流動的で有限的な現実生活に対する停滞の追求
現実世界は流動的と言える。さまざまな情報や価値観が更新され続け、何もかもが、状況が、目まぐるしく変わる忙しない時を我々は生きている。何もしないと、日常の何もかもが目の前を通り過ぎていってしまうような。その中で、突如訪れたロックダウンという“停滞”は一部の人々に時間を与えたかもしれない。しかし同時に、疫病と大勢の死がもたらしたその停滞は、何かの終わりに向かっていくような、そんな予感も確かにあった。そう、時間が与えられる中で人々に強まったのは、寧ろ有限性への意識ではないだろうか。
記録、または記憶装置としての音楽。フレッド・アゲイン『Actual Life 3(January1-September9 2022)』はロックダウン中に始まった連作『Actual Life』の3作目に当たる。日常の中で拾い集めた音を、内省的で密閉感のあるダンス・ミュージックに昇華させるこの音源集は、タイトルの日付の記載が示すとおり、まるで日記やスクラップブックのような様相を湛える、特異なプロジェクトと言っていい。
イギリスの若きプロデューサーが集める日常の音。それは聴いた音楽や会話、SNSのタイムラインから採集した現代的で流動的な音源の数々。コラージュのようにそれらをかき集めながら、出来上がる音楽はハードにビートを刻み、ヴォーカル・サンプルがループし、暗い部屋の中で反響する。2022年1月1日から9月9日まで。具体性に満ちたコンセプトを抽象的な音楽に転換させる。フレッド・アゲインによる『Actual Life 3』は、パーソナルな記憶の集積ながら、コンセプト・アートに振り切れたクールさを持っている。
徐々に人々が外の生活を(ダンスフロアの時間を)取り戻し始めた中で新たなスケッチとしてリリースされた3作目。その中でも、一際耳に残る音をとりあえず浚うのであれば、まずは3曲目「Delilah (pull me out of this)」。これは、Delilah Montaguの「Lost Keys」(2021年)をサンプリングした作品である。〈もうここには居たくない。私をここから連れ出して〉。どうにもならない孤独について歌ったこの曲を、敢えてダンス・ミュージックとしてリメイクしたこのトラックは、激しく、快楽的な音の中で響くことによって、Delilahのヴォーカルがより切なさを増す。
5曲目「Berwyn (all that i got is you)」はどうだろうか。〈隣人なんてどうでもいい。音楽を盛り上げろ〉。そう口にされるこの曲のサウンドは、センチメンタルなピアノのトラックで滑らかかつ切ない音色を奏でる。ヴォーカルの反響が、いずれ終わっていくもの、消えていくものへの儚い意識を強めるのに加え、それぞれ繰り返される言葉の意味性は、対照的な形で、サウンドに展開されているようにも聴こえる。音として鳴っている言葉に意識を向けた時、作品に別の表情が生まれる。
並べられる言葉、音、笑い声、ビート。それらは日常の素材としてサンプリングされるが、ダンス・ミュージックとして生まれ変わることの意味は大きい。刹那的で瞬間的な時間に、ダンスフロアという箱に、身を委ねる様は、まるで流動的な時代の中で、永続的な停滞を求めているようだ。ある種の停滞の時間。そこでこそ全ての流れていってしまうものたちを記憶できると。この時間が続いてほしい、ここに留まりたい、または抜け出したいという思いは、忙しない世界でこそ切実に聞こえる。停滞は、流動性や有限性、つまりは終わっていくことに対しての抵抗でもある。
孤独や人の温もりを求める様、悲しみや喜び。我々の生活にも確かに存在するような感情たちが浮遊するその空間で、有限的な時間の中で終わっていくものへの視座を持つフレッド・アゲインの音楽は、切なく響く。だからこそ、流動的に流れていってしまう生活の破片をかき集め、刻むように、記憶しようとする。その結果生み落とされたものを、我々は音楽と呼んでいるのかもしれない。フレッド・アゲイン『Actual Life 3』とは、メランコリックな世界で鳴る、我々の現実生活の反響である。(市川タツキ)
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