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【未来は懐かしい】
Vol.61
分断は超えられるか──「スプリングスティーンのカントリー」が映し出すアメリカの未来

16 June 2025 | By Yuji Shibasaki
第二次トランプ政権の発足以降、様々な反動的・排外主義的な政策が打ち出され、実行に移され、多くの人々が努力を重ねて守り抜いてきた公正や平等、そしてアメリカの民主主義政体を支えてきた様々なシステムが、急速に瓦解させられようとしている。

社会の分断。その分断を憂う人々ですら、いつの間にか分断に巻き込まざるを得ない状況。そして、その状況自体が間断なく「コンテンツ」を生み続け、その嵐の中で狡猾なグローバル・メディア産業がうまうまと利益を手にする構造。一体全体、アメリカの自由とは、アメリカの正義とは――いや、アメリカに限らない様々な場所で(一応は自明のものとして)広く共有されてきたそれらの諸価値とは、結局のところ何なのだろうか。そう粘り強く問い続けることすら諦めさせる巨大なエネルギーが、そこここに蠢いている。それでもなお、今こそ諦めてはならないのだ。希望と夢の土地の名にかけて。そう鼓舞する人間がいる。彼の名は、ブルース・スプリングスティーン──。ニュージャージー生まれのロック歌手、75歳だ。

ブルース・スプリングスティーンは、ごく素朴な政治的スペクトルの上で考えれば、間違いなく左派に属する人物だろう。他方、昨年の大統領選でもハリス陣営への支持を表明していた彼はしかし、いわゆる伝統的な「リベラル」──少なくないアメリカ国民がそう「想像」しがちな、エリート主義的な統治機構や「既得権益」と結託した存在としての「リベラリスト」──とは大いに異なっている。かといって、党派的教条を奉じる社会主義者とも、革命思想を標榜するラジカリストとも違うし、当然ながら、自由至上主義を謳う一派とも異なっている。彼はなによりもまず、徹底して市井の人の側に立ち、その中で自らの表現を鍛え、打ち捨てられた民衆の実存を歌としてすくい上げてきた一人のポップ・スターだ。彼の「芸術」は、ボヘミアニズムとも、高邁なエリーティズムとも無縁だ。かつてのロックンロールが、「アート」である前に何よりもヴァナキュラーな表現形態であったように、彼の音楽は常に民衆の生々しい欲望とともにある(あろうとしてきた)。

それがために、彼の音楽、彼自身の存在は、常に特異な立ち位置を占めることになった。再分配と平等、多文化主義を内在化する自覚的なリベラリストから支持される一方で、当然ながら巨大な数のノンポリ層も熱狂させてきたし、穏健な保守派にも一目を置かれるばかりか、「Born In The USA」や「The Rising」といった曲に対する「誤解」に象徴されるように、タカ派の欲望と結託してしまうこともしばしばだった。

しかし、飽きるほど繰り返されてきたこのような「誤解」の再確認作業は、主にリベラル派が、彼の高潔性と彼の背負う十字架の大きさにうっとりとしてみせるルーチンを強化するにせよ、もはや、その中からなにがしかの建設的な議論を引き出してくれるものではないだろう。分断が長く状態化し、もはやそれを逐一確認するのも億劫に感じてしまう現状にあって、今一度じっくりと考えてみるべきは、「非リベラル」な文化圏において、なぜそれほどまでに彼の音楽が広く支持され、多くの人々を鼓舞し、癒やしてきたのか、ということなのではないか。翻って言えば、そうした作業を通じてのみ、ブルース・スプリングスティーンという存在、および彼の音楽ついて理解を深めることができるのではないか。

今回紹介するコンピレーション・アルバム『Springsteen’s Country』こそは、その作業のまたとない好材料だろう。タイトルの通り、ブルースがこれまでに発表した(あるいは他人に提供したりした)曲を、新旧のカントリー系アーティストがカヴァーした音源をコンパイルしたものである。ブルース自身が長らく敬愛を寄せてきたジョニー・キャッシュをはじめ、ロカビリーのオリジネーターの一人=ソニー・バージェスや、R&B〜ソウル界の伝説=ソロモン・バーク、エミルー・ハリス、ニッティ・グリッティ・ダート・バンドといったカントリー・ロック系のベテランから、トラヴィス・トリット、ジョン・アンダーソン、マーヴェリックスといった現代カントリーの主流アクト、更にはザ・ビートファーマーズやスティーヴ・アールといったカウ・パンク〜オルタナ・カントリー系のアーティストまで、実に幅広い面々によるカヴァーが収められている。また、カヴァー対象となるブルースの曲も、『Darkness On The Edge Of The Town』収録曲から、『The River』、『Nebraska』、『Born In The USA』、『Tunnel Of Love』、『Human Touh』、『The Rising』、『Magic』の収録曲に至るまで、長い期間のレパートリーに渡っている。

基本的な認識を先に述べておくべきだろうが、ブルースの音楽とカントリー・ミュージックは、そこまで遠くない関係にある。ブルースが、1970年代後半以降、ヒルビリー〜カントリー界の絶対的なアイコンであるハンク・ウィリアムスの音楽に多大なインスピレーションを得てきたのはよく知られているし、『The River』〜『Nebraska』以降は、具体的なソングライティングの面でもカントリー〜フォーク的な表現を深めていった。加えて、ステージでも、ウィリアムズをはじめ、ジョニー・キャッシュ、アーネスト・タブ、レスター・フラット&アール・スクラッグス、ナンシー・グリフィス、グレン・キャンベル等の曲を盛んに取り上げてきた。 また、これまで丸々カントリーをテーマとしたアルバムこそ発表してこなかったが、来る7月に発売される未発表音源ボックス集『TracksII: The Lost Albums』には、『Somewhere North Of Nashville』と題された(カントリーに特化した)ディスクが収録されるなど、ブルースにとって、カントリー・ミュージックは常に身近な存在であり、自らの表現にとって欠くことの出来ないものでもあった。

それと同時に本作は、カントリー界の側からも、ブルースのレパートリーは常に熱い眼差しを注がれる存在だったことを、見事な形で伝えている。上述の通り、ある時期以降のブルースの書く曲にはカントリーやフォークを下敷きしたものが少なくないこともあって、比較的容易にカヴァーが可能であるという事情も大きいだろう。しかし、そうした形式上の親和性以上に重要なのは、そこで歌われているテーマやモチーフ、風景、心情、美意識、もっといえば人生哲学やコミュニティ意識等、内容面における両者の親和性だろう。市井の人物を主人公とする難事に満ちた人生譚や、簡単には成就しがたい愛、成長と成熟に伴う痛み、別れ、孤独、死の姿が、きわめて巧みかつ自然主義的な語り口で綴られていくブルースの名曲群は、そのまま優れたカントリー・ソングの特徴に移し替えることが可能な要素を数多く携えている。というよりもむしろ、ブルースは、長らく自身が親しんできたロカビリーやヒルビリー・ソング、フォーク・ソング、(カントリーと親和的な)一部のリズム&ブルース等を通じて、(ある程度無意識のうちに)カントリー・ミュージックの精髄を我が物にしていた、と評する方が実態に近いのかもしれない。そしてまた、1970年代以降のカントリー・ミュージックの側も、ブルース的な眼差しを自らの発展・多様化のために(こちらも無意識のうちに)取り込んでいたと見るのは、そこまで突飛な理解ではないように思うし、更には、ジミー・ロジャース〜ハンク・ウィリアムス〜ジョニー・キャッシュ〜アウトロー・カントリー一派へと続く系譜をもっとも深く血肉化しているのは他でもないブルース・スプリングスティーンなのだ、と啖呵を切ってみることもできるだろう。

そのように様々な面で重なり合う存在である両者の関係性ゆえであろう、ここに収められているカヴァーを聴くと、そのこなれぶりと自然さから、各人が深いレベルでブルース楽曲を我が物にしている様が伝わってくる。ホンキートンク・スタイルから、ブルーグラス風、カントリー・ロック風、オルタナ・カントリー風、カウ・パンク調、ロカビリー風、主流ナッシュビル・ポップス調まで、その解釈と調理法は多岐に渡るが、どのヴァージョンもお仕着せの印象は皆無で、各曲の内部へと歌い手自身が深く潜り込み、各々の特異とするスタイルの方へと巧みに引き寄せているのが分かる。その一方で、ブルースならではの節回しや言葉の譜割り、ドラマチックな曲構成、そして何よりも豊かな物語性が、改めて他にない個性として浮かび上がってくるのにも、強く興味を引かれる。一枚の「ブルース・スプリングスティーン・ソングブック」作品としても実に示唆に富んだ内容であり、様々なソングライターを題材にした同様のシリーズを手掛けてきた《ACE》一流の編纂技が光る、優れたコンピレーション・アルバムと言えるだろう。

ブルースが生み出したレパートリーを、こうして多くのカントリー・シンガーの解釈の元に改めてじっくりと味わってみる中で改めて気付かされるのは、各楽曲の中でいかにリアルな物語が語られ、そこに人生の真理や教訓めいたものが映し出されているとしても、ブルース自身や各曲の登場人物達が、聴く者に対して大上段から訓戒を垂れたり、なにがしかの不道徳をあげつらったりすることは決してなかったという事実だ。彼と彼の歌は、人生のままならなさにあえぐ名もなき者たちに寄り添い、ときに鮮烈なヴィジョンを提示することはあっても、彼ら/彼女らの誇りを傷つけ、生のありようをまるごと否定してしまうことは断じてなかった。

さらに言えば、それと同時に、彼らの属するコミュニティ──つまり「労働者階級のアメリカ」というコミュニティ──を歴史的に活性化させてきた他所からの移ろい人を排除し、同質性と排外主義の内側に閉じてしまうのをそそのかすことも絶対になかった。そこには、(Eストリート・バンドやその周辺のコミュニティがそうだったように)多種多様の「仲間」がいたし、それらの人々が出会い、別れ、また出会う中で繰り広げられる美しくも哀しいドラマへの鋭敏な感能力が刻まれていた。ブルースは、才能溢れる普通の男の目から、そういう「普通のアメリカ」の物語と風景を繰り返し描いてきた。そして、その筆致に惹かれる者たちは、マジョリティにとどまらず、非白人や性的マイノリティの人々にも及んでいることも、重要な点だろう(Eストリート・バンドの黒人サックス奏者にして彼の親友の一人・故クラレンス・クレモンズが、ブルースとステージ上で「口づけ」をする有名なパフォーマンスが、どれほどの人々を鼓舞しただろうか)。

ブルースは、今年5月にイギリスのマンチェスターで行われた自身の公演で、トランプ政権に対する苛烈な批判スピーチを行った。この様子は当日のライブ演奏とともに即座に配信リリースされ、映像版もアップされた。

以下、スピーチの内容から抜粋して引用しよう。


「私が50年間皆に歌い続けてきたアメリカは現実のもので、欠点はあっても、偉大な国民が暮らす偉大な国だ。だから、私たちはこの瞬間を乗り越えられる。今、私は希望を抱いている。偉大なアメリカの作家、ジェームズ・ボールドウィンの言葉にある真実を信じているからだ。彼はこう言った。『この世界には、人が望むほど多くの人間的な慈愛はないが、それでも十分には存在している』。さあ、祈ろう!」
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今改めて、アメリカという巨大なコミュニティ──より正確にいえば、アメリカン・デモクラシーに由来する諸価値と、それを(様々な問題を抱えながらまがりなりにも)内在化してきた(戦後日本に生きる私達を含む)多くの人々によるコミュニケーション空間──を少しでも正常に機能させ、うんざりするような「断絶」の常態化を中和する道筋があるとするならば、ブルース・スプリングスティーンが過去50年間に愚直なほどのひたむきさで積み重ねてきたやり方を再び真摯に受け止める他にもはや有効な方法はないのではないだろうか。いかにもナイーブな意見に感じられるかもしれないが、今まさに展開しつつある現実をしっかりと見据えようとすればするほどに、そう思えてならない。齢75歳に達するブルースの一挙一動にこれだけ多くの人々が突き動かされ、それを上回る規模の多くの人々が彼の新作を貪るように求めてやまないということが、何よりの証左ではないか?

アメリカの労働者達の夢と希望、現実と挫折を歌いながら、その中に確実に受け継がれてきたデモクラシー精神の原石のようなものを、丁寧に掻き分け、ポップ・ミュージックの神話的効果の元に再提示してみせること。市井の人々同士が互いを排斥しあい、お互いの誇りを傷つけ合うのではなく、歌や物語を通じて、自らの、お互いの生に対する想像力を再び駆動させること。ひいては、そのことを通じて、コミュニティへの開かれた関心を賦活し、あるべき民主的な政治体制や政策、行政プロセスについての理解と議論を深めること──。

ブルース・スプリングスティーンの表現が、現在に通じるような「政治性」を発現するようになったのは、デビューからしばらくしてからのことだったかもしれない。しかし、ごく初期の彼の歌にも、上述したような生への想像力が紛れもなく宿っていたことを思えば、はじめから彼の理想とするロックンロールとは、デモクラシーの根源的な讃歌だったともいえるだろう。

本作『Springsteen’s Country』は、なんとも興味深いことに、一見すると政治的な保守主義と強く結びついているように(特にここ日本では)考えられがちなカントリー・ミュージック界のパフォーマーやリスナーこそが、その「讃歌」の美しさにいち早く気付いていたということの、具体的かつ「意外な」証憑でもあるだろう。

いや、これまで述べてきたことに倣って、スプリングスティーンの音楽が持つ広大な射程とスケール感に鑑みれば、「意外な」などという言い方も正しくはないのかもしれない。ブルース・スプリングスティーンの中にカントリー・ミュージックは存在するし、カントリー・ミュージックの中にもブルース・スプリングスティーンは存在する。その分かちがたさを、実際のカヴァー例とともに楽しんでみることと、社会で喧伝される「分断」が、実のところなにがしかの恣意性を元に仮設された見取り図かもしれないと気付くことは、それほど距離の遠くない体験だろう。今こそ、本気で分断を乗り越えるべき時なのならば、その作業は、ブルース・スプリングスティーン的なるものと、カントリー・ミュージック的なるものにかかる虹を美しいと感じる人々の心の中から開始されるはずだ。(柴崎祐二)



Text By Yuji Shibasaki


Bruce Springsteen

『Springsteen’s Country』


2025年 / Ace


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