テレビ大陸音頭『VS Tairiku Ondo』クロスレビュー
あのとき見たまめっちは、ポストパンクの核心そのものだった
2023年、札幌の地に彗星のごとく現れたテレビ大陸音頭が2026年、ついにフルアルバム『VS Tairiku Ondo』をドロップした。2024年の異例のテレビ出演、様々なイベントでの引っ張りだこ状態を経て、2025年にはフジロックの「ROOKIE A GO-GO」へ出演。そして今年は見事、フジロックのステージRED MARQUEEでの出演権までも勝ち取っている。私は昨年のフジロック一日目、メンバーの千代谷竜司と鈴木隆太郎がFIELD OF HEAVENにある塔の上によじ登り、KIRINJIを観て無邪気に楽しんでいるのを見かけた。確か鈴木の方が、あのテレビ出演時にも着用していた「たまごっちのキャラクター・まめっち」の総柄ショート丈セットアップを着ていた。バンド名の初期候補が「日本のギャルたち」だったとか、ある日のライブで嵐の「Happiness」を突如カバーしてみせるとか、情報を得れば得るほど、彼らが規格外の斜め上を突っ走る存在であることが伺える。この「何をしでかすか分からない」ワクワク感は本当に久しぶりだ。
先行配信された「俺に真実を教えてくれ!!」や、当アルバム新録の「直撃世代」を聴けば、ポストパンクの幸福な蓄積を感じずにはいられない。執拗に繰り返されるギターとベースのリフ、特徴的な変則リズムを刻むドラムの音。そこに乗るメロディーレスで素直な(それゆえに老若男女問わず突き刺さる)歌詞が、自己の逸脱と鬱憤、そして情けなさのストレートパンチを容赦なく繰り出す。一転して「異次元の暮らし」や「hentai」では、ガロ系の漫画家が描くようなシュールな世界観が炸裂する。しかし、その陽気なメロディーや畳みかける展開の底には、曲の主人公が抱くひりついた孤独や疎外感がそっと置かれているのだ。
「君は本当にPUREだね」では後半、ミキサーやエフェクトによって音がぐにゃぐにゃと早送りされていく。だが「なおかつ結構っっしぶといね」を合図に、我に返るように元のキレッキレのリフとリズムが牙を剥く。その強引な引き戻され方が、どうしようもない厳しい現実を突きつけられているようで、なぜか無性に泣けてくる。「超常現象を信んじてみる。」では、歌詞の中で主人公が友達を「殺して」いる。もちろんこの言葉の概念は、心理的な距離を置くといった様々な意味に捉えられるだろう。そのこじれた関係を元に戻したくなったとき、修復の工程を思うと億劫さが勝ち、いっそ超常現象のような突拍子もない奇跡を信じてみたくなる。そうして行動を起こさないまま、いつの間にか日が暮れていくのだ。そこにサッポロ系エモーショナルに影響を受けた、NUMBER GIRLを思わせる鋭利なギターリフやコードが響き渡り、戸借晴亜のベースとヤナガワヒロトのドラムがドカドカと暴れ出す。切なさと衝動が荒れ狂った後に、夕焼け空だけが綺麗に残るのだ。もしかしてこれは、バンド音楽界の新体操ですか?
そして「夜について」では、電子ドラムとシンセサウンドと共に、bloodthirsty butchersに代表されるような、あの北国特有の圧倒的な叙情性が急に牙を剥く。歌詞のあまりの素直さに「夕方に起きたのに夜はぐっすり寝るんかい!」と突っ込まずにはいられないけれども、テレビ大陸音頭の健やかさは、まさにその生活リズムによって保たれているのだと思えば妙に納得がいく。
ところで、まめっちはいつだって人気で優秀なキャラクターだが、勉強熱心ゆえに苦手な分野だってある。何よりたまごっちは、細かくお世話をしないとすぐにうんちを溜めるし、生まれてから死ぬまでのサイクルがどうやったって短い。けれど、彼らは何度でも復活するし、いつでも新鮮に愛されている。もしメンバーが、たまごっちの「こまめなケアが必要な繊細さ」や「刹那的な生と死、そして何度でも蘇るタフさ」を無意識にバンドサウンドや歌詞に落とし込んでいるのだとしたら、それはもうポストパンクたる生き方の体現でしかないのではないか。
2026年に生きる私たちは、2006年生まれの彼らに対して敬意を示す時が来たのだ。そして、ポストパンクは愛嬌があってこそ成り立つ。彼らのVS(対決)の歴史は、ここからさらに加速していく。
(ぽっぷ)
テレビ大陸音頭は、POLYSICSである(ではない)
テレビ大陸音頭『VS Tairiku Ondo』を聴いていると、初期POLYSICSを思い出す。同じタイプの引っかかりや、つっかかりがある。衝動が飛び出すようなボーカルといい、その背後で刻まれる演奏といい。そして語感に奉仕しながらユーモアを仕込んだ歌詞も。そう思ったのは本人たちのインタヴューを読んだり衣装や影響源を見くらべたりした結果ではなく、やはりまず音の感触なのだ。あとで読んだら、テレビ大陸音頭の千代谷竜司とPOLYSICSのハヤシは偶然にも、二人ともディーヴォ版「(I Can’t Get No) Satisfaction」の曲名を話題に挙げている。小学6年生だった千代谷は、その演奏を「カクカクしてるけどファンキー」として受け取ったと話している。いっぽうハヤシは、シンセが入っていないのに「テクノを感じる」と語り、ディーヴォには「汗」があるとも話した。機械のような硬質な反復と、人間が演奏する熱感。わたしが2つのバンドに感じた近さを、両者のフロントマンも同一の曲からすでに聴き取っていた。
打ち込みで作った複雑なフレーズを生身のバンドで鳴らすテレビ大陸音頭と、打ち込みが引っ張るグルーヴとバンドのライブ感のあいだで葛藤をおこしたPOLYSICS。それらのいくつかが重なると、整然としているのにぶっ壊れ、ふざけているようで切迫した音楽があらわれる。外面から比較することも容易である。POLYSICSは揃いのバイザーやツナギをまとって食パンを投げたし、千代谷はリコーダーを吹き、逆立ちし、フライパンを叩くという。リコーダーといえばPOLYSICSの「I My Me Mine」でもあるが、ともかく両者とも観客を驚かせることを意図的にえらんできた。
連想ゲームを繰り返すことになろうが許してほしい。POLYSICS・ハヤシは少年時代に筋肉少女帯に親しんだ背景があり、その後「SCHIZOID VOW!!」などの楽曲にみるようにキング・クリムゾンなどの影響も吸収していったこと。パンキッシュな佇まいとは裏腹にハードロック〜プログレッシブ・ロック的な想像力をもち、バンドの演奏もテクニカルになっていく。テレビ大陸音頭は、たとえば「俺に真実を教えてくれ!!」で変則的なリズムと鋭いリフが乱反射をおこし、「異次元の暮らし」のヘビーな半音階リフは地響きのように鳴る。これは彼らがブラック・ミディ経由でキング・クリムゾンにまで手をのばしたように聴こえる。「直撃世代」はディーヴォの下流にあるリフロックという点で、POLYSICS「Married To A Frenchman」と共振するし、千代谷のやけっぱちなボーカルは、POLYSICS「go ahead now!」のマグマみたいな内部衝動と相似形をなしている。歌詞も、意味を考えるまえに、声をだしたときの勢いと可笑しさが曲を駆動する。「Hi (Hi) / I have a healthy」(「Nice」)と切断された英語を放るPOLYSICSの隣で、「真っ昼間にタイムフライズを/実現させたよ!!暇すぎるから!」(「俺に真実を教えてくれ!!」)、「本当に登山口だよ」(「直撃世代」)といったフレーズは、うーん、言ってみたくなる力がある。
両者の近さはまだ説明しきれない。テレビ大陸音頭とDYGLの対談によれば、千代谷はiPhoneのGarageBandへギターを指で打ち込み、そのフレーズを札幌のスタジオへ持っていくのだとか。画面のうえなら簡単に配置できる音も、ギターで弾こうとすると運指がおかしくなる。それを鈴木隆太郎が「人っぽく」直して弾く。
お前、今どっちの話だ?
POLYSICSにも打ち込みと生演奏のあいだを行き来してきた歴史がある。ハヤシはギターの手癖を排除するために、シンセの打ち込みでメインリフを作ることがある。そもそも彼は中学時代、小型キーボードのリズムを録音し、シンセや音を重ねる宅録を始めている。高校時代にはリズムマシンに合わせて歌い叫び、ギターやベースを鳴らした。前身バンドのリズムミンチは、ドラムレスでシーケンスと同期してライブをしていたという。このあたりはBARKSの回顧記事でも読める。POLYSICSが身体をシーケンスのライン上に押し込めつづける音楽だとすれば、テレビ大陸音頭は、打ち込みの不自然さを4人の身体が引き受け、よろめきながら走りつづける音楽。とりわけ鈴木のギターが打ち込みから生演奏に変換する負荷を担っている。iPhoneの画面で生まれたフレーズを、人間の指が届くかたちに直しながら、他のギタリストがえらばない運指に残す。テレビ大陸音頭は、シンセの電子音以上に、ギターの指つきに打ち込みの痕跡があらわれる。
ディーヴォ版「(I Can’t Get No) Satisfaction」に話を戻す。二人が同じ曲にたどり着くまでのルートは、まさに30年近くの世代の隔たりを映している。ハヤシは年上の知人から譲られた雑誌『宝島』のバックナンバーを読み、ヒカシュー、P-MODEL、プラスチックスからディーヴォへ進んだ。千代谷は父親のCDからザ・クラッシュや電気グルーヴを聴いてきて、小学生のころニンテンドー3DSで「70年代バンドまとめ」のような動画を見てディーヴォを知ったという。雑誌とレコード、動画とウェブ検索。プラットフォームや媒体の違いこそあれ、それぞれの入口から、二人は機械的でありながら汗をかく音に反応し、それがそれぞれの音楽でも鳴りつづけている。
いちおう言っておくと、テレビ大陸音頭がPOLYSICSの後継者とはまったく思っていない。ハヤシは結成時から「面白いことをやりたい」「驚かせたい」という明確なビジョンをもち、衣装、シンセ、演奏を強く統率してきた。また、「MAKING SENSE」(ディーヴォ「Mongoloid」)のようにオマージュ元を隠さない態度も知られる。対照的にテレビ大陸音頭は、自分たちらしさをまだ理解しきれていないと話し、なにかに似ていることが勝った曲はボツにすることをえらんでいる。この『VS Tairiku Ondo』も、当初は電気グルーヴ『A』のように全曲がつながる作品を目指したものの、曲がバラバラだったため、まず自分たちの幅を聴かせる一枚へ変えたという。このあたりはアルバムについてのインタヴューで読むことができる。あらゆるポップ・ミュージックはなにかに似ているという大原則があるからこそ、テレビ大陸音頭は、とうぜんPOLYSICSともそのほかのバンドとも違う方向へ動こうとしているとも見える。
テレビ大陸音頭を聴いたことで、POLYSICSという存在を聴きなおすこともできた。POLYSICSはディーヴォの表面をなぞったバンドではなく、機械の硬質さとライブの汗くささが同時に存在するために演奏を鍛えつづけたバンドである。同じ「(I Can’t Get No) Satisfaction」を聴いて生まれた衝動が、30年近くを経て、iPhoneの画面と札幌のスタジオから別のかたちであらわれた。その相似と相違の両方に目をこらし耳をすますと、この2つのバンドに出会いなおすことができると思う。
(髙橋翔哉)
Text By Shoya Takahashipop
