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【未来は懐かしい】
Vol.32
ディスコ・パンクの復権に向けて
〜ニューヨーク・アンダーグラウンドの秘宝、ザ・ダンスを聴く〜

15 August 2022 | By Yuji Shibasaki

近く、ディスコ・パンクのリバイバルが来るかも知れない。いや、もう来ているかも知れない。今年に入ってから、2000年代以降のブームを牽引した!!!やフォールズらが充実した新作をリリースし、好評を集めている。他にも、例えばニューヨークのガレージ・パンク・バンド、パーケイ・コーツは、かつてのポスト・パンク/ディスコ・パンク的な要素を取り入れ、いにしえのニューヨーク・アンダーグラウンドの香りを発散する作品を発表したりしている。ここ日本でも、South PenguinやBedなど、かつてのポスト・パンク・リバイバル的な文脈とは異質の地点からディスコ・パンク的な音楽性にアプローチする例も出てきている。

思い返せば、かつてポスト・パンク・リバイバル、エレクトロ・クラッシュ、ニューレイヴといった用語とともにディスコ・パンク/ダンス・パンク的な音楽がハイプ化したのもすでに10数年前の話であり、今やその当時の熱狂ぶりもリアルタイム世代の記憶の奥底に追いやられてしまった感がある。その上、ブームの宿命として、メジャー産業によってサブカルチャーとしての真正性をやすやすと骨抜きにされ、流行の意匠として様々な音楽の中へ拡散していった…という側面もあったように思う。

しかしながら、こうしたフェイズというのは、ある音楽がリバイバルするためには絶好の下地なのだといえる(もちろん、シーンの動向とは関係なく継続的に活動してきたアーティスト、愛好してきたリスナーへの敬意を忘れてはならないのは前提として、だ)。

昨今、ポップ・パンクやエモがリバイバルしている例にも明らかなように、上述のようなハイプによるある種の「フォーマット化」を経た音楽スタイルというのは、裏を返せば歴史的/文化的な視点からいってきわめて高い公共性を備えているということも出来る。要は、ひとたび大々的な流行によって確立され、さらにその後の退潮によってある種の冷凍保存を経てきた特定の様式というのは、ひとつの「キッチュの型」としての既定性にゆえに、かえって後年世代からの大同的なアクセスを容易にするという性格を備えているように思うのだ。自然、そうした音楽スタイルにおける各種の意匠は、モバイル動画プラットフォームを主な舞台とする即時的なコミュニケーションが浸透したメディア状況においては、非常に高効率かつ即効性の高い「音楽アイテム」にもなる。

その点、2000年代のディスコ・パンクというのは、その時点において「型」がはじめから仕込まれていた存在だった。それはなにかといえば、当然ながら「ディスコ」のことである。つまり、ディスコ・パンクというのが既に、アンダーグラウンド・ディスコとポスト・パンクが不可分であった1980年前後の音楽の発展的再現であるという時点で既にリバイバルなのだが、2000年代当時、この「ディスコ」こそは、かつて(あえていえば)「一般的には盛りを過ぎた」しかし強固な「型」あるいは「意匠」として延命してきた音楽フォーマットの筆頭のようなものだった(それをいえば現在のポップ・パンク・リバイバルも同じような構図を有している)。リバイバルのマトリョーシカ……。過去に内蔵された、過去。「型」の中の「型」。

前置きが長くなりすぎた。今回紹介する、ニューヨークのノーウェイヴ/ポスト・パンク・バンド、ザ・ダンスが1981年にリリースしたファースト・アルバム『In Lust』は、このようなディスコ・パンク・リバイバルの予感の中で、より一層面白く聴くことが出来る作品だろう。

ザ・ダンスは、同じくニューヨークのノーウェイヴ・バンド、ザ・モータル・シチズンズを前身としている。ザ・モータル・シチズンズは、ジョン・ケイルのプロデュースにより ケイルのレーベル《SPY》からEP「Shift The Blame」をリリースしており、マニアからは伝説的な存在として評価されているが、惜しくもこの1枚で2つのバンドへ分裂してしまった。その片割れがザ・ダンスで、ヴォーカル/ギターのユージェニー・ディセリオのいかにもポスト・パンク然としたフリーキーな歌声と、リジー・メルシエ・デクルーやESGなど、同時代にニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンで活動したアーティスト達に通じるような、削ぎ落とされたバンド・アンサンブルが魅力だ。変則的な4つ打ちを交えたドラムや硬質なギター・カッティング、うねりまくるベースも文句なくかっこよく、上述の《ZE》や《99Records》などの諸アクトと比べても勝るとも劣らないサウンドを聴かせてくれる。

また、こうしたバンドの作品にありがちなローファイな録音ではない、という点も注目すべきだろう。プロデュースとエンジニアリングを担当したのは、ニュー・エイジ・ステッパーズやリップ・リグ&パニック等も手掛けてきたジョン・ウォーカーであり、録音は、あの10ccが根城としていたロンドンの《Strawberry Studio》で行われている。こうした端正なプロダクションゆえに、かえってポスト・パンク好きの大勢から見落とされてきた…というのはありそうである。加えて、当時ザ・ダンスは、本作を含めてUKの《Statik》からアルバム作品をリリースしており、EU各国での流通もあったが、残念ながらUS盤はなかったという。こうした点も、彼らの知名度が今にいたるまで微妙に高くないことに寄与してしまっているのかも知れない。《SOUL JAZZ》からの名コンピ『New York Noise (Dance Music From The New York Underground 1978-1982)』(2003年)にデビューEPの収録曲「Do Dada」が収められ、一部の熱心なファンには名が知られていた彼らだが、単独盤としては今回が初のリイシューだというのは、その音楽の素晴らしさからするとやや意外に思える(ちなみに、今回のリイシューでは、セカンド・アルバム『Soul Force』EP集『Do Dada』も同時に発売されたので、そちらも要チェックだ)。

当時のニューヨーク・アンダーグラウンド・シーンに渦巻いていたパンクとディスコの相互浸透は、ロック・ジャーナリズム主導のディスコ・パンク観が過去のものとなり、ジャンルの併存的林立、相互浸透、さらには「ポスト・ジャンル」という概念を通過した今だからこそ、より一層興味深く味わえるのではないだろうか。オーガスト・ダーネルがジェイムス・チャンスのレコード作りに関わり、ラリー・レヴァンがESGをプレイし、アーサー・ラッセルがニッキー・シアーノと共作し、グランドマスター・フラッシュがリキッドリキッドを拝借し、デボラ・ハリーがラップを披露した、そんな時代。当時、メルティングポットに渦巻いていたあれこれは、今もなお聴くもの(踊るもの)に様々な可能性を投げかけている。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


The Dance

『In Lust』



1981年 / Modern Harmonic


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Tower Records


柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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