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いつだって信用できる男──その名はジャック・ホワイト

08 August 2023 | By Yuji Shibasaki

ジャック・ホワイトは、現代のポップ・ミュージック・シーンにおいて、最も忙しく活動するアーティストの一人である。昨年2022年には、久々となるソロ・アルバム『Fear Of The Dawn』と『Entering Heaven Alive』を2作連続でリリースし高い評価を得たほか、フジロックでも圧巻のパフォーマンスを行い、稀代のロック・エンターテイナーとしての実力を新旧のファンへ改めて見せつけた。また今年は、10月公開予定のマーチン・スコセッシ監督の新作映画『Killers of the Flower Moon』へ出演が決まっているなど、俳優としての活動でも話題を呼びそうだ。

加えて彼は、アイデアに満ちた一流の「ビジネスマン」でもある。自らが主宰するレーベル/ショップ/ヴェニュー/プレス工場/ギター工房etc……である《Third Man Records》は、その設立以来、時を経るごとにどんどん事業範囲と規模を拡大し、大きな成功を収めてきた。 今や彼は、昨今の音楽業界において特に目立った存在感を放つ、文字通りの「青年事業家」として広く認知されている。

しかし、ファンであればよくご存知の通り、彼の「ビジネス」や「事業」には、その言葉が往々にして発散しがちな、ある種の山っ気がほとんど感じられない。というより、何よりも「遊び」っぽさと、突飛さ、マニアックさ、それと同居する生真面目さの方が目立っており、その点がまた、結果的に《Third Man Records》の展開するビジネスが大きな注目を集める要因にもなっている。

いきなり脱線して個人的な話をさせてもらうと……。私がジャック・ホワイトおよびホワイト・ストライプスの名前を初めて知ったのは、アルバム『White Blood Cells』(2001年)が世間を騒がせていた、2000年代初頭だったと記憶している。時代は「ガレージロック・リバイバル」最盛期、ホワイト・ストライプスは、ストロークスなどと並んで、各雑誌で同ムーヴメントの新鋭として大きく騒がれていた。私自身、20歳前後のその頃には、ガレージロックやパンクに完全に浸っており、自分でもバンド活動を行っていた。であれば、さぞかしホワイト・ストライプスの熱心なファンだったのかと思われるかも知れないが、はじめのうちは全くそんなことがなかったというか、むしろ逆だった。今思えば「自称マニア」の面倒くさい「あるある」だが、「周りの普通のロック好き」がリアルタイムで熱狂している「ガレージロック・リバイバル」系のバンドにはまったく惹かれなかった。より正確にいえば、ぜんぜん関心の枠外だったのだ。その傍らで、『Nuggets』(1972年)を聴いたり、日本のバンド、TEENGENERATEのカッコよさに痺れたり……まあ、ご想像の通りの「純粋主義者」だ。

そういう環境で過ごしていたので、同時代のスターである各バンドの話題はほとんどシャットアウトしており、友人や先輩たちとの会話にそれら「ガレージロック・リバイバル」のバンドが登場することはまったくといっていいほどなかった。だが唯一、「ホワイト・ストライプスっていいよね」という話がときたま出てくるので、いつからか気になる存在になっていったのだ。

更に、同じ先輩たちの話を通じて、ホワイト・ストライプスというのは、ブレイクの以前にはダートボムスやゴリーズ、ロケット455など、「硬派な」バンドと同じデトロイトのシーンで活動していた「筋金入り」の存在で、日本のThe 5.6.7.8’s等とも交流を持っていること、更には、2000年の《新宿JAM》で行われた客がまばらな初来日ステージが素晴らしかったこと、また、ジャックとメグも非常な好人物で、特にジャックはガレージ系はもちろん、古い音楽全般を深く愛する「ギーク」であることを知ったのだった。

そのうちに、どんどん興味が出てきて、私も彼らの作品をCDで聴いてみて、(実に現金なもので)「たしかにかっこいい!」などと方針を転換したという次第なのだ(こうやって当時を思い出しながら書いてるだけで、その節操の無さが恥ずかしいわけだが……)。

ことこういう個人的な「アリ/ナシ」の判断とそのとき抱いた印象というのは若者にとって結構な力をもっているのが常で、ジャック・ホワイトに対する「実はヤバい人」というイメージは、以後長い時間が立っても薄れることはなく、むしろ徐々に強まっていったのだった。自分がレコード業界で働くようになってからは一層そうで、特に《Third Man Records》での彼の活動を見るにつけ、「やっぱりジャック・ホワイトは信用できるな」(何様?!)と心のなかで独りごちることしきりだったのだ。

そう。ジャック・ホワイトは、いつだって「信用できる人物」なのである。形容矛盾かもしれないが、ビジネス的に大成しても、決して「セルアウト」はしない。私が彼に抱き続けてきたそうした印象が、人々に共有されているからこそ、彼の(一見突飛にみえる)ビジネスも、音楽ファンや多くのアーティストからの信頼を広く勝ち得ているのだろう(ことほど左様に、昔から「ロックビジネス」というのはアンビバレントなモノだ)。

《Third Man Records》の設立は、ホワイト・ストライプス活動時の2001年に遡る。初めは、よくあるアーティスト自身による「名ばかりレーベル」だったが、バンドの権利を自らがコントロールするようになった2000年代末を契機に、自分たちのカタログをアナログ化するという事業へ本格的に乗り出した。このときにビジネス・パートナーとして共同運営に加わることになったのが、先に述べたダートボムスのドラマー、ベン・ブラックウェルと、ソールダッド・ブラザーズのドラマー、ベン・スワンクだった(このあたりにも、ガレージロック出身という自らの文化的ルーツを重んじる姿勢や、志を同じくする者同士が集まる「コミュニティ」としてビジネスを捉える彼の姿勢が現れていると感じる)。

レーベルとして、自身の新バンドであるデッド・ウェザーをはじめ、カントリーのワンダ・ジャクソン、ポーキー・ラファージらのカタログをリリースする一方、ブルース等のルーツ・ミュージックの再発や、様々な大物アーティストのアナログリリースを手掛けるなど、徐々に業界での存在感を増していった。パッケージや音質に拘る高品位のプロダクションで信頼を得て、現在までに、ニール・ヤングジェリー・リー・ルイスベックアラバマ・シェイクスなど、幅広いアーティストの作品を展開している。



このアナログ・レコードへのこだわりは、《Third Man Records》の企業理念のまさに中核を成しており、同社は、昨今のアナログ・ブームが本格化する以前から先駆的な展開を多数行ってきた。例えば、同社スタジオで録音された音源を7インチ化する《Blue Series》や、画期的なサブスクリプション形式を採用した限定レコードのデリバリー・サービス《The Third Man Records Vault》など、多様な販売ラインを用意し、好評を得ている。

また、従来のアナログ・レコードの常識を打ち破るようなフォーマットも多数開発してきた。ざっと挙げるだけでも、蛍光レコード、8インチ/13インチの「テキサスサイズ」レコード、液体入りのレコード、香り付きレコード、バラの花入りレコード、3RPMレコード、X線で作られたソノシート……などがある。更に、2017年には、なんとプレス工場を設立し、事業として大成功させているのだ。まさに、「伊達や酔狂」の域をとうに超えた、ガチンコのビジネス展開ぶりである。


《Third Man Records》のYouTubeチャンネルへの登録を呼びかける公式動画

先に述べた通り、レコード制作/プレス以外の事業も多数展開している。現在、《Third Man Records》のショップは、本社のあるナッシュビルをはじめ、デトロイトとロンドンに出店している。また、ナッシュビルでは、ライブ会場の他、バーや写真スタジオも展開している。中でも興味深いのが、ヴィンテージのノベルティ機器を展示するラウンジだ。ここには、16mmフィルムの映像型ジュークボックス「Scopitone」や、即席的なレコード録音機「Voice-o-Graph」、3Dプリンターの先祖のような立体成形機「Wax-O-Matic」といった、いにしえのキッチュなマシーンが動態保存の上展示されている。

ジャック・ホワイトおよび《Third Man Records》が体現する美学において、この「キッチュさ」というのは、殊の外重要な要素だろう。

ジャック・ホワイトは、2013年に《National Recording Preservation Foundation》へ巨額の寄付を行い、アメリカの録音文化の保全に多大な貢献を行うなど、その歴史を守り、受け継いでいこうとする「伝統主義者」の一面もある。それは、彼の音楽活動はもちろんのこと、《Third Man Records》のカタログや、その製品クオリティの高さ、各種の啓蒙的な活動に鑑みれば明らかだろう。しかし、おそらくそれ以上に重要なのが、そういった回顧的な姿勢とともに、彼の美学の中に、常にある種のキッチュネスやキャンプさ、猥雑さ、ポップアート的な即物性が織り込まれているということだろう。

消えゆく、あるいは既に消えてしまったいにしえのテクノロジーや機材、サウンドなどへの没入的なこだわり、アメリカン・カルチャーの古層に潜むゴシック感覚や、1950年代の大量生産品への愛着、(クランプス等からの継承を感じさせる)B級ホラー的世界への執着、更にはホワイト・ストライプスにおける「赤」、ソロ活動における「青」など、ヴィジュアル/イメージ上の戦略。そこからは、「新さ」と「古さ」が錐揉み上に混じり合い、いびつに並列化される、ポストモダン的感覚を経由したポップアート志向が見て取れる。

新たなメディア・テクノロジーの浸透を経て、逆説的に浮上するレトロニム的表象へのフェティシズム。この、いかにもマーシャル・マクルーハン的な図式を経由した上での、古典メディアへの転倒した愛情と、それゆえの敬意。もともと家具職人として身を立てていたという経歴からも察される、クラフツマンシップへの信頼。考えてみれば、こうしたジャック・ホワイトのヴィンテージ主義的かつ、「モノ」への強い愛着と拘りが入り混じった美意識というのは、私が20歳の頃にガレージパンク・シーンの先輩たちから教えられた、「ギーク」としてのジャック・ホワイトのイメージにそのまま合致するものでもある。

そうした「過去への眼差し」の一方で、彼および《Third Man Records》は、そのマーケティングにおいて積極的にSNSを活用するなど、各種の情報テクノロシーとかなり親和的な姿勢を持っているというのにも興味を惹かれる(そういうところも、古典的な意味で「ギーク」的といえる)。知っての通り、ジャック・ホワイトはかなり積極的な「SNS発信者」であり、あからさまに「反トランプ」的なメッセージ等、政治的な発言を行うことにも躊躇がない。

最近の彼の言動で特に耳目を集めたのが、(かつて、テスラ社のCEOとして称賛を送っていたはずの)イーロン・マスクがTwitterを私物化していることに抗議し、《Third Man Records》の公式Twitterアカウントを停止したことだろう。他方で、過去には幾度となく公共施設のための寄付を行い、最近でも、自身のコレクションやメモラビアを慈善オークションに出品するといった活動を行っているのもよく知られている。

こうした彼の姿勢からは、ネット時代における「伝統主義的志向」や「回顧的志向」が、しばしば想像されるようにアクチュアリティからの「逃避」や「反動」とばかり結びつくわけではないという、興味深い図式が浮かび上がってくる。そこにはむしろ、「過去」へのフェティシズムを介しながら、「現在」への疑義を強く駆動させるという、現在の様々なノスタルジア的文化現象全般に共通して指摘できる、逆転的な回路が見て取れるのだ。彼の活動からは、「古き良き時代」が既に想像上のものであることを知っている者だからこそ抱き得る、過去への哀悼と愛着、それらを内在化しているがゆえの批判的な歴史意識が感じられる。

聞くところによれば、《Third Man Records》は、その事業を成功させているのに加えて、同社で働くスタッフへの細やかな待遇でも評判が良いのだという。また、ナッシュビルの本社をはじめ、各地の施設は、そこに人が集まり交流を行う「コミュニティ」として重要な役割が期待されているのだそうだ。やっぱり、「ジャック・ホワイトはいつだって信用できる人物」なのだ。(柴崎祐二)






Text By Yuji Shibasaki


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