現代の、そして100年後の“奇妙なアメリカ”
Prairie Princess『Jewish American Prairie Princess』
プレーリー・プリンセスはネブラスカ州リンカーン育ち、ニューヨーク在住の23歳、エマーソン・ボラコヴを中心とするユニット。主に2020年代以降、ソロの他、実験的なUntitled Noise Nightなど数々のプロジェクトでも活動、作品をリリースしていて、今や大人気のギースと共演経験、交流もある。普段はニューヨークのヴェニューで音響エンジニアとしても働いているこのエマーソンが、基本的なコンセプトを考え、曲と歌詞を書き、録音などのイニシアティヴもとっているという。この8月にリリースされた『Jewish American Prairie Princess』はそんなプレーリー・プリンセスのデビュー・アルバムだ。
このプレーリー・プリンセスを理解する上で重要なのは、80年代半ばに誕生したアンチ・フォーク(anti-folk)という既成のフォーク・シーンに対するカウンター運動である。周知のようにシンガー・ソングライターのラッチ(Lach)がニューヨークのローワー・イースト・サイドに開いた《The Fort》、および、その後の拠点となった《Sidewalk Cafe》でのオープンマイクが一つの起点となって発展していったアンチ・フォークは、一つ例えを出すなら、ベックの出発点、というのがおそらくわかりやすい。
60年代のフォークの背後には公民権運動などの社会正義や政治運動があったが、アンチ・フォークは──もちろんそれら社会運動と無縁とまでは言わないが、それよりも思春期の葛藤、憂鬱、苦悩などパーソナルで自虐的でさえあるテーマが歌詞や活動動機の根底にあった。このカウンター・カルチャー的シーンが成熟していくのには少々時間がかかったため、そこから約15年、モルディ・ピーチズ(つまりはアダム・グリーンとキミヤ・ドーソン)、ジェフリー・ルイス、レジーナ・スペクターといったこの界隈で育った俊英が揃ってファースト・アルバムをリリースした2001年には、皮肉にもラッチが始めた頃の本来の勢いは落ちてしまっていた。けれど換言すれば、地下運動から世界的なインディー・ロックの潮流へとトランスフォームしたタイミングだったとも言える。
私は90年代の終わり頃ニューヨークを訪ねた際、まさに《Sidewalk Cafe》の月曜オープンマイクを偶然覗いたことがあるのだが、その時には既に奇妙なシンガー・ソングライターたちのための梁山泊という雰囲気だった。それが悪いわけではなかったし、もちろん、個人的には楽しめた。その時、今はなき《Bottom Line》でアーロ・ガスリーを観たこととも接続して、あの時代の“ニューヨークのフォーク”という匂いを体験できたことは思い出の一つになっている。だが、アンチ・フォークの本質的な在り方が手法になってしまっていたことも否めなかった。
アンチ・フォーク界隈は、同じこの時期のニューヨークでモルディ・ピーチズと交流があったストロークスが世界ブレイクを果たし、ほぼ同じ時期の西海岸から出てきたジョアンナ・ニューサムやデヴェンドラ・バンハートら、いわゆるフリー(ク)・フォーク勢、サイケデリア勢と共振するかのように一部で拡張していった(ように見えた)。つまり、ニューヨークのコーヒーハウスを原点とする都会的なフォークという文脈は、その後10年、20年と経過しても決して局所的なものとして収束することはなく形を変えて継承されていった。ヴァシュティ・バニヤンとコラボレートしたアニマル・コレクティヴ、ゲイ・カルチャーの中から出てきたアントニー&ザ・ジョンソンズ、あるいはグリズリー・ベアなどもこの系譜上に足がかかっていたし、数年前に私が落雷を食らったような衝撃を受けたジョアンナ・スタンバーグもここの流れの中にポツンと現れた重要アーティストの一人だ。
デヴィッド・キーナンは《The Wire》の2003年8月号の記事で、アメリカ北東部(ニューイングランド地方)の山奥や田舎町、地方のインディ・コミュニティで、カセットテープや自主制作CDRを使って極めて呪術的・即興的な音楽を鳴らしていたアンダーグラウンドのアーティストたちについて“New Weird America”と名付けた。グリル・マーカスがかつて1920〜30年代の古い未開のアメリカの民俗音楽を指す言葉として使用した“Old Weird America”を上書きした表現だ。そして、その記事には“Sunburned Hand Of The Man and the free folk explosion”(サンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マンとフリー・フォークのブーム)というサブタイトルがついていた。まさにサンバーンド・ハンド・オブ・ザ・マン、ジャッキー・オー・マザーファッカー、タワー・レコーディングスなどを対象とした記事だ。ポップな側面もあったモルディ・ピーチズらは該当しないようだったし、ニューヨーク(主にマンハッタンの下町やニューヨーク州北部)以外のエリアのアーティストにまで目を配った内容だったが、ラッチが提唱、運動として展開してきたアンチ・フォークの流れもここと無関係ではないように読めた。
プレーリー・プリンセスは、こうした系譜上で捉えると、ぶっ壊れた感じのフォーク音楽、という以上の大きな意味を持つだろう。さらに重要なカギになるのは、中心人物のエマーソン・ボラコヴ、そして、ここにベーシストとして関わっているレックス・ウォルトンがともにトランスジェンダーということだ(他のメンバーもそうであるかの確証はない)。
Prairie Princess(Bandcampより)
レックスは先ごろ7曲入りのソロ・アルバム『Ultimate Love Forever』を《Sub Pop》からリリースしている。さすが《Sub Pop》、遅れてきたグランジ~オルタナといった内容だが、実はもっとノイジーで歪みまくったイビツな作品を過去に残してきている。エズラ・ファーマンとのダブルネームでリリースしたEPは、ペイヴメントやルー・バーロウからさらにロックの体系的な骨格を抜き取ってしまったような面白さがあるし、このプレーリー・プリンセスとは別にエマーソン・ボラコヴと組んでいるSmall Womensというユニットなどはこのプレーリー・プリンセスを除くと最もアウトサイダー・ミュージック的な側面を持っていて興味が尽きない。
この二人にスローン・マッカーシーとリー・フリードら加わって作られたのが『Jewish American Prairie Princess』なのだが、クレジットを見ると、なるほどアンチ・フォークの系譜を引き継ぐ存在であることがよくわかるし、エマーソンやレックスが性的マイノリティであることが大きな意味を持つことも理解できる。
Emerson Borakove ― “with the ruby slippers”
Lex Walton ― “with the brain”
Sloane McCarthy ― “with the heart”
Rhea Freed ― “with the courage”
ruby slippersとは、映画『オズの魔法使』でジュディ・ガーランド演じる主人公のドロシーが着用した象徴的な赤い靴のことだ。ドロシーがこの靴の踵を3回鳴らすことで、どこへでも瞬時に移動できる、というもので、つまりはこのユニットではエマーソンはドロシーというポジションになるらしい。そして、レックスの担当はbrain、つまりは脳、知恵。『オズの魔法使』で案山子が求めていたものである。スローンは心、同じく劇中でブリキ男が欲しがったもので、リーはcourage……つまり臆病なライオンが望んだ勇気を持っている、というように解釈できる。ジュディ・ガーランドがゲイ・アイコンとして今なお熱狂的に支持を得ていることを鑑みるに、トランスジェンダーのエマーソンがこうした構図をバンド内に持ち込んだ理由は想像に難くない(ちなみに、ここに参加しているサポート・メンバーたちは“Circus Animal Orchestra”という名のもとに、やはり劇中の端役さながらに動物の名前が与えられている)。エマーソンはマイノリティとしての矜持を『オズの魔法使』に重ねたのである。そうなると、あの《Stone Wall Inn》のあったニューヨークのゲイ・カルチャーとコミットしていて、個人の葛藤や苦悩をテーマとする歌詞が多いとされるアンチ・フォークの文脈に置いても納得がいく。
ただし、ニューヨークとアンチ・フォークというキーワードだけに限定すると大きな見落としをしてしまう。それを紐解くもう一つのカギは“プレーリー”というユニット名だ。プレーリーは北米大陸の中央部に広がるいわゆる大草原、有数の穀倉地帯。あの『大草原の小さな家』やウィラ・キャザーによる小説『わがアントニーア』(My Antonia)そのままに開拓民によるフロンティア・スピリットの象徴的な文化も持っている。そして、映画『オズの魔法使』の舞台となったのもまさに広大なプレーリーが広がるカンザス州だ。もしかすると、エマーソンたちはあの時代の恐れ知らずの開拓民のごとき行動力に敬意を表し、ドロシーたちの勇気ある冒険のごときゴシック・ファンタジーの世界に移入することで、マイノリティとしてのささやかな願いを表現しようとしているのではないか、とも思える。なぜなら、エマーソンが育った故郷、ネブラスカ州リンカーンもトールグラス・プレーリーと呼ばれるエリアに属した大草原地帯だからだ。
エマーソン自身、本作の歌詞で相対的に伝えているのは「愛以外には何も望まなかった若い女性と、それが彼女をどこまで連れていったかの物語」であると説明している。まるで『オズの魔法使』のドロシーたちが、たった一つの望みを求めて仲間たちとレンガ道を歩いていく旅のように、エマーソン自身、トランス/クィアとして、孤独と戦いながら愛だけを求め、探していく。その過程で向き合うのは、自己との葛藤、セックス、友人、家族、故郷、宗教、ドラッグ、そしてアメリカの権力社会と国家……。今や都会で暮らすエマーソンは、さまざまな現代のツールに飲み込まれながらも孤独から逃れたい思いを、育った町、ネブラスカ州リンカーンへと飛ばすのだ。
しかも、現代社会の歪みを象徴するようなワードを意図的に歌詞に落とし込んでいる。1曲目「Unlimiter Space」では、ディズニー・アニメ『ニムの秘密』のネズミに自分をなぞらえ、“もし彼女がHinge(マッチングアプリ)のアカウントを持っていたら、それってきっと私みたい”と自嘲し、マリファナ(weed)、poppers(亜硝酸エステル系の吸入剤)、次々とベッドに連れ込む恋人たちまで登場させることで、都会で刹那的な日々を送る若者たちを揶揄した。「Lonely Eyes」には、OnlyFans(会員制のソーシャル・メディア・サービス)をやっている母親、フィナステリド(AGAを改善する薬)を使う人、フェードカットの子供、ボトックス中毒者が登場。『マトリックス』由来の言葉ながら、現在は男性優位思想や右派的なオンライン・コミュニティと結びついて使われることも増えているレッド・ピルなんて言葉も出てくる。アルバムにはそのものズバリ「Trying Wellbutrin Out」という曲も。ウェルブトリンはアメリカの抗うつ剤の商品名で、つまりこの曲のタイトルには、薬の商品名そのものが使われているという具合だ。
音にだけ注目すればハリー・スミス編纂のかの『Anthology of American Folk Music』の素朴なアコースティック・フォークを連想させる。『Anthology of~』に収められた1920~30年代の録音には、後世のフォーク・リヴァイヴァルが作った「美しいアコースティック音楽」という洗練がまだない。声はざらつき、ギターやフィドルはゴツゴツしていて、リズムも妙に歪む。単に「美しい」「上手い」演奏ではない、奇妙な音、土地固有の歌、演奏だ。プレーリー・プリンセスもその「整えられる以前のアメリカ音楽」の感触を持っていると言っていい。
ただし、そのルーツにのみ寄与した作品ではない。むしろエマーソンはヴァン・モリソンをフェイヴァリットに挙げ、ジョナサン・リッチマンに共感し、でもフォーク・パンク的な解釈から逃れようとして、ジェフリー・ルイスらアンチ・フォーク周辺にも足を踏み入れたけど、そこにも満足できないまま本作に辿り着いた。マイ・ブラディ・ヴァレンタインの影響だって受けている(実際に昨年「When You Sleep」をカヴァーしている)。正式なアルバムはこれが初めてだが、楽曲単位でのリリースはこれまでにも多く、あちこち足をかけながら長い地下水脈を作ってきた人だ。
そして、アルバム・タイトルから伺えるもう一つの重要なキーワード、それはユダヤということである。もともと「Jewish American Princess」という言葉は、アメリカ文化に古くからあるユダヤ系の中・上流家庭の娘たちを揶揄する言い方だそうで、ネブラスカ育ちのエマーソンはそこにPrairieというワードを加えることで、既成のアイデンティティをややドレスダウンさせ自虐的に塗り替えてみせた。本作にはユダヤ系のお母さんを連想させる独特の言い回しも最終曲「Even When I Die」などに散見される。いわく「死んでも連絡するからね」といった親の多少過干渉気味のジョークがそれだ。つまり、ユダヤ系(Jewish)という文化的出自を持つアメリカ人で(American)、さらに中西部育ち(Prairie)であり、ジェンダーを含む自己演出(Princess)……といったいくつもの「私って何者?」を一列に並べた結果、それはまさしくエマーソン・ボロコヴの物語に着地することとなった、ということではないかと思う。
『Anthology of~』が1920~30年代のアメリカの奇妙な民衆生活を78回転盤から拾い集めたものなら、『Jewish American Prairie Princess』は、一人の23歳のクィアなソングライターの目を通して2020年代の奇妙なアメリカを拾い集めたものと言っていいかもしれない。ただし、『Anthology of American Folk Music』の楽曲で描かれている人々の暮らしも抽象的なものではなかった。その時代の宗教、酒、鉄道、犯罪、仕事、貧困、男女関係、死、土地の名前といった、当時の人間が実際に触れていたものだ。そして、今、Borakoveも同じように、Hinge、OnlyFans、YouTube、MP3、レッド・ピル、poppers、Wellbutrin、ボトックスなどを歌にする。つまり100年後には、これらもまた「2020年代のアメリカ人はこういうものに囲まれて暮らしていた」ことを伝える民俗資料のように聞こえるかもしれない。
レトロなアメリカーナではない、古いアメリカの民衆音楽の器に現代のアメリカの猥雑で、絶望的なまでの息苦しささえ孕んだ現実を流し込んでいる。古びた器から聞こえてくるのは、AIとの生活に支配されつつある今のアメリカ社会なのである。(岡村詩野)
Text By Shino Okamura
