Review

Weyes Blood: Titanic Rising

2019 / Sub Pop / Big Nothing
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ポップ・ミュージックがタイタニック号のように沈没する前に

16 April 2019 | By Shino Okamura

テディベアが置かれたベッドもあれば化粧台の上にはノートパソコンもある。窓のカーテンは揺れ、ランプも明かりが灯ったまま。壁にはお気に入りの写真やポスターもあって、居心地のいい寝室であることを伝えている。だが、ここは地上ではない。ジーンズ姿の本人の髪やTシャツが逆立って浮いている様子が、ここが水の中であることを伝えている。ちなみにこれはCGではないそうだ。

ワイズ・ブラッドことナタリー・メーリングによるソロ・プロジェクトの通算4作目は、そのジャケットのアートワークとアルバム・タイトルから推察できるように、映画にもなったタイタニック号の沈没を一つのモチーフに作られたものだという。ナタリーは言う。「タイタニック号が氷山に衝突することは、氷山が溶け文明が沈み込むことを象徴していたの」。文明の失墜、それはあるいは科学進化の限界なのか、それによって問われる自然との共存の真理、なのか。ただ、サブ・ポップ移籍第一弾でもある本作は、そうした悲哀、痛み、空虚を伴った感情を、必ずしも重いまま表現してはいない。むしろ実に情緒豊かに、あるいはいくつもの秘められた複雑な心理を描いている。まさにこのアートワークさながらに、カラフルに、アイロニカルに。それはもしかすると“悪夢”なのかもしれないが、ここで聴ける10曲は驚くほど“ドリーミー”でさえある。

尤も、ただカラフルでファンタジックな作品なのかといえばそれは違う。本作はフォクシジェンのジョナサン・ラドー(レモン・ツィッグス、ファーザー・ジョン・ミスティ他)がプロデュース。確かにこの壮大なポップ絵巻のような仕上がりはジョナサンの仕事ではある。だが、ジャッキー・オー・マザーファッカーのベーシストというキャリア、フラナリー・オコナーの小説『賢い血(Wise Blood)』のタイトルを文字ってソロ・ユニット名を付けてみるセンス、カレン・ダルトンやアン・ブリッグスを思わせるフォーキーな作風……そうした活動初期の彼女を形成するアイデンティティが全てどこかで生かされつつも、過去の様々なポップ・ミュージックへのひたむきな眼差しが広い目線で落とし込まれている。それはバート・バカラックやビーチ・ボーイズに至るまでのポップスの黎明・草創期~成熟期の作り手への絶対的信頼とも思えるメロディ・センスはもちろんのこと、アンビエント~ニューエイジを視野に入れたような心地よい音処理、先日亡くなったスコット・ウォーカーやルー・リードのような彫りの深いアレンジメント、はたまた80年代のロック全盛期を思わせるダイナミックな展開さえ垣間見せるという大らかさ……。レモン・ツイッグスやブレイク・ミルズらゲストの配し方、ストリングス、アナログなタッチの鍵盤、シンセなどによるバランスのとり方も絶妙だ。

タイタニック号のように沈没してしまう前に、これまでのポップスの歴史を現在に引き継ごうと正統派アクトへの道へと舵を切ってみた。ということなのかもしれない。ところで、ジャケットの中に写り込んでいる写真/ポスターの中に、ナタリーのお父さん(かつてSumnerというバンドをやっていたサムナー・メーリング)が写っているのだけれど、さて、どれかわかりますか? (岡村詩野)

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