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BEST TRACKS OF THE MONTH -February, 2018-

Beach House – 「Lemon Glow」

ドリーム・ポップが心地よい夢だけを見せてくれると思ったら大間違いだ。約3年ぶりのビーチ・ハウスの新曲は、これまでの透き通るようなアンサンブルとは対照的な、目の醒めるようなヘヴィーな一撃。サイレンのようなエフェクトが繰り返し、重たいシンセ・サウンドが脳に響いてはディストーション・ギターが叫ぶ。ヴィクトリア・ルグランの耽美なヴォーカルも幾重にも重なり、しまいには空間さえねじ曲がっていくような錯覚にもう眩暈が止まらない。近年お馴染みとなったオートチューンのような飛び道具には多くは頼らず、音のレイヤーでねじれた異空間へのトリップを実現したこの曲が証明するのは、彼らが、もう続くものがいないはずだったマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン『ラヴレス』(1991年)の正統な後継者たり得る存在だということだ。(井草七海)

Courtney Barnett – 「Nameless, Faceless」

コートニー・バーネットが一段と頼もしくなった!ニュー・アルバムのタイトル『テル・ミー・ハウ・ユー・リアリー・フィール』とはよく言ったものだ。先行曲となるこの曲で彼女が風刺するのはネット社会に生きる私達の哀れな姿。ちょっとしたことで人が簡単に袋叩きに遭うのを見かけるたびに、他人の目を恐れて本当は自分が何を感じ何を言いたかったのか見失っていないか? と、彼女は問うているのだ。(今もこの文章を当たり障りなく済まそうと思っている自分が恨めしい!) 拳に鍵を握り(暴漢対策の方法だ)夜道を恐れず行くように、他人の悪意に立ち向かってやる、といった、巧みな比喩による堂々たる宣言は彼女が一層ポジティヴな自信をつけた証拠。これまでよりも絞り選び抜いた言葉と骨太ギター・サウンドで、私達の背中を痛快に蹴り上げる1曲!(井草七海)

David Byrne – 「Everybody’s Coming To My House」

ソロ作としては 14年ぶりとなる『アメリカン・ユートピア』からのリード・トラックであるこの曲は、ブライアン・イーノとの共作であり、さらに、TTY、ハッパ・イサイア・バー、サンファも参加している。不穏さを感じさせるホーンの音色やタイトかつ骨太なベースラインとリズム、バーンの歌声も、トーキングヘッズ時代まで若返ったように瑞々しく刺激的だ。何より曲中で繰り返し歌われる”Everybody’s Coming To My House”というフレーズが(それ自体は何気ない誘い文句であるが)国家や人種間、その他様々な場面での分断が深まる一方の現状においては軽やかながらも強固なメッセージとして成立している。そんなこの曲が、他にもワンオートリックス・ポイント・ネヴァー、ジャム・シティ、ジャック・ペニャーテといった世代もジャンルも異なる音楽家たちが参加しているアルバムの中で最も重要な位置を占めることは間違いない。(堀田慎平)

Father John Misty – 「Mr. Tilman」

メロディはとてもわかりやすく普通にラジオなどで流れてきたら覚えてしまえるような曲だ。だが、2月の来日公演でも披露していたこの新曲は、ファーザー・ジョン・ミスティが社会と個人とを接続させ、それを世に問うという音楽家である事実を伝えてもいる。ホテルのチェックインの時のトラブルを歌ったリリックは相変わらずユーモラスだし、実際にジョシュア本人の体験によるもの(タイトルにあるTillmanというのはそのジョシュアの苗字)。だが、そんな何気ない素朴でパーソナルな出来事をただ面白おかしく綴るのではなく、今の米社会の歪みとして啓発する。インディー・ロックの象徴のようなレーベル=サブ・ポップに今なお所属するこの男は、それこそがエンターテイメントであることを知っているからだ。先のグラミーでも最優秀レコーディング・パッケージ賞を受賞した昨年のアルバム『ピュア・コメディ』に続く新作は今年早くも到着する見込み。FJM最強時代はまだまだ続く。(岡村詩野)

Frank Ocean – 「Moon River」

原曲はあの、あまりにも有名な映画『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンが歌った同曲だ。原曲への敬意、そして原曲に新たな魅力を与えることといったカバー曲としての課題の達成は勿論のこと、その圧倒的なアレンジと”声”の力で一気にフランク自身の物語に塗り替えた。ビートが無く、ギターは簡素にコードを奏でるだけという特徴的なトラックはいうまでも無く前作『blonde』の延長上。だが、ここではそれ以上に幾層にも重ねられた彼の美しい声(序盤は「Nikes」同様ピッチ・アップされ)が最大の「音」でもあり、主役だ。原曲中の「You 」は「My」に置き換えられ、故郷の河と夢や希望を持っていた頃を思い出しながら歌われる原曲は、強い愛の希求の歌となった。21世紀最も美しい歌声による、最高のヴァレンタイン・プレゼント。(山本大地)

Jay Rock, Kendrick Lamar, Future, James Blake – 「King’s Dead」

MVが映画「ブラックパンサー」を観る者だけに向けられていないことは、あくまでこの曲が現実と地続きであることを伝えている。そして既存の枠組み、価値観を否定し尽くし、”万歳!キルモンガー王”とスピットするケンドリックは、今ある社会が築かれてから続く輪廻を断ち切ること、つまり繰り返されるマイノリティ・人種への差別が消えることを願う人々と重なって見える。しかしそのような人々はこの社会で虐げられてきた一方で、自らが否定したトランプの支持層にも一部存在するという事実。その狭間で彼の正義は揺れる。車が行き交う交差点の真ん中に立ち”Red light,green light”と狼狽えるように連呼する姿は、そんな心のゆらぎを象徴しているかのようだ。
またジェイ・ロックの普段より高いピッチのフロウや、フューチャーの”La di da di da”とおちょけたようなサンプリングも聞きどころだが、ひときわ耳に残るのは転調して響くジェイムス・ブレイクの歌声だ。共演者の中で唯一アメリカ人ではない彼の詞は、トランプ政権誕生以降のアメリカとそこから生まれる表現を離れた場所から見る私たちの目線と重なる。そして、自問のような”Changes / Is you gon’ do somethin’?”というラインが、紛れもなくアメリカを静観する私たちにも向かってくるのだ。 今、アメリカで起きていることから学び、目の前の世界で生かしていくのは、他でもない私たちだ。(高久大輝)

Jeff Rosenstock – 「USA」

気づけば、信じていたあなたの姿はどこにもない。「アメリカよ、お前もか」、「もう退屈でうんざりだ」。そう繰り返し叫ぶくらいしか、できることは残されていないのか。怒りと諦念が込められた曲名は「USA」。みんな、この国に怒り疲れてしまった?
・・・違う。社会に通底する諦念を歌う曲中に現れるドリーミーなシンセはやがて消えゆき、上述のリフレインが再開していく。それは逃避せず叫び、現実と対峙して残り少ないチャンスに賭けるということだ。
年頭に突如産み落とされた、7分32秒のパワー・ポップ。これは怒りと諦念の社会に生き、諦めず走り続けるための歌。2018年の「ボーン・トゥ・ラン」。(尾野泰幸)

MorMor – 「Heaven’s Only Wishful」

生まれ育ったトロントを拠点とする新人のシンガーソングライター、MorMorのこの一曲は、何度聴いても不思議な感触が残る。平穏と不穏の間を、そしてデジタルと人間臭ささの間を、頼りなく、優雅に泳ぎながら、ミドルテンポのビートに載せて奏でられる儚く生々しい歌とギター。楽曲の骨子は、いにしえのディスコ・チューンのようでもあり、その音楽性全体は、本人もフェイバリットに挙げるファイストと最も近いかも知れない。
それは、こちらもいま伸び盛りのウェスト・ ロンドンのシンガーソングライター、Nilüfer Yanyaとも、海を隔てて、どこかシンクロしている。中期のレディオヘッドが提示したタイプの折衷主義が有効性を失ったいま、インディー・ミュージックは、もう一度、その第一世代が体現していたフラジャイルな心性に基づいた表現に原点回帰しながら、再編されようとしている機運を感じる。だが、MorMorにせよ、Yanyaにせよ、楽曲自体はソウルのソングライティングがベースになっているなど、単なる焼き直しには陥っていない。だからこそ、彼らの“ポストパンクの心で奏でられたソウル・ ミュージック”には、何かが始まる予感が充満している。「Heaven’s Only Wishful」は、その最初の名曲の一つ。寒さが緩んできたこの場所で、それは春の訪れのように、禍々しく響くだろう。(坂内優太)

Janelle Monáe – 「Make Me Feel」

これはすごい。完全に未来のファンク・ポップ。やはり28世紀か ら来たのか、ジャネール・モネイ。楽曲のコアは、イントロからループするボイス・パーカッションのサンプル。それだけ。この一見なんの変哲もないリズムの上で、ジャネールが歌うとなぜこんなにもファン キーになってしまうのか。それは歌がすごいから。 同時に公開された「Django Jane」はケンドリック・ラマーの超絶ラップのフローを“歌”として完全に消化した、最強歌うま娘ドロイドの所業だったが、「 Make Me Feel」は別次元。と同時に、ファンクというのは、やはり歌が 主役なのではなく、司祭として“音楽”全体を引き立てるジャンル なのだと改めて思い知らされた。いくつか分かり易いのは、 ブリッジの箇所でシンセ・ベースよろしく、 絶妙に下降してフックを作るジャネールの歌。あるいはコーラス・ パートでの、同じフレーズを、リズムのパターンやアクセントの位 置で万華鏡のように多彩に展開し、実際には歌われていないパター ンまで想起させてしまう、可能性そのもののような歌だ。 もちろん、中盤から加わるカッティング・ギターをはじめ、ミニマ ムなアレンジも筆舌に尽くし難く素晴らしいが、それもこれも、ジ ャネールの歌があって成立している宇宙での話。プリンスやアウトキャストの正統継承者の彼女らしく、デフォルメ感の強いポップな形式を通して、ブラック・ミュージックのレガシーを現代に体現する1曲だ。惜しむらくは、 この曲がわずか3分15秒でブツリと終わること(たぶん、今回も アルバム全体が繋がってるんだと思う)。人類のために、永遠に続 くバージョンも作っておいて下さい。(坂内優太)

Red Velvet – 「Bad Boy」

麗しく、溺れてしまいそうなほどピュアでカラフルなビジュアル、アイドル・ポップならではのメロディ感とアメリカのポップ最前線との絶妙なバランス感。全てが完璧で、トップK-Popグループの一組である彼女たちの新曲に私は毎回頭がクラクラだった。だが、今年のグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーを受賞したブルーノ・マーズ「That’s What I Like」でもお馴染みのステレオタイプスが手掛けたこの曲が向かうのは、例えるならTwiceとは対極、BLACPINKにも間近の、セクシーで、強気な女性たち。麗しき5人はタイトでアップテンポな楽曲を使って私たちを挑発している。トラップ・ビートにシンプルなシンセ・メロが延々ループするというマックス・マーティン帝王以降かつラップ全盛時代のポップ・マナーに100点満点なトラックは私たちをリピートの罠から離さない。(山本大地)

Text By Shino OkamuraDaichi YamamotoYuta SakauchiNami IgusaDaiki TakakuYasuyuki OnoShinpei Horita

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