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「アートや音楽によって社会に実質的な変化が起こるところを見てみたい」
ワイズ・ブラッド『And In The Darkness, Hearts Aglow』を語る

20 November 2022 | By Shino Okamura

時代を批判するのも人間なら、批判されるべき対象もまた人間。批判を恐れずにイノヴェイトするのも人間なら、批判されるような事象を招くのも人間。全く、この世は人間どもが勝手に暴れ勝手に崩壊させているだけのとんだ喜劇だ。それでも、人間は過去に倣い、現在に問い、そこから未来へと模索していく一途な姿勢を忘れない。そのカルマとも言える人間のひたむきさこそが、過去何100年もの昔から、時には耐え難い痛みや犠牲の上に数々の優れた文化を産んできた。そしてまた構築と破壊を繰り返す。その点では2020年春以降のコロナ禍もまたその一つの通過点に過ぎない。この前後に果たして人類は何を露呈させたのか。近年誕生した優れたアートの背後にはその問いかけと回答への導きが必ずある。もちろん音楽作品にも同様に。

加えて、現代のアーティストには膨大な過去から未来を問うことが存分にできるという“特権”がある。過去の音楽財産に挑むというアングルではなく、そこに何を学ぶのか? というある種の謙虚な姿勢。ワイズ・ブラッドことナタリー・メーリングがここ数作かけて行っている活動も、過去にヒントを得た上で現代に向き合う、まさに慎ましやかな、けれど極めて豊かな、そして厳しくもクリティカルな作業に他ならない。2019年に発表されたワイズ・ブラッドの前作『Titanic Rising』は、水没した室内を描いたジャケット写真が象徴的なように、人類の崩壊の物語を眺めているようなアングルで危機的状況を切り取ったアルバムだった。しかも、あのアルバムのラストに収められた曲は「Nearer To Thee」……そう、あのタイタニック号が沈没する前の最後に演奏した曲だったと言われる「Nearer My God To Thee」にちなんで作られた、弦楽クァルテットによるインストゥルメンタルの小品。映画『博士の異常な愛情』のエンディングでヴェラ・リンの「We’ll Meet Again(また会いましょう)」が流れたようなアイロニーを下地に敷きつつも、破壊を招いた人類のカルマがこのあとどのように救済されるのか、いや、このまま海の底で眠ってしまうのか……その結論を煙に巻くかのように深い余韻を伝えていた。

前作に引き続きジョナサン・ラドが中心になってプロデュースしたニュー・アルバム『And In The Darkness, Hearts Aglow』はその続き……というより崩壊と再生のストーリーの第二章と言える作品だ。作品を重ねるごとに、バカラック/デヴィッド、キング/ゴフィンさながらのポップス黄金時代の躍動したソングライティング、録音技術が進化しつつあった60年代の音作りにアプローチするようになっているナタリー・メーリング。その理由こそ、それこそキューブリックが戦時下に流行した「We’ll Meet Again」……“どこかでいつの日か会いましょう”という、残酷なまでに希望に満ちたメッセージの曲を選んだのと似ているように感じるのは筆者だけだろうか。だから、ここで聴けるバカラック・スタイルの曲はノスタルジーなどではもちろんなく、反語としての資本主義社会批判になりうることを承知した思想としてのポップス。携帯電話が擬人化された殺人鬼と一緒にナタリーが優美に踊る「It’s Not Just Me, It’s Everybody」のMVもその辛辣な風刺となっている。

消費社会を嘆き、しかしその恩恵を受けている自身の置かれている状況にジレンマを抱く。旧知のハンド・ハビッツのメグ・ダフィーの他に、OPNのダニエル・ロパティン(!)がアナログ・シンセで、メアリー・ラティモアがハープで参加したニュー・アルバム『And In The Darkness, Hearts Aglow』についてZOOMで話を訊いた。ちなみに、ナタリーは近いところではジョン・ケイルの新曲「Story Of Blood」でデュエットもしている。
(インタビュー・文/岡村詩野 通訳/竹澤彩子)



Interview with Natalie Mering


──私たちのこの『TURN』では前作『Titanic Rising』を2019年の年間ベストのNo.1に選出したのですが、今作はさらに上をいく内容だと感じています。『Titanic Rising』は三部作の第一弾で、人類の崩壊の物語を眺めているようなアングルで描かれていました。今作はその第二弾となりますが、そもそも『Titanic Rising』を制作する前に、3つのアルバムでどのようなストーリーを描こうと考えていたのか、その壮大なヴィジョンからおしえてください。

Natalie Mering(以下、N):『Titanic Rising』を作った後に、何かもっと、これまでとは違う世界に一歩踏み出してみたくなって。今までとはまるで違う展開がほしいみたいな。しかもロックダウンのせいで予定してたはずのあれこれが打ち切りになっちゃって、いきなり次のアルバム作りのモードに再び突入していくしかないみたいな流れになって。あのダークで危機的な状況の中でハイテンションでウェーイ‼ みたいなアルバムを作るモードにはどうしたってなれなかったし、常に警告のアラームが作動しっぱなしの精神状態の中にいるみたいに感じられた。だから、このまま地下に潜伏するような気持ちで自分の内に籠って、その内側にあるものを深く掘り下げてみようって気持ちになったの。ただ、これは現在進行形で続いているプロセスでもあって、今回のアルバムへのリアクションとして次の作品では来たるべき新しい時代が待っているような。だから、次の3作目に関しては未来への希望を繋いでいくっていうのが、今のところ想定している展開ではあるの。

──なぜそうした物語を描こうとしたのでしょう。それは今言ったような時代やモードを反映してのことなのですか?

N:そう、今のクレイジーな世の中に対するリアクションとしてね。

──今思えば、『Titanic Rising』は取り戻したくても取り戻せない、在りし日を思うその目線が、その後のCOVID-19のパンデミックを予見していたかのようでした。実際にコロナ禍になってみて、自分の描いていた世界とのシンクロをどのように感じましたか?

N:そりゃ、シュールの一言に決まってるわ(笑)。あのアルバムを作った後になって、あの中で語られていたことがいよいよ現実味を帯びてきたわけで、私があの作品の中で伝えようとしたことはあながち間違ってなかったってことが証明されていったという……そこは単純に「してやったり」って気持ちだった。あのアルバムの曲を書き始めた当初は「これって単に私が考えすぎで心配性なだけ?」って疑問に思ったりもしたから。ただ、あくまでも個人的な主観や歌にしたつもりが、瞬く間に世界中のみんなが同じ気持ちを共有してしまう事態になっていった。それって見ていてものすごい強烈な体験であったし、同時に「ああ、自分はやりたかったのはこういうことなのかなあ」とも思って……みんながボンヤリと抱いている違和感に言葉を与えるみたいな……そのモヤモヤが具体的な現実として実感される前に先回りして捉えるっていう。そうでもしないと、今のこれだけ目まぐるしい時代の速さに自分の感情や表現が追いついていかないような気がして。

──私自身は、『Titanic Rising』から今作に至る流れを、人間が招いた資本主義社会、消費社会の崩壊、限界を描いたものだと感じました。このニュー・アルバムはまさしくそうした絶望にも近い闇からの脱出、解放の手立てや模索が描かれているかと思います。

N:うん、ほんとそう。今話してくれたのってまさに今回のアルバムの核心を突いてると思う。そこからどうやって人間本来の輝きを取り戻すのか……そもそも私達人間の一人一人には魂が宿っているということを思い出すところから。しかも、その魂がまた複雑で入り組んでいて……逆に言うと、だからこそ、どんなに深い闇の中にあっても、その本質的な輝きはどうしたって隙間から漏れ出てしまう。と同時に、暗闇もまた自然の一部として拡大し続けるし、カオスもまた今生きていることと抱き合わせにあるもので。ただ、今言ったことは光にもそのまま当てはまることなんだと思う。

──あなた自身はあくまで個人的なアイデアとして、今作を制作する前に、その回答をどのように考えましたか? どうすれば人類は、この情報が溢れかえり、不安定で危うく、取り戻せないような世界をもとに戻すことができると考えていますか? 

N:とはいえ、後悔したところで時間を巻き戻すことはできないし、これだけすべての情報が開示された後で今から電話のない時代に戻るのなんて無理だし、一夜にして世界を変えるなんて現実的には不可能だから。そのためにはテクノロジーの進化ときめ細かな対話を重ねていくしかないんだと思う……今自分達の目の前で起きているこのことが何を意味するのか。その上で、今のこの仕組みが限界に来ていることを認める必要があると思う。今の役に立たなくなった旧式のサイクルを終わらせて次の新しい時代を迎えるために、あるいは終わりは始まりであることを、死を迎えるからこそ生まれてくるものもあるということを認めるところから……たしかに終わりや死に直面することは辛いしトラウマを伴うけれど、死もまた生きることの一部であるわけで、それを受け入れるところから始めないと。その上で、人間の傲慢さやその結果起きている温暖化だの今地球が直面している危機について考えたときに、私達にはどうすることもできないとただ悲嘆にくれるでもなく、あるいはいよいよ最終的に危なくなったタイミングで新たなテクノロジーなり偉人なりが現れてすべて解決してくれるんじゃないかと楽観視するでもなく、そのちょうど中間の立ち位置で……とはいえ、もちろん答えなんてわからない。わからなくても、まずは現状を受け入れて考えるところから始めなくちゃ何も変わらないわけじゃない? アブストラクトな情報の中から何かしら掴み取って具体的な行動を起こすところまで持っていかなくちゃ。ただそこがまた混乱するところで、何が自分にできる最善なのかの見極めがすごく難しい……みんなにとって優しい思いやりのあるポジティヴな変化を生み出すためにはどうしたらいいのか?それはもう丁寧に対話を重ねていく以外にない気がする。お互いに分かり合おう姿勢でまずは話すところから始めなくちゃ……なんで今みたいな状況になっちゃってるのかってね。これは簡単に解決するような問題じゃないけど、過去に戻ることは現実的な策だとは思えないから。

──例えばコロナ禍にカミュの『ペスト』が再び話題になってベストセラーになったわけですが。

N:うんうん、いわゆる実存主義に共感する動きよね。

──ええ。75年も前に書かれた作品と今の時代との間にいくつもの共通点があって、多くの現代人がそこにまた共感しているという事実、そこで文化が果たしている役割などについて、どのようにお考えですか?

N:結局、今世の中に起きてることって何にも目新しいことじゃない気がするの。私達が今経験してることも一見特殊な状況に思えるかもしれないけど、単にディテールだのテクノロジーだの細かい設定が違うだけで、ひな型に関しては一向に変わってない気がする。それは人間の傲慢さについても同じで、常に現状に不満を抱えて今この瞬間を楽しむことができない……やたらと巨大で自己主張の強い脳味噌というものを抱え持ってしまってるゆえに。しかも不可解なことに、脳味噌が自身のために良かれと思ってやってることが結果的にホストである人間の生命を危機にさらしているという、それもまた人間構造の神秘としてものすごく興味をそそられる領域ではあるんだけど。というわけで、そもそもの人間の構造自体が進化してないから、何度でも同じパターンが繰り返されるし、歴史は繰り返される。というか、もともと自分が歴史好きなもんで余計にそっち寄りの発想になっちゃうんだろうけど、何かしらの困難に直面したとき常に歴史の中に答えを探すみたいなとこがあって。ただ、今みたいな時代では歴史すらも細分化されてて、もっと大きな人類全体としてどうやって繰り返されるパターンなり荒波を乗り越えてきたかの知恵として活用しようという視点が薄れてるような気がするんだよね。専門知識としてじゃなく、もっと大まかな指針として歴史に親しんでもらえるようになったらいいのに。今の自分のこの価値観は現代特有のものだって視点を持つだけでもだいぶ気持ち的に救われると思う。別の時代の人達はまったく別の角度から世界を捉えていたわけで、どちらが正しいとも間違ってるとも言えない。例えば今は昔よりも科学信仰が強めとかいう差異はあるにせよ、ね。かといって、私は過去を美化して昔はよかったなんて言う気はさらさらない。ただ歴史は道標としてすごく有効だと思うし、過去から学べることは大いにあると思ってるの。

──もちろん、その答えが本作なのだとは思いますが、それに対して音楽はどのように表現すべきだと考えているのでしょうか? パンデミックになり音楽がなんの役にも立たないことを実感したアーティストも少なくありません。ですが、ライフラインだけが人類に必要なものであって、「役に立たないものは不要」という考え方はおかしい。生きるために役に立たないものが何もない世界ほどつまらないものはないと思います。音楽の存在が我々に伝えることができるものは何だと考えますか?

N:そこはすごく難しいところよね。悲しいけど、今の時代において音楽によって世界を大きく動かしていくのはものすごく難しいと正直思う。音楽が社会にとってラディカルな表現であった時代はとっくの昔に終わってて、今は単にその焼き直しや過去の再現の中に生きてる感は否めない……とはいえ、今でも音楽が果たしてる役割はあるし、実際に人々に癒しや逃避を提供している。ただ、それが時代やカルチャー全体を変えていくのにどこまで実行力を持つのかは果たして疑問だし。昔みたいに音楽がラディカルな表現として大きな意味を持っていた時代に戻れたらいいなあとは思うけど、今の時代は音楽もエンターテイメントとして完全に商品化されちゃってるわけで、エンターテイメントのその先の領域に行くのがものすごく難しい。ただ、単なる逃避やエンターテイメントで終わらせないための攻略法として、リスナーを完全にこちら側に取り込んでしまうっていうのが一番有効な気がする……単なるエンターテイメントの領域を超えて完全に魅了してしまうという。神秘の力のよってこちら側の世界に引きずり込んで、そこでハードな質問を含めて一つ一つ突きつけていく、そこから今までになかった新たな視点に導かれるような構造に持っていくことで、これまで偉大なアーティストがやってきたことと実質的に同じ役割を果たしていけたら……痛みや苦しみを引き受けた上で、ほんの束の間の命でしかない人間という存在のその先にあるものに辿り着くことができたら……。そういう意味で、アートはいまだに世の中でしっかりその役目を果たしていると思うし、人々に本当に必要とされているものだと思う。とはいえ、実際にそれを見てみたいっていう願望はものすごくある。アートや音楽によって社会に実質的な変化が起こるところを見てみたい。ただ、そこに到達するまでが本当に難しい……大半の人が気晴らしだの気休めだったりを音楽に求めている今の時代の中では。

──でも、あなたはそこに挑戦したいという意識を強く持つ音楽家の一人です。

N:ええ、もちろん。自分があえて話題にしづらいテーマを取り上げてるのなんて、まさにそういう姿勢のあらわれなわけで。ただ、昔の時代とは別のやり方でそれを実行に移そうとしてる。これは声を上げるべきっていうことを昔みたいに表立って主張するのとは別のアプローチから働きかけようって作戦だよね。立ち止まってちょっと考えさせられるような、あるいはカタルシスから人々に心に入り込んで、目の前にある現状をどう捉えるかってとこで風穴を開けようとしてるの。

──しかも、こうしたテーマの作品を描く中で、あなたの作品のサウンド面は、より一層、歴史あるポップスとしての強度を高めています。

N:ハハハ、そう(笑)。もともとクラシックな音とかサウンドトラックが大好きで、人生のサウンドトラック的な音楽を作ろうとしてたから、クラシカルな要素っていうのは今回のアルバムに一役買ってるとは思う。

──ポップスの最もコアな部分をあえて継承していこうとしている節も感じられます。まるでブリル・ビルディング時代のバート・バカラックやキャロル・キング/ジェリー・ゴフィンに遡るかのような……。それはまるで人類が資本主義崩壊の今こそ、人としての原点を思い返すよう警鐘を鳴らしているかのようです。今作における、ポップスの原点を求める動きと、人としての原点を模索する動き、その関係性をあなたはどのように考えますか?

N:そう、そこがまさに重要なポイントなんじゃないかって。だから、みんなにももっと気がついてほしい……成り行きでそっちに転がっていったのか自ら突き進んでいったのかわからないけど、不幸なことに資本主義と消費主義がある意味現代における宗教に成り代わってて、そのせいでスピリチュアルな面が枯渇してる状態にあるように思えるの。ただ、誤解しないでほしいんだけど、私はここで資本主義をぶっ潰そうとかそういうことを訴えかけてるわけじゃないの。現に資本主義から恩恵を受けてる張本人として、ツアーして人前で歌ってチケットを売ることで生計を立ててるわけだし。ただ、みんなそっちに気を取られすぎて、人類全体が根源的な何かとの繋がりを忘れがちなような……目に見える数字や成果のその先にある世界が存在するのに! って、言いたくなることもある(笑)。それがつまり人間の魂であり優しさや慈悲であり愛であり、いわゆるスピリチュアル的なあれこれに関わるものであるとは思うんだけど……ただ、これがまた面倒で、今言ったワードってどうしてもニューエイジだのヒッピーだの単なる理想論だのヴードゥ信仰だのそっち系と一緒くたにされて片づけられがちだから。ただ、目に見えている以上の世界が存在してるってことは昔から数多くの学者が指摘してきたことで、その見えない何かっていうのは、スピリチュアルだの何だのには一切興味のない人達でもどこかで感じてるはずで………この宇宙の中には人間には認識できないダーク・マターっていう物質が確かに存在してて、そういうものこそがむしろ本質であり、神話の領域なんじゃないかと。だからこそジョーゼフ・キャンベルやカール・ユングなんかの学者達が物語なり神話なりの必要性を説いていたわけで……世の中の混沌や不条理を受け入れるための術として。私自身、かつての宗教なり昔話や神話が担ってた役割を個人主義や資本主義で埋めるのには限界があるし、むしろ私達の魂にとって害悪でしかないと思ってる。少なくとも現状においてまともに機能してないことはたしか。だから今の時代に生きてる人の多くが無気力で無感情だったり、ただ不安で途方にくれてたり……他人に対する思いやりだの共感だの私達人間に本来必要とされている感情にどうアクセスしていいのかわからない状態にいるんだと思う。

──そのあたり、プロデューサーのジョナサン・ラドとはサウンド面でどのような方向性を共有したのでしょうか?

N:今回、大部屋でレコーディングしようってことでチューブラーベルだのやたらと大きな楽器を集めて、その空間ごと捉えようとしてたの。オーヴァーダブを多用する代わりに地下の奥深くに流れる川みたいなイメージのサウンドを捉えようとしてたし、実際そういう音に仕上がってると思う。でもそれって、ただ単に自分の内面をそのまま反映させていっただけみたいなところがあって。それこそ色んな愛の形を描いていきたくて、ラブソングなら深く低い声で情感たっぷりに歌い上げるとか、賛美歌的な曲なら喜びの裏に悲しみを伴うように、今回、本当に自分の気持ちがそういうモードだったの。あえてこうしようと考えるまでもなく、気がついたら普通にそっち方向に動いてたっていうか。

──では、無意識で音作りの面でリファレンスとしていた過去の作品などありましたか?

N:今回、ビーチ・ボーイズが『Pet Sounds』を録音したLAの《EastWest Studios》の《Studio Three》で録音したんだけど、かつてブライアン・ウィルソンが使ったエコー・ルームを使わせてもらってね。あの独特なオーガニックな感触が最高すぎて、あそこにあるピアノを弾かせてもらったことだけでも感動的だった。何しろブライアンとあのアルバムの大ファンだから、エコー・ルームに入ってすべて焼きつけるみたいな、あの空間にある音を一つも取りこぼすことなく全体に収めるようにマイクを何本も使って工夫したりしたの。ただ、今回、それで終わりにはせず、その後あそこで録音した音を別のスタジオに持っていって、あの伝説的なサウンドの影も形もなくなるぐらいボコボコにして自分達の手垢をつけまくっていったの。その事後処理作業もまた最高に楽しかったってわけ。

──自然とロックの過去の歴史に刻み込まれた音や思想を引き継ぎ、そこに現代の音としてメスを入れたというわけですね。そういう点でいくと、収録曲である「Grapevine」という曲はマーヴィン・ゲイの「I Heard It Through The Grapevine」に対する現代からの回答のようにも聞こえました。非常に情熱的なラブソングのようでいて、非常に示唆的な社会批判の曲のようにも思えて。

N:なるほどね。「Grapevine」って、カリフォルニアの高速道路の名前なので直接的にマーヴィン・ゲイの曲に言及してるわけじゃないんだけど、ただ過去の音楽の歴史を継承するっていう点に関しては、実際、何人かのアーティストに対してそういう気持ちを抱いているし、彼らの持っている良いものに自分の周波数を合わせて、そこに自分なりの捻りを加えて未来に向けて発信するみたいな気持ちは常にどこかで感じてるわ。

──古ぼけたゴーストタウンで、そこはジェームス・ディーンが亡くなった場所で……という「Grapevine」の歌詞からは、一見すると華やかなカリフォルニアの裏にある翳りやダークサイドについて描いているようにも思えました。

N:というか、カリフォルニア自体がまさに今言ったような土地で、ダークな歴史の上に成り立っているんだよね。そこに少し触れてみたかったのもあるし、ゴールド・ラッシュ時代の影を思わせる不穏なサウンドとかも意識した。あの曲の舞台になってるハイウェイの道路脇で実際にジェームス・ディーンは亡くなってるの。その奇妙な場所を車で通り過ぎたときの感想を歌に反映させてるわけ。

──カリフォルニア〜LAのダークサイドについては、例えばポール・トーマス・アンダーソン監督は毎回テーマのようにシリアスかつユーモアラスに描いてますよね。

N:わかる! ポール・トーマス・アンダーソン作品ってまさにそうだものね。カリフォルニアってそもそもフロンティアでしょ。当時の人達からしたら世界の最果てみたいな辺境だったのが、今では少なくとも西洋文明の中では爆発的に人口が拡大した土地の一つになっているという。開拓者が侵入する以前は原住民かせいぜいスペインからの移民があの広大なエリアの中に閑散と点在してたぐらいだったのに。そもそもカリフォルニアって土地自体が西洋的な建造物を建てて長期に渡って暮らすには不向きな土地で、昔から洪水もあれば地震も山火事も頻発してた。それは今もそうよね。原住民の人達は経験値としてそれを理解してたから、土地との付き合い方も知っていた。ただ、それが逆にある種の変わった人々を惹きつける要因にもなって、オカルトだの新興宗教にハマった人達が神秘体験だのいわゆる既存の価値観以外のものを求めてこの土地に入ってきた。それはゴールド・ラッシュの時代の一攫千金狙いや開拓者達にしても同じで、一言で言ってしまうと新しいもの好き、それが近年ではシリコンバレーだの映画産業なんかの発展に結びついていくわけで。実際、そうした産業がいわゆる封建社会だの世間の常識とはまったく別のところに規格外の新たなカルチャーなり価値観なりを作り上げた。それ自体はすごく革新的ではあるけれど、最先端ってことはつまり歴史的エビデンスがないわけで、その弊害についてはいまだに未知数であり、シリコンバレーで開発されたテクノロジーがこの先の人類にどのような影響を及ぼすのかはいまだに検証過程にある。それはインターネットよりもはるかに以前に存在していたテレビや映画産業についてですら同じで。ただ、その影響のすべてがネガティヴなものだとは必ずしも思わない。カリフォルニア自体が歴史的に何もないところから起ち上がって頂点に上り詰めた土地の代表例であって、いまだにその流れを引きずってると思う。と同時に、炭鉱におけるカナリア的存在でもあって、今の地球温暖化がどれだけ危機的な状況にあるのかを計る試金石的な側面もある気がして。あまりにも他の世界とはかけ離れた最先端の世界の縮図みたいな、すべてが目まぐるしいスピードで変化していくような特殊な土地だから。

──あなたは今もLA在住ですか。

N:そう。

──今、LAはジャズ、R&B、ヒップホップ、フォーク、カントリー、ポップ……様々な音楽の潮流がシームレスに合流している刺激的な街という印象もあります。例えばパフューム・ジーニアスのマイク・ハドレアスなんかは今LAが面白いからという理由でわざわざシアトルからLAに移住してきたミュージシャンの一人です。地元民として音楽の街としての熱気を実感することはありますか?

N:ああ、たしかに音楽業界で民族大移動が起きてるのは感じるかも(笑)。実際こっちって音楽作る人とかクリエイター系の人達にとってはいい環境なんじゃないかな。ただ、LAってとにかく土地が広くて、町もあっちこっちに点在してるって感じだから、街で気軽にミュージシャン同志で会ったりすれ違ったりとか、そういうノリではない。ただ、音楽関係者がみんなそれなりに近くにいるっていうのはいい感じかも。

──ちなみにLAでお勧めのヴェニューとかよく遊びに行くところとかありますか?

N:う〜ん、どこかな、メジャーどころだと《Hollywood Bowl》《Greek Theater》《Wiltern》あたりとか、小さめのハコだったら《Zeblon》とか《Teragram Ballroom》とか……本当に色々あるけど、でも、そこからローカルな音楽シーンが起ち上がるとかいう雰囲気ではないような気もする。一番それに近い雰囲気が《Zeblon》なのかもしれないけど、自分もお目当てのバンドがあるから行ってるだけでフラッと行く感じじゃないし……。私自身がもともとそんなに外に遊びに行くタイプじゃないからかもしれないけれども。あ、でも、最近で言うならアレックスGのライヴガめっちゃよかった! 新作『God Save the Animals』もめっちゃ好き! あのアルバムを実際に生で体験したくてライヴ会場に足を運んだようなものだもの。あの新作はとにかく中身に共感しっぱなしで、しかも神だの何だの取り扱いづらいテーマについて一切の物怖じ抜きであけっぴろげに語ってるところがめちゃくちゃ響いたわ。プロダクションのほうも実験しまくりでマジで攻めてたし。

──神といえば、あなたの新作に収録されている「It’s Not Just Me, It’s Everybody」は仏教的な世界観に基づいたアンセム・ソングだそうですが、おそらくそれは「神道(しんとう)」のことかと思います。

N:ああ、そうね、たしかに。

──シャーマニックとも言えるあらゆる生命体との連帯を考えるそうした思想に興味を持つようになったのはどういうきっかけだったのでしょうか。

N:もともとタオイズムに興味があって、老荘思想だの『弓と禅』(オイゲン・ヘリゲル著)だの禅に関する本や三島(由紀夫)文学だの武道だのに関心があって……それってたぶんいかにも典型的ヨーロッパ的キリスト教的価値観の家庭に育ってることも背景で関わってると思うんだけど、キリスト教的世界観とは違うところで自然とか命の根源を基準にした価値観に惹かれたんだと思う……というか、自分の中ですごく腑に落ちたの。ガチガチのキリスト教教育の中で育ってきた自分にとっては、少なくとも風穴だった。そこから仏教や神道の世界観についてより深く知るようになるにつれキリスト教や聖書の教えと共通点があることに気づいたり……結局、さっき言ったジョーセフ・キャンベルやカール・ユングが指摘していたのもその点だしね。はるか遠く離れた土地や大陸でそれぞれまったく独自に育まれたはずの文化であり文明が、根底のところで実は同じ価値観であり視点を共有し合ってる、それが何を意味しているのか……っていうことはよく考えているわ。

――そうした思想が本来原点にあったはずの我々日本人もまた他の先進国と同じように消費社会的な価値観に呑まれていて、生き物の頂点に立つ人間が、あらゆる問題をお金で解決していく構造になっています。

N:わかる、ほんとそうなっちゃうって。

――そうした価値観に対して、この曲を通してあなたは警鐘を鳴らしていると思います。この消費社会を少しでも食い止める一つの糸口になれば、と。

N:それ、すごく面白い指摘だし、今の時代に起きていることっていわゆるアメリカン・ドリームでありアメリカを言わば帝国の頂点としてそこから世界に波及していった価値観が既に限界に来ている一つの兆候だと思うのね。現に今のアメリカの社会がどんどん綻び始めてて、その一方でインドなんかの国が勢いを伸ばして、かつてアメリカン・ドリームのミドルクラスの豊かさを今まさに初めて享受しようという段階にいる。それがアメリカではすでに夢が弾けてしまった後で、すでに底が知れてるみたいな。これって日本の人達も同じ気持ちかもしれないけど、すべて終わってしまった後みたいな……それは愛についても同じで、肉体関係なりの既成事実の後づけみたいな。そういうときこそ人々は過去を振り返りたくなるんだと思う。今のこの帝国(アメリカ)が支配する以前の価値観や感覚を確かめてみたい気持ちになるのかなって。


<了>

Text By Shino Okamura

Interpretation By Ayako Takezawa


Weyes Blood

And In The Darkness, Hearts Aglow

LABEL : Sub Pop / Big Nothing
RELEASE DATE : 2022.11.18


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