作は、いわばハイパーポップ以降の時代のマキシマム・ポップを謳歌するサウンドを志向している。シンセ・ポップ、ラップ/ヒップホップ、IDM/エレクトロニカ、アンビエントといったモダン・ポップスの基本的な要素はもちろんのこと、フラメンコやドミニカ音楽、ジャングルやケルティック・フォークまでもが引っ張り出され、オペラの歌唱法を学んだというポラチェックのヴォーカルは一曲のなかでも様々な表情を見せる。そしてたとえば、グライムスとダイドをフィーチャーした「Fly to You」はそのことで世代やシーンを越境しているだけでなく、ひょっとしたら彼女らがコラボレートしてきたアーティストの楽曲をも連想させて奔放に飛翔する。ポップはいつでも、どこにだって飛んでいけるというわけだ。そして、そのすべてをプロデューサーとしてコントロールし、シンガーとして(演じ分けるのではなく)憑依してみせるポラチェックの縦横自在な表現力には圧倒されてしまう。
これはある意味『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(Everything Everywhere All at Once)』(2022年)の時代のポップスとでも言えばいいのか、ありとあらゆることが同時に起こり、同時に消化しなければならない現代に生きるわたしたちの感覚をトレースしたものだとも捉えられるだろう。父親をCOVID-19で亡くしたばかりのポラチェックはその体験による混乱を隠していないが、同時に新たな恋愛が始まることでなかば暴力的な欲望が自分のなかに生じることも率直に描いている。しかも、それらは人生のなかで切り分けられるものではなく、ぶつかり合ったり混ざり合ったりしているものなのだと。カオティックでありながら調和的にも聴こえるこの音楽は、彼女が自分の生と対峙することで得た実感の表れではないだろうか。
テーブルの下で入力するセクスティング(性的なメッセージのやり取り)をソネットになぞらえる「Billions」は現代のライフスタイルを風刺すると同時に、詩的な瞬間があらゆる時間と場所に偏在していることを示しているように思える。トリップホップとエレクトロ・ポップをミックスし、室内楽や子どものクワイアをもまぶしてみせるこの曲は、刺激が溢れかえっている世界に身を任せることの快楽を音と歌で言い当ててしまっているのだ。キッチュなのにエレガントで、俗っぽいのにどこか神聖な響きを伴うキャロライン・ポラチェックのアヴァン・ポップは、エキセントリックであることを手段とも目的ともせず、ただそのままの状態として立ち上げてみせる。混乱も混沌も、そして、ポップの実験場ではわたし(たち)を生かすための動力に変換されるのだ、と。(木津毅)