【未来は懐かしい】
Vol.60
長野を拠点に活動を続ける実力派ニュー・ウェイヴ〜レゲエ・バンドによる、貴重なコンプリート音源集
DJ/プロデューサーのKay Suzukiが主宰するロンドンのレーベル《Time Capsule》が昨年リリースした『Tokyo Riddim 1976-1985』とその続編『Tokyo Riddim Vol.2 1979-1986』は、同レーベルの優れた編纂センスと批評的な視点が見事に反映された傑作コンピレーション・アルバムだった。日本のニュー・ミュージックやフュージョン、ニュー・ウェイヴ、歌謡曲作品の中に、レゲエやダブ調のトラックが少なからず含まれている事実は、当時の各ジャンルのレコードを収集するリスナーであれば、かねてより認識していたはずだ。しかし、それらの「点」を結びつけ、日本の(比較的)主流シーンにおけるレゲエ〜ダブ的表現の消化のありようをひとつの図像として浮かび上がらてみせた功績は、ことのほか大きいように思える。
一方で、日本におけるロックやリズム&ブルース、およびそれらに続くニューウェーブ周辺文化の発展と深化の歴史を知るものにとっては、上述のコンピレーションの選曲は、やや食い足りない印象が残るものだったかもしれない。「ジョー山中は、元キャロルの内海利勝は、どうした?」などという声がどこかから聞こえてきてもおかしくはなかったし、更には、西岡恭蔵、加川良等の関西フォーク〜ブルースの周辺、ちょっと視野を広げてニュー・ウェイヴ系のノーコメンツやビジネス辺りまで押さえてほしかったという意見もあるかもしれない……などと言い出したらキリがないわけだが、そういった声への、予想外の角度からの素晴らしい返答(?)が当の《Time Capsule》からもたらされた。
今回紹介するSO-DOというバンドの存在を知っている人は、かなり限られているのではないかと思う。かくいう私も、今回登場したコンピレーション・アルバム『Studio Works ’83-’85』に収められた音源は、はじめて耳にするものがほとんどだ。より正確にいうと、1985年に巻上公一のプロデュースの元リリースされたニュー・ウェイヴ系のオムニバス・アルバム『都に雨の降る如く』に収録されていた2曲「So-Do」と「Kakashi」(本コンピのM4とM1)を既に耳にしてはいたのだが、彼らが他にシングルやEPをリリースしていたことも、そもそもS0-D0という聞き慣れない名前のバンドが具体的にどういう存在なのかも、今回のコンピの登場まで全く知らなった。
以下、ライター/エディターのアントン・スパイスによるライナーノーツを参照しながら、簡単にバンドのプロフィールを紹介しよう。
SO-DOは、1982年、長野のライヴ・ハウス《仏陀》の常連だった飽田英史が中心となり、ギタリストの塚田旭、ベーシストの伊藤嘉文、そしてドラマーの竹前公弘を加えた4人によって結成されたバンドだ。飽田は元々クラシック・バイオリンを学んでいたが、高校時代にはロック・ミュージックに傾倒。東京の大学でクラリネットを専攻したこともあったが、演奏家としての夢は叶わず、長野に戻った。ヒッピー文化に傾倒する傍ら、家族を養うために配送業に従事して生計を立てていたという。
そんな中、世界各地で隆盛していたニュー・ウェイヴ〜ポストパンクの潮流に乗ってSO-DOを始動。《仏陀》のオーナーで、同じくヒッピー的なライフスタイルを実践していた竹内淳夫のレゲエ〜ダブ指向から影響を受け、次第にそうしたサウンドへと傾倒していった。
1983年には、竹内が実質的なプロデューサーとなり初のシングル「Natural Wave / So-Do Theme」を録音、自主レーベルよりリリースした。続く翌年にもシングル「Kakashi / Hashiru」を発表し、更にその翌年には、「Get Away」「Scrambled Eggs」「Nothing」「Morning」の4曲を収めたEPを世に出した。その間、年間約30本のライブを行うなど精力的に活動した彼らには、一時期メジャー・レーベルからの誘いもあったようだ。しかし、あくまで地元シーンに密着した活動を続け、その当時に生まれた数多のバンドたちと同じく、広く脚光を浴びることはなかった。
『Studio Works ’83-’85』は、そんな彼らが1980年代に残した全ての音源を収録したコンピレーション・アルバムだ。一聴してすぐに、同時代のUKレゲエと共鳴するそのサウンドに惹き込まれてしまう。デニス・ボーヴェルの関連作に傾倒し、渡英時にはエイドリアン・シャーウッドがダブ・ミックスを担当するマーク・スチュワートのライヴも目撃したという竹内は、《仏陀》におけるSO-DOのライヴでも自らミキサー卓を操作しダブ・ミックスを試みていたというが、本作収録のスタジオ音源にも、(あくまで控えめではありながら)そうした研ぎ澄まされた音響センスが反映されているのがわかる。
バンドの演奏自体も、やはりポスト・パンク以降の美意識を強く発散させており、ソリッドで攻撃的なギター・フレーズ〜トーンやシャープなリズムは、同時代のUKにおけるニュー・ウェイヴとレゲエの相互浸透状況を彷彿させもする。
他方で、ニュー・ウェイヴ〜レゲエの輪郭をはみ出す、ある種の大らかさのようなものが滲んでいるのも是非指摘しておきたい。鷹揚なレゲエのリズムの魅力は当然のことだが、それと同時に、1970年代後半以降のグレイトフル・デッドに通じるようなサイケデリック・ロック〜ルーツ・ロック風のレイドバック感覚がときおり顔を出す。これはおそらく、SO-DO始動以前からヒッピー文化に親しんできた飽田や竹内らの指向とも無関係ではないだろうし、ニュー・ウェイヴやロック、ブルース系を含め、実際のところは強固な区分けが存在していたわけではなかった当時の地方都市音楽シーンの雰囲気が反映されたもの、と捉えてみるのも可能かもしれない。
加えて、そのようなヒッピー的な感性は、飽田の歌詞と歌声にも滲み出しているように聞こえる。どの曲にもメランコリックな心性や疎外感がうっすらと漂っているが、けれども同時に、流浪のロマンへ憧れ続けることをやめないナイーブさも刻まれている。
1980年代半ば。本格的なバブル時代の到来を予感するように、徐々にアンダーグラウンド文化を取り巻く空気も変わりつつあった。同時期には、SO-DOが活動の拠点とした長野市のライヴ・ハウス《仏陀》も閉店してしまう。
しかし、その後同店のテナントには《DUB》という店が入り、1992年には、《ネオンホール》という名の多目的アートスペースに生まれ変わった。
実を言うと、私はその頃の《ネオンホール》に一度訪れたことがある。「訪れた」と言っても、今から30年位以上前の子供の頃の話なので、当然ながら自分から主体的にそうしたわけではなくて、ブルースやロックが大好きで自らもアマチュア・バンド活動を行っていた叔父に連れられ、旅行のついでに地元バンドのライヴを観に行ったのだった。もちろん当時は、その《ネオンホール》の立ち上げに、後に一緒に仕事をすることになる現OGRE YOU ASSHOLEの清水隆史さんが深くかかわっていたという事実も知る由もないし、そもそも、それが《ネオンホール》だったと気付くのも、ずっと後になって内装を目にして子供の頃の記憶が一気にフラッシュバックした経験を通じてだった。音楽が自分の人生にとって何よりも特別なものだと気付いたばかりのその頃の私にとって、あの日の《ネオンホール》で耳にした演奏は、それくらい印象深いものだった。聞き慣れないリズムを基調に、ソリッドなギターやヴォーカルが絡み合う。ひょっとすると、本当にひょっとするとだが、あの日のステージに立っていたバンドは、メンバー交代を経ながら活動を続け、現在も飽田を中心にライブ演奏を行っているというSO-DOだったのではないだろうか? たしか叔父は言っていた、「こういうレゲエとサイケ、パンクが混じったようなバンドってカッコいいよな」と。
今となっては叔父も既にこの世にないし、ライヴに訪れた年月日もハッキリしていないので、あのバンドが一体誰だったのかも確かめようがない。そもそも、仮にSO-DOだったとして、そんな都合の良い偶然があるものだろうか? だが私は、この『Studio Works ’83-’85』を聴きながら、その「偶然」を信じてみたい気持ちにもなっている。40年の時を経て蘇ったSO-DOの音楽には、そう妄想させてやまない鮮烈なパワーとロマンが詰まっているのだ。(柴崎祐二)
Text By Yuji Shibasaki
